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夜中にめくるページと コースターの複雑な関係性について
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作品名:夜中にめくるページと コースターの複雑な関係性について
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作者:しまうま
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第2回
2
家族について書くべきか否か、ということを僕はいつも迷っている。 良い文章というのは、そこに出てくる言葉以上のものを伝えてくる。 良い音楽が譜面に書かれた記号以上のものを伝えてくるように、良い文章と はそうあるべきだと僕は思っている。 例えば小説においては登場人物の過去なども、実際に描写した情報以上の出 来事を示唆する内容を描くのが常とされてきた。 家族のことについて言及しないまでも、それについて何らかの対処をとらな ければならないのが基本にある。 その人のバックグラウンドや、書いたまま放りだされた手紙は本来語られる べき事柄であって、それを無視することはタブーともすら言われてきた。 ひとつの事象が今まで「語られてこなかった」理由はいつだって軽視されが ちだった。 数式の証明に始まり、新種の動植物に関してもそれが今まで誰にも発見され なかったのではなく、「発見しました」と言ったにすぎない。 零というそこに存在しないはずのものに記号をつけたのはインド記数法が最 初ではないかもしれない。 最初であるかもしれないだけであって、そうではないのかもしれない。 さらには「零が発見されなかった歴史の可能性」まで追い詰める文章すら存 在する。 僕の血縁を遡っていけばやがてはアフリカ大陸へと導かれるものであるかも しれない。それなのに僕らは日本人という括りの理不尽さをいつの間にか受け 入れている。徳川家の子孫は徳川以外の血がある事実を史書には記さない。 それらは「語られてこなかった」ものたちだ。 少し話が逸れた。 本来であるならば僕はここらで僕の家族について話すべきなのかもしれない。 けれど僕はそれをしない。 文章の密林において、誰かが焚き火を焚いている。 存在するはずの家族について書かれた「葉書き」は燃やされ、空へ白い煙を舞いあがらせることになるのだ。 外の街にいる者たちのうち、誰かがそれに気づくのを僕はひたすら待ってい る。やがてその煙を僕自身が見つけるときがくるのかもしれない。 話を元に戻そう。
綱渡りのようにおっかなびっくりと僕は池袋駅構内をうろついていた。 甘い香りが至る所から漂ってくる。 彼は辺りを見回しているにもかかわらず器用に人を避けながら歩いていた。 「すごいな、ここは土産屋だらけだ」 「駅じゃないみたいだね」 「スフレとサブレって似てないか?」 「どっちがどうかもわからない」 彼は一店舗ずつ寄ってみては店の売り子のお姉さんに声をかけていた。 ショーケースに納められた見本商品に飾られている値段を眺めたりもした。 「靴の修理屋まである」 「広い構内を歩くためにっていうことかな」 なんとか案内看板を頼りにだらだらと進んでいると、僕たちのすぐそばを高 校生くらいだろうか、3人の女の子たちがはしゃいだ様子で互いの写真を撮り あっている光景に出合った。 中の一人は自分の(だろうと思われる)顔写真で目線を隠していた。 3人の横を通り過ぎたちょうどそのとき、カメラを向けられていた子がピー スサインをした。 その先に僕たちがいた。 彼女の背にあるコインロッカーには、各個室の境界線を越えて人の顔のよう なものが描かれていた。口の部分に鍵穴があるのはおそらく偶然だ。 「あの子たちも、いずれは子どもを産むんだろうね」 「でもあの子、八重歯が目立つな」 本人は気にしているのか、唇でなんとか隠そうとしていた。目元を隠してい るだけについつい僕もそこに視線がいってしまう。 「別にそれは関係ないでしょ」 事実だ、と彼は言った。 「子どもにとって落書きが精一杯のいたずらなのと同じで、彼女にとってもその舌先で八重歯を舐めることこそがささやかな抵抗なんだよ」 思えばこの文章も落書きのようなものかもしれない。 余った葉書きに宛先を書かずに出した手紙のようなものなのかもしれない。 「地の文に個人の感情を入れるのはよくない」と彼は言った。 「視点がぶれてしまうからだ。読み手は誰の目線に立っていいか迷う。地の 文には事実のみを記すべきだ。一流のジャーナリストたちの文章が美しいのは 視点をしっかり使い分けているからだ」 彼は言った。 「そうしないと迷子になってしまう。駅はどこまでも広いんだ」 僕はおおげさにため息をついてみせた。 遠くの景色にいる女の子たちは、笑いながら周囲を眺めてまた笑っていた。 「あ」 「どうしたの」 「靴が壊れた」 紐の切れたスニーカーの足首が埋まる部分に彼は手をすっぽりとはめた。 「靴の修理を見たいだけでしょ」 「これじゃ歩けない。迷子になる」 「迷子と家出って誰でも一回は経験するよね」 彼は子どもみたいにその場に立ち止まってしまった。 仕方なく僕が彼の手を引っ張ることにする。びっくりするほど冷たい。 彼が訊いてきた。 「家出したこと覚えてるか?」 覚えている。 僕の初めての家出は住んでいたアパートを一周して終わった。自分ではずい ぶんと歩いたつもりだった。 家を出たときは日がまだ高かったことも記憶にある。 心配してくれているだろうというのを期待して、家の前に戻っているとそこ には誰もいなかった。がっかりして振り返ると父親が黙って立っていた。 今にして思えば、あの人はずっと僕の後ろにいたのだ。 「八重歯の子も迷子になったりしたんだろうな」 「すっかりあの子は八重歯の子なんだね」 「やがてはその子どもも迷子になるのだ」 そして落書きをして八重歯を舐めて、誰かにピースサインを送るのだろう。 目の前にある階段を昇ってみると地上に出た。 そりゃそうだ、と僕は思った。 「渋谷まで行きたいんですけど」 「山手線と副都心線になりますね」 「どっちのほうが早いんですか」 「私どもは自社である副都心線を立場上お薦めしますけども」 その駅員は自分の胸バッジを示しながら答えた。 「お値段だけ申し上げますとJR さんのほうがじゃっかんお安いですね」 僕らはお礼を言ってその場を離れた。 やっと無事に乗り継ぐことができたのだ。 山手線のホームからウグイス色の線が入った車両に乗り換える。 外は日が暮れかけている。枯れ草の匂いがする。 僕はなんとなく豆腐屋のラッパを思い出した。 「ありきたりな発想だな」 と彼が呟いた。 彼と一緒に池袋駅から渋谷までのあいだを再び電線伝いに歩く。 彼は昼間の元気な様子とは打って変わって、ずっと黙って静かに僕の後ろを ついてきている。 バスのロータリーには行列ができている。 ビルの隙間から遠くにある民家を覗くことができた。とても小さいその中のひとつから煙のようなものが見えた気がした。 八重歯の目立つ女の子が子どもを抱えながら、口を大きく開けて笑っている 葉書きが届くのを僕は今でも待っている。
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