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作品名:僕は茶色い犬だった 作者:黒月ゆらい

第1回   1
僕は実は茶色い犬なんだ。
君と僕はメル友として500通くらいメールのやり取りをしたけど、僕の外見なんか、気にしたことも、考えたこともないだろ?

僕、茶色の犬なんだ。しかも、毛がふさふさしている。鼻先は少し黒く、4本の足先は白い。額のあたりは茶が明るくなって、オレンジ色だ。耳はぴんとしている。
今日は暑いから、ふさふさした毛がかなり暑苦しくって、さっきから舌を出して、はぁはぁしているとこさ。夏は短毛犬のように刈ったほうがいいね。昨日なら、ちょっとは時間があったから、刈っておけばよかった。

このメールは渋谷のスターバックスから書いているんだ。TSUTAYAのところではなく、東急本店の向かいのほうの店から。そう、待ち合わせの場所に、1時間前から来ているんだ。
僕はスターバックスラテのラージ(アイス)を頼んだんだよ。

渋谷にはヒトが一杯だ。
店の窓の外にも内にも、めまぐるしいほどの、ヒトがいる。
ヒト、ヒト、ヒト、ヒト。たたみいわしみたいに暑さでプレスされたヒトが山ほど。
そんなに広いとはいえない店内にも、触れ合うほどのヒト。
スターバックス・ラテとカプチーノを頼んだカップルが向かいの席にいる。スーツを着て、ひとりでフラッペを飲んでいるサラリーマンもその向こうにいる。
クッキーやシナモンロールを食べている50代ぐらいの女性たちの5人ほどのグループもいる(5人とも自信をもって生きているようなオーラと、流行のパフィームの香りを放っているよ)。
ミニ丈のゆかた姿の女の子もいる。上半身裸同然の男の子もいる。
色の白いヒト、黄色いヒト、こげ茶色のヒト、いろんな肌色の人間がそろっている。
だからなのかもしれないけど、ノートパソコンに向かってメールを書いている茶色の犬のことを、この街は気にしてやしない。そういう街なんだ。

前置きが長くなったね。
僕、今どきどきしているんだ。
これからはじめて君と会うのに、僕は今まで自分が茶色い犬だってこと、言わなかったから。君が僕を見て怖がるんじゃないか、がっかりするんじゃないかって。
でも僕らは500通(今日この時点ではこのメールを入れて521通だね)のメールをやりとりして、500通記念にこうして街で会うことにしたくらい、楽しくやっていた。 会ったからっていって、なんにも変わらない。
そう思ってたんだ。たったさっきまでは。

君がここにくるまであと1時間。
だんだん、その時が近づくにつれて、不安が大きくなっていくんだ。
それはきっと、僕が今までうまくいっていた関係をちょっとも崩したくないからなんだ。

僕は弱い。 何か大切なものを持ってしまった者は、弱くなる。
大切なものを失うことをおびえるから、弱くなる。


僕は君とメールをやりとりできることを、とても楽しく大切に思っていたんだ。

僕は犬なんだ。このノートパソコンの他、これといった財産はない。
仕事はそこそこ、食べていけるだけ、ノートパソコンを維持するくらい、そしてそれをもってスターバックスで、こうして君を待つことができるくらい稼いでいるだけで、それ以外は何も持たない。失うものは、本当に少ない。

生きていくために必要なものってそんなにはない。
そう思わないか?


テレビだって、クルマだって、広い土地だって、洗濯機だって、パスポートだって僕には必要ない。

誤解しないでほしいんだ。
僕が恐れているのは、君が僕とあったときのことなんだ。君が僕を犬と知って、これからも、今までとまったく同じようにメル友でいてくれるかどうか。
犬が嫌いだったら、どうしよう。
犬と知って、今までのように心打ち明けたメールのやりとりができなくなったら、どうしよう。
こんなことなら、会う約束なんてするんじゃなかった。
そのときは、こんなこと不安に思うことなんかなかったんだ。
だって僕たちはメル友で、それ以上でもそれ以下でもなく、本当に、それだけが楽しかったから。

文字だけになって送られる言葉で、互いの日々を語り、 どんな映画を見たか、何が楽しく、何が悲しかったか、どんなものを食べて、何が苦手なのか、なんてことも分かちあった。

僕は知っている。 君は2人姉妹の長女で、妹は今アメリカで働いていて、近いうち遊びにいきたいと考えていることを。
この間、ホラー映画を見に行き、とても怖くて、その後悪夢を見てしまったことを。
大学時代の友達とシュークリームづくりに挑戦し、結局シューがうまくやけずにいたけど、とっても楽しかったことを。
夏のはじまりに、風邪をひき、3日間ベッドから初夏の空を見上げていたことを。その空が妙に切なく見えたことを。

僕は君にはあったことがないけれど、君が震える魂を持ってそこにいることを知っている。
君が、君の言葉が届く誰かを求めていることを知っている。
僕のように。

マシンを立ち上げ、ネットに接続し、君からのメールを確かめる瞬間。
君もまたネットに接続しているのを知る瞬間。
確実に君は「そこ」に「いる」。
その君がもうすぐ僕の目の前に現れるなんて、もちろんすごく楽しみにはしているんだけど、不安で、不思議だ。
会ったとき、最初なんて言ったらいいんだろう。

30分も時間がたってしまった。君を待つ時間はあっと言う間に過ぎていく。
時間の流れは、胸の鼓動で計られる、ということを、エルキュール・ポワロ(アガサ・クリスティの生み出した名探偵だ)が言っていたような気がする。僕もそう思うよ。
ドキドキ、鼓動が早いと、時間の流れも速くなる。


今、僕は小さな2人席のテーブルの奥側の席にいて、当然向かいの椅子は空いているのだけれど、その椅子を隣のテーブルに引き寄せて、後からコーヒーを買ってきた友人に勧めていた女の子がいたよ。
ほんのちょっと挨拶してくれれば、僕は気持ちよく「どうぞお使いください」って言えるのに。 あるいは、彼らに席を譲って空いている席に移ることだってできるのに。
まるで僕がいないみたいに、その女の子は椅子を引き寄せ、自分たち3人グループの話題に没頭しているんだ。 使っていない椅子だから僕がとやかく言うことじゃないのかもしれない。
でも、こんな時、僕が茶色い犬であろうと、ヒトであろうと、彼女にはまったく等しく「そこにはいない」存在なのでは、と思う。

君と会う前に、このメールを君のケータイに送るつもりだ。
会うための目印を直前に教えるねっていっただろ?
でもちょっとケータイに送るには長いメールになりすぎたかな?

さて、約束の時間まであと10分。
渋谷の東急本店前のスタバで、ノートパソコンに向かっているのが、僕だ。
繰り返しになるけど、僕は茶色く、ふさふさして、額の色はオレンジで、鼻先は黒。足の先は白い。
今、店内を見回しても、他に茶色く、ふさふさした毛の犬はいないから、絶対に間違えようがないよ。
ああ、でもこのメールを受け取った君が、僕が犬と知って、会うのをやめてしまうかも、と思うと、きっとぎりぎりまでメールを送れないんだ。

犬だからって、ヒトと変わったことなんてそうはないんだ。
キーボードを打つのだってそんなに大変じゃない。会ってから見せるけど、今はいいソフトやツールがあるからね。
21世紀ってこういうことなんだな、って思うよ、実際。
携帯電話やこうしたモバイルマシンで、どこからでもネットワークに接続できて、ある意味、わけへだてなく (犬の僕だって!)買い物できたり、いろんなヒトや企業や社会とコミュニケーションが取れる。 仕事だってできる。前にも書いたと思うけど、僕はシステムエンジニアで、 今は数名のスタッフとともにある医療関係のシステムの監視・運営をしている。 ネットワークにつながっていさえすれば、できる仕事なので、他のスタッフとは顔を合わせたことがないんだ。会ったことがあるのは、この仕事を請け負っている会社のプロジェクト責任者である、僕の雇い主だけ。 (その彼だって、採用直前までメールでのやりとりだけだったので、僕に会ったときはかなり驚いていたけど、仕事がちゃんとできれば宇宙人でもいい、なんて言ってくれて、うれしかったよ)。

!・・・

君だろ?今僕の後ろから覗き込むように声をかけたのは。
どうして、僕だってわかったんだ?

ドキドキしながら、僕はこのメールを終わらせる。そしてゆっくりと振り返るんだ。

どうか君が笑顔で僕を迎えてくれますように!

 

- 了 -



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