20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:どじょうとして、生を授かり。 作者:あまね

最終回   1
 目が覚めると、人間の手があった。そして、制服を身にまとい、帽子を行儀よくかぶった青年の姿。
 青年は「できた」と小さな声で呟くと、私から離れ、足早にどこかへ行ってしまった。私は、ようやくはっきりしだした視界の中で、ここが一体どこなのかを知ろうとする。

 目の前には、真っ赤なシートが向き合って並んでいる。その隣、そして奥にも同じ色をしたシートが並んでいる。天井には何本もの革がぶら下がり、その先端は、丸い輪っかがつけられていた。ああ、なるほど。私はこの場所を知っている。そう、たしか「電車」と呼ばれるものの中だ。

 
 しばらくして、先ほどの青年が私の所へ戻ってきた。
「どうか残っていますように」と意味のわからぬ言葉を残すと、ボタンを押し扉を開け外に出て行ってしまう。

 さらにしばらくすると、「電車」の中に大量の人が流れ込んできた。
「押さないで下さーい、押さないで下さーい」いと、大きな声(おそらくはあの青年の声)が響き渡る。
 目の前のシートには、知り合いというわけでもなさそうな、おじさん四人が座り、皆バックを抱え目を閉じている。ああ、思い出した。スーツにコートを羽織った彼らは「サラリーマン」そして今は、「通勤ラッシュ」なのだろう。


 ほどよく、車内は落ち着きをみせる。すると、目の前のシートに座る者も、老若男女、姿をどんどん変えてゆく。私は、その変わる様や、人間観察なんかが、だんだんと面白くなっていった。

 例えば、先ほどまで座っていた老人は、自分の降りるはずの駅を寝過ごしてしまい、慌てたくも周りも目を気にし、年相応、冷静な自分でいようとする努力が傑作だった。

 母親と乗ってきた五歳くらいの女の子。この子は私と目が合うなり、
「ママー見て!ウナギだ!」と声を上げる。「違うわい、どじょうだい」と言ってやりたかったが、この子は私に、とってもチャーミングな髭を授けてくれたので、許してあげた。

 大学生らしきカップルも笑えた。女が、私を見つけると「ねっ、どじょうだ」と男に向かって言うのだが、この男、なんとも無愛想。さらに疲れているのか、「ああ」と一つ返事をしただけで、目を閉じてしまった。
 そこから、大喧嘩が始まる。「ヨシ君はいつもそう!」だとか「お前はいつもうるさい!」なんて言葉が飛び交い、そのうち、どちらかの手が出てしまうのではないかと、私はハラハラしたが、二人の目的駅に到着すると、電車を降りる際、言い合いながらも仲良く手を繋いでるあたりが、なんとも微笑ましかった。


 窓の外の景色は暗くなる。ただ同じ場所を行ったり来たりするだけのこの電車に、少し飽きだした頃、朝のサラリーマン達がまた大勢乗ってきた。こいつらはつまらない、と私は思う。皆疲れた顔をしているし、誰一人として、私に興味を示す者がいないからだ。ふと、私は早くあの青年に会いたくなった。


 
 乗る者も、降りる者もいなくなった時。久しぶりに、あの青年が私の元へとやってきた。
「おっ、すげー!まだいるじゃん!髭まではやしちゃって」青年の喜んでいる顔を見て、私は嬉しくなる。今日はこんな人、あんな人がこの席に座ったということを、一つ一つ教えてやりたいが、体は相変わらず動かないし、口はもちろんきけない。

「どうか、母さんの病気が治りますように」青年は急にかしこまり、私の前で両手をあわせた。
突然のことで、何のことか分からない私は戸惑うも、戸惑う様子など彼には伝わらない。すると青年は、
「ありがとな」と小さな声で呟き、私の尾に手をあて、ゆっくりとそれを消してゆく。

「いやだ!消えたくない!」必死に叫ぶも声は出ない。青年の手はゆっくりと動かされ、私の胴体を消してゆく。その手がついに首元まできた時、私は彼の目から涙がこぼれ落ちるのを見た。

 その瞬間!私は、この青年の願掛けの為に生まれてきた、私の生を、短し我が人生を!心から誇れると同時に、消えゆく覚悟を腹からくくることができた。

 
 どじょうとしての我が人生に悔いなし。そしてあたりは暗くなった。


■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 215