僕の彼女はとてもきれいな白い羽毛に包まれている。 背中には大きな翼を持っていて、滑空くらいなら、十分にできる。見栄えだけの姿ではないところが、素敵だ。 薄絹をまとって風に乗り、空に浮かぶ様なんかは、天女か妖精のようにみえる。 銀色のくるくるとした巻き毛に白い羽毛に包まれた佐伯リリカは文字通り僕の天使だった。 身長は一四〇センチメートルと少し小柄で、しかも痩せているけれども、羽毛に包まれた身体にはそれが良く似合う。 第一、太った鳥は空をとべないじゃないか。 リリカはインフェクションデザインのイメージリーダーだった。 その美しい容姿で話題になり、もてはやされている。 彼女の真似をして、小さな羽を肩甲骨の下に生やしたり、銀髪の巻き毛を自慢げになびかせる少女たちのいかに多いことか。 リリカ。 僕の美しい小鳥。 ベッドの中で丸くなるリリカの首筋をそっとなでると、柔らかい羽毛が掌をくすぐる。 「アキオ? もう朝?」 リリカは寝ぼけた様子で僕を見上げる。 「まだ七時だけど、目が覚めてしまった」 僕は言ってリリカの銀色の髪に顔を埋める。 温かくて、柔らかい。 「七時なら、私もう起きて行かなくちゃ。約束があるの」 せっかく一週間ぶりに会えたのだから、僕はもっとこの柔らかい身体を抱きしめて愛しみたかった。 僕は身を起こしかけるリリカの背後から、その翼ごと抱きしめ、薄い胸の突起を探る。 りりか、モウイチド、アイシアオウ。 「アキオ、ダメだってば。もう本当に行かなくてはならないの。いったん家に戻ってシャワーを浴びる時間がなくなるわ」 少し怒ったように僕の手を払い、するりとベッドの外へ逃れてしまう小鳥。 「約束をしているのは野島さんなの。彼は時間にうるさいから」 額に緑の鱗でワンポイントをつけて気取った野島ハルオミは、リリカが所属する事務所の先輩で、今はフリーのエージェントをしている。カタカナで書けば恰好がいいかもしれないが、しょせん、ハイエナのように金の匂いをかぎつけてどこにでも首をつっこむ輩だ。僕のボスと古い知合いらしく、彼の紹介でラボに送り込まれてくるコは多い。 リリカも一年前にそうして知り合った。 リリカは手早く白い色の衣服を身に着け、唇にピンクのルージュを引いた。 彼女に一番似合う色だ。 そっけなくしたのを気にしたのか、彼女はルージュを小さなハンドバックに仕舞い込んでから、 「アキオ、あなたの造りだしたこの身体は素敵だわ。野島さんは私を主演にした映画を考えてくれているの。うまく行くように祈っていて。愛しているわ」 と、小鳥のついばみのようなキス。 残された僕は、ベッドの中で置き去りにされた卵となって、もう一度眠りにつく。 せめて、柔らかな羽毛に包まれた、素敵な夢をみられるよう祈りながら。
ヒトゲノムが完全に解析され、人為的にその設計、合成が可能となったとき、人は遺伝病を始めとする病気から開放された。 もちろん、その過程には解析だけでなく、遺伝情報構築予想理論と、長い長い化合物の鎖をつなぐ技術も必要であり、各国の先鋭頭脳がそれをよってたかって可能にした。 ヒトは、こうして自らを支配する遺伝情報、DNAを逆に征服したのだ。 倫理の問題もかなり世論で騒がれ、討議されたが、実際、差別の要因になった多くの問題が、この魔法のような御技でクリアされてしまうと、規制はとりとめもなく緩やかになってしまった。 肌の色、髪の色、瞳の色、もしもどうしても、というなら、能力でさえ後天的に変えられるのだから、それもむべなるかな、だ。 と、いうわけで、今は自分自身の身体を変えることが流行っている。 変えるといっても、サイボーグのように、人工機器を身体に埋め込むのとは違う。遺伝子レベルから改変してしまうのだ。 もちろん、最初は美容整形程度で、肌の色を変えるの、顔の形を変えるの、といったこのID(インフェクションデザイン)だったが、徐々にエスカレートして、耳を猫のそれのように尖らせたり、犬歯をドラキュラのようにしたりするのが流行り、最近では植物遺伝子からデザインを起こして、身体中に花を咲かせるのが主流になっていた。 そんな時、企画として持ち上がったのが、人を鳥とのキメラにするハーピィ計画だった。 ボスのつてで野島のところから送り込まれてきたのがリリカ。 小柄で、痩せていた彼女は顔こそ(主に骨格的に、ではあるが)悪くなかったが、地味で存在感が薄かった。 たぶん、十八才のその時まで、人の視線を浴びることはなかっただろう。 そういうタイプの少女だ。 しかし、その体格が僕たちの企画にはうってつけだった。 デザインは最初から最後まで僕が全て行なった。 彼女のたよりない存在感をむしろプラスに生かしたデザインを。 黒い瞳に銀の巻き毛、白い羽毛の体表。そして、滑空用の細長い翼と尾羽。 彼女に体格と印象にあわせてデザインした体型を、DNA合成してレトロウイルスベクターの形にし、感染させ、体細胞に変異を起こさせる。 翼こそ人工骨を入れたが、後は感染によって得た遺伝子に従って、リリカの身体が羽毛や銀髪を作り上げていく。 黒髪のチビでやせっぽちだった彼女は、感染後、ベッドの上で微熱とともに、日に日に変化していった。 髪は根本から銀色に。 身体中から、針のような羽毛根が。 日に日に、変貌していく少女。 そして、半年後に彼女は天使となった。 大学院卒業後、一人で手掛けた仕事としては始めての作品だが、IDL(インフェクションデザイン研究所)でも最高傑作と言われる作品だ。 この成功で、IDLは一躍業界トップになり、以来他の追従を許さぬかのように次々と新作――銀鱗娘や、緑の葉を髪の毛にしたダフネといった妖精たちを造りだしていた。 こうした作業はもちろん高価につくが、造りだされた妖精たちによってインフェクションデザインは広まる。 全身鳥にならなくとも、背中だけ羽毛にしたいとか、小さな翼をつけたいといったことなら、コストも低く、普及もしやすい。 盛り場に出てみると、若い人々体型を変えない程度のIDで身体を変えて個性を競っている。 髪に花を飾る者。全身緑の者。白目のない瞳。蛇のように第三の目を持って赤外線を見る者。鱗を持つ者。特に多いのはフローラタイプと呼ばれる、身体のほんの一部だけ植物系にしたデザインだ。 去年のデータでは、一六〜二六才の人達の間では、10・5%の率で何らかのID処置を受けている。たぶん、今年はこの倍の数字に跳ね上がるだろう。ウチの研究所の付属病院は常に満員で、予約は三年後まで入っているそうだ。 しかし、いくらこうして流行っているとはいえ、身体を飾るためのID処置は、世論でも賛否両論がある。 特に宗教団体や自然主義者、そしていつの時代にもいる保守派たちが反発して、マスコミで先端をゆくスノッブや若者と対立していた。 僕自身はこうした反応は当然だと思って、そう気にしていないし、だからといって迎合も(職業上当然すぎるほど当然だが)していない。しょせんは自分自身のこと。やりたい者がやればいいのだ。 第一、保険の対象にならない。つまり治療目的でなないインフェクションデザインは、体機能がほぼ完成に近づく一六才以上でないと受けられない。しかも一八才未満は保護者の承諾が必要だ。それくらいの年齢になれば自分自身に責任を持てるだろう。 自分自身を変えることによって、幸福になれるなら、それでいいではないか。 リリカのように、人々の憧れの的になるのもいい。 これからは自分で自分を決められる時代なのだ。 そう言う僕自身は、身体を飾る必要性を感じていないので、まだ、オリジナルのままだけれども。
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