20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
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作品名:潮風のセレナーデ・・・会いたい気持ち・・・ 作者:HAPPYソフィア

第2回   2
   

   

   私のお母さんは、自宅の近所にある韓国語教室に通っていました。

   韓国ブ−ムだったので、生徒が物凄く多く、お母さんは、平日、

   昼間の1時間を毎週一回のペ−スで韓国語を習っていました。

      横浜の家に帰省する度に、お母さんは自分では、かなり

   韓国語が上手になったと自慢して言うものの、私からしたら、

   凄く下手くそでした。

       でも、好きこそものの上手なれで、

   李ビョンホンさんの為に、頑張っています。

   愛の力とは凄いと思いました。   

    高校生の時に、、、まだ私が自宅にいた時、毎朝、お母さんは、

   朝食の準備をしながら、テ−ブルに着いた私や弟、

      そして新聞を読むお父さんに向かって、

          深いため息をつきながら   

  「あぁ、これが、現実なのね?」と言うのです。 

   更に「朝、起きて、隣りのベッドにイビョンホンさんが居たら、

 ママは絶対に飛びつくんだけれど・・・パパじゃあねぇ〜

       思いっきり、現実だわ。」と言い、、、、

 パパはパパで、ママに大学生の時に一目惚れして、猛烈にアタックして、

  結婚し、今の生活があるから、ママに対しても甘く、

  ママが何を言っても、笑って流している状態でした。

  弟のトワ(=永遠)は、また同じ話か?と言った具合で、

  やはり聞き流していました。   

    弟は、容姿も、性格も、お母さんにソックリで、

   お母さんは、弟をかなり可愛がり、甘やかせて育てています。

   それが良かったのか?悪かったのかは分からないのですが、

   弟は、かなり我儘だし、我が道を行くと言った頑固な性格です。

    私の事を姉とは思わず、いつも呼び捨てで「カノン」と呼ぶし、

     威張っていました。

   私は、弟とはしょっ中、喧嘩して泣かされていたのです。

 兄も父も、私の味方だったのですが、兄は、遠くボストンに駐在し、

   父も商社マンだったので海外出張が多く、家に余りいる事が、

   少なかった。 

   そんな時は、トワは世界は自分の為に回っている状態で、

   威張っているし、、、お母さんも、私がトワと喧嘩して

      泣かされていると「カノン、お姉ちゃんなのに、

      直ぐ泣く!」と言って叱られ、私は、損する事が

   多かったのです。

  お母さんの理想は、イビョンホンさんで、1つの部屋を

 イビョンホンさんのグッズで埋め尽くしてしまった程、大ファンです。

   何万円もするイベントにも参加し、更に、韓国旅行もお友達と、

     しょっ中、しているのです。

 お金は、大学の時は、お母さんは薬学部だったので、

 薬剤師の免許を取得していた為、時々、母校の大学病院で

 薬剤師としてパ-トに出てはお小遣いを稼ぎ、そして韓国旅行を

 楽しんでいたのでした。

 お母さんは普段は悠々自適で、優雅なセレブ主婦なのですが、

 自分の遊ぶお金や韓国や李ビョンホンさんに費やすお金は、

    自分で働いて、自分のお金で買ったり、

   出かけたりすると言う考え方をもっていて、

   私はそんなお母さんの性格が好きでしたし、見習おうと

  思いました。 

   お母さんが、通っている語学教室は、クラスメイトは8人、、

   全員が同年代の主婦で、直ぐに仲良しになった様子そうです。

    皆、それぞれお気に入りの俳優がいるらしく、

    1番人気はやはり「ペ・ヨンジュン」さんでした。 

     お母さんも基本はヨン様だったのですが、

  ヨン様よりもワイルドで、笑顔がキラキラしている

  イビョンホンさんを見た瞬間、心臓が止まる思いだったそうです。

   そんな中で、生徒たちは、もっと韓国語を上達させたいと思い、

  韓国人と日本人の交流が持てるインタ−ネットサイトを

   韓国語の先生から紹介を受けたのです。



            「フレンドネットランド」    

              と言うものでした。

      早速、自宅PCで、8人が「フレンドネットランド」へ

              登録をしてみた。

     お母さんも、登録をして、今か、今かと返信が来るのを

     待ったのですが、全然、返信が来なかった。

   韓国語の先生は「自分から、メル友になって下さいと

   言ってみたらどう?」と言われ、

   それぞれにメル友したいなと思う、各々の登録した韓国人の

    自己紹介を読みながら、申し込んでみたそうだ。

    お母さんを抜かして7人とも、韓国人の若い男の子との

      交流を希望したらしく、全くと言って良いほど、

       返事が来なかった・・・

         お母さんは自分からよりも、自分と友達になって

     下さいと申し込んでくれる人が来るまで待つ事にしたのだった。

   すると、何日かして、女子中高生の韓国人の女の子達から申し込みが、

  お母さん宛てに殺到したのですが、

     次の瞬間、ガッカリさせられたと言って来たのです。

   理由は、お母さんとの交流を希望するのではなく、  

  日本人のお母さんみたいな人と知り合いになって、

  「YRASHI」と言う人気アイドルグル−プのグッズが欲しいから、

   それで日本人に近づいて来た感じが、良く分かるからだと言って、

  嘆いたのだった・・・ 

      ※※その母宛てのメールの1つを紹介してみます※※

        初めまして!私は日本や日本のジョニーズ・・

        特に「YRASHI」が大好きな高校生です。

        あなたと友達になって上げますよ。

        その代わり、YRASHIのGOODSを送って下さい。

         それから日本の物は何でも欲しいです。

     スブラのボールペンや、キティちゃんの学用品は、

      クラスでも自慢が出来るので、送って下さい。 

       貰ってあげますよ。  
   ※※※               ※※※  

 こんな感じで沢山のメールが送られてきたからだった・・・・

 そんな時、韓国語教室の生徒の一人に、 やっと若い大学生で

  ワ−キングホリディで日本に来ている男の子と 

    知り合いになれたと喜んでいる主婦が居た。

        井上さんと言う近所のセレブ主婦だった。

    井上さんの家にも男の子の息子が居て、 

     その子は、今、アメリカに留学しているので、同じ位の

      年代の男の子からの返信に大喜びをしたのだった。

    井上さんは、気持ちの優しいおばさんで、皆も、共有して、

     その井上さんが知り合った韓国の男の子と仲良くなりましょう 

     として言ってくれたのだった。  

       だが、その韓国の男の子もまた、日本人を傷つけようとして

       いたものだった。

           メールの交流が何回も続いていたが、その内に、

      男の子は、物を強請ったり、お金を無心して来たのだった。

      井上さんは困惑し、断ると、相手の男の子は態度も

        言葉も豹変した。

           「おばさんと、付き合ってやってもいいが、

        これはアルバイトだから、時給5000円くれ、

         俺はボランティアするつもりはないから・・・」とか、、、

         更には「誰が好き好んでおばさん相手にするかよ。

        馬鹿、死ね、ヤクザ!!」と言った酷い言葉が

         返って来た。

   


      その頃、日本は韓国ブ−ム絶頂期だった。



    韓国人は、、、特に男の人は、何か大きな勘違いをするのか?

  日本に行けば、韓国人の男なら、誰でもモテルし、チヤホヤして

  くれると思っているのか?もしれないし、、、 

   食事にしても遊び代金にしても、全部、日本人の中高年の

   おばさんが支払うのは当然と思っているのかもしれなかった。 

     若い女の子たちも、日本の物が欲しくて、そう言ったサイトを

     利用する韓国人が多いと言う事で、 

       「フレンド・ネットランド」も問題になってっていた。

     急激に日本と韓国が仲良くなった歪みが出て来たのかも? 

       しれなかった・・・・

        韓国語教室の先生は、申し訳なさそうに

     「私が、紹介したばかりに、皆さんを傷つけて、

     済みません」と謝ってくれたそうだった。 

     お母さんたちは、全部が全部、悪い韓国人ではないだろうし、

      日本人だって、悪い人もいれば良い人もいるのと同じだ

       と思って、考えを改めたが、酷い言葉を吐き捨てた

         若者の男の子が、何かとてつもなく日本人や

       日本を憎んでいる気持ちが伝わって来て、悲しい気持ちに

    なったと言い、「きっと、日本に来て辛くて悲しい事ばかりで、

    日本人にも冷たくされたのでは?

   優しい日本人との出会いを知らずに居るのかも?」と考えを改め、、、、

      それで私に「カノン、カノンが、このサイトに登録して欲しいの・・・・。

     同じ若者だから、カノンだったら、沢山の若者達から、

     交流が殺到すると思うわ。そして、真面目に国際交流しましょう

          として、仲良くして欲しいの。

   おばさんである我々だと、韓国の若者は嫌がるみたいだから・・・

  言わば、カノンは草の根の様な、親善大使みたいなものよ。

   やってくれないかしら?」と懇願された。

   私は、韓国語学科だったし、韓国の若者たちとも仲良くなりたいと

    思っていたので、最初は躊躇したが、真剣なまなざしと

     優しいおばさん達の気持ちが伝わり、

       二つ返事でOKを出したのだった。


       -----------------------------------


    ハンドルネ−ムは、お母さんの物を借りての物で、始めてみた。 

         年齢や登録の設定を替えて載せてみた。

     すると、10分もしない内に、どんどん申し込みが殺到して来た。

      全て20代の韓国人の男の子ばかりだった。  

    「やっぱりね、、、カノンちゃんみたいな若い女の子は、

       モテルのよ。我々、おばさんはお呼びでないみたいね。        

      アハハハ」と口々に言われ、笑われました・・・・ 

    私は、誰と交流したら良いか?分からなかった。

     一度に50人位の人達からの申し込みだったからだ。 

       
        私は、ハンドルネ−ム



            「大好き日本」                     


              と言う名前が気に入ったので、

         先ず、この人にしようと思った。

    日本が明らかに好きだと言う感じが伝わって来たからだった。

  

           大好き日本さんは正に、

            鄭 テファさん・・・

           つまりテファお兄ちゃんだった。

     テファお兄ちゃんは、東京の新大久保の「宮殿」と言う食堂で

        ワ−キングホリディで働いていると言った。

       軍隊生活の時に、日本語を勉強し、軍隊が終わったら、

      日本に行き、日本のITや技術の優秀性を勉強したいと

          思っていたそうだ。


        そして直ぐに日本に来たとのことだった。

     ワ−キングホリディは1年間で、終了すれば帰国し、

          大学に復学する事になっていた。

     テファお兄ちゃんは大学では機械工学を専攻し、

     出来れば日本のIT企業で働いてみたいと 

         希望していたのだった。

       ところが、日本に来てから、生活に追われ、

   毎日が自分の考えとは違った方向で進んでゆき、

   更には日本人との交流の場さえ少なく、寂しい思いをしていた

      そうだ。  

      そんな折、同じ食堂で働く先輩の韓国人のパクジソンに 

             「フレンドネットランド」の事を聞いて、

              登録して見る事にしのだった。

  その第1日目の、申し込み第1番目が私だった。

   お互い携帯電話での登録だったので、自宅のPCでも見る事は

       出来るけれど、携帯の方が断然、速くて直ぐに

       返信が出来て、楽しく話が弾んだ。

     とても、おばさん達や、お母さんたちが話していた

         韓国人の人とは違う、誠実で、 面目な感じが

         テファお兄ちゃんから伝わって来たのだった。

      テファお兄ちゃんは、3つ年上のお姉さんがいて、

          芸能人だと言った。

        「鄭 アミン」と言う芸名で、

        女優としてドラマにも良く出ているから、 

           注意して見てみてねと言った。

       女優さんや芸能界とは無縁の私だったので、

           お姉さんが女優さんと聞いて、

             凄いなぁと思った。

       テファお兄ちゃんの家はロッテワ−ルドに近い場所と

          聞いたので、私は思わず「チャムシル」と

           メ-ルしてみた。

           するとテファお兄ちゃんは

         「おっ、凄いね、良く知ってるね?

         そう、チャムシルに住んでいるよ。 

     ロッテワ−ルドが近いし、そこでアルバイトも

      してたから、全部の乗り物にも乗ったよ。」と返信が来た。

     私も、修学旅行でロッテワ−ルドに行った事や、乗り物では、

       ジャイクロンが面白くて何回も乗った事や、

      室内の360度回転のジェットコ−スタ−に乗って、

       凄く怖かった話をし、そんなこんなで楽しく会話が

         続いたのだった。 

       私の初めての韓国人の、同年代の若い大学生のお友達

        だったので、私自身も、いつも誠意とか、

       優しさを持って接したいと思ったのだった。

       テファお兄ちゃんは、当時は23歳だったので、

         私よりも年上だった。 

        なので私はテファお兄ちゃんの日本での妹になる事にした。

   テファお兄ちゃんは 「妹は韓国語でトンセンだね。

   トンセンが出来て嬉しいよ」と言ってくれた。 

         私もとても嬉しかった。 


       以来、私はテファお兄ちゃんを


      「オッパ」(=お兄ちゃん=親しい仲=恋人)

                 と呼ぶ事にした。 


               「オッパ」

      と呼ぶ韓国の男の人は後にも先にも、 

           このテファお兄ちゃんしかいないです。

          その他に知り合った韓国のお兄さん達には、

             お兄さん」と日本語で呼んだり、、、

       あとは「オッパちゃん」と呼ぶ人が1人いる位です。

         テファオッパは私にとったら、凄く優しいし、

            面白いし、 大好きな人だったし、

           今も忘れられない、大好きな人だからです。

           オッパはいつも男らしい言葉が返って来て、

              頼もしかった・・・ 

      私には実の兄がいるけれど、兄とは5つ離れていて、

      余り一緒に遊んだ記憶もなく、喧嘩もした事がなかった

       からです。


  いつも微笑んでいて、穏やかで優しかったし、大人みたいな

    感じがしたし、別世界みたいな壁も感じたりしました。

    どちらかと言うと、2歳違いの弟とは良く遊び、喧嘩もしたし、、

         近い存在だったけれど、、、、

        本当に兄との記憶が薄かったのです。

    テファお兄ちゃんとは、本当に色々な話をした。

        テファお兄ちゃんは、仕事中であっても、

       合間をぬって、直ぐに返信をしてくれた。

           私もパケット放題を良い事に・・・

      更にはお父さんが料金を支払うのを良い事に、

         沢山、メ-ルしました。

         本当に楽しかったのです。 

      そう、テファお兄ちゃんと知り合った頃の事が、

       今も鮮やかに思い出されて・・・

   出来る事なら、時間を戻して欲しいとさえ思った。

  テファお兄ちゃんは、今はもう日本には居ない

         ・・・帰国してしまったのだった。

         毎日、毎日、テファお兄ちゃんからの連絡が

          来るのを楽しみに待っていたけれど・・・

        全くと言って良いほど、音信も、連絡もなかった。

         お兄ちゃんは帰国する時、韓国に戻ったら、

          引っ越しをしてしまうので、

          チャムシルにはもういない・・・

    韓国に戻ったら、韓国での携帯電話を新しく持つから・・・

     番号が分かったら、カノンに知らせるし、

        新しい住所も、伝えるから・・・

     僕から連絡するから待っていて欲しい・・・っと、言った。

       私は、ただ、その言葉を信じて、頷くしかなかった。



       -----------------------------------------------




       世田谷のマンションに戻って 

   「ただいま」と言ったが、返事は無く、明かりもついていなかった。 

         「サヤカいないの?」

         と言ってサヤカの部屋に行ってみると、

     明かりのつけっぱなしの部屋でサヤカは、爆睡していた。

       英文科は私の通っている大学の花形学部で、

         2年生の夏に半年間、

       カナダへ留学出来るのだが、上位3名は、全額免除で更に、

       半年の留学延長・・・

       つまり1年間カナダの大学に通える特典がつき、  

     単位も全て認められ、留年することなく卒業できるのだった。

       その試験が、今日あって、昨日まで猛勉強していた

          サヤカだったので、恐らくテストが終わって安心し

         爆睡したのだろうと思った。

   散らかり放題のサヤカの部屋を、サヤカを起こさないように、

     そうっと片づけて、夕飯は美味しいスタミナのあるもの・・・

         「すき焼きでも作ろうかな?」っと思った。

  恐らくサヤカは、上位3位に入るだろう・・・

       容姿端麗な顔立ちやスタイル、頭も良く、

       英語も抜群だったし・・・目的意識も高い・・・。 

    時々、サヤカは女医さんの方が良かったのでは?と、、、

     私は思ったが、世界中の大空を翔け回る

  キャビンアテンダントのサヤカも格好良いだろうなっと思った。

       夢や希望があって羨ましいとさえ思った・・・

   なぜならば、私には、夢や希望が今は見えないからだった。

     更に、目の事さえ、見えなくて切なくて悲しい・・・

           でもやっぱり私は・・・・・ 

           私は・・・・・

   「テファお兄ちゃんに会いたいな」っと思うのだった。



       ------------------------------------------


  「うぅん、美味しい!カノン、すき焼き、美味しいね。」  

  サヤカは肉を頬張りながら言った。

 サヤカ:「やっぱり、カノンは料理にしても掃除にしても、

     上手だし、いつでもお嫁さんになれるよ。」
 
 カノン:「サヤカ、お世辞言っても、何も出ないよ・・

      それより、テスト、どうだったの?」

 サヤカ:「うん、バッチリよ。英語は完璧100点だと思うよ。

      留学なんてしなくても良いんだけれど・・・ 

     でも上位3位には入りたいし、 

     留学経験は将来には必要かもね。」

 カノン:「凄い、自信満々だね。良いな〜私は勉強が嫌いだし、 

      頭悪いから・・・このまま韓国語学科を卒業しても、

     特に何の仕事をしたいとか、夢も希望も見えてないのに

    サヤカはちゃんと夢に向かってて、偉いな」

 サヤカ:「・・・・そんなことないよ。・・・・

      もう直ぐ春休みだから、ねぇ・・・カノン、

      一緒にどこか海外旅行しない?エステや買い物もしたいし、

       近くて行きやすい、韓国とか・・・カノンも韓国語の

        勉強にもなるし・・・それに、あのお兄さんに会える

      かもしれないじゃない?(私は嫌いだけど・・)」

 カノン:「え?無理だよ。テファお兄ちゃんは、今、ソウルのどこに

      住んでいるのかも分からないし・・・電話番号も、

       連絡先も・・・全く分からないんだもの・・」っと、

     私は悲しい気持ちになって、涙目になりながら、言った。

 サヤカは「ほら、また直ぐ泣く!!カノン、行ってみないと分からない

      じゃん。たとえ会えなくても、探しに行ってみようよ。

       会えたらラッキ−じゃん」と元気を出せとばかりに、

         サヤカは笑いながら言った・・・  

   ・・・・・そうかもしれない。

   たとえ会えなくても、韓国に行ってみようか?

          いや、行ってみたいと思った。

      少しだが、学校で学んだ韓国語も使えるし・・・

    私はサヤカに「うん、行ってみようと思う。行きたい。

    サヤカ、一緒に探してくれる?」と聞いてみた。

   サヤカは「もちろん!」と言ってVサインをして言ってくれた。



       ―――――――――――――――――――――― 



   次の日、学校帰りに、サヤカと待ち合わせをしてJTE旅行会社を

     訪れ、目前に迫る春休みとあって店内は混み合っていた。



  店員:「どうぞ、お座り下さい。担当させて頂きます櫻井です。

        今回は、どちらへ行かれますか?」


   サヤカ:「春休みを利用して4日間位で、ソウルへ行きたいのですが?」

     店員:「そうですか・・・お調べしますね、、、ソウルは人気が物凄く

            ありますので、キャンセル待ちになりそうです・・・・

              今、お調べしますので、

        少々、お待ちいただけますか?」



       私の心は高鳴った・・・行けるかな?大丈夫かな? 

           ドキドキドキドキしていた。 

 


      暫くして、櫻井さんが「お待せしました」と

         言いながら席に戻って来た。




   店員(櫻井):「そうですね・・・羽田出発なら、お取りできますが、

        お値段が少々お高いです。更に、ホテルも

        スタンダ−ドはお取り出来ず、ワンランク上になって

         しまいますから・・・お一人り様、学生割引でも

         89800円になってしまいますが?」と言った。 

   サヤカはニヤリとして、「じゃあ、それで!」と言った。

     普通だったら、4日間の韓国旅行の安い物だと29800円のツア−

      代金で行ける・・・89800円は高いなとは思ったが、

       今回はお金よりも、チャンスと言うか時間を買おうと思った。

          取りあえずは、お年玉や、貯金を出して行こうと思った。

   サヤカは、親のKXのプラチナカ−ドを出して「二人分」と

     涼しい顔で言った。 

         私は慌わてて「サヤカ、私、お金あるよ」

       と言ったが、、「平気・平気、、実は、カノンのパパから、

        何かカノンと美味しい物を食べなさいと言って、

         毎月、お金を貰ってるの・・・半端じゃない金額なんで

        困ってたの。勿論、返すつもりよ。だって、うちだって医者だし、

          お金に困ってる訳じゃないんだもの」と言った。

     


              半端じゃない金額と言うのが、

                 何となく想像できて怖かった・・・・ 

 


             そう!私のお父さんは、物凄く過保護だった。



            子供たちが中学や高校の学校で、夏休みや冬休みに、

           ホ-ムスティで豪州やアメリカに行く事になった時

         必ず、何かあった時の事を考えて、子供たち全員にKXやドイナ−スの

               プラチナカ−ドを渡してくれるのだった。

            勿論、現金でも使いきれない位なお金を手渡されるので、

         私は、無駄遣いとか好きでは無く、余り買い物も好きではなかったので、

                   お金は使わなかった。  

               反対に弟は、浪費家だったので、この時とばかり、

                 買い物を沢山していた。兄も、優等生なので、

             そつなく買い物をしたりしてカ−ドを使ってはいたが、

                  私はカ−ドは使わずに大切にしまっていた。



           中学の時、夏休みでLAへ行った時も、1カ月の滞在で、

         持たされた現金は1〇〇万円近かったし、その上、カ-ドも渡された。



             私が、何も買ったり、カ-ドも遣わなかったので、

            父は、もしかしたら、私がカ−ドを失くし、

           お金に困っているのではと?心配し、仕事をそっちのけで、

           ホ−ムスティ先のLAの家まで来て様子を見に来たのだった。



            父は「仕事のついででLAに来たよ。」と言っていたが、 

             帰国してから、母が本当はカノンの為に行ったのだと

                聞き、呆れてしまったのを覚えている。



         でもそれ位、私の事を愛してくれているのだと思った時、

          私は本当に恵まれた幸せな家族を持ったと有難い気持ちになった。

            旅行申し込みも無事に済んで、春休みに入って直ぐに

               渡韓出来る事になった。 

   

                   私の心は躍るように元気になった。




      サヤカに、その晩、テファお兄ちゃんの手掛かりになる事を

         洗いざらい話した。 

    サヤカ:「・・・っとすると、名前は鄭 テファ、、、

         帰国してホンデの4年生に復学ね?

        機械工学部専攻・・・姉は女優で鄭 アミンね。

   出演ドラマは多数で、有名なのは「あいつと私はどうなのさ」の 

       準主役ね?住んでいた所は、チャムシル・・・ 

        ロッテワ−ルドの近く・・・

        大学ではバンドを組んでいてボ−カルね?

        大学はホンデね?」フンフンと言いながら、

      メモをとるサヤカは、やはりお姉さんみたいに

      大人に見えた。

      サヤカと私は同学年だが、サヤカは1浪している。

      現役の時に、東北大学の医学部に合格したが、

       どうしてもなりたいものがあるとし、

      女医になりたくないとして、再度、受験したのだった。

     周囲は皆、呆れたが、本人は至ってマイペ−スで、

       後悔はないときっぱり言い切ったそうだ。

             そう、つまり私とサヤカは1歳違いで、

     サヤカの方がお姉さんになるのだった。

      行動力もあり、判断力も有る、、、

      頼りがいが凄くあるのだった。

       「・・・・・あっ、あとは、アミンお姉さんの

        携帯電話の番号と、チャムシルの住所なら

       分かるけど・・・チャムシルには居ないかも?  

         引っ越すと言ってたから・・・」と、

           私は付け足して話した。


      サヤカ:「わお!凄いじゃん!!このアミンさんの電話番号が

         分かれば、早いじゃない。大丈夫!探せるよ。・・・・

           でも何で、お姉さんの電話番号なんて知ってるの?」

      カノン;「・・・うん、、テファお兄ちゃんは、帰国したら、

      自分の所在がハッキリ分からないから、、、

     だから、お姉さんの電話番号とチャムシルの住所だけは

      今、ハッキリと分かっているからって、、、

     一応、教えてくれたの。

      これで、探せるかな?」っとほのかな期待をしながら

      私は言った・・・

      サヤカ:「多分・・・探せるよ。カノン、テファさんに会えると良いね。

             良かったね。 私は・・・正直、テファさんは好きに

             なれないな・・・スキャンダルもあったし・・・

              何かアイドルっぽくて、ナルシストみたいだから・・・

               カノンが傷つく事もあったじゃない・・・だから・・・ 

            でも、カノンが、テファさんに会いたがってるのが

               良く分かるから、、、協力しようと思う・・・

                カノンが久しぶりに元気になったから・・・ 

                だから私は・・・・カノンの為に協力するよ」

      

                 そう言って笑った。

       

                私も嬉しくなって笑った・・・ 

     
               テファお兄ちゃんに会えると良いな・・・・  

                   その日は、おまじないの言葉



             「夢で会いましょう」



            と言う言葉を言わずに済むくらい、

           ぐっすりと眠れたのだった。


             -------------------------             



              「夢で 会いましょう」

  

       ・・・この言葉は、テファお兄ちゃんと電話して

     話が終わって「マタネ」と電話を切る時に         

     合言葉のように言う言葉だった。

       私はテファお兄ちゃんとの運命を感じたのは、

  知り合ったその年の元旦、深夜0時に、携帯電話が鳴った時だった。 

     

        私が「もしもし・・・」と出ると、


     テファお兄ちゃんだった。 


  その年が始まって、初めての会話をした人が

   テファお兄ちゃんだった。 

     優しいソフトな声は直ぐ、テファお兄ちゃんだと分かった。   

       こんな広い世界で、、そして沢山の人達が 住む中で、

    その年の初めに、初めて言葉を交わしたのが、

        家族でも、親しい友人でもなく、、

        テファお兄ちゃんだったからだ。

       私のその年の1番嬉しかった事柄が、

       その電話だったし、、、 

     今もその電話の事は、生涯忘れられない

      良い思い出だからだ。

      その事があったから、離れ離れになっても、

       きっと又、引き合わせて

      くれるだろうと言う奇跡がある事を信じさせて

       くれる支えにもなっていた。

       そう、きっとまた引き合わせてくれる・・・

             そう思った。

     「あっ」・・・・・ 

     私はサヤカに、ペンダントの事を伝えるのを忘れていた・・・


  でも、ペンダントの話をしなくても、きっと、あの事柄だけで、

   十分、調べられるだろうと思った。

          それにペンダントの事を話したら何だか

          二人の証しだし、大切な想い出をペラペラと

          話してしまうのも嫌だな・・・っと思った。

                二人だけの秘密で

、         二人だけの証しにしたかったからだ・・・ 

        テファお兄ちゃん、会いたいね・・・

           きっとソウルで会えるよね?

          もうすぐ、ソウルで会えるね?

     私は心を弾ませながら、眠りの途についた。  



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