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作品名:潮風のセレナーデ・・・会いたい気持ち・・・ 作者:HAPPYソフィア

第3回   たった一人の大好きな人の為に・・・

「では、皆さん、また4月の韓国語文法Uの授業で会いましょう。」

      と・・・・徐教授は、マイクのスイッチを切りながら

       教壇に置いて、、、キンコンカンコンと言う

       レトロなベルが鳴り、

   韓国語学部一年生最後の授業が、今、終わった。


     「わぁ〜やっと終わったぁ!4月から、うちら、もう2年生やん」

  京都からこっちの大学に来た栄子が、京都弁の抜けないまま、

  机にうつぶせになりながら、言った。

  典子も「本当、あっと言う間に1年が過ぎたね。

  これから、皆で駅前のサララで、ケ-キでも食べて帰らない?」と 

 教科書やノ-トをカバンにしまいながら言った。

    「賛成!」と言いながら、私たちは、教室を後にした。

   サララは、大学のキャンパス駅前近くにある女子大生には定評な、

  コ-ヒ-ショップで、 美味しいパンケ−キとコ−ヒ−を出す事で

    有名だった。店の雰囲気も良く、私たちは、いつもここに

   立ち寄って、たわいもない話をして盛り上がっていた。

 韓国語学部は、学部の中では1番遅い春休みとなり、大概の学生は、

 長い休みになると、一人暮らしの学生は実家に帰省したり、

   アルバイトをしたり、、、或いは、就職活動のハクをつける為に、

   海外へと留学などをするのだった。

 店は、今日は、そんなに学生で混雑はしていなかった。

 4人席のテ-ブルに直ぐに座れ、私たちは各々、好きな飲み物と

 パンケ-キを頼んだ。 コ−ヒ−の専門店なのに、

  私は、コ−ヒ−が苦手で、いつもココアを頼む・・・・

     それを二人に良くからかわれる。

  「ねえ、カノン、ここはコ−ヒ−のお店だよ。 

   例えば、パスタ専門店なのに、、、、 

   ざるそば食べるのと同じ感覚だよ」っと・・・

    その言葉を想像してみると、おかしくて、私はケタケタと笑った。

   飲み物とパンケ-キが出されて、私たちは頬張った。 

 ここのパンケ-キは幸せな気持ちにさせてくれるねと言いながら、

    ニコヤカに食べた。

            口の中で幸せが広がった。

      甘くて、美味しくて、私は益々、満面の笑みを浮かべた。

     「カノン、何か今日は一日中、笑っていて、

      何か良い事でもあったの?」っと、栄子が言った。

「え?何で分かるの?えへへ」と私はニタニタと笑いながら、

答えた。典子は「何々?どうしたの?言ってみて」と、

私の肩を叩きながらせかした。「えへへ、実は、私、

明日から、ル-ムメトの ・・っと言っても従兄のサヤカと一緒に、

韓国旅行をして来ます。4日間だけだけど・・・

韓国語の勉強もして来ます」と言った。

二人は「わぁ!良いな〜」と羨ましそうに言った。

     私は顔がずっとニヤケていた。

   すると、栄子は「でも、それだけじゃないやろう?

      顔が物凄く嬉しそうやもの」と突っ込んで来た。

      典子はピンと来たのか?「分かった、

       彼氏の、、えっと、えっとテファさんに会いに行くんだ?」

             と言った。

私は「・・・ううん、だってテファお兄ちゃんは、今、どこに住んでいるのか

も私は知らないし、電話番号も分からないから連絡取れないけど・・・・」

         っと言いかけた時、栄子が、

「けど、何やねん?、、、顔が嬉しそうやん。カノン、どうしたんや?」

     と言った。    

 「テファお兄ちゃんに会えないかもしれないけれど、、、

   探しに行こうかと思ったの。サヤカが、協力してくれると言って

   くれたから、心強いしね。何だか会えそうな予感がするし・・・」

     ・・・と言った。

   二人は、なるほどっと言った顔をした。

「サヤカちゃんが、一緒なら、英語はバリバリだし、行動力はあるし、

探せるかも?絶対、会えるよ。楽しみだね?」と言ってくれた。

更に、二人は、きっと会えるように健闘を祈ると言ってコーヒーで

乾杯してくれた。 

そしてたわいもないお喋りを交わした後、それぞれに帰途へ向かった。

栄子は、春休みは実家の京都に帰って、家が老舗の旅館をやっているので、

その手伝いをしながら、アルバイト代金を稼ぐと言っていたし、

典子は、千葉の実家から自宅通学だったが、春休みはTDLでアルバイトを

すると言っていた。

 典子は、私と同じ映画研究会のサ-クルにも所属していて、

将来は、映画関係の仕事がしたいと言っている・・・

出来れば韓国映画の翻訳とかを手掛けてみたいと

思っているようだったが・・・険しい道のりだと言うのは、

誰が見てもそう思った。

 私の大学は韓国語学部は、歴史も浅く、そんなに有名ではない。 

  就職率も悪い。女の子は大概が、お見合いして

直ぐに結婚してしまうし、男の子は、親のコネクションで、

仕事に就いている。

  しかも韓国語とは全く関係ない仕事だった。

私も、この先、どうなるかは分からないが、折角、入学した学部なので、

  シッカリ勉強して、将来に役立てれば良いなっと思った。

 私は、韓国旅行が終わったら、横浜の実家に帰って、

お家のお手伝いとか出来たら良いなと、、、思った。

掃除や洗濯、料理やお裁縫が出来たら楽しいし・・・

何よりも私が帰ると父も母も喜ぶからだ。 

  夕方、マンションに帰ると、サヤカが大きなス−ツケ−スを 

   取り出して、荷物を詰めていた。

「サヤカ、そんなに大きなカバンで行くの?」と

私はビックリして聞いた。

「だって、沢山、買い物したいもの。BCクリ-ムとか、コスメ商品、

  一杯買わないとね。それに洋服とか靴も安いって聞いたし・・・

   カノンはもう荷物整理したの?テファさんに会えるかもしれない

   んだから、可愛い洋服を持って行った方が良いよ。」っと言った。

  サヤカにそう言われると・・そんな気分になって来て、、、、

  私は慌てて、荷物を詰め替える事にした。 

  そうだ!もしかしたら、本当に会えるかもしれないから・・・

    そしたら、少しでも可愛い洋服で会いたいと思ったし、

   テファお兄ちゃんにお土産も持って行きたいと思った。

  何度も詰めては、これじゃあダメだと、

   また詰め返していたら、明け方までかかってしまった。 

   うとうとして、そのまま眠ってしまったようだった。

       「カノン、カノンてば!もう朝だよ。」と

         サヤカに揺り動かされながら起こされた。

   「あっ、おはよう!・・・もう朝なんだ・・・ 

 あれこれ迷いながら荷物を詰めていたら、

サヤカちゃんよりも大きな荷物になっちゃった・・・・

どうしよう?」と困った私の顔を見ながら、

サヤカは、「カノン、たったの4日間だよ・・・何だか・・・

1ケ月分にも相当する荷物みたい」と言って呆れられた・・・

もし、テファお兄ちゃんに会えたら、お兄ちゃんに渡したい

プレゼントが一杯あったし、想い出の洋服も沢山あったから、、、、

 それを着て会いに行きたいとか・・・

あれやこれやと詰め込んでいたからだった。

「とにかく、10時には、家を出るからね。朝ご飯、

トーストで良い?1枚?2枚?」と再度、呆れながら

サヤカは言って来た。

「ううん、私が朝食作るから・・・ハムエッグとサラダで良い?

飲み物は、オレンジジュ-ス?それともミルクにする?」と聞き直した。

「そうこなくっちゃ。私が料理って言ってもト-ストを焼くだけだし・・・

 なんとも寂しい食事になっちゃうものね。

やっぱりカノンが料理をしてくれると助かるわ。

スクランブルエッグにして欲しいな。

今日はトマトジュ-スの気分なんだけど?」と

いつもの元気なサヤカの声が返った。

       私も張り切って、台所へと向かった。

   


    羽田空港からの出発は、都内に住む私たちには、

     近くで便利で非常に助かった。

      それに韓国は金浦空港に到着するので、

     ソウル市内のホテルへはほんの30分程度で、

       着いてしまうので楽だった。

   流石に羽田発で、ス−ペリアな値段の韓国旅行に

参加する人達は少なく、同じツア−の人は私たち二人だけだった

みたいだった。羽田から金浦までも直ぐに到着してしまった。

 アシアナ航空での空の旅は快適で、楽しかった。

  サヤカは、キャビンアテンダントを目指していたので、

  何もJAZやUNAだけに限らず、

   世界の航空会社のアテンダントになれれば良しとしていたので、

   アシオニも候補の中に入れたようだった。

     「カノンに韓国語を習おうかな?」っとサヤカは言った。

     「え?」っと私は言った。

サヤカ:「アシオニ、結構、良いし・・ この会社のアテンダントに

    なりたいとなって、、、ふと、思ったの。

    そうすると韓国語も出来ないといけないしね。

   だから、カノンに貰おうかなって思ったの。フフフ」と言った。

   私はビックリして「えぇ、私になんて習ったら、間違えだらけの

     韓国語になっちゃうよ。サヤカは頭がいいんだから、

    韓国語だって直ぐに出来るようになるよ。」と慌てて言った。

    ・・・・本当にそう思ったからだ。・・・・ 

   私は自慢にもならないが、親戚中で1番、

         頭が悪いと自負している。

    鈴木家は皆、医者や弁護士を初め、会社でも高い役職に就いている

    人が多かった。学歴も、殆どが有名な一流の大学出身だったし、

     英語にしても小さい頃から海外駐在や、留学経験もあって、

     流暢に喋ったり出来る人が沢山いた。

      私も幼い頃から、海外旅行は良く家族でするものの、、、

   又、長い休みは豪州や米国などホ−ムスティ経験もさせて貰って

   いるのに、英語は全く上達せず・・・・ 

    いつもいつも劣等感で溢れていた。

 

     「当機は間もなく韓国ソウル金浦空港へ到着します。

         皆さま、お座席のベルトをお締めください。」  

        と言うアナウンスが流れた。

     私は窓側の席だったので、窓から、下界を見てみた。

     小さな可愛い家や建物が、きちんと配列された街並みが

         見えて来た。 

       修学旅行の時とは全く違う感覚だった。

           わぁ、私は、また韓国に来たんだ・・・

           来れたんだ・・・  

       テファお兄ちゃんが居る韓国に、来たんだ・・・

            そう思うと嬉しく涙が出て来た。

       サヤカは「カノン、泣くのは、まだ早いって!

       会えた時まで取っておいた方が良いよ」と言って笑った。

 飛行機が到着して、入国審査を緊張しながら済ませ、

ターンテーブルから荷物を受け取り、旅行会社のガイドさんが

待つロビ−へ向かった。 

  「SEE JTE」と言う赤い文字が直ぐに目に入った。

     私はJTEが大好きだった。

      旅行をするなら何が何でもJTEだと思ったのは、

       時々、海外旅行はハプニングが起こり、その度に、

      JTEの対応のきめ細やかさや、迅速さを知るからだった。

      兄の居るボストンに母と弟の三人で遊びに行った時、

    帰りの飛行機が、NYから、雪の為、凍結で飛んで来られないと

       言う事になった・・・私たちはポルタ航空を 利用して

     帰る筈だった。 

     乗客たちは怒りだし、どうしても今日中に帰国しないと

    大切な商談をフイにしてしまうと、怒鳴っている乗客もいた・・・

    するとJTEの社員さんが、ポンと、自分のカバンを、

    カウンタ-に放り投げ入れて、自分もカウンタ-の中に飛び込んで

     入った。    

   「皆さま、落ち着いて下さい。今、順番に、お手続きを

     させて頂きます。 この度は本当に申し訳ございません」

       と言って頭を下げて、迅速な措置をして下さった。

       どうしても今日の飛行機に乗らなければならない人は、

       皆の了承を得て、ハワイのホノルル経由のJAZに 

       振り替えて乗せたりしていた。 

     私たちは、汗水たらして頑張って対応しているJTEの

     人達に拍手を送り、そんなに急いでないから、あと1泊して 

    も 良いかもね?などと、呑気に言いながら、手配を

      待っていた。空港に近いホテルを手配してくれ、

      更には夕食のミ-ルク-ポンと、国際電話がかけられる 

        カ−ドが渡された。私たちは有難く受け取った。

       JTEの社員さんは、「お待たせしてすみません」と  

      何度も謝ってくれたが、私たちは

   「こちらこそ、済みません」と言って頭を下げた。  

  お母さんは、その時、JTEの社員さんのネ-ムプレイトを

  読みとって、帰国してから、直ぐにJTE本社に

  お礼の手紙と菓子折りを送った。

 どの旅行社を利用している人達にも平等に接し、

  迅速に誠意を持って対応をしてくれた事に感動したからだった。 

  以来、我が家は、JTEの大ファンになったのだった。

   ニコニコした笑顔で迎えてくれたのは、 JTEきってのガイドの

    オムさんだった。 

     「お二人様、ようこそ韓国にいらっしゃいました。

       ガイドのオムです。

       オムって、珍しい名前なんで、直ぐに覚えられる

          でしょう?」と言って笑った。

           日本語がとても流暢で、わぁと思った。

    ホテルは明洞にあるロッテホテルだった。

  ロッテと聞いて、私は修学旅行で行ったロッテワ-ルドや、

   泊まったロッテワ-ルドホテルを思い出した。

   ベンロのリムジンの車の中で、オムさんが 

   「お二人とも、韓国は初めてですか?」と聞いた。

        私は2回目で、サヤカは初めてですと答えた。

     韓国での注意事項や、気候や、お金の遣い方とか 

  色々と丁寧にオムさんは説明して下さったのだが、

私は気持ちが、既にテファお兄ちゃんの事で一杯で良く聞いて

なかった。時々、見覚えのある車窓を見て、あっ、ここは修学旅行で

通ったとか・・・覚えのある風景だとか・・・・

気持ちが浮き足だっていた。  

   そして、私はオムさんに「済みません、オムさん、

ホンデと言う大学を御存知ですか?」と聞いてみた。

   オムさんは、「知ってるも何も、韓国で1番の芸術大学ですよ。

ドラマのロケ地にもなっているし・・・

そうですね、東京の原宿みたいな感じの街並みで、


    お洒落の最先端な大学です。それが何か?」と言った。

私は「いえ、、、好きなドラマで、ホンデが出て来たので

行ってみたいと思って・・・

    特には意味はないです・・・」っと・・・・

   咄嗟に言葉を濁した。 オムさんは「そのドラマは、

春のワルツでしょうか?あの作品は、実に芸術的で良かったですよね?」

と話を合わせて言ってくれた。

            更にはホンデ大学の行き方も教えてくれた。 

    地下鉄を使えば簡単に行かれる事を教えてくれたのだった。

   ホテルに行く前に、焼き肉を食べる夕食がついている

    ツア−だったので、焼き肉屋さんに寄った。

   人気のあるお店なのか?沢山の日本人観光客で賑わっていた。

 美味しいお肉を沢山食べて、お腹一杯になった。 

    オムさんは、今日や明日・明後日はどうするのか?

      と尋ねた。私たちは、買い物や、観光を適当に自分たちで 

      楽しんでみたいと言ったがエステとナンタのミュ-ジカルを

     見たいと言った。

オムさんは予約を快く入れて手配してくれた。

そしてホテルへと向かった。

    ホテルについて、サヤカは精力的に、テファお兄ちゃんを

     探そうと言った。そして時計を見て22時だったが、

      お姉さんに電話をかけてみようと言った。

     更にサヤカは私に「カノン、韓国語で電話出来る?

      テファさんの電話番号を教えて欲しいとか、

     言える?それとも、今、自分たちは、ソウルに来て

    いるとか伝えられる?」と言ったが、私は上手く伝えられる

自信は無いと言った。 それでも電話をしないことには、

 テファお兄ちゃんの居場所が分からないからねとして、

   受話器を上げて、今、電話してみようと言った。

   一応、簡単な韓国語会話が出来るようになったものの、

 所詮、机上での勉強程度のものだったし・・・・

ネイティブな人に通じるかは分からなかったが、

兎に角、電話してみようと思った。

           お姉さんの携帯番号を、押してみた。

     トルルル・・・トルルルと言うコ−ル音の後、

   呼び出していますと言うようなアナウンスと音楽が流れた・・・  

           そしてガチャっとして

              「もしもし?」

             と言う韓国語が発せられた。

       私は慌てて「もしもし、私は鈴木カノンです。

      日本人です。日本から来ました。」

            と言ったが、、、通じてなかったみたいで、

               更には悪戯電話に間違えられて 

              1度目は切られてしまった。

   2回目、もう1度かけてみた。今度は切られないように、

    急いで「鄭テファお兄ちゃんの妹です」と言う事にした。

            きっと大丈夫・・・

       そう何度も心の中に言い聞かせてかけてみた。

           直ぐにお姉さんの

            「もしもし、誰?」 

              と言う声がした。

     私は声がドモリりながら

          「鄭 テファさんの友達・・・

           日本の妹の鈴木カノンです」と

           何度も言った。 

  「テファ?・・・あぁ、テファ!!私の弟はテファだけど? 

   テファの妹?妹なんていないわよ?え?友達?

    それが何故、私に電話?・・・カノン?・・・・

    貴女、テファの何??私は日本語が分からないわ。

     英語?英語なんてもっと分からないわ。

      どうしましょう?頭が痛いわ!・・・・」

      そう言っていたと後でその事を知ったのだった。 

   その時の私は、とにかくテファお兄ちゃんの連絡先を  

  知りたくてテファお兄ちゃんの名前を何度も言っていた。

 お姉さんも、「テファは、ホンデ大学・・・

明日は大学が6時に終わって大学近くのホンデNBに行くと思う」

と何度も繰り返して言ってくれていたのだった。 



     「テファ」・「ホンデ」・「6時」・「ホンデNB」・・・・

         と言う言葉が何度も出て来た。

  そして電話が一方的に切れた。

きっと芸能人だから、仕事中だったのだろうと思った。

 流石に3度目の電話はかけられなかった。

    サヤカにその事を伝えると、恐らく、テファお兄ちゃんは

明日は大学で、6時に終わって、大学近くのホンデNBと言う所に

行くのではないか?と言った。 

   ガイドブックを見てみると確かにホンデの大学の近くにNB

と言うダンスクラブがあって、「ソテジアイドル(=テジBOYS)」の

 メンバ-だった人が経営するお店だと書いてあった。

     私は、ソテジと聞いて、ここだ!!っと思った。

 何故なら、テファお兄ちゃんはソテジの大ファンだったからだ。

   バンドのボ-カルをやっていて、ソテジの歌も良く歌ったり

    すると、話してくれたからだ。 

    明日は、お昼過ぎにナンタの公演を見てから、 

  ホンデの近くの喫茶店で、6時まで時間をつぶし、

   そして、校門から出てこなくても、ホンデNBと言う

      ダンスクラブに行ってみようと思った。

  サヤカも、「よし、じゃあ、明日は、そうしよう。

  たとえ明日、会えなくても明後日もあるし・・・ 

  そしたら、オムさんに頼んで、お姉さんに電話して貰って 

 仔細を伝え、テファさんの携帯番号とか聞けばいいんだしね?

  先ずは、明日は自分たちで頑張って探してみようね」と 

     言ってくれた。

   私は、サヤカに何度も、有難う、有難うと言っていた。

      サヤカが、シャワ-を浴びている時に、

   私は、首にかけていたペンダントを取り出して、

            掌に置いて見つめた。

       ペンダントは、明かりに照らされて

          金色の明かり色に光った・・・

     「もうすぐ、片割れに会わせて上げられるね。

          もう直ぐだからね・・・・・・ 

   テファお兄ちゃん、明日、会えると良いな。 

     カノン、ソウルに来ているから・・・ 

   お兄ちゃん・・・会えると良いな」そう呟いた。

    

     「カノン、シャワ-出たよ。次どうぞ」とサヤカの声がした。

         私は「ハ−イ」と言って

       ペンダントを首につけ直し、浴室へと向かった。



        ――――――――――――――――――――


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