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作品名:ぼくのなまえ 作者:浅井 健二

第1回   1.お母さんがいなくなった
僕は今まで、一度も名前を呼ばれたことがない。だから僕は僕だ。名前は知らない。名前がないんじゃあなくって、知らないだけ。いつか、お母さんが僕につけてくれた名前で僕のことを呼んでくれる。僕はその日を待ちながら暮している。
日曜日の午後はお母さんとお父さんと弟が家のリビングでテーブルを囲んでお茶を飲んだり、ケーキを食べたりしている。僕は家に入ることはできない。だから、それを庭の窓から覗くだけ。僕が覗いていると家族はみんな幸せな顔で笑っていて、とくにお母さんの笑顔は本当に幸せそうで、それを見ると、僕も幸せな気分になる。家族が幸せで本当に幸せだと思う。
でも、僕はその中には入ることはできない。だから、窓から家の中を覗くとき以外は、物置で過ごしている。物置は古くてところどころ錆びているけど、物置で過ごすのはけっこう楽しい。なぜなら、そこには友達がいるから。
夏はストーブとよく話している。ストーブは、灯油を燃料に燃える本格的なやつだ。ベージュのボディに赤茶けた錆が浮かんでいてなんだか迫力がある。
ストーブは言う。
「夏が暑いっていっても、実に中途半端なもんだ。俺だったらもっとずっと熱くできるんだけどなあ」
 じゃあ夏の暑さを夏なんかにまかせていないでお前が一年中世の中を熱くしてればいいじゃあないかと僕が言うと、「まあ、何事にも節度が大切で、働くということについても一年中働くのはよくないから、夏は夏働いて、俺は冬働いて半分づつ休まないといけないんだ。働くっていうことはお前が思っているよりももっとずっと大変なんだぜ」と言う。
 どうせそんなの嘘なんだろうと僕は思うので、「どうせそんなの嘘なんだろう」と言ってやると、決まってゴオオオオと燃え出すので熱くてたまらない。
冬は扇風機と遊んでいる。扇風機は薄い水色の3枚の羽根にほこりをためたなんからみすぼらしいやつだ。バカだから、回ることしか能がないし、だから、他の回るもの、たとえばタイヤやコマなんかをすごく嫌っていて、よく悪口を言っている。
「世の中で回ることで風をふかすのは俺くらいのものだぜ」とよく言っているが、そんなことは別に全く偉くもなんともないので「そんなことは別に全く偉くもなんともないことだよ」と僕が言うと、怒ったのかカララと回った。
しかし、それでもストーブや扇風機はバカだから自分がいかにすごいかを自慢してくると僕は最後には「お前たちにはお母さんがいないだろう」と言ってやることにしている。
窓から見えるお母さんが僕の自慢なんだ。僕はお母さんがいて本当に嬉しいと思う。いつかお母さんが喜ぶことを何かしてあげられたらいいな。と思う。
そんなある日、お母さんが家からいなくなった。それはどうみても、ちょっといなくなってすぐに帰ってくる感じのいなくなる感じじゃあなくて、いなくなってもしかしたら二度と戻らないかもしれないといった感じのいなくなった感じだった。僕は家に入ることはできないので窓から家を覗くと、お父さんと弟がおろおろしたり、泣いたりしていた。「どうしたの?」と聞いてももちろん答えてはくれなかった。僕はすごく気になったけど、家には入ることはできないので、頭のいいねずみにお母さんがどこにいったのか、なんでいなくなったのか聞いてみた。
頭のいいねずみはねずみの大学を卒業しているので、学や教養というものがあり、頭がいいとよく本人が自慢しているねずみだ。そして、頭がいいことと関係があるのか、シルクハットをかぶっていた。
頭のいいねずみは「おれが見に行ってやるでちゅ」と言って、家に入ってしばらくしてから出てきて、しゃべりだした。
「ちゅうちゅうちゅうちゅう・・・ちゅちゅちゅ・・・」
「わからないから人間の言葉で話してくれよ」
ねずみは興奮するとねずみの言葉を早口でまくしたてるくせがある。
「お母さんは北の国に行ったみたいでちゅ」
「北の国に何をしに行ったの?」
「北の国には焼けた城があって、焼けた城には今も人とか、幽霊が住んでいて、一番えらい幽霊に会うと願いをひとつ聞いてくれるんでちゅ」
「じゃあ、お母さんは何かをお願いしに北の国に行ったんだ。一体何の願いがあったんだろう?」
「それからもうひとつ。願いを聞いてもらったら一生焼けた城の奴隷として働かないといけないんでちゅ」
「じゃあ、お母さんは本当にもう帰ってこないの?」
「無事に北の国にたどりついたら帰ってこないでちゅね」
僕はお母さんがいなくなるなんて思っていなかったし、まだ名前を呼んでもらったことがないし、このままお母さんが帰ってこないとこのままずっと名前を呼んでもらえない。そんなのはとても悲しくて嫌で悲しい。僕は涙が流れてきた。
「僕は嫌だ」僕はそんなのは嫌だ。僕が言うと部屋が熱くなった。見るとストーブが真っ赤な顔で燃えていた。ストーブも悲しいんだ。ストーブが温めた空気はぬるい風になって僕にむわむわむわとかかってきた。見ると扇風機がカララと回っていた。扇風機も悲しいんだ。
 ねずみは言った。
「悲しいならお母さんを連れ戻しに行くんでちゅ」
「そうだ。俺たちもついていってやる」ストーブが言うと「そうだ。そうだ」と扇風機も言った。僕は友達がいるということはなんてすばらしいことなんだろうと思った。
「ねずみ。ストーブ。扇風機。僕はお母さんを連れ戻しに行くよ。お前たちもついてきてくれ」僕がいうと、ねずみとストーブと扇風機はうなずいた。こうして僕たちは北の国にある焼けた城へ行くことになった。
さあ、これから出発だ。という時、ねずみが言った。
「問題はストーブと扇風機は歩けないということでちゅね」
 確かに、ストーブは燃えることしか能がないばかだし、扇風機は回ることしか能がない役立たずなので歩くことができない。ストーブと扇風機はねずみに言われて申し訳なさそうな、なんでもないような顔をしていたけれど、どんな顔をしても解決する問題じゃあない。
「お前がストーブと扇風機をかついで行くしかないでちゅ」ねずみはひらりと言った。
僕は少し「ええ!!?僕が!!?」とは思ったものの、今さら嫌な顔をするのはなんだか少し悪いことのような気もしたので「僕にまかせておけ」と言った。
北の国への道順は簡単だ。僕の家からは道が東西南北に伸びているので、北へ伸びた道をまっすぐ行けばいい。と思っていたら「それで、北の国へはどうやって行くんだ?」と、ストーブが神妙そうな顔で言った。扇風機も一応考えるふりをしたが、いつまでたっても結論が出ないようだった。こいつらは本当にバカだと心の底から思う。
「北の道をまっすぐ歩いていけばいいんでちゅ」ねずみが得意げに言いながら、当然のように僕に上ってきて、肩にちょこんとおさまった。ねずみも自分で歩くのはしんどいと思って僕に乗っていこうとしている。本当にせこくてずるい最低なやつだ。こして僕は右手と左手にバカを担ぎ、肩に最低を乗せて、北の道を歩いて行くことになった。


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