同じ事の繰り返しで、私の頭の中は時が止まったままで、いっこうに進まないではないか。 収入がストップしてからの私の隠し金は、羽が生えたようにして飛んでいく。 二度と戻らないお金である。生活費として切羽詰って使うために貯めたんではない。 あくまでも、老後の生活のためである。 老後に少しでも余裕が欲しいと思ってのお金なのだ。 年金だけで暮らして行くのは大変な事。
親なら誰しも思う。子供に迷惑を掛けて暮らしたくないと。 お金については、なお更そう思う。子供達は子育ての真っ最中で、自分たちの生活を維持するだけで精一杯。 仮に、ほんのわずかでも仕送りすると言われても、そのお金は使えるものではない。 子供からの仕送りを当てにするほど、堕ちては居ない。
収入が無くなった時点で、自分の持っているお金がその内なくなってしまうと考えた時…
常々おっさんに言って来た。
「私のお金が無くなったときには、私の命も無いと思って! 産まれる時は自分で選ぶ事は出来んけど、死ぬ時は自分で選べる。働く事を放棄したという事は、私に死ねと言うてるのと同じやろ。55歳で仕事を終わりにしたという事は、私への責任も放棄した事になる!」
厚生年金の手続きも後一つ残されているのに、これも中途半端なままだ。 役立たずのクソオヤジを、着の身着のままで放り出したい心境である。 どんな仕事でもいい、少しの収入でいい。ゼロよりはまし。 みんなそうして、少しでも働こうと前向きに生きてるではないか。 私に理性がなくなった時の逆上した姿を想像しては、世間にある夫殺しを身近に感じている鬼嫁である。
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