「橋爪さんってさ、あたしのこと好きなの?」
我ながら、とんでもないことを平気な顔で聞くもんだ、と思ったのは言うまでも無い。 しかし、あたしは気になっていたのだ。 彼、「橋爪さん」があたしにする行動はそうとしか思えないのだ。 常識的に考えて、いやこんなことを平然と、しかも本人を目の前にして言っていることが非常識だとは認める。 けどそれは後で弁解するとしてだ。 普通に考えて、ただの友達には抱きついたりはしないし、一人暮らしのいたいけな乙女の部屋にも泊まったりはしない。 しかも同じベッドで寝るというのはどうだ。 男の子と付き合ったことも無ければ、3ヶ月前のバレンタインデーが見事失恋記念日となった可哀相なあたしでも、この状態が変であることはわかる。
「で、どうなのよ?そこのところ」
そうあたしが再三問いかけると、彼は「お前ホントおもろいなぁ」と言いながら少し考え始めた。 あたしはちっとも面白くない。
橋爪さんはあたしがアルバイト先の先輩だ。隣の大学に通うひとつ年上の大学3年生であり、関西出身である。
初めて出逢ったのは去年の6月の末。初めて逢った時に着ていた紫のポロシャツに彼のファッションセンスを疑ったのは内緒である。 以降きちんと認識するまでの間、彼は「紫の人」とあたしの脳内にインプットされた。 本日が5月31日であることを机の上にあるパソコンに表示されたカレンダーで確認すると、もう1年近く経つことに少し驚いた。 ところが彼が関西出身であることを初めて知ったのは、なんとアルバイトを始めてから半年近く経った11月のこと。 我が家でアルバイト先の先輩達と集まって、そろそろお開きかなという頃に、あたしが今思えばくだらない恋愛相談を始めたが故にそれは発覚した。 最初は敬語の標準語だった彼が突然関西弁で喋りだしたときの驚きは、知らない人にハリセンで頭を叩かれるほどであった。 中学時代の同級生に京都弁の男の子はいたけれど、あたしの出身地方は基本標準語であり、方言を聞くこと自体滅多に無かったのだ。
ちなみに、もう関西弁でお話して下さる橋爪さんの顔はお世辞には温厚な顔、というわけではない。 それをネタにしては「あ、わかってます。そっちの筋の人ですもんね」などとからかって頭をぐしゃぐしゃにされた記憶がある。 「あたしは正論を言っただけなのに」というと、「お前のはただの憎まれ口やろ」と今度はその怖い顔が胡散臭い笑顔を湛えていて更に怖かった。 何をおっしゃいますかお兄さん。あたしのは愛ある毒舌ですよ。 マントルよりも深い愛情がこもっているのです。
あたしは橋爪さんが好きだ。
だって面白いし、頼りになるし、それにたまには優しい。 本人曰くいつだって優しさに満ち溢れているというが、それはあえてスルーしておく。 前述したとおり、あたしは3ヶ月前のバレンタインにこっぴどく片想いの相手に振られてしまったのだ。 そこまでの道のりにはもろもろの経緯があるのだが、結論付けるとあたしの告白は「失敗」だったのだ。 そしてそのもろもろの経緯には必ずというほど、橋爪さんの姿があった。 別段協力してくれたというわけでも、二人きりにしてくれたというわけでもない。
しかし橋爪さんとの間に「あの話」がなければ、あたしは告白するという選択肢を永遠に選ばなかったであろう。
「あの話」というのは、簡単に言うと「今月中にお互いの好きな相手に告白しよう」という、あたしと橋爪さんの今思えばくだらない協定だ。 あたしと彼は、お互い別々の人が好きだったのだ。 それもお互いの性格とは、まるで反対の人を。 橋爪さんが好きだった人は、「まさに穏やかで優しい人」だった。 あたしのように喜怒哀楽も激しくなければ、ストレートに相手に何かを言うタイプでもない。 一方あたしが好きだった人は、「なよなよした理系君」だった。 橋爪さんのようにしっかりした人ではないし、顔も体型も、全く違った。 そんな、お互い片想いの身であったあたし達は、そんなバカげた協定を結び、さらにそれを実行してお互い玉砕したのであった。
もちろんお互い失恋の傷はあった。 けれど、時間というのはどんな最先端医療よりも勝るもので、あたし達の傷は徐々に癒えていった。 アルバイトに入ったばかりは大学1年生だったあたしも2年生になって、東京の生活にもすっかり慣れたし、彼も3年生になった。 その頃には、あたし達がお互いにかつて好きだった相手はもうアルバイト先にはいなかった。 そして今、何だかわけのわからない状況になっているのだ。いや、今この現状があるのはあたしのせいなのだが。
もともと仲の良かったあたし達二人は、お互い失恋したせいなのか更に仲良くなった。 先に言っておくが、失恋した後もあたしは彼を恋愛対象としては意識していなかったし、彼も同じだった。 本当に 「更に仲が良くなった」 だけだったのだ。 3月のあたしの誕生日にはプレゼントも貰ったし、4月の橋爪さんの誕生日にはあたしがプレゼントをあげた。 しかも彼の誕生日の当日には、二人で映画館に行った。 傍から見たらどう見てもカップルがイベントを消化しているようにしか見えないのだが、本人達はそんなこと全く気づいていない。 二人でバイト上がりに遅い夕飯を食べるのもしょっちゅうだった。 もともとバイト上がりの不健康極まりない夕飯は、ずっと前からそうだったのだが、それがこの1ヶ月で少し変化した。 橋爪さんが何だか変なのだ。 顔が変だとか、マクドナルドをマックと言わずにマクドと言うことに違和感を覚えるとかそういうことではない。
ついこないだ、バイトが終わった後にご飯を食べに行こうと誘われたあたしは、閉店間際の店のスタッフルームで明後日までの英語の課題と格闘していた。 アルバイト先で1人悲しく課題をやっている姿は、スタッフルームに設置された防犯カメラにばっちりを捕らえられており、あたしはカメラに向かってちょっと嫌な顔をした。 するとだ。スタッフルームに彼、橋爪さんがやってきたのだ。 どこでも大体同じだと思うのだが、あたしのアルバイト先では閉店10分前に店内の音楽を変える。 店の閉店時間は22時で、今は21時48分。 彼は音楽を変えにやってきたというわけである。 ところが英語の全訳に負われそれどころではなかったその時のあたしは、後ろにあるスタッフルームの扉が開いたことになど目もくれずにいた。
ふと違和感を覚えた。背中に重みを感じる。
「何それ英語?」
こともあろうにその人物は、後ろから後輩のいたいけな女子大生を抱きしめていけしゃあしゃあと問いかけたのである。 不覚にもあたしは動揺した。 だってそんなことは生まれてこのかたされたことは無い。 お母さんに抱っこされたのとはまるで次元が違う。 その行動の真意を動揺する中必死に考えた。 しかしながら、この人にとってはきっと妹に対して接しているようなものだろう思い、あたしも深く考えるのはやめた。 まぁ橋爪さんに妹はいないのだが。
「え、うん。そうだけど、仕事しないのかね君は」
「いやいや、仕事しにここに来たんやけど」
そうか、お前の仕事は課題をやっているか弱い乙女の邪魔をすることか。
「あー…疲れた疲れた」
「あたしはあなたにのしかかられて、疲れます」
「何でや、愛情表現やん」
「そんな、愛情、いらねー」
「ひでぇひでぇ」
そう言って彼はあたしを解放し、スタッフルームを出て行ったわけだが、それからなのだ。 あたしが「彼はあたしのことが好きなのだろうか」という何とも自意識過剰な疑念に辿り着いたのは。 スタッフルームに取り残されて、ひとりになって久しぶりにちゃんと悩んだ気がした。 机の上の課題にはもう手がつかず、あたしの頭はその真意を確かめたいことでいっぱいになった。 その日の帰り道そのことを聞こうかと思ったが、他の人も居たのでやめた。流石にそこまでデリカシーのないことは出来ない。
毎日毎日そのことばかり気にしていた。 あたしはいつだってグレーなものは嫌いなのだ。白か、それとも黒か。 いくら考えても橋爪さんの思考を読むことなんて、テレパシーでもなければ無理な話であって。 友達にそれを話して答えを求めても納得出来ず、やはり本人から聞かないと真実とはいえない気がしたのだ。 いつ聞こうかと機会を伺っても、仕事中には聞けないし、帰り道には誰かがいる。 こちらからメールや電話するのも違う気がする。 そんなふうに悶々としていたあたしだが、好機は思わぬ速さで目の前に現れた。 橋爪さんから電話がかかってきたのだ。
「もしもし?」
『あ、あのさ、お前土曜日の遅番代わってもらえへん?』
「土曜日?いいけど」
『ホンマですか?ありがとうございます』
「敬語キモイよやめて」
『前は敬語やったやん』
今しかない、そうあたしは悟った。チャンスの神様がいるかいないかは知らないけれど、とにかく今だと思ったのだ。
「ねぇ、あのさ」
『ん?』
「前から聞こうと思ってたことがあるんだけど」
『何?』
「笑わない?」
『笑わへんて』
「…やっぱいいや」
『言え』
「じゃあ…うーん、ホントに笑わない?」
『うん』
「あたしのこと好きなの?」
『は?』
「だから、Do you love me?」
彼は大爆笑した。そんなわけないだろと言って笑い飛ばした。 その反応に、ずっとこれからもこのままでいられることに、どこかほっとするあたしがいた。 けれど、あたしがそれを聞いたことにより、彼の心境にはとんでもない変化が起こっていた。 そしてそれをあたしが知るのもまもなくのことだった。
何日か経ったとある雨の日。 あたしと橋爪さん、そしてもう1人、帰る方向が同じ実家暮らしの女の先輩の3人でいつもどおりの帰路を歩いていた。
「雨かぁ…」
「早く止まないかな…雨って見てる分には構わないんだけど、濡れるのは嫌なんだよね」
「お前は家近いやんけ。もう着いたし」
橋爪さんの言うとおり、あたしの家はバイト先から徒歩5分という超近場にあった。 「じゃあお疲れ様でした」と言うと、女の先輩は笑って手を振って帰っていった。
「で?橋爪さん、帰らないの?」
「雨の中帰るのだるいやん」
「帰れよ」
帰れというあたしの言う事を無視して、橋爪さんはついてきた。 別に部屋に誰かを上げるのはよくあることだし慣れている。しかし君が1人で我が家に泊まるというのはどうなのだ。 異性と一晩過ごすということは、そんなことないだろうと思っていてもやっぱり少し心配なものだ。 お父さんに話したら聞いたらきっと怒られるだろうとあたしは思った。
ところがそんな心配をよそに、彼は本当にいつもどおりだった。 同じベッドで寝ていることには変わりなかったものの、彼があたしに何かをすることはなかった。 多少頭を殴られたりはしたものの、それくらいはいつものことだし、あたしはヒールで彼を蹴飛ばしたこともある。 電気を消した部屋で、普通に繰り広げられる会話。 しかしそれでも、やっぱりどこかに違和感があって、あたしはそれに気づいてしまったのだ。 そしてあたしは、自分でも予想外なことに、あの問いかけをもう一度口にした。
「橋爪さんってさ、あたしのこと好きなの?」
僅かな沈黙が永遠に感じた、という表現がまさに適切だった。
「で、どうなのよ?そこのところ」
「お前ホントおもろいなぁ」
「それ、答えになってないんですがね」
彼はしばらく考えたような素振りを見せて、そして隣に寝転がるあたしをしっかりその目で捉えて言った。
「好きだよ、女として」
そう言った彼の顔は滅多に見せない真剣な何かを含んでいて、あたしは予想通りで予想外な返答に橋爪さんの顔を見ることが出来なかった。 机の上のパソコンに映るカレンダーの日付は6月1日に変わっていた。
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