男は末期ガンだった。 まず肝臓がやられ、既に四方八方へ転移していた。 医師は、おおらかな顔で「覚悟をしてください」と告げてきた。
やり残したことがひとつあった。 ホールインワンだ。 40年のゴルフ歴、1500を超えるラウンド回数からして、ホールインワンを1発もものにしていないのは、なんとも間尺に合わない気がしていた。
すすきのリンクスを、いつもの仲間と回った。この顔ぶれでプレーするのは、100回を超えただろうか。キャディも馴染みのベテランが配された。 仲間のだれかが事前に伝わるようにしたのか、男が末期ガンであることを、キャディも承知していた。言葉の端々からそれが分かった。
「今日はホールインワンが出そうだよ」 仲間のひとりが、何かの拍子にそう言った。優しい目が男を向いていた。キャディを含めた残りの3人は、ゆっくり顔を見合わせるようにした後、それぞれうなずいた。
すすきのリンクス、7番・ショートホール。190ヤード。 すすきのリンクスは、札幌市の中心部を流れる豊平川の河川敷に設けられ、歓楽街・薄野にほど近いことから、このコース名がつけられた。
男は5番ウッドを構えた。7番ホールのティーインググラウンドは堤防のそばにあり、流れに近いグリーンまで緩い下りになっている。グリーンは受けていて、全体の起伏がよく見える。今日のピン位置は中央やや奥だ。
季節は初夏。正午過ぎの陽光がきらめく。川風がほほに爽快だ。
体に脱力感がある。ガンの開腹手術の影響だろう。痛み止めの薬は全身のだるさを伴う、と聞いた。仕方がない。
しかしなぜだろう、最近のスコアは悪くない。この日も、自分のハンディキャップからすれば、3アンダーだ。 経過はどうであれ、体から力が抜けるというのは、スコアサイドからすると大歓迎ということらしい。奇妙なものだ。
5番ウッドを振り抜いた。ボールは、定められたロフト通りに浮かび上がり、微風を同伴するようにグリーンに向かった。
エッジから5ヤードほど奥に落下。数バウンドした後、滑るように真っ直ぐグリーンを進みながら徐々に減速。最後は問題のないショートパットのように、余裕の表情でカップに転がり込んだ。
どれぐらいの時間だったのか。5人とも、しばらく声を出せなかった。風が吹き渡り、堤防そばの道路を行き交う自動車の音が響くだけだった。
やがてキャディがこう口を開いた。「こんな、きれいなホールインワンは初めて見ました」 いったい、ホールインワンにきれいなのときたないのがあるのか。男はよく分からなかったが、ともかくきれいだったのかと嬉しくなり、キャディに深々とおじぎして、握手をした。
残り3人が、顔をくしゃくしゃにして取り囲み、順に握手を求めてきた。
ありがたいなあ。男は青空を見上げた。不思議な力に包まれている気がした。
「ありがとう」。つぶやきが自然に口からもれた。
せせらぎの音が聞こえている。
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