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作品名:赤チョーク 作者:シンザキ

最終回   1
放課後の教室で、私はある嘘を吐き続けてきた。
 一年間続いた嘘は今日で終わる。
 私は独りぼっちの教室で、最後の一日を噛み締めていた。正確に言えば、あと一日登校するのだが、嘘を吐けるのは今日が最後だった。
 教室全体を見渡せる最後尾の席は、実にふさわしい場所だ。
 次の主を待つように整然と並ぶ机と椅子は空っぽ。掲示物で埋めつくされた壁は時間割表さえ無くなっている。窓から差し込む光は夕暮れの残滓。灰色の影とオレンジ色のコントラストに包まれた教室は温かくもあり、冷たくもあった。
 窓外を見やると、ちょうど桜の枝が目につく。
 この気持ちが芽生えたのは、ピンクの花弁が散り始めた頃だったように思う。ならば気持ちに決着をつけるのは、芽吹く前なのか。
 告白するつもりは、ない。
 否、最後なんだから勇気を出して言ってしまうべきだ。
 でも、反応を見るのが怖い。困った顔をつくらせてしまうかも。それとも、ムッと顔をしかめるだろうか。もしくは、冗談だと受け止めて軽くあしらわれる可能性もある。やはり、潔く諦めた方がいいのかもしれない。
 そんなことを悶々と考えていたら、時間はあっという間に経った。
 頬杖をついて黒板をじっと見つめる。
 あらゆる意味で静まり返った教室を、唯一にぎわせているのが黒板だった。
 クラスメイトの手によって、白、青、黄、赤色のチョークで個々の気持ちが文字となって黒板を彩っていた。 
 私は立ち上がって、黒板に歩み寄った。視線は黒板に縫いとめたまま、一言一言じっくり読んだ。
 感謝と別れ。言えなかった謝罪と秘密の暴露。再会の約束に愛の告白。 
 思わず苦笑を誘う言葉があれば、目頭を熱くするものもある。
(何て書こうかな)
 私はまだ書いてなかった。手近な赤色のチョークを持って考え込む。
 頭に一つの案が浮かんでいた。それは午後、教室中を騒がせたある一文。
『実はずっと前から好きだった。俺の彼女になってくれ』
 飾り気の無い純粋な想いを文字にした男子生徒は、数秒後、意中の女子と結ばれた。卒業前日にしてロマンチックなカップルが誕生したのだ。
 教室全体が拍手喝采の大盛り上がり。私も手を叩いて笑う一人だったが、正直羨ましくて鬱々といじけた。
 チョークを手の中で転がしながら、でもやっぱり羨ましいな、と心底思う。
(私も、黒板に書いちゃおうか)
 閃いた男子生徒の真似事に、私の胸は高鳴った。
 告白も、諦めることも、あと一歩足りない私には丁度いい考えかもしれない。
 見渡せば、名前を書いていない生徒もいることだし。詮索はされるだろうが、知らん顔を決め込めば平気だ。
(でもそれって、伝わらないのと同じことかも)
 無意味かもと思うが、このまま帰るのも嫌だ。
(よし)
 密かに気合を入れ、空きスペースを探した。わずかに残っていたのは左端の上だった。
 かかとを上げては下げたりを繰り返し、何とか書ききった。
 三歩後退して見上げると、私は呻き声を上げた。
(じ、字が、震えてる。それに斜めに下がって読みにくい)
 自分が書いた文字だからか、余計に目立つ。一世一代の告白がこれでは格好悪い。
 慌てて黒板消しに手を伸ばしたとき、規則正しい足音が耳に届いた。
 静まり返った廊下に響く足音は、徐々に大きくなる。
 私は大いにあわてふためく。黒板消しを落っことし、赤いチョークは握り締めたままだ。そして、自分でも理解できない行動を取った。
(隠れなきゃ)
 教卓の中へ身体を滑り込ませて膝を抱えた。今は自身の体型に感謝したい。
(何やってんの私)
 縮めた身体をぎゅうぎゅうに抱きしめながらそんな突っ込みをする。
 その時、扉が音を立てて引き開けられた。
「あれ。今日はさすがにいないか」
 好きな声。大好きな、先生の声だ。低くてちょっぴり掠れた声はしびれるほど心地よい。私は息さえ隠したくて口を膝頭で押さえつけた。
「はは、何だこりゃ。ムチャクチャ書いてるな」
 苦笑交じりにそう言うと、先生の足音が驚くほど間近に迫った。
 チラっと視線を向けると、私が落とした黒板消しを拾い上げる手が見えた。ここで腰を上げて頭をぶつけなかった私を、誰か褒めてくれ。
 が、おかげで心拍数が跳ね上がって先生の声が聞き取りにくくなった。
「やれやれ、これじゃぁ残せないのにな。後でデジカメ持ってくるか」
 目の前を、先生は気だるげな足取りで通り過ぎた。
 見えなくなってホッと息を吐いたとき、ふいに微風が額に当たった。
 窓を開けたのか。ならば、続けて取る行動は予想がつく。
 思ったとおり、すぐに煙草に匂いが鼻先をかすめた。
 もちろん普段、生徒の前で煙草は吸わない。けれど、放課後の教室で私と雑談するときは、同意を得て吸うときもある。内緒だぞ、秘密にしておけ、とさして本気でもない約束をさせられて嬉しかった。
(この匂い、覚えておこ)
「ん? あれ、鞄がある……便所か」
 おそらく私のことを言っているのだろう。勝手に便所だと思われ、訂正したくもあったが、我慢だ。それにしてもまずい。このまま私が戻るまで待っているのだろうか。
(ちょっと待って。私がこのまま姿見せなかったら、トイレ行ったままだと思われるわけ?)
 それはちょっと所ではなく、かなり恥ずかしい。
 思い切って出て行ってしまおうか。それとも先生が退出するまで粘るべきか。
「もうすぐ、川波の季節だな」
 本気で頭を悩ませていたら、先生が私の名字を口にしたので、思考が一時停止した。
(私の、季節?)
 どうしても気になって、ほんの少しだけ顔を出した。瞬間、私は口を丸めて凍り付いた。
「どうも。待ってました、川波さくらさん」
 開けていない窓に背中を預けた先生は、携帯の灰皿で煙草の火を消した。斜めに流れた黒髪は眼鏡の縁にかかり、レンズ越しの切れ長な瞳は愉快そうに細まった。
「な、え、バ、バレ」
 上手く喋れない私の言葉をすくい上げるように継ぐ。
「てましたよ。黒板消し拾った時点で」
 くっくっ、と独特な笑い声をもらし、先生は当然のように私の方へ歩いてきた。
 陽炎のように揺らいで見える。
 朝着たばかりのような完璧な身なりだ。真っ白なカッターシャツにはしわ一つ無く、清潔感が溢れている。衣擦れの硬い音にさえときめきを覚える。
(私ってかなり重症)
 改めて感じた気持ちに打ちのめされると同時に、闘争本能も目覚めた。
(このまま諦めたく、ない) 
「ここ、赤いけど」
 密かな決意をした矢先、先生の人差し指が私の額を小突いた。
「な! なにす、痛っ」
 吃驚仰天した私は、退いた拍子に教卓の中で頭をぶつけた。身体はさらに奥へ隠れる結果となる。
「おいおい、何をしているんだ。出て来なさい」
 覗き込んできた先生は、私のガチガチに固まった手首を掴んで軽々と外に出した。そのまま引っ張られて立たされた。
 恥ずかしさに頬を染めた私はうつむき、手の甲で顔を擦った。
 下を向くと私の上履きと向かい合う、先生の靴が目に飛び込んだ。かつてない距離の近さに瞠目し、うろたえた。
 何だか今日はいつもと一味も二味違う空気が流れているような。
「何、怒ってるのか? そんなに隠れたければ、手伝おうか」
 ほらやっぱり、と思った。いつもより三割増しに意地悪なことを言う。
「ち、違い、ます。そうじゃなくて」
 私もおかしい。
 氷でもずっと舐めていたみたいに、舌が上手く回らないのだ。
 言いよどむと、そのまま声が出せなくなった。
 たっぷり二人の間で沈黙が落ちた頃、先生の手が再び私の手首に触れた。
「な、何?」
「ん。ちょっと確かめたくて」
 だから何を? とそれ以上訊ねることが出来なかった。
 目一杯握りしめた私の拳を、先生の手が丁寧に解いていく。
 最大級のパニックを起こした私は、目眩すら覚えてされるがまま。
 硬直しきった私の指を一本一本はがしていくと、掌には真っ二つに割れた赤いチョークが転がっていた。
「はあっ!」
 素っ頓狂な声を上げたのは私だ。チョークを握りしめたままだったのを、すっかり忘れていた。真っ赤に染まった掌を見ていると、そのまま顔にも色が移ってしまいそう。
「よし。コレ書いたの川波だろ?」
 先生の声にうながされて顔を上げると、黒板の左端を見せられた。
「コレを叶えるには、相応しい関係が必要じゃないか?」
 言ってる意味が理解できず、私は盛大に瞬きを繰り返す。そうしていると、先生は私の手にある片割れのチョークを掴んで黒板に押しつけた。その位置は、私が書いた告白の真下だった。
 チョークをペンのようにサラサラ走らせて書く先生の手が、好きだ。
 少し骨張った、私とは違うたくましい腕。
 見とれている場合ではなかった。先生の書きたての文字に、私は息を呑んだ。
 おそらく阿呆面をさらした私を見て、先生は会心の笑顔を披露してくれた。
「え! えぇ? 先生、意味分かってますか?」
「何だって? 先生にそんな質問をしますか」
 ふむ、と先生は顎に手を添えた。
「何なら、意味をはき違えないように、ストレートに言ってくれる?」
 頭の天辺から湯気が出るかと本気で思った。
「な、な、何それ! 何でそんなこと言うの、先生おかしくない?」
 私が人差し指を震わせながら先生に向けると、やんわり指を握ってきた。
(やっぱりおかしい!)
「うん。おかしいかもしれない。川波のせいで」
 含みのある微笑みだった。
「卒業するまでは我慢しようと決意していたんだがな。こんな可愛い告白を受けては、ね」
 心臓が、先生の手に包まれた指にワープしたんじゃないか。体中どこもかしこも熱を持ち、今にもぶっ倒れそうだ。
「う、嘘っ」
「嘘ぉ? それは川波だろう。部活が終わるのを待ってる友達も後輩もいないのに、毎日毎日放課後居残ったりして。バレバレなんだよ」
 一年間ひたすら吐き続けてきた嘘を、あっさり暴かれてしまった。
 あごが外れるほど口を広げた私は、ひたすら石像と化す。
「ま、知ってて話を合わせていた俺も、嘘つきだったな。それも質の悪い」
 先生の口調が所々崩れ始めたことに、私はまだ気づけない。
「信じ、られ、ない」
 ぎくしゃくと言葉を紡ぎ、私は先生の目をじっと見つめた。真意を推し量るように。
「いいよ。今は信じられなくても」
 ふっと口元をゆるめると、自信たっぷりに続けた。
「これから証明していくから」
 空いたもう一方の手を取ると、先生と私は挨拶をするように握手をした。
「ただし、明日以降な」
 だから今日はここまでといわんばかりに、手の力を込めてきた。
 私は重なった手が幻じゃないことをじっくり確認してから、遠慮気味にもう一度先生を窺った。
 先生は、黒板を見つめていた。その横顔に飽きもせず、私の胸は何度も騒ぐ。
 先生が見つめる先は赤いチョークで書かれた告白と返事。
 薄暗い教室内で、そこだけが淡く光って見えた。
『先生大好き。毎日会いたい』
『賛成』


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