どうも気に入らなかった。
なんとも好きになれなかった。
どこがどう気に入らないのか自分でもよく分からない。
しかし、どう自分の心を揺り動かしてみても、最後に拭いがたい違和感を見つけてしまう。
<始末に負えないわ>礼子はそう思って自分の心理が嫌になり、窓の外を見た。 彼女の部屋はマンションの高い階にあった。
夏の盛りに入ろうとする札幌の街が広がっている。
気に入らないというのは、25歳になる娘の彼氏のことだ。 「結婚を前提に付き合っている」と神妙な顔の娘が、彼を自宅に初めて連れてきたのは3カ月ほど前のことだった。
シュンという名前で23歳だという。
礼子と娘は、母ひとり・子ひとりだった。
礼子は娘の彼氏の登場を大いに喜んだ。 娘の仕事は市役所の職員。シュンの方はというと、プロゴルファーを目指していて、札幌・豊平川の河川敷に広がるゴルフ場「すすきのリンクス」の研修生だという。 プロゴルファー…結婚…いじゃないか、どうぞ。娘の職業は安定しているから、仮にゴルファーとして食えなくても心配はないし…。 最初はそう思った。 シュンは、しょっちゅう母娘の家に来るようになった。食事をし酒を飲み、勧めると泊まってゆくようにまでなった。 好青年だった。優しい男性だった。笑顔がさわやかで、聞き上手だった。最近の成績からして、プロテスト合格も間近のようだった。 しかし、なにか物足りなかった。決定的に近いなにかがー。 シュンはしょっちゅう携帯電話を触っていた。日に何10件ものメールを、限られた友人とやりとりしているらしかった。
例えば新聞など、ほとんど読んでもいなかった。「シュン君はどんな本を読んでいるの?」と聞いてみたが「いや文字が不得意で…」と首すくめるだけだった。
<今の若者は、自分の周囲半径3メートルのことしか興味がない>
そんな世相評論家の分析を聞き、納得しながら、シュンの顔を思い浮かべて無性に腹が立ったことがあった。
礼子は60歳のピアニストである。3歳からピアノを習い、高校1年生のときに、全国コンクールで優勝した。音楽大学でのピアノ修行を周囲は勧めたが、礼子は早稲田大学の文学部に進んだ。
学生運動の最盛期だった。礼子が学内の運動グループに加わった直後、グループの20人ほどが講堂の奥の小部屋にたてこもった。 大学の方針に反対し、大学の自治を身をもって守るというようなスローガンだったろう。 見るもの聞くもの、すべてが新鮮だった。
礼子の主な任務は食事の用意だった。あれほど真っ正面から対立しているはずの大学当局が、講堂の電気や水道を止めないのが不思議だった。
事前に持ち込んでいた食料は3日ほどで底をついた。 大学の裏門から出て買い出しに行った。表門は警官隊がものものしく身構えていたのに、裏門は閑散としていた。
身を屈めるようにして扉をくぐる礼子に、裏門担当の守衛さんが、小さく手を挙げて会釈した。すべてを承知したような笑顔だった。驚いた礼子も深くおじぎした。なにか狐につままれたような気がした。ある種の緩い出来レースの中に組み込まれているのかもしれない。
「君たちは、ひとりよがりの甘チャン集団である。現実の全体像を見つめよ」。そんな趣旨の文書がたてこもりの途中で、流れてきた。大学院の保守的なグループが書いたものらしく、たてこもりの仲間たちは口を極めて反発した。 礼子は、その文書にピンとくる箇所があったが、全体として、特に根っこの部分で違和感を持った。底意地の悪い人たちだなとも思った。
世の中を変えようという純な思いを優先せずに、なにを優先しようというのか。そう叫びたかった。 後に夫になるヒトシもたてこもり組の一人だった。
ヒトシは無口な方だったが、ごくたまに饒舌になり、宮沢賢治の詩をいくつもそらんじることができた。 「雨ニモマケズ」のうちの 「欲はなく けっして怒らず いつも静かに笑っている 1日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず」 の部分を好み、とりわけ<自分を勘定に入れない>という心性に圧倒される、と強調した。
そう話すヒトシの目は輝いていた。輝く目を見る礼子の胸もときめいた。
機動隊が踏み込んで来たのは、たてこもりから10日後のことだった。激しい雨の日で、雷鳴が遠くから聞こえていた。
突然の機動隊の動きだった。封鎖していた扉をドーンという音とともに一気にこじ開けた。入り口を守っていた仲間数人が、あっという間に身柄を拘束された。
「逃げろー」。リーダーが叫び、礼子を含む残りが、逆方向の扉に突進した。 つまずいた礼子は、床に激しく倒れた。機動隊員の硬質な足音が近づいた。 と、そのとき、背中が何者かの体で覆われた。荒い息ともに、「礼子ちゃん、大丈夫だからね」とのうめき声が聞こえた。ヒトシだった。
そうか倒れた私を、機動隊員から守ってくれようというわけか。それで守れるかどうか、現実的な意味はともかく、うれしかった。 「大丈夫、お嬢さんに手荒なことはしないから」。機動隊員の一人がひざまづいて、ヒトシの肩をポンポンと叩きながら、こう言った。 言いっぷりから、隊長格だろうと想像できた。ヘルメットはかぶっていたが、顔面を覆う透明な樹脂はなく、落ち着いた素顔が見えた。
大学を出るとヒトシは国設の研究機関の事務職に就いた。礼子は1年遅れで卒業し、間もなく2人は結婚した。しばらく子供は生まれなかった。
ヒトシは農薬を使わない有機農業に興味を持ち始め、公務員の職を辞し、関東地方のはじの方の村に独自の農園を開いた。 「やっとオレの夢が実現した」と繰り返すヒトシに礼子もうなずいた。 35歳の礼子に女の子が生まれた。ヒトシの喜びはひととおりではなかった。 しかし、ほどなく致死の病が彼を襲い、彼はあっけなく逝った。涙が枯れたころ、礼子は遺骨を遺言通り農場の真ん中に埋めた。
礼子はピアノを再開した。半年でコンサートを開けるまでに腕が戻った。自分でも驚きの回復だった。 ふるさとの札幌に戻りピアノ教師を始めた。生徒は増え、CDも出した。
すすきのリンクスを礼子とシュンがラウンドしている。平日の正午過ぎ。ふたりだけで話す機会を増やそうと、彼女から声をかけた。 ピアノで食えるめどがついたころ、生徒の親からゴルフを勧められ、彼女は数年でハンディ15まで上達した。 だから研修生であるシュンの相手もできる。
すすきのリンクス15番ホール、ティーインググラウンド。急にあたりが暗くなった。雨が降り出した。見上げると夏の積乱雲が、天頂に向かってもくもくと伸びている。雨足が強まった。 「降ってますね…クラブハウスに戻りましょうか」。心配そうな表情のシュンが、礼子の顔をのぞき込むようにしながら言った。
<あと4ホールだから、もっったいないわ>と彼女が言いかけた途端、頭の真上に大量の光があふれた。目の中が真っ白になり、ドーンという衝撃音とともに体が揺れた。
次に、これまで聞いたことのない大きさのグングングンというような轟音がやってきて、腹までを響かせた。
危険を感じ、ひざを折り、ティーインググラウンドにうずくまった。
「伏せてくださーい」。シュンのかん高い声が響き、背後のシュンが全身で覆い被さってくるのが分かった。
どれくらい時間がたったのか。ひどく長い気もしたが、おそらく10メートルのロングパットが転がりだしてから、決まるまでの時間程度だったろう。
気が落ち着くと、一転してあたりは静かになっていた。雨音が響いているだけだ。
そうか近くに雷が落ちたのか。
自分の鼓動が大きい。シュンの荒い息が聞こえる。彼の鼓動も背中に伝わってくる。
ティーインググラウンドそばのニレの大木が目に入った。幹が左右に大きく裂け、内部の白い肌が外にさらされている。湯気のようなものも立っている。
この木に雷が落ちたらしい。木が避雷針の役を果たしたというわけか。
礼子のピアノの生徒に以前、北大の大学院で雷を研究している博士おり、雑談のなかで雷のメカニズムについて教えてもらったことがあった。
それを思い出した。 今回の場合、札幌の中心部に発生した上昇気流が、途中で冷やされて水滴をつくった。さらに高い空でアラレや氷の結晶に。アラレや結晶は、上昇気流にあおられながら、激しくぶつかることで、大量の静電気が生まれた。
上空と地表間で、電位差が生じ、限界を超えたところで放電現象が起き、稲妻となった。稲妻の電力は、家庭用のエアコン1台を40年、休みなく運転し続けるほどのパワーだったかもしれない。
ニレの木に落ちた雷は、樹内の水分を爆発的に水蒸気に変えた。その際の力が幹までも破裂させた。
ーーというプロセスだと推察された。
<おかしい。かなり以前に聞いた知識なにに、なぜこんなにスラスラと頭がはたらき、筋道をまとめることができるのか>
彼女は不思議な気になった。
<あの博士の教え方、抜群に上手だったからね。それとも雷のショックで脳の回転がスムースになったのか>
事実上、命拾いをした場面なのに、なんだか口元に笑みも浮かんできそうだった。
背中のシュンは動こうとしない。次の落雷に備えて、彼女を守り続けようという気らしい。
上から覆い被さるのが、なにかの足しになるのか分からない。雷がその気になれば、どんな形のふたりでも、一瞬のうちに感電死させることができるだろう。
しかし彼女はシュンの心がうれしかった。遠い昔のヒトシの重さを思い出していた。
「いつも意地悪なことを言って、ごめなさい。今回はありがとう」 彼女が言った。 シュンは黙っていた。<意地悪なこと>に思い当たるふしがあったからだろう。
空が少し明るくなって、落雷の心配が去った。
その日から、ふたりはなんでも言い合える仲になった。
シュンと娘の結婚式の日だった。雷の日からちょうど2年がたっていた。この間に、シュンはプロゴルファーのテストに合格した。
結婚式は、すすきのリンクスのクラブハウスで行われた。
ロビーの中央にピアノが据えられている。ステージ衣装に身を包んだ礼子が、鍵盤に手をかけた。
弾き出した曲は、サティのピアノ小曲集「スポーツと気晴らし」だった。 参列の客は驚いた。<娘の結婚式に弾く曲は、宮沢賢治が好み、ヒトシと繰り返し聞いたベートーベンの「田園」なの。ピアノ用に編曲されたのがいろいろあるし…>。以前から言っていたことだから。
サティの「スポーツと気晴らし」は21曲からなり、礼子はこのうち、「ブランコ」「花嫁の目覚め」「カーニバル」「いちゃつき」と4曲を1度づつ演奏したあと、「ゴルフ」を3度繰り返して披露した。
「ゴルフ」の長さは30秒程度。スコットランド風衣装のフランス軍人が、ゴルフ場でショットをしたところ、クラブがきらめきながら空を飛んでゆくーという光景を音楽で表現したという。
多彩な音がユーモラスに綴られる。
礼子は泣いていた。泣きながら弾いた。
25年前にヒトシが死んで以来の涙だった。
札幌の空は雨模様らしい。
遠くから雷鳴が聞こえてきた。
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