20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:優しい乳房 作者:友里谷 知世

最終回   1
 私の左胸には、生理食塩水入りのバッグが入っている。

月に一回のペースで、注射器で生理食塩水を足していき表面の皮膚を伸ばしていく。
皮膚が充分に伸びたら形成外科の先生が新しい乳房を作ってくれる。
乳房を切除したので、その分皮膚を伸ばさないと新たな乳房が作れないのだ。
最終的に手術でその食塩水バッグを取り出して、シリコンに入れ替えをする予定である。

 食塩水の量が増えていくと左の胸がどんどん膨らんできた。
触ってみると何かに似ていた。
そうだ、これは昔飼っていたハトのクーの胸の感触だ。
まだ乳頭も作っていないスムーズに丸い曲線は、クーの胸からお腹のあたりのラインにそっくりだ。

 以前いた職場の窓のすぐ外にドバトが巣を作り、そこで二つ卵を孵した。
一羽はすぐに死んでしまったが一羽は生きていた。
ただ人間たちが入れ替わり観察するので、ある日親バトがいなくなってしまった。
ぐったりしているところを私の家が近いということで雛を押し付けられた。
それがクーである。
すぐ死んでしまうだろうと思ったら、小鳥の餌と水をスポイトで与えているうちに、どんどん大きくなってきた。
しかし日のあまり当たらない籠で最初飼っていたので、足が変形してしまった。
飛べるようになってから一度窓から放してみたら、カラスに襲われそうになり、目を丸くしてもどってきたので野生に帰すのはあきらめた。
その後ずっと二人だけで生活してきた。
夜遅く帰ってくる私を籠の中で待っていた。
籠から出すと喜んで部屋の中を飛び回った。
私がリビングでうたた寝してしまうと、手をつついていつも起こしてくれた。

 クーは生まれて十一年で死んだ。
ドバトということでみんな毛嫌いして、私だけしかクーのこと知らなかったんだなと思ったら、これ以上ないというほど泣けた。
そんなクーの胸の感触が自分の胸にあることが、私はとてもうれしかった。

「乳癌たいへんねー、私だったら耐えられない。偉いわー。」、
「かわいそう、落ち込んじゃだめだよ、がんばってね。」
この病気になってから、そんな言葉を時々かけられる。
悪気はないと思うからそれだけにやりきれない。
その度にクーに昔よくそうしたように左の胸をなでてみた。
リラックスしたときの落ち着いた低い「グルグル…」という声が聞こえた気がした。

 乳房を再建してくれる形成外科の先生は、いつもやさしく、患者のことをよく考えてくれている。
でも手術がすべてうまくいくとはかぎらない。
左右対称の胸を作るのはシリコンの形が決まっているのでむずかしいのだ。
先生が手がけた患者さんたちの写真を見る機会があった。
50人以上の再建前と再建後の胸を見た。
もちろん本物と違わないきれいな乳房の人も大勢いたが、「あえて失敗例も出します。」と話されていたので、左右アンバランスになっていたり、アンダーラインが揃っていなかったり、そういう人たちもいた。

「お姉ちゃんの胸、今のままでも十分きれいじゃない。」と妹がその写真を見て言った。
「あと乳首を作ると、アンバランスが目立ってしまうかもよ。なくてもアニメみたいでかっこいいかも。」

それからしばらくして病院にかかった。
「もうすぐシリコン入れ替え手術ができますよ。都合のよい日を教えてください。」
先生はやさしくそう言った。
失敗するならこのままでもいいかな。
でもずっと食塩水バッグのままというわけにはいかないし、やっぱり先生に賭けよう。
ずいぶん悩んでから私は決心した。

そしてとうとう先日入れ替え手術を受けた。

数日後おそるおそる鏡で見たら、バランスのよい左右の乳房が並んでいた。
皮膚を立ち上げて作った乳頭も右側の本物とかわらなかった。
先生ほんとうにありがとう!

作ってくれた乳房は少しやわらかくなって、クーの胸の感触はなくなっていた。

クー、ありがとう。
もうだいじょうぶだよ。


■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 435