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作品名:DYSTOPIA 作者:HAPPYソフィア

第1回   希望に満ちた春
希望に満ちた春

セン、お元気ですか?私は今日から高校教師です。
教科はセンと同じ英語です。
センが大好きで、センと過ごせた高校3年間が物凄く楽しくて忘れられ
なくて・・私もセンみたいな先生になりたくて頑張ったんだよ。
セン、行ってきます。応援してね。

私こと早川理央22歳はこの春教育大学を卒業し、猛勉強の末、
見事教員採用試験に現役合格・・
そして運よく高等学校教師になれました。
ここまで自分でもよく頑張ったと思うし自分で自分を褒めてあげたいなと
思いながら、フフフと笑いを堪えながら、私は自転車のペダルを大きく漕い
だ。
勢いあまって漕ぎすぎて猛スピードが出てしまい、私は河原の草むらに
撃沈した。
痛い!と一声上げたけれど・・・顔はニヤケて笑っていた。
 痛みよりも教師になれたことが嬉しくて、嬉しくて・・・
自転車をたてなおし、またペダルを力強く漕ぎだし
今日から着任する県立淑南高等学校へと向かった。

ここで私が何故、先生になろうと思ったのか?簡単にお話ししておきます。
私の高校時代はそりゃあそりゃあ楽しかったのであります。
    理由は簡単!!
   
           センがいたからだ。(冒頭で出てきた「セン」です。)

「セン」とは大島聡子先生で私の高校生活初めての担任で新卒新米教師だった。
ニックネームは「セン」だった。

何故、センかというと、先生の半人前だからだ。
「先生」と言う漢字を半分にすると「先」と「生」で、
先に生きてるから「先→セン」
私たち「生」徒は先(セン)の後について行くからで、、、
「セン」と大島聡子先生は呼ばれていた。

半人前じゃなくなったら「先生」と呼ぶよとの約束も早何年・・・今もセンは
センのままだった。

センはいい加減で無責任、適当大好きと自分のことを言っていた。
なんでも私たちに考えさせ行動させてくれた。
自分の人生は自分でつくるもの・・高校は自分たち生徒の高校だから・・・
高校はこれからの自分の人生をどう生きるかを考えたり出来るところ・・・
大いに悩んで、考えて行動して欲しい・・・
夢は見るもの、希望は叶えるもの
・・・がセンのモットーで私たちの高校=学校生活を楽しいものに
してくれた。

中学を卒業して色んな地域の中学校からやってきた生徒の一人に私がいた。
私は比較的大人しい、目立たない女子生徒で、友達ができるのだろうかと不安で
ならなかった。
同じ中学の生徒は何人かいたがクラスはバラバラで知ってる人がいなかったからだ。
教室を見回してみたが皆も緊張しているようだった。教室は比較的静かだった。
   
 チャイムが鳴り
担任の大島先生が教室に
         「オッス!メッス!HI、HI、ハーイ」とでっかい声で
          入ってきた。
クラスの皆は何が起こったのか分からずにいた。
益々、教室は静かになった。
「私はさっき体育館で紹介があったから分かると思いますが大島聡子です。
 高校は皆が主役なんで先ずは
           皆紹介(=みな紹介)をしていきます。
違うなら違うと本人が言ってよ。ちゃんと顔見せて挨拶してよ。
せめて前後ろ左右の人の名前と顔覚えていってよ。
明日からその覚えた人に会ったら名前を呼んで挨拶するように。
メモしてもいいから宜しく!」と言った。
一番前の人や後ろの人、窓側や廊下側の人はどうしますか?と疑問に思う矢先、
センは「一番前の人と一番後ろの人はペアなんでよろしく!窓側と廊下側もペア
なんで宜しく。今日で4人顔見知りになれるわけ。1日学校に来て誰とも話せない
とか挨拶もしないで終わるなんて勿体なくない?時間は買えないんだよ。
声を掛け合おうよ。声を出していこうよ」と言った。
皆は妙に納得してカバンから筆記用具を出した。
メモ用紙はセンが用意していた。
そのメモ用紙を見てビックリした。
座席の図柄があり、そこに皆の似顔絵が描かれていたからだ。
白黒写真を見ているようなプロの絵だった。
誰が描いたのだろう?センが美術の先生に頼んで描いてもらったのかなと思った。
皆も自分の似顔絵に笑っていた。
凄く似ていた。名前が書けるように()があったりメモできるようなスペースがあった。

私たちは「皆紹介」を最初「自己紹介」だと思っていたし自分の聞き間違えだと
思っていた。

センは出席簿を一読しパタンと閉じていきなり「早川理央」と呼んだ。

え?私から?
出席番号順じゃないの?しかも女子だよ?自己紹介は男子からが相場じゃないの?
座席だって後ろから2列目のサブセンター左寄りだよと思いながら
かなり動揺していた。

センは「はやかわ りお」と再度呼んだ。

私は観念して気弱な「はい・・」という返事をして立った。
先ずは名前からかな・・ええっと、、、と言いながら咳払いしていると

センは「彼女の名前は早川理央、
大崎中学出身、趣味は絵を描くこと、中学では美術部だったね。
先生も絵を描くことが大好きなんで絵を見せ合いっこ出来たらいいね。
可愛い名前と同じで可愛いね、今日出会えてとっても嬉しい、ありがとう。
趣味は絵だけじゃなくてお菓子作りも得意らしいよ。妹と弟の面倒をよく見る
優しい性格だよ。ね?」と言って笑った。

センは一人一人の名前を呼びながら紹介をしていった、皆はびっくりするものの
きちんとセンが用意したメモに名前を書いていった。左右前後だけではなく全員の
名前や特技や性格、どこの中学出身かなど。
鉛筆とサラサラと書く音が教室に響いた。

センは先生になりたくて先生になれて物凄く嬉しくて初めての生徒である私たち
43人に会うのが楽しみで全員の顔とか名前、プロフィールを覚えてしまったのだ
と言った。
森君・・後にクラスの学級委員が「先生、この似顔絵、最初に早川さんの紹介で
絵を描くのが好きと言っていたけど大島先生が描いたんですか?」と質問した。
センは「ピンポーン」と言った。みんなは大きな声で笑った。
センは皆紹介をしながら、自分の自己紹介もしていたのだった。
小学校、中学校時代のいつものような時間つぶしのための自己紹介ではない、、、
   印象深い皆紹介だった。
最後にセンはこのプリントをラミネートにするからいったん回収させて欲しいと言った。
毎日机の中に入れて帰るようにと。
佐々木さん・・後にクラスの副学級委員が「え?持って帰ってはいけませんか?」と。
持って帰ると忘れたときにやばいじゃない?
私の授業でおそらくこの座席名前表使うから置いておいて欲しいんよ。
欲しい人にはコピーして渡すけど、欲しい人いるの?とセンは教室を見回しながら聞いた。
欲しい、欲しいです、皆は手を挙げながら言った。もちろん私もだった。
センは「分かった、じゃあ、コピーするけど代わりに1カ月で全員の苗字でいいから名前と
顔を一致させるように。必ず名前を呼び合って挨拶でも会話でもするように!いいね?
人には名前があるんです。あの人とかあなた、あいつとかじゃないです。
先ずは名前を呼びましょう。礼儀でもあるしね、名前呼ばれたら嬉しいしね?いい?」

43人は互いに顔を見合わせて笑った。そして元気よく「ハイ」と言った。
なんだか面白くなる高校生活だと思ったからだ。

私が先生になろうと思ったのは最初は悔しさだった。
私の両親は教師だった。
父は高校で保健体育を教えていた。鬼早と呼ばれていてバレー部顧問だった。
春高バレーの常連高校で良く優勝していた。TVで父が映る度にからかわれていた。
母は保育園の先生をパートでしている。
昔は小学校教員になりたくて何度も採用試験に臨んだが、不合格ばかりだった。
臨時採用の教師をしながら何度もトライしたが惨敗だった。
その時に保母の免許を取ったのだと聞いている。実際に正規で保母の採用をされ勤務して
いたが、直ぐに退職してしまった。
理由は分からないが、恐らく妹や弟が生まれたからだろうと思っていた。
私たちが成長し手がかからなくなったので保育園でパートをするようになった。
私たちにまだまだお金がかかるからだった。

センにはライバルがいて数学の新卒新任の女子教諭、雅子様だった。
センとは正反対で何もかも完璧で優秀で美人で恰好良かった。
隙が全く無くキチンとし過ぎていて怖かった。
逆らうものなら進級できないんじゃないかと思うような・・・
冷たいものが背筋に走る緊張感あふれる存在だった。
噂では高校でも大学でも成績優秀で教員採用試験はトップの成績で教師になったと・・
私が入学した高校はその町きっての進学高校ではあったが県では1流の仲間入りには
届かないレベルだった。2流の上位みたいな感じだった。
例えば30校あったら14位あたりの高校と言えば想像つくだろうか・・・
  高校としてはどうしても進学率を上げたかったのか?雅子様を教師として
獲得したかったのだと思った。
代わりにセンと言う雅子様と真逆の教員を抱き合わせて採用したのだろうと言う噂もあった。
雅子様はセンに対して常に上から目線だった。
センは反論もせずいつも笑っていた。雅子様とはつかず離れずセンは仲良しだったらしい。
  授業の仕方もクラス運営も部活指導も真逆の二人だった。
  
  センの皆紹介のお陰で私には2人の友達ができた。真帆と瑠璃だった。
  いつも三人でほっこり地味に過ごしていた。真帆は黒ぶち眼鏡をかけていて髪の毛も一つに
  まとめ前髪でおでこや目を隠していた。だが、本当は物凄く美人でモデルか女優のようだった。
  お父さんがパイロットでお母さんがCAだった。外国にもよく行き英語はペラペラだったが、
  小学校の時に苛めに遭いクラス全員にシカト(無視)された。
  学校に行くのが怖くなったと。不登校が続き、両親は引っ越しを考えてくれて中学から生まれ
  変わった気持ちで過ごしたが、基本は目立たないように地味にしたと。
英語も本当は大好きでテストも簡単なんだけど目立つとまた虐められるというトラウマがある
から・・・と言った。
私も父親が鬼早と呼ばれていて苛められたりからかわれた話をした。
瑠璃は話下手で言葉がドモル・・出身が関西の大阪でお父さんの仕事の都合で中学2年の時に
東京に来たが、関西弁を笑われお笑い芸人とあだ名をつけられ、なにかにつけて苛められたと。
話すことが億劫になりいつしか孤立したと言うのだった。
高校もきっと中学と同じだと思っていたが、センの初日の「皆紹介」で瑠璃は変わったと。
最初は自己紹介かと憂鬱な気持ちになり苛めの始まりだと思った。
ところがセンは自分の代わりに自分の紹介をしてくれた、自分のことを自分以上に魅力ある人に
紹介してくれた、すごく嬉しかった。真帆や理央と言う友達もできたからと。
私はラミネートの皆紹介を見て瑠璃の皆紹介を思い出した。
「井上瑠璃は先生の次に生まれ変わって住んでみたい都道府県の出身だよ。ええなぁ。
住みたいなあ、楽しいし、元気になるし、食べ物は美味しいし、情の深いやさしいところやなぁ
」と言った。皆は京都かな?と思ったが楽しいと言ったところで「大阪」だと口々に出た。
更に野口君(後の体育委員)と言う男の子も「僕も大阪の高槻なんや。井上さんはどこや?」
と言った。センは「難波や」と言うと「むちゃくちゃ都会やんか。なかようしてや。」と言った。
皆が嘲笑ではなく優しい笑顔で拍手していた。
センのクラスは初日から皆が皆、声を出していた・・そしてよく笑っていたのを思い出した。
センのライバル雅子様の話に戻そうと思う。
私たちの数学の担当は雅子様だった。数学は私・瑠璃・真帆の3人とも苦手な教科だった。
いつもいつも数学の時間は緊張で、更に何故か自分は馬鹿だと言う惨めな気持ちになっていた。
雅子様は私たち3人を標的にし数学の授業の時に虐めた。
「こんな問題できないの?中学1年生の計算問題よ。呆れてものも言えない。
もういい、ちゃんと復習していらっしゃい。できる子から聞いて。このクラスで数学まともにできる
やつは誰?庄司?じゃあ、庄司、お前の責任で3人に教えるように」と言い放ち教室を後にした。
庄司君は親切でよく教えてくれるのだがうまく説明ができないタイプだった。
何回聞いても頭に入らないので三人で雅子様のところに行き雅子様に謝って、再度教えて貰おうと
なり、職員室のドアを叩いた。
怖さと緊張から言葉がどもったのを覚えている。
「どっ、どう、、どうしてもわからなくて・・」と言いながら教科書やノートを差し出すと
雅子様は「あのね!私は忙しいの、馬鹿な子は幾らやってもできないんだと言うのが
あなたたちを見て分かったの。一生できないでいいんじゃない?
時間の無駄だから、帰りなさい」ときつい声でいいながら職員室から私たちを追い出した。
私たち3人は悲しくて泣き出してしまった。
中学校と高校の違いは高校は義務教育ではないから落第がある・・
高校は同じくらいのレベルの子が集まっているから、ここで頑張らないとビリになる可能性も
ある。真ん中へんをウロチョロしたいという気持ちが誰しもある。

数学ってこんなに難しい教科だったっけ?
数学ってこんなに嫌な教科だったっけ?
私たち三人は泣きながら
数学なんて大嫌いだ!
雅子大嫌いだ!
と叫びながら大きな夕焼けに呑みこまれるように三人で帰った。

高校に入って直ぐ中学の確認テストがあると発表されて益々私たちは青くなった。
英語も急に難しくなり、教科書ガイドも売ってないから余計青くなった。
一人で質問に行くのが怖いので私たちはいつも三人で質問に職員室のドアを叩いた。

センがいたので英語の質問をした。センはいつも笑っている。
「どれどれ」と言って「あぁこれね・・」と言って説明をしてくれるがやはり分からなくて
何度も何度も同じ質問をした。
何度目かの時、センが「ちょっと待って」と立ち上がった。
私たちは3人とも怖くて目を瞑った。

きっと怒られる。
きっと馬鹿と言われると。

真帆は泣き出していた。

するとセンは私たちにクッキーと暖かいココアを入れて来てくれた。
私たちはびっくりしているとセンは笑いながら「頭使うとお腹減らない?」と。
率先してクッキーをほおばりココアを飲んでいた。

瑠璃はは「センはなんで怒らないの?」と聞いた。

センは「逆になんで怒らないといけないの?」と聞き返した。

私は二人に代わって「だって何度も何度も同じ質問しているし・・できないから・・・
セン、教えるの嫌になって怒るんじゃないかと・・・」と言った・・・


するとセンは「教えるのが先生の仕事だよ、それを怒るなんて出来ないよ。
何回でも何万回でも分かるまで教えるよ。
教えなくて済むなら商売あがったりじゃない?
分かるって楽しいよね。
でもさ、何回も教えていて分からないのは教え方が下手なんだよ。
先生がいけないね、ごめんね。
よし!明日また来てくれる?違う教え方を考えてみるよ。
分かりやすくするために頑張るからさ、時間くれる?
理央は綺麗な英文を書いて分かりやすくノートをまとめてくれてるね、
英語が好きなんだね。
真帆は発音がクラス1綺麗だね、アメリカ人になれるよ。
瑠璃はちゃんと予習復習してくれているね、
英語は一見華やかで恰好良い教科だけど、実は地味で努力が必要な教科
なんだよ。三人とも努力家だから英語ができるようになると思うよ。」
と言って笑ってくれた。
私たちはとても元気になったし真っすぐセンの顔を見て話ができるようになった。
センはいつも笑っていて怒ったことがない・・いつも笑っていたし、聞きやすい
ような態度や言葉をしていたように思う。
本当に気軽に話しやすい先生だった。


すると、雅子様が職員室に入ってきた時、私たちはまた下を向いて暗くなって
しまった。体が緊張でがくがくしていた。

センはどうした?と聞いた。
実は数学が苦手で嫌いになったことや、自分たちは数学3馬鹿トリオと呼ばれていること、
毎時間数学の授業はつるし上げになっていることを言うと、センはハハハと豪快に笑った。
  雅子先生ってそんなに怖いんだ、スゴイナァ、同じ新米なのにちゃんとキチンと先生していて
  えらいなぁ。

学校の先生で一番教えやすい教科は数学だと思うんだとセンは言った。
答えは明確に出るからだと。センが一番得意な学科は実は数学でちょろい学問だとも
言ったので思わず吹き出してしまった。
数学の先生よりも実は格を付けたら英語の方が上なんだよ。
英語は文系でも理系でも重なる学問だし、、、世界共通の言語、数学は四則計算ができれば
まぁ、いいんじゃね?だけど、英語はさ、これから国際社会だって言われててさ、世界を
相手にしていく日本としては必須なわけよ。
仕事だってさ、数学出来ても給料とか時給高いかな?なってないよね?逆に英語できたら
給料や時給高いよね?それ考えたら英語が格上だよ。数学を英語で・・違う言語で教えて
いるならともかく、違うよね?日本語で教えて貰ってるよね?」と・・
そのセンの話が妙に面白くてクスクスと最初は笑っていたがやがて堪えきれずにゲラゲラと
笑ってしまった。
「じゃあ、先生からの提案で、先生と一緒に数学勉強してみない?」と言われて私たちは
 「セン、数学教えてくれるの?」と聞き直した。
「先生とだったら緊張しないんでしょ?だったら一緒に勉強しようよ。」と。
すごく嬉しかった。私たちは宜しくお願いしますとして数学を勉強することになった。
センの教え方は分からなくなったところを探す勉強方法で、それこそ小学校の4年生から
やり直しだった。
いくら何でも馬鹿にしていると思ったが、センは真面目だった。
 早く躓いたところを見つけ出し、そこからやり直していくかが勉強のカギだと言ってくれた。
センが教えてくれる数学や英語は時には漫画で分かりやすく教えてくれるものだった。
みるみる数学が3人とも分かるようになり、授業について行けるようになると雅子様に馬鹿に
されることがなくなった。

雅子様は優秀な家庭教師か塾に通ったのかしら?と嫌味を言った。
私たちはそんなお金ない、勉強を三人で頑張ったんだと言うと、
「じゃあ、私の教え方がいいのね?三人とも感謝しなさい」と言った。
さらに「大体、このクラスは担任がいい加減でだらしないから不真面目だし
できない生徒が多いんだ」とも言い始めた。
私は悔しかったが、言い返さなかった。
 それはセンから言われたからだ。「センは英語の先生であって数学の先生ではない。
その領域を超えて余計なことをしているのかもしれない。だから沈黙は金なりにしてね」と。
すごく凄く悔しかった。
数学が出来るようになったのは雅子様のお陰じゃない!センのお陰だ!
私は心の中で何度も叫んだし悔しかった。

その教科が好きになるか、嫌いになるかは教える教師によって変わるものだと私は思った。
更にセンは「好き」であることのパワーは物凄いんだよと言ってくれた。
自分は貧しい苦学生で大学も国公立でも行かせてもらえないかもと言った家庭だったこと・・・
現役教師になれば授業料とか無料になるで飛びついたけれど自分が受ける年は「教育学部では英語
英文科」しかなかったこと・・・自分は本当は万葉集が好きで国語の先生になりたかったことなどを
話してくれた。数学の教師にはなりたいと思わなかったのかと聞くと「数学は一番点数が取りやす
かっただけで生涯かけて教壇で教える先生になりたいとは思えなかったから」と言った。

センは更に「自慢するけどさ・・センは高校の時、英語の成績1・・たったの1だったんだよ。
でもさ英語の先生になっちゃったんだから人生どうなるか分かんなよね?ハッハハ」と笑った。
私は・・いやここに一緒にいる真帆も瑠璃も、セン、大好き!と思ったはずだ。

現に真帆は大学の英文科に進みこの春、航空会社のCAになった。瑠璃はやはり英語で有名な大学に
進みこの春からアメリカの大学に留学する。
センに褒められた「英語が好きなんだね、英語ができるようになるよ」と言ってくれた言葉で、
ここまで来たからだ。
私はセンのような先生になりたいと思った。
センのことはまだまだ語りつくせないくらい沢山あるが、、、

あれやこれやと回想している内に淑南高校に到着した。今日から宜しく!
私は自転車を降り、校舎に向かって挨拶した。
これから始まるTRAGEDYともいうべきDYSTOPIA
の学校の幕開けとは知らず希望と期待でいっぱいになりながら門をくぐった。
気が付けば春とは言えど桜は散り葉桜 そして灰色の雲がより一層、肌寒そうな着任一日目の始まりだった。



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