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作品名:すすきのリンクス 作者:マサ

第5回   5
 「お宅のお嬢さんの幽霊が出て、困るんですよ」

 そんな電話がトシフミのもとにかかってきたのは春の日曜日の朝だった。声の主は、札幌・豊平川の川岸に広がるゴルフコース「すすきのリンクス」の飯村支配人。迷惑駐車をマンションの管理人に通報するような、人を急くトゲのある言い方だった。

 トシフミは70歳。すすきのリンクスの40年来の古いメンバーであり、飯村との付き合いもまんざら短いわけではないのだが…。

 意味が飲み込めなかった。
 「ユウレイ?」
 「そう」
 「あの死んだ人間が再び現れるという…あの幽霊?」
 「そうです」
 「うちの娘の?」
 「そうそう」
 「はあ……なんのことかよく分かりませんがが」
 「……ともかくクラブハウスに来てくれません か。心配した佐藤理事長も間もなくお見えになりますから」
 
 普段から底意地の悪いやつだと感じていたが、それが一層にじみ出た飯村の命令口調だった。
 
 幽霊の話かどうかはともかく、娘に関しなにがしかのトラブルが起きているのだろう。トシフミは小首を傾げながら、すすきのリンクスに向かった。

 話は昨年の秋に戻る。
 トシフミの娘ユキが死んだ。45歳だった。すすきのリンクスのクラブハウスのレストランでくつろいでいる途中、突然に逝った。心筋梗塞だった。
 レストランのベテラン女性従業員が目に涙を溜ながら、ユキの最期を話してくれた。
 ユキはその日、コースの月例会に出て、プレー終了のあと、仲間の女性メンバーたち数人とクラブハウスのレストランで食事をしたという。なにか愉快な偶然でもあったのか、しきりに笑い声が湧いた。1時間ほどして仲間たちはユキだけを残して帰り、ユキは窓際のテーブルに移って、静かにウイスキーをすすっていたという。
 「あれだけの美人が、窓の外を眺めながらなにやら所在なげににウイスキーを飲んでいるわけですから、周囲の男性客はもう…」
 女性従業員はほほを涙で濡らしたまま、一瞬思い出し笑いを見せた。
 テーブルのユキはさらに1時間ほどを過ごしたあと、突然持っていたグラスを床に落とし、テーブルに突っ伏して動かなくなった。 駆け寄った女性従業員が急いで119番に電話をしたが、間に合わなかったという。
 「そうですか…娘がたいへんご迷惑をかけ、お世話になりました」。トシフミは彼女に向かって深く頭を下げた。ユキと同じような年輩か。
 「とんでもありません。面倒をみてももらったのはむしろ私の方で……よく悩みを聞いてもらっていたんですよ。お嬢さん、とっても聞き上手な人だったから」
 女性従業員が大きなエプロンで涙を拭った。

 ユキは30歳で離婚し、嫁ぎ先の東京から故郷の札幌に戻ってきた。幼稚園に通う男の子を夫の元に残してきたのが気がかりだった。
 多くを語らないが、夫の実家は並外れた財産家であり、主に子供の将来を考えた末の決断らしかった。トシフミが「子供には母親が第一だ。金なんかなんとかなるだろう」と水を向けても口をつぐんだままだった。
 ユキには司法書士の資格があり、札幌市内の法律事務所に職を得た。トシフミも税理士事務所を経営しているが、それには頼らず、さっさと自分で食い扶持を確保したのだ。
 豊平川を見下ろすマンションの一室を買った。その近くに広がる「すすきのリンクス」のメンバーになった。同じメンバーズボードに父娘の名前が記された。
 「ゴルフの目的? ダイエットよダイエット。スタイルを良くしてまた<いい人>も見つけなくちゃ」と言い、口を大きく開けて笑った。
 プロに習い本格的に練習した。2年で、ハンディ15まで進んだ。
 ユキは人の心をつかむのが上手だったが、特に若い女性に奇妙なぐらい人気があった。当然女性ゴルファーの仲間が増えた。冬場はグループで沖縄やハワイに遠征した。いつもユキが幹事役だった。遠征仲間の1人がトシフミに「ユキさんの手配はいつもほぼ完璧。どうしてあすこまで気がつくのかと、不思議に思うくらいなんです」と言ったことがあった。
 
 離婚から5年ほどして、ユキの東京行きがめっきり減った。それまでは2カ月に1回、正確な定期便として、子供に会いに出かけていた。食事をし2人でホテルに泊まる。それが元夫側との、弁護士を入れた約束事でもあった。
 事態の変化のわけを聞いてみると、ユキはらしくない小さい声で「私、あの子に嫌われ始めたらしい」と言い、目の中の涙がみるみる膨らんだ。
 東京行きは減ったが、その分ゴルフ場通いは増えた。         

 ユキが死んで1週間後。机の引き出しに、彼女が書いた1通の手紙をみつけた。
 便せん1枚に、「お願いがあります。もし私が死んだら、骨は砕いて、すすきのリンクスの土に埋めてください。現実的な面倒はいろいろあるとは思いますが、ぜひ頼みたいのです」とだけ書いてあった。
 いわゆる<散骨>の依頼である。
 日付があり、ユキが36歳のときに記したものだと分かった。
 宛名はなかった。

 子供の願いを叶えてやりたくない親はいない。すくなくともトシフミはそう確信する。

 散骨について調べてみた。日本には「墓地と埋葬に関する法律」という基本ルールがあり、過去のもめごとの際に国が示した基準が現在でも有効である。

 ポイントは三つだ。㈰散骨は違法ではない㈪散骨場所の土地所有者の了解は当然だが、周囲の関係者への配慮も必要㈫粉砕後の骨の粒子はおおむね砂粒以下とする。
 
 つまり散骨はOKなわけだ。普通に気を遣うことを前提として。
 コースに相談をしてみた。支配人の飯村は、予想した通り、苦虫を噛みつぶしたような顔で「そりゃ無理ですよ」と言下に拒絶した。「法律はどうであれ、コースのイメージダウンにつながりかねません。万が一、客足が遠のいたら、取り返しがつきません。この経営難のときに、いくら古いメンバーさんの申し入れといっても…」。金勘定しか頭にない男だなあとあらためてため息が出た。
 
 しかし、話を伝え聞いた高木というコースの理事が「いいじゃないか。願いを叶えてやろうよ」ときっぱりと手を挙げて言い出した。
 高木の年齢は、60がらみ。不動産会社の経営者といい、ゴルフコース「すすきのリンクス」を所有・運営する株式会社「すすきのリンクス」の大株主でもある。
 「ユキちゃんほど、このゴルフ場を愛した人間を俺は知らない。かまわないと思うよ…だれに知られたって。美人の骨が眠るゴルフ場なんて、すてきだよ」。トシフミ、飯村、高木の3人がいる場で、高木は大きな口を開けて明言し、豪快に笑った。
 ユキの言っていた<いい人>は、もしかしてこの高木だったかも。トシフミはふとそんな気がした。
  
 臨時の理事会では散骨がすんなり認められた。ひとえに高木が大株主であるということが幅を利かせた。

 骨をまいたのは雪解け直後の穏やかな午後だった。トシフミ、高木、レストランの女性従業員ーの3人が、14番ホール(パー4)の途中、林の中に立った。
 ここはユキがよくティーショットを打ち込んだ場所だというのだ。
 「ユキちゃんのドライバーは男並に飛んだからね。林に向かうユキちゃんは<しかたがないなあ>と一瞬肩をすくめるようにしたよ。ボールがみつかると、表情を引き締め、スッと構えて、木の間から果敢にグリーンを狙ったのものさ。かっこ良かったなあ」。高木が1本の木をなでるようにしながら、遠くで風に揺れる赤いピンフラッグを眺めた。
 
トシフミは、木箱の中から、骨を取り出した。ユキの骨はすでに細かく砕かれ、目の細かい布袋に包まれている。
 砕いてくれたのは、東京の専門業者だった。散骨を全面的にサポートするという広告をみつけ、宅配便で骨を送ると、砂粒状に砕いてまた宅配便で送り返してくれた。
 宅配便にはたして人骨を託して良いのかためらったが、業者の担当者は明るい声で「うちは千件以上の実績がありますが、これまでトラブルは一切ありません。日本の宅配便は優秀ですから」と答えた。
 
 ユキがよくボールを打ち込んだというあたりを、3人はスコップで掘り返した。雪解けの水が地表からしみ出した。
 地表に向かって合掌したあと、一握りずつ骨をまいた。まかれた骨は大部分、黒く濡れた土に付着して落ち着いたが、残りは風に巻き上げられ、豊平川の方向に流れていった。
 土を被せると、畑に春の種をまいたあとのようなありふれた風景に戻った。3人は、また合掌した。一連の手順は、東京の業者が送ってくれたマニュアルに沿ったものである。
 合掌する高木のほほに涙が伝っていた。これまで見せてきた豪快さからはうかがえない涙だった。
 この男は、やはりユキの<いい人>だったのだろう。トシフミはそう確信した。
 最初のうちは微妙な違和感はあった。生地も仕立ても悪くないが、肝心の色合いがしっくりこないコート。そんな違和感だった。
 しかし、ここにきてうれしさがこみあげてきた。感謝の気持ちも膨らんだ。ともかく、そのコートはある期間ユキを温めてくれたのだろうから。

 <ユキの幽霊が出たって?>と自問し、小首を傾げながらトシフミは佐藤理事長、飯村支配人の待つクラブハウスに向かった。
 クラブハウスの会議室に入ると、この2人のほか、見知らぬ3人が理事席に着いていた。3人とも睨みつけるような視線をこっちを送ってきた。
 「…高木理事はお見えになっていないんですか」。トシフミは聞いた。
 飯村が、顔の前で手を左右にひらひらさせながら「高木理事さんは、体調を壊して入院中のため今日は欠席です」とそっけなく答えた。そうか高木はいないのか。
 理事長の佐藤は、目を閉じたまま生あくびを繰り返している。
 理事3人が、機嫌悪そうに、それぞれ思いついた解決策を口にした。「散骨した場所周辺の土を撤去し、散骨前の通りに復元する」「宗教者(僧侶か神父か)に依頼していねいにお祓いをしてもらう」「経過と事後の結果を理事会で詳しく報告する」「関係する費用は一切トシフミの負担とする」。
 ー彼らの案を総合するとこうなった。
 「わかりました。その通りにしましょう」。トシフミは即座にそう応じた。事前に用意した言葉とは違うものが突然口から流れ出した。「その通りにしますが、その前に私が娘の幽霊に会ってみましょう。娘の言い分も聞いてやりたいんです。なぜ幽霊になってゴルフコースに現れるのかたずねてみたいんです…ハイ」
 明朗な口調に自分でも驚いた。
 5人は、ハッとした表情でこちらを見た。佐藤理事長の目も大きく開いている。<幽霊なんて言いがかりはやめろ><誰かの出任せを真に受けるつもりか><科学的で合理的な証拠を示せ>。トシフミのそんな反応を、きっと予想していたのだろう。

  
 次の日から彼は、幽霊の噂のルーツを探った。心当たりのあるメンバーに会い行った。
そこからさらに手がかりをつかもうとした。
 30人余りに会った。しかし、「この目で幽霊のユキを見た」と明言する人物はいなかった。<そのな噂があると、ある人から聞いたよ>という伝聞証言がただ積み上がっただけだった。
 
 トシフミは、自分でコースを歩き始めた。歩いているうちに何か手がかりがつかめるかもしれない。
 毎日歩いた。せっかくである。プレーを楽しみながら歩いた。バッグを載せたカートを手で引きながら、一人だけで。
 これをを機に、経営する会計事務所の社長職を40代の専務に譲り、自分を自由の身にした。
 自由にして頭を空っぽにした方が、ユキからのメッセージを受け止めやすい、と思ったからだ。
 歩き始めて3カ月がたった。札幌の季節は
春から秋に移っていた。ユキはなんの気配もみせなかった。
 この日も札幌の秋特有の冷たい風が吹いていた。空は青い。秋晴れである。14番ホール・2打地点。トシフミのドライバーショットは、お誂え向きに、林に飛び込んだ。散骨をしたあたりに、ボールが止まっていた。
 「ユキちゃん、君はどこにいるんだ」
 ボールに向かい、心のなかで呼びかけてみた。
 3カ月の間、毎日繰り返してきたことだ。
 トシフミは息を止めて何かを感じようとした。
 しかし、やはり静かである。 
 ふーっと大きく息をはいて、そのボールをグリーン方向に打とうとした。
 と、風が急に強まり、木々を大きく揺らした。色付き始めた葉が何枚か頭上に落ちてきた。見上げると、枝の間に空が広がり、雲がゆっくりと流れている。
 その雲が、ユキの顔に見えた。


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