過去の記憶は時々に薄れていたり、強烈過ぎて忘れる事が出来なかったり、許せたり 許せなかったりするものだ。 おっさんのした事のすべてが許せないと、かたくなに思い続けたのは何故かと考えてみるのに、思い当たる事はただ一つ、言葉足らずであると言う事。 おっさんは決して無口ではない。口八丁なくせに私への言葉が足らないのだ。 相手を思いやったら、自然と言葉は出てくるし、理解してもらおうと努力する。
おっさんの場合、全部を省略するからややこしくなる。 こんな気持のすれ違いが、溝を大きくしてしまうのだ。 寄り添って老後を送りたいなら、それまでの長い年月を、信頼で結びつけておかないと 『今更何よ』と嫁さんの反逆に合う。 私はまさに今、その反逆をしようと考えていた。 歳をとれば女の方が断然強くなる。おっさんは私の影のようなもの。
今までにどんな結婚生活を送って来たかで老後は決まる。 私の気持ちの中では、もう切り捨てたも同然のおっさんが癌に罹ったと言う事は、 私にはまだ続きの物語が待っている訳で、終身の足カセをはめられた気がした。
この男は、子供や孫達からは悪く言われることも無く、むしろ周りの者からは温かさを感じる。 こういう人間って居るんだよね。憎まれないヤツって。 面白くない私は、おっさんにとことん意地悪をし尽くしたい心境である。 そうした所で何も解消されないし、疲れるだけなのは分かっている。 長年の鬱積はそう簡単には拭えない。 離婚の勇気も無かった自分自身の弱さと、おっさんの上にあぐらをかいてきた自分への苛立ちが、おっさんの行動や言葉に針を刺したくなる。 立場が逆転した夫婦関係もまた面白い。
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