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作品名:トランシング・レポート 作者:J・トークマン

第1回   ファイルNo.1 六華堂
ファイルNo.1

場所及び地域:山口県松浪市
日時:平成十三年十二月三十一日
現象:単純転移
能動者:遠藤友晴 二十九歳 無職
受動者:碓井 保 五十六歳 警備員


 発端は窃盗グループによる宝石盗難事件である。
 店名を「六華堂」というその宝石店は、山口県松浪市西部に位置するショッピングセンターアルカーサの一階にある。
大晦日十二月三十一日未明、窃盗クループはまず、アルカーサの出入り口に設置されている感知センサーを切断した。
 同時間帯に館内を巡回していた警備員の碓井保はその異変に気づいていなかった。
 窃盗グループが宝石店内の物色をひと通り終え、店から出ようとしたとき、店内独自に据え付けられた防犯ベルがけたたましく鳴動した。碓井警備員は警報音を聞きつけるとすぐさま六華堂に駆けつけた。数人の黒ずくめの男たちが通路を横切り、館外に逃走するところであった。碓井は迷わず後を追った。
 ところが館外に出たあたりで、碓井は男たちに襲われる。腹部と後頭部を棒のようなもので殴打された。その場にうずくまり、気を失いかけた。
 店の防犯ベルが鳴ったことは窃盗グループにとっては予想外であったようだ。さらに異変に気づいた碓井の同僚、高橋昭吉警備員が仮眠休憩を切り上げ、懐中電灯を照らしながら敷地裏方向から「誰だ!」と叫びながら迫ってきたので、彼らは正面道路側のフェンスを越えて逃げなければならなかった。
 高さ三メートルを超える金網のフェンスにはアライグマやイノシシ、野犬などの侵入を防ぐため、夜間のみ弱い電流が流されていた。その注意書きが数十箇所もあるにも関わらず、窃盗グループの男たちはフェンスの金網を手でつかんだ。うちふたりは幸いにも革手袋をしていたため、感電を免れた。しかし最後の男、遠藤友晴は素手であった。逃げる途中で手袋を外したようだ。両手でフェンスをつかむや否や、遠藤は髪の毛を逆立てて地面に倒れた。
 フェンスの電流はコンマ1アンペア。人体にはほとんど影響のない通電であるが、低い外気温の中、想定外の逃走劇に遠藤の心臓は激しく脈打っていたものと思われる。昏倒してしまった。
「大丈夫かいの、碓井さん!」
 片手で腹部を、もう片方の手で後頭部を押さえている碓井に、高橋が後方から声をかけた。革手袋の男たちは遠藤を担いで、まさにフェンスを越えるところだった。碓井は近づいてくる懐中電灯の光を見るや否や、跳ね馬のようにフェンスめがけて突進した。
 フェンスを越えたところで男たちはいったん遠藤を地面に降ろした。それから遠藤を立たせて両側から抱えると、ひと息つく間もなく逃走した。
「追っかけんでもええじゃろう」
 高橋は碓井の背中に呼びかけた。
 碓井は高橋の忠告を聞かぬまま、男たちの動きを追い続けた。三人の窃盗グループは街灯の届かない闇の中に紛れこんた。
 暗闇の先に、黒っぽい車が路肩に停まっているのがぼんやり見えた。碓井は思わずフェンスの金網をつかんでしまった。木綿の白手袋をしていたが、それでも数メートルは飛び退いた。数箇所に及ぶ「サワルナ! 電流注意!」の看板を読み取ると、暗闇を見据えながらフェンスづたいに走りだした。
 フェンスの出入り口を見つけたが、南京錠がかかっていた。碓井はその南京錠を靴の裏で蹴り始めた。
 自身の巡回中に賊に押し入られ、危害まで加えられたことに立腹する気持ちは理解できないでもなかったが、施設の一部を壊してまで犯人を追いかけようとする碓井の行動は、高橋の目にはやや奇異に映ったという。
 南京錠を蹴り壊した碓井は、男たちの後を追って闇の中に消えた。高橋がフェンス越しに懐中電灯で照らすと、ワゴンタイプの黒い車が浮き上がった。気絶している遠藤がひとり男によって車に押し込められた。車の後方ではもうひとりの男と碓井とが言い争っているようだった。
 突然、男が碓井に殴りかかった。次の瞬間、高橋は驚きの光景を目にする。男のパンチをひらりとかわした碓井が逆に男のみぞおちに拳をめりこませたのだ。普段温厚な碓井警備員からは想像もできない光景だったと、高橋は述懐する。
 男はくの字に身体を折り曲げ、車の後部ドアに腰をうちつけた。もうひとりの男が車の振動で状況を察知し、諍いに加わった。
「やめんさい! やめんか!」
高橋がライトを揺らして叫ぶ。数的不利に立った碓井は、なすすべもなく顔面に数発のパンチを喰らい、地面に突っ伏した。
 碓井がひるんだ隙に男たちは車に乗りこんだ。だが碓井は再び立ち上がり、車の窓をたたく。車の窓がモーター音ととも少し下がったとき、その場にいたすべての者の耳に、近づいてくるパトカーのサイレン音がはっきりと聞こえた。
 車は碓井を残して急発進し、消え去った。
 間もなく、二台のパトカーが前後してショッピングセンターに到着した。警察官の姿を見て胸をなでおろした高橋であったが、碓井の姿がない。ワゴン車が停まっていたあたりをめがけて名前を呼び続けても、一向に返事がなかった。
「大変じゃ、碓井さん、奴らに連れ去られたのかもしれんの」
 高橋は事件の顛末を詳細に警察官に語りながら、最後にそう言った。
 しかし、実際はそうではなかった。碓井の捜索にあたっていたパトカーが事件発生の約一時間後に、住宅街の歩道をよろめきながら走る碓井を目撃している。背格好、及び着衣から碓井本人に間違いないということだったが、パトカーから声をかけようとしたところ、碓井は住宅街の細い路地に入りこんだ。後を追ったが見失ってしまったという。
 その後、碓井が発見されたのは、ショッピングセンターから六キロ離れた廃工場の前だった。事件発生からすでに三時間が経過した夜明け前である。
 碓井は呆然と立ち尽くしていた。廃工場の捜索が行われたが、窃盗グループはすでに別の車に乗り換え、逃げた後だった。工場の裏にワゴン車が乗り捨ててあった。無人の事務所には、タバコの吸殻と空のペットボトルが数本残されていた。
「なにがあったのか、話していただけませんか」
 所轄の刑事が碓井に尋ねた。
「それが、アルカーサで頭のうしろを棒のようなもので殴られたことまでしか憶えていないんです。気がついたら、ここに立っていた」
「そうですか。それじゃ、無我夢中で犯人を追いかけたというわけですね。実に勇敢な人だ。救急車が到着しました。まず病院で負傷の手当をしましょう」
 碓井保は四日間入院した。骨折等はなかった。退院後、警察の事情聴取があり、そののち復職を果たした。その間、警察は碓井が窃盗グループに関わっている可能性を捨て切れていなかったが、廃工場にあった遺留品から窃盗グループの面が割れ、うちふたりが逮捕されたことで碓井の疑惑は払拭された。
 逮捕されたのは、唐津政義四十二歳、中田修次三十八歳。いずれも前科のある常習犯だ。残るもうひとり、遠藤友晴は行方がつかめず、依然逃走中である。
 


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