4月26日(水) 今日もいつもどおり空はぼんやりと晴れ渡っていた。パステルカラーの青と白だ。
太陽が輪郭をはっきりさせないまま、草花の芽を引っ張り上げ、僕らにのびをさせ、
ビタミンDの生成を助ける。そういう日には近くの丘までピクニックに行って、お弁当
を食べて、穏やかな本を読むに限る。
それは分かっていたけど、今日は2限と4限のために大学へ行った。
2限は取り残した一般教養、4限は英文学の講義。ノーベル賞作家ソール・ベローの
物語意識について。先生のベローへの愛と授業への誠実な態度は伝わるのに、
話が下手でどうしようもない。こんな春の日の午後じゃ眠くなるのも仕方ない。
先生には先生の、僕には僕の事情がある。
家に帰る前にスーパーでエリンギとぶなしめじとなすと豆腐を買って帰った。
きのこは季節じゃなくなってきたけど、やめられない。でもそれ以上に、
なすの素晴らしさについて最近改めて実感している。味噌とも醤油とも豆板醤とも
合うし、油とも豚肉とも合う。やっと安くなってきた所だ。これから夏野菜が楽しみ。
スーパーは夕飯準備の主婦で混み合っていたけど、別に構わない。
そういえば大学に入ったばかりの頃は主婦に混じってレジに並ぶのが居心地悪くて
混む時間を避けていたけど、今では全然構わない。エリンギはついさっき食べたところ
だ。適当な大きさに切って、フライパンで炒めて、塩をふる。醤油マヨネーズをつけて
食べた。あとはご飯とキムチと、卵と麩の味噌汁と、昨日の残りの豚肉。
本当はもっと春らしい物を食べたい。春キャベツは春の内に嫌と言うほど
食べておきたい。そうすると来年の冬に、また春が楽しみになる。そういうのは
素材を生かした食べ方に限る。鰹節であえるのも良いし、つゆとぽん酢で漬けてもい
い。今年はつくしを食べ逃したのが惜しかった。もし次の手帳に買い換えてから
この日記を読み返していたら、2月末辺りに「つくしを食べる」と書いて置いて
欲しい。そういうのがあると、本当に日記を書いた甲斐もある。
食べ物のことばかり書いてしまったけど、それは多分今日ゆうきに料理の本を
もらったからだ。どうせ作らないからと言って、前からもらう約束をしてたやつ。
お礼は弁当一回。男に弁当作らせて喜ぶ男も珍しいと思うけど、作ってやって喜ぶ
俺も俺かも知れない。うさぎウインナーとかキュウリの飾り切りは自重しようと思う。
こういうときはやっぱりケンタロウのレシピがいい。多分肉が多ければそれで喜ぶと
思うけど、手抜きはしないつもりだ。どうでも良いけど、今日のゆうきの日焼けは
ひどかった。まだ四月なのに、袖のラインでくっきり焼けていた。
幾ら暖かかったからって、この時期から半袖ってのもどうかと思ったけど。
日焼け止めってのは女の子だけが使う物じゃないし、単純に自分の体をいたわるために
必要なんだって、今年も言ってやった方が良いかも知れない。
4月27日(木) 昨日の夜のことだけど、のどが渇いて夜中に目が覚めて、水を飲みに行ったら、きのこ
が台所で踊っていた。昨日のぶなしめじだ。大きいのも小さいのも二列で輪になって、
両手を上げたり下げたり、右を向いたり、両足で飛び跳ねたり、笠を広げたり、伸びた
り縮んだり、かなり自由な感じの踊りだ。踊りって言うより、元気体操を自由にやりな
がら回っているっていったほうが近い。ちょうど一株分くらいの人数。別にみんな揃っ
てるわけじゃないし、特にちっちゃい奴らはばらばらしてた。さっきあっちで別の奴が
やってた動きを、こっちでちっちゃい奴がしてる感じだ。両足で飛び跳ねるタイミング
はみんな大体合ってたから、振動でまな板が倒れるんじゃないかとひやひやした。いつ
もすぐ倒れるから。音楽と言うほどの物じゃないけど、中くらいの奴が太鼓を叩いてリ
ズムを取っていた。僕は音楽は詳しくないけど、結構リズムが正確でセンスがあるんじ
ゃないかと思った。強弱もつけて、踊りきのこ達の気分を盛り上げているみたいだっ
た。太鼓に合わせてみんなが「ほっほっ」とか「ふー」とか掛け声を掛けていた。掛け
声の方はかなり揃っていて、僕にはそのポイントがよく分からなかったけど、見ていて
感心した。しばらく見ていても全然疲れた様子はなかった。僕はきのこがそんなに元気
だなんて知らなかったから、そのことについても感心した。見ながら、やっぱり水を飲
もうかどうか迷った。当然ながら、余計な動きをして邪魔をするのも悪かったけど、そ
のまま布団に帰るのもどうかと思った。のども渇いていた。それでなるべくそっとコッ
プを取って蛇口をひねったけど、蛇口をひねると鳥の首を絞めたみたいな音が響いて、
僕は正直、きのこ達と同じくらいびっくりした。きのこ達は動きをぴたっと止めて、所
在なく腕を下げ足を下げ、上を見上げて僕を認めた。一瞬小さなどよめきが起こって、
それから磁石で砂鉄を集めるみたいにさあっと、ひとところに集まった。僕も半歩下が
った。冷蔵庫のぶううんと言う音がやたらと響いていた。しばらく、僕もきのこもじっ
としていた。そうやって一つに集まってじっとしたきのこは、一株にまとまった、調理
前の普通のきのこみたいだった。それで、僕はなるべく小さな声であの、と言ってみ
た。それでもきのこ達がじっとしていたから、お祭りの邪魔をしてすみません、と言っ
たら、真ん中の大きなきのこに叱られた。祭りだと、と彼は声を震わせた。これは我ら
が同士の弔いと、我々のための鼓舞の宴じゃ、と彼は言った。お前は既に高貴なるエリ
ンギ殿をものにし、我々を手中に収めたつもりになっている。しかし見ていろ、西風集
は既に我々の太鼓を聞きつけているし、我々の為に一肌脱いでくれるだろう。でも、そ
れを言っているのが真ん中辺りの大きめのきのこだと分かったのは、彼の笠がしゃべる
に合わせてかろうじてぱくぱくしていたからだった。みなさんの気持ちを傷つけるつも
りはなかったんです、すみません、と僕は言った。でもさっきのきのこは余計にはげし
くぱくぱくして、伸びたり縮んだりした。傷つけるつもりがないだと、笑わせてくれ
る。お前は我々を食べようとしている、そんなことはお見通しだ。エリンギ殿はあえて
先に逝かれる事を望んだのだ、我らの子と孫のことを慮って、皆離ればなれになること
の無いようにと…立派なお方だった!回りのきのこ達からは、エリンギ殿!とかそうだ
そうだ!と言う声がいくつかあがった。僕はなるべく落ち着いた声で答えた。それは本
当に申し訳のないことをしたけど、僕としても何か食べずには生きていけないのだ、菜
食主義になるくらいなら出来ても、きのこも野菜も何も食べないなんてとても出来ない
と説明した。でもきのこの気持ちはとても収まりそうになかった。君は何にも分かって
ない、物事をごちゃ混ぜにしている!とさっきのきのこは叫んだ。顔も赤くなっている
ようだった。我々のどこが野菜だ、我々はれっきとした菌類だ、こうやって胞子で増え
るのだ!と言って、また笠をパフパフして見せた。回りのきのこたちの同意の声に、彼
の演説は調子を増していった。さあ我々を解放したまえ、我々は西風集と懇意にしてい
るし、ぶなしめじ界で名の知れた旧家だぞ!
僕はもう何も言えなくて、そのままじっとしていた。腰が痛くなるくらいじっと冷蔵
庫のうなりを聞いていた。少しだけ水の入ったコップを持ったまま動かずにいた。やが
てきのこ同士でひそひそ話が交わされ、それから彼らはまた二列に並んで踊り始めた。
さっきよりもっと激しく、戦争に出る前の若者みたいに、狂おしく。僕はそっとそっと
部屋に戻り、水を飲み干して、布団に入った。布団に入ってから、僕は彼らのために少
しだけ泣いた。彼らは自分たちがもう半分死んでいることを知らないのだ。もうすっか
り土から切り離されて、西風から切り離されて、どこにも戻れないことを知らない。い
くら一株の長だって冷蔵庫の事なんて知らないし、小さいきのこたちは大人に頼り切っ
ている。もしかしたら幾らかの大人は状況を理解しているかも知れない。でもそれが何
になるだろう。あのリーダー格のきのこはきっと事実を受け入れないだろう。ずっと自
分の経験と価値観で物事を判断してきたのだ。そしてそれが有効で、みんなに受け入れ
られてきた。それに、事実を受け入れたところで、手の打ちようもない。気休めの方法
を変えるだけだ。彼らは沈む運命の島に取り残された島民のようなものだ。負ける戦争
が終わる数日前に勲章を与え合っている軍人のようなものだ。でもせめて彼らが、お互
いを愛し信じたままでいられるといい。エリンギ殿の言ったように、離ればなれになる
ことがないといい。それから僕は僕のために少しだけ泣いた。僕が彼らにしてあげられ
る最良のことは多分、彼らを無駄にしないようにきちんと調理することだという事実に
ついて。僕がこれからも気の毒なエリンギ殿や、ぶなしめじ達や、鳥や豚を食べて生き
ていくことについて。何も奪わずに生きていくわけには行かないことについて。僕は眠
りに落ちながら、今までに傷つけた何人かの友人と、先生と、女の子について考えた。
それでも彼らの太鼓はまだ続いていた。
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