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作品名:S・O・S : S-CITY OF SYADOWS 作者:ふ〜・あー・ゆう

第9回   9
深夜、ゴルゴダの襲撃は無かった。部屋に戻るとマチェクから連絡が入った。倉石は明け方に来るという。素材としてわざと捕獲された彼は今、街に住むための初期の洗脳を施されている。幻覚剤を打たれて催眠をかけられているようなものだ。当然、マチェクが解毒剤を渡しているから効き目は無い。所員数人を眠らせてから、ここに来る予定だ。もちろん、眠らせるのは永遠にということではない。ミストはターゲット以外の処分は原則、認めていない。マチェクも例外規定を利用出来るとき以外は処刑レベルのアイテムは使わないそうだ。だが、例外規定がどんなものかは気になる。彼らは任務が済んだら教えてやるといっているが、定かなもんじゃない。俺はマチェクが戻ってくる前に部屋を出て、単独で施設の調査を始めた。彼らを全く信用しないわけではないが、俺自身で戦場を確かめたかったからだ。数人は眠らせることになるかもしれない。だが、マチェクの話からして状況は急を要する。倉石が所員を眠らせてから来るということはその発覚、もしくは発覚直後までにはケリをつけるということを意味するだろうからだ。俺が眠らせた奴らが見つかる頃には仕事が済んでいるということだ。つまり、勝負は一両日中になるというわけだ。一部施設内所員の不明といった異常は感知されるが、その調査の前に仕事は済むだろう。ならば、俺が動いても支障はあるまい。左右にいくつかの居住施設の扉が並ぶ真っ白な長い廊下を数百メートルほど歩いていくと観葉植物の植え込みが見えてきた。そこに壁は無くガラス張りのオフィスが見えている。ソファとテーブルも配置されていて、商談も行われているような部屋だ。中に人の気配は無い。侵入は容易だった。普通のオフィスやマンションとさして変わらない。オートロック式の鍵を使って開ける仕組みだ。シリンダー内の突起と個人の持っている鍵のくぼみの特定の配列がかみ合えば開錠できる。トップシークレットを扱う施設のセキュリティだと考えると何とも簡単な仕組みだ。ここまで入れる人間は相当のチェックがなされているからなのだろう。ほぼフリーパスに近い状態で出入りが出来るわけだ。ターゲットの使う社長室はこの奥にあるのか、それとも別室か。いつもこの施設内にいるのではないのだろうが、二人が潜伏したということはどこかにターゲットの専用ルームが用意されているはずだ。俺は明るい部屋の中を低い姿勢で移動する。奥にサンプル・ルームという表示が見えた。このオフィスの中にある別室はそこだけだ。俺はふとジェシーの顔を思い浮かべた。サンプル・ルーム・・・、彼女はここにいるんじゃないのか。・・・・いや、分析するなら研究施設のあるブロックか・・・・。しかし、ここは顧客らが出入りする部屋だろう。中を見ておく意味はある・・・。鍵はオフィスの入り口に比べ、やや厳重そうな電子錠だ。とは言え、個体を認証するタイプのものではない。俺はかつて、倉石から渡された開錠ツールを襟足のポケットから取り出した。細い棒状のツールをロックの隙間に差し込む。さて、電流を流すか、ワイヤレスの小型イヤホンで内部の音を聞きながら開錠してみるか、あるいは先端から爆薬を注入して鍵そのものを破壊するか。・・・時間が無いな。俺は爆薬を注入して鍵を破壊した。爆発音自体はオフィスの外にはほとんど聞こえないはずだ。サンプル・ルームの中に誰かがいれば通報されるだろう。俺は扉を開けると同時に内部に入った。誰もいない。その瞬間、俺は凍りついた。液体の満たされた縦型のカプセルに浮かぶ人体、臓器・・・。壁に埋め込まれた横型のカプセルには液体は無く、プラスティネーション加工されていると思しき人体が個別に複数展示されている。どういうことだ?奴らのビジネスは闇のシンクタンク。人体や臓器の保存とどんな関係が・・・。やつらは子ども達を臓器売買の闇ブローカーから救っているとも言っていた。開頭はするが命は取らないのだと・・・。そのとき、部屋にはいってくる複数の足音が聞こえた。時計を見る。午前四時。仕事が始まる時間なのか。この程度の調査に思ったより時間がかかってしまった。表の鍵は閉めておいたから怪しまれてはいないはずだ。だが、この部屋の鍵は黒こげだ。足音からすれば、人数は二人。大したことは無い。通報される前に片付けるしかない。俺は扉の裏に隠れて所員が近づいてくるのを待った。異変に気づけば、一人は踵を返し警報ボタンに向かうだろう。もう一人は警戒しながらこちらへ来るか、あるいは扉の前にとどまるか・・・。いずれにせよ、その瞬間に目の前の敵に体当たりし、もう一人には背後から仕掛ける。それだけだ。足音は扉の前で止まった。一瞬の静寂。俺は先手を打って外へ飛び出そうとした。首筋に薄く鋭いクリスタル・ガラスが触れる。瞬間に俺は体を静止した。「上出来です。」刃物が喉元を離れた。「あわてるな、播津。入るぞ。いいな。」マチェクと倉石だった。「久しぶりだな。」倉石は鍵のこげた扉を締めて、中に入ってきた。「マチェクからお前が単独行動に出たようだと聞いたんで、お前が最初に立ち寄りそうな部屋を案内してもらったんだ。」マチェクは外で見張りをしている。エリート所員として疑われていないから、うってつけだ。マチェクは手にした携帯電話の画面をスライドしながら、たぐりよせるようにクリスタルガラスのナイフをしまいこんだ。折りたたんであるアンテナはニトロ・カプセルの注入ツールになっている。もちろん、一般のケータイ電話同様の諸機能や特殊な通信機能、盗聴機能なども備えたアイテムだ。「商談は明日の深夜です。社長も来ます。」マチェクが扉越しに言う。「どうだ。ミストの仕事は。」倉石が尋ねてきた。「俺は彼女の為に来た。」「彼女もミストだ。」「俺は裏切るかも知れねーぞ。今のうちに殺っちまったらどうだ。お前はどうにかなるが、マチェクには勝てる気がしねーからな。」「それも一方法だが、ミストは自身のエージェントを社会的に抹殺することができる。リークしても単なる嘘として葬り去られる。」「うそつきな役立たずの人間にしてしまうわけか。」「命があるだけましだろ。警察や国家の諜報部が追及してもミストは決して尻尾を出さない。結局背いたものは誰からも信用されなくなる。」「選択肢は無しか。」「少なくとも、マチェクと渡り合うのは無理だろ。お前と心根が違う。あいつはためらわない。彼はパニッシャー・エリートだ。ミストが提示した本命人物を的確に処分する。手口は荒っぽいが世界トップレベルのテクノロジーを駆使する彼にかかってはターゲットは逃れようも無い。警察関係者はロボットか未来の使者による手口としか思えない。対して、俺の専門は調査とスカウトと偽装工作だ。その際に最小限の殺しが絡むことはあるがその程度だ。お前もその点はわかってるだろ。」「じゃ、お前は何のためにここへ潜入したんだ。ターゲットを仕留めるのにお前の専門は必要ないだろ。」「俺もお前と同じさ。彼女の為だ。」「本気か。マチェクから聞いちゃいたが。そんなことをミストが容認するのか。」「ある程度は自由裁量だ。それに今回は俺のスカウトしたお前の実地テストの意味もある。」「お前がいちゃ、かえって足手まといだぜ。」俺は虚勢を張った。「わかった。じゃ、仕事を確実にこなしてもらう為にいくつか話をしてもいいか。」「ここまで来たらやるしかないからな。面白い話ならいいぜ。」「長い話になる。だが、お前には知っておいてほしいことだ。それが仕事の原動力にもなる。」そのとき、扉がカチャカチャ鳴った。俺は殺気立ったが、倉石は落ち着いていた。「今、破損部をカモフラージュしました。これで扉は異常なしに見えます。私はデスクで仕事の振りをしてますから、ゆっくり話してください。」マチェクの声がした。「あっ、もちろん盗聴もされてますから、妨害はしときますよ。」マチェクはケータイを開き、部屋の中の複数の集音機器にマチェクの発信する電磁フィルターがかかっていることを再確認した。俺はマチェクと倉石のコンビネーションに少し羨望を感じた。結局、俺一人じゃ何も出来なかった。マチェクがいなけりゃ今頃、実験台だ。茂津を始末したのもゴルゴダで俺じゃない。俺はシートに包まっていただけだった。この二人はまるで戦友だ・・・、闇で闘い続ける正義だ・・・。「聞いてるのか、刑。何考えてる。ここは戦場だぞ。ボーっとすれば命取りになるぜ。」倉石の静かな声が頭に響いてきた。「すまん。」俺は我に帰った。「今回のビジネスでは冷凍保管された偉人の脳の一部を他人の脳内に移植、再生させるつもりらしいが、実際のところ、これはまだ無理なんだ。」「じゃ、はったりなのか。」「今回の件に関してはな。死後1年以上経った脳での成功例は聞かされていない。」「1年経っていなければ成功しているのか。」「脳から抽出した記憶の一部や運動能力の再生が数人で成功しているらしい。もちろん、成果は公にはされていないがな。でも、お前も知っているだろう、例のパイロットの失踪を・・・。闇のシンクタンクは最先端の科学者たちに行き過ぎたバイオテクノロジーの実験を可能にする場を提供しているんだ。」「しかし、そんな優秀な科学者が参画しているなら闇の存在にはならないだろ。」「もちろん、1をスカウトするんじゃない。1になれなかった無名の人物に当たりをかけるんだ。1の所作をつぶさに観察していたようなそれでいて目立たない人物にね。本来は野望をもたない従順な医学オタクタイプの人間に揺さぶりをかける。そのうちに野心が目覚める。それに乗じて本格的にスカウトする。もちろん、拉致してきた学者も中にはいるがな。」「それじゃ、白衣の連中も犠牲者じゃねーか。」「そうも言えるが、いい大人だ。やってきたことの償いはしてもらう。」「でも、一括りにして殺るってのはひどすぎないか。」「何言ってんだ。お前は戦場で相手がなぜ兵士になったかなど考えもしないで倒してきたんだろ。家族や仲間を人質に取られて前線に出ていた俄かづくりのゲリラや政府軍兵士なんてのはザラにいるんだからな。」「その通りさ。だから、俺は闇雲な殺しはもう。」「やはり、お前はマチェクとは違うな。俺のチームに入れてよかった。お前がストッパーになる。」「まだ仲間になるとは・・・。」「頑固だな。いや、女々しいくらいだ。てめぇのしてきたことは今よくわかっただろ。だから、罪滅ぼしでミストに従えといってるんだ。寝ぼけるな。」俺は返す言葉が無く、倉石の顔を見ることができなかった。「よく聞けよ。」倉石はゆっくりと話し出した。「俺達のターゲットは彼ら科学者を炊きつける指示を出した張本人たちだけだよ。原則としてな。」「つまり、社長と・・・・、所長だけか。」「ほっとしたようだな。」倉石がしたり顔で言った。「マチェクがどうでるかはわからんがな。でも、これだけの組織が相手だ。必要なときに躊躇すればお前がやられるだけだ。そのときは俺たちがお前の体を処置する。」「処置?」「ただ死んで楽になれるとは思うなよ。ミストとのつながりをきっちりと断ってもらう。」「どうするんだ。」「ミストはゴルゴダのようなターゲット以外の処分を原則として許さない。それだけミッションは難しく、命を落とすこともあれば、第三者に見られることもある。お前は誰かに見られたらどうする。」「そいつを消すのか・・・。」「バカか。それこそ闇雲な殺しじゃねーか。」「バカ・・・。」「見られたのは、てめーのヘマだろ。見た奴を消すのが死ぬのを覚悟してきた人間の考えることか。甘すぎるぜ。」「死ねということか。」「それだけじゃ足りねーんだよ。処置を施してくれなきゃな。」「そこは私が話しましょう。」マチェクが部屋に入ってきた。「その前に確認です。ミストのエージェントになってくださいますね。ジェシーさんも、それを望んでらっしゃった。」完全に俺の負けだった。粋がっていただけの死にぞこないのナルシストだった自分に気づかされた。俺はうなづいた。しばらくあとにマチェクから聞いたのだが、倉石はあらゆるトラップを仕掛けるのが手口で、それは相手を拉致する為にすれ違いざまに催眠スプレーをふきかけるような直接的なものだったり誘き出すための巧みな話術だったり謀略戦術だったりするということだった。つまり、必要な時には饒舌にもなり、あるいは脅す口調にもなる。おれはまんまと倉石にしてやられたのかも知れない。しかし、倉石はもともとあまり多くを語る男ではない。このときの言葉は俺の心に深く刺さる真実を含んでいた。その真実に俺は打ち負かされた。あるいは目覚めさせられたのだ。倉石はマチェクに目配せをした。「あなたの思ったとおり、見られたときは自ら消えるのが暗黙のルール。ですが、たとえ爆死しても体の一部から素性がばれてしまいます。近くに溶鉱炉でもあれば、それに飛び込めます。しかし、そんな現場は滅多に無いのでこれを使います。」マチェクは放射線マークのついた2本のスティックを取り出した。「これには致死量の数倍の放射性物質が入っています。2つをドッキングすることで中身が開放され即死します。核汚染された遺体は誰も鑑定したがりませんし、、鑑定したところで遺伝子も全て破壊されています。個人を特定する情報を取り出すことはほとんど不可能です。ただ、何がしかの組織の存在は確信されることでしょう。でも、それが突き止められることはありません。ミストの方がはるかに上手ですから。」死を受け入れて生きてきたつもりの俺は倉石の言葉に続き、マチェクの言葉にも身震いを隠せなかった。「処置」とは、人としての死を認めないということ。その肉片までも最悪の物質に変える作業を意味していた。「さすがにビビるだろ。俺も同じさ。これの世話になりたかないから生き延びてこられたんだよ。」倉石が冗談っぽく笑みながら呟いた。マチェクは再び、出て行った。「ところで彼女の頭の手術痕を見ただろう。あまりに稚拙な実験だ。優秀な人間の脳から抽出した神経組織の移植と洗脳教育システム。偉人のDNAを少しでも優秀な人間の脳に移植することで偉人の復活が可能だと考えている。」「元の人間の意志など、おかまいなしだな。」「そのあたりもいじって新しい人格が侵食しやすいようにしている。」「つまり、優秀な人間の思考・意志・人格の入れ物となる、別人となるわけだな。」「うまくいけばな。」「うまくいけば・・・?。失敗例が多いのか。」「ほとんどが失敗例だよ。表ざたになってないだけだ。彼らはほぼ成功した人材のみ、クライアントに提供しているからな。」「じゃ、ここにあるのは・・・。」「そう、失敗例の別利用のサイドビジネスだ。実際はこっちが本業のようなものだ。街の人間達の健全な臓器とカリスマ達のプラスティネーション保存。もちろん、臓器は別保存するから、はったりで故人の脳細胞の移植による高能力人材の製造についても持ちかければ儲けは倍増だ。一方で、研究の失敗は子ども達始め集められた人間の人生を握りつぶし、未来ある優秀な人材を根絶やしにすることにもつながる。成功しても独裁を陰で操る存在が生まれるだけだ。どちらにしても世界全体からすればデメリットしかない。だから、ミストが動いた。」「だから?正義の組織なら動くのが当たり前だろ。」「お前、俺が以前に説明したことを忘れてるな。ミストは善でも悪でもない。未来の人類存続の為なら現代社会で善とされている存在でも抹殺する。」「やっぱりお前らの考えはよくわからねーや。」「今回の仕事の理由はかなり分かりやすい方だぞ。やつらは貧しい地域へ素材を漁りに行く。そして、遺伝的にも知能指数の高いものを拉致する。入れ物としてな。そして、施術し、洗脳教育を並行する。」「それだけの能力がある人間なら教育だけで十分な人材になるんじゃないのか。」「彼らは教育システムだけでは不十分と考えている。世界を動かし歴史を動かせるのは一期一会の存在たる偉人のみだとな。だから、その脳組織やDNAを使おうと考える。時代が変わりゃ偉人のタイプも変わるのだろうにな。そして、今回の問題は偉人再生の見込みなんてほとんど無いってことだ。」「見込みがない?」「社長連中は技術の確立していない仕事を請け負ってロシアのクライアントにせっつかれている。研究はビジネスのようにはいかない。だが、儲かるなら、はったりもかける。そして、社員には檄を飛ばす。社長の指示で拉致活動は活発化し、所長は臓器移植などのサイド・ビジネスを加速する。」「つまりは無茶な注文を受けちまったわけだ。それだけ、この部屋のサンプルも増えちまうのか。じゃ、彼女もここで加工されちまったのか。」「お前、自分で言ったろ。プラスティネーションじゃないと。」「確かに合成樹脂の注入や塗布とは違う。・・・、もっと高度な・・・、まさか・・・。」「そうだよ。彼女を加工したのはミストのスタッフだ。俺が依頼した。彼女にはまだ任務を遂行してもらう。」「挑戦状のことか。」「そうだ。ターゲット達が集まり、頭部分析をしている最中に仕掛ける。」「ターゲットは自分達の技術との差異を知って送り主を必死で探索し始めています。自分達の始末した女がより高度な技術を施されて帰ってきたわけですからね。」マチェクが口を挟んだ。「だが、足取りは掴めず、やつらは混乱する。社長も所長も駆けつける。しかも、同時にアメリカに雇われたゴルゴダがダーク・シンクタンクを利用したアメリカ側の証拠隠滅とロシア方面からの依頼の双方を一気に潰しにきている。とても落ち着いていられる状態では無いし、彼女の正体をつきとめるどころではない。クライアントたちの依頼があるから通常業務の停止はできないし、彼女の調査と対ゴルゴダ対策で昼夜を分かたず働き尽くめの社員・所員たちは簡単にパニック状態に陥れられる。その混乱に乗じて、ターゲットを処分する。混乱といっても指令系統の停滞・遅延という程度のことだ。その間にしとめる。最も静かに片をつけられるタイミングだ。」「彼女の目の前で片をつけようってんだな。」「さすがは策士の倉石ですね。」ふと、マチェクの方を見る。物音はしなかったが、研究員が一人、彼の足元に横たわっていた。「播津君と同じですよ。二日は眠ってるでしょう。」「何しに来たんだ。」「本日、その部屋を点検する予定のサンプル管理者です。なぜ、眠くなったかもわかってませんから、こうして時計の日付と時間を変えておけば、目覚めてもうたた寝程度にしか思いません。」マチェクは男を椅子に座らせデスクの上に伏せさせた。男は気持ちよく眠っていた。窓の外からは背中を丸めて仕事をしているように見えているはずだ。「今日のここへの出勤者は彼だけですね。大方の所員は対ゴルゴダ策として地上ゲートと街の警備。それとジェシーの調査に当たる首脳部メンバーが最下部の分析室周辺に集められています。これで、しばらくここへの人の出入りはありません。作戦行動の前に私も昔話に混ざりましょう。」マチェクがサンプル・ルームに入ってきた。

倉石は、静かに話を続けた。
俺はミストの指令でジェシーとアメリカで出会った。ビルの谷間にある公園のベンチの周りは落ち葉で一杯だった。吐く息も白くなりかけていた。
「私はスカウトと調査担当のジェシー。もちろん、コード・ネーム。」「ミストの交代要員か・・・。俺はこれから地下企業に潜伏している仲間をサポートしにいく。同時に別件で調査中のターゲットの前からも姿を消す。」「一般人は正体を知らないマフィア系企業にT・O・B対策のホワイト・ナイツを斡旋してたんでしょ。でも、T・O・Bを仕掛けさせたのもあなただし、ホワイト・ナイツも実は飛んだ食わせ物を斡旋するつもりだったのよね。」「俺の仕事を調べてきたんだな。ま、よくある手口だがね。」「あなたの策士としての評価はミスト・メンバーの中では有名よ。もちろん、コード・ネームだけでどこに住んでいるかは誰も知らない。顔を見たのは私も初めてよ。」「それは光栄だな。二重スパイのつもりだったんだが双方から疑われてる気配なんで、ここらで天国に行くことにしたんだ。ミストもそれが最善だということで君を呼んでくれた。」「ほんとに天国にいけるかしらね。私はあきらめてるけど。」「ほぉ・・・、未来を創るミストの一員がそんなことじゃ、だめだな。やめたいのかい。やめたところでミストは咎めないよ。重い十字架を背負わされて歩き続けてるんだからな。今からでも間に合う。代わりに誰かを呼ぶか。」「違うよ。やめられないから、やめたくないから、あきらめてるのよ。ただ、世界の病が重すぎて、とても治し切れる気がしない。これまでに何人もの患者を死なせてしまっている感じがするの。本当にこれで延命の効果があるのか疑問なの。でも、進むしかないってこともわかってる。立ち止まっているうちに病はさらに深く重くなっていくから。」「その通りさ。手の施しようがなくなる前に延命措置を講じなきゃならない。それが俺たちの仕事だ。」「ごめんなさい。噂に聞いていたあなたの顔を見たら、・・・・・会うまでは知的で冷たい感じの人を予想していたから・・・、これまで通りに正確に仕事を引き継ぐだけだと思っていた。でも、実際のあなたにはとても温かなものを感じる。」「おいおい、俺を試してるのか。まさか本気で言ってるなら、仕事には感情をはさみすぎないことだ。ほんとに天国に行っちまうぞ。赤い糸ってのがほんとにあるなら、また会えるだろ。たとえ、そうでなくても君にも俺にもいずれは女神が微笑むさ。じゃ、俺からの仕事の話に移るぞ。」「はい。」「ある男の能力調査を引き継いでもらいたい。」「慣れてるわ。」「気づかれる心配は無いと思うが、何せ能力が未知数の男だ。精神面含め可能な限り、調べてくれ。」
「なるほど彼女はお前の差し金だったってわけか。どおりで、タイミングがよかった。」俺の声が不気味な部屋の中に響いた。「日にちを空けたら、お前はどっかに行っちまうだろ。」
「でも、俺を調べていた彼女がなぜ、ここに拉致されたんだ。」
「今回の仕事はお前も分かるとおり、かなり危険だ。それで彼女がお前の能力の高さを見抜いて俺に協力させたいと伝えてきた。」
「でも、彼女は俺をミストには誘わなかった。」
「彼女はお前の迷いの深さと頑固さも見抜いていたよ。すぐにはこちらに来ないだろうと・・・・。それで、ここへ潜入した彼女がマチェクと協力して研究所内部に仕掛けを施すことにした。俺はやつらに捕獲される前に外から最後の段取りをする。つまり、ターゲット達が一堂に会するように策を弄する。たとえば、お前に送ったような偽のディスクを使う。闇のシンク・タンクを暴露するような内容のディスクをロシアやアメリカの関係者を装って送りつけるとかな。」
「ミストはその作戦を認めたのか。」
「ミストは作戦の詳細はメンバーに任せる。使う人員も同様だ。ただし、かかわるメンバーや事情を知らない第三者について、最大限の責任を負うことになっている。つまり、死なせないことだ。」
「彼女は・・・。」俺は倉石の顔を見た。
「ミストは例外的な死と判断した。つまり、自由意志で任務に協力したのだから、俺を咎める理由はないと・・・。」倉石の表情が一瞬、苦渋に満ちた。裁かれるべきときに裁かれなかった者の表情だ。俺も倉石も同じ十字架を背負っているのかも知れない。
「結果、俺はディスクじゃなく、彼女を使ってターゲットをおびき出すことになっちまったがな。」
「なるほど。」俺は冷静さを装って続けた。「彼女はどうやって潜入したんだ。」
「俺たちは統制に重きを置くゴルゴダとは違う。方法は彼女に任せた。それに、そうでなけりゃ感情が・・・、彼女への感情が必要以上に動いちまう。そんな策は命取りにもつながる。」「いつの間にか彼女に心が動いてたってことだな。」倉石はうつむいていた。陳腐な認識だが、彼らミストの日常はそんなものなのだろう。まるで戦場だ。いや、ミストに限らず、何かを成し遂げようとする者達は、誰もが感情を押し殺したり排除したりする瞬間を経験しているのだと思う。たとえば、これもありふれた命題だが、任務遂行か拒否か、理屈か感情か、現実か理想か、愛をとるか夢をとるか。かなり大げさだが、どちらを選択するかは自分の生き方、生き残り方にかかわる気がする。極限ではないにしても戦場での選択とどこか似ているような気がする。生き方を選ぶのは生き残り方を選ぶことに等しいのだ。俺はそう思った。

倉石は彼女の話を続けた。

肌寒さの増していくニューヨークの街角。夜の裏通りには様々な娼婦がいる。ジェシーは高級コール・ガールに成り済まし、ミストのバック・アップも受けながら政財界の人間達と幾度かの関係をもっていた。やがて、マリファナに溺れ、計画通りに自身の人格を破壊していく。倉石は世界有数都市に設置されたダーク・シンクタンクの裏医療機関であるニューヨークの精神病院に彼女が移送されるよう、ニューヨーク官庁街に潜伏するミスト・メンバーに手を打つ。彼女はエリート達に見捨てられ、街角でぼろきれのようになってるところを保護され、治療のためにその病院に入院することになる。病院は身寄りの無いよい素材が入ったことを闇の会社に伝える。潜入計画は順調に進んでいった。幻覚賞状は一気に消えれば怪しまれる。彼女はこれまでも使ってきたマチェクの調合・生成した軽く幻覚を起すドラッグ剤を診察の際に度々服用する。脳中枢への影響はほとんど無く、水分補給により、その成分は毛穴や尿によって数十分で体外に排出される。病院では健康な素材が欲しいので体内のマリファナ成分が薄くなっていくのは好ましい。意識がより正常に近づくのも必要条件だ。あとは、院内で洗脳し、ユーラシアの研究所に送り込む。そこでマチェクや倉石と合流して任務遂行するのがねらいだった。
「数ヵ月後、彼女は研究所に送られた。俺は社長の滞在する各国の施設やサハリン・ルートの詳細を調査中だった。同時にニューヨークでの自分の形跡を消す作業を遂行していた。そんなときだった。」

「倉石、彼女が開頭されてしまいました。」マチェクから連絡が入った。「彼女は優秀すぎました。彼らはロシアのクライアントの依頼を早期に完遂できる可能性があると彼女の施術を早めてしまいました。しかし、今、私が動けば計画は破綻します。」「なんてことだ・・・。」倉石は言葉を失った。しかし、感情の揺らぎをなんとか打ち消した。「まだ第一段階だな。その程度ならミストのスタッフが元に戻してくれる。人格抹消にはまだ間に合う。」「了解です。ただ、今後も手術のスピードはアップしていくでしょうから覚悟はしておいてください。」「・・・・。わかった。」
「でも、彼女は倉石のことが気になっていたのでしょう。私が街の巡回に行ったときに手術の中止を直接頼んできました。私は断りました。私の当初の任務は潜伏ポイントを確保すること、ターゲットに信用されることでしたから。ミストのエージェントなら当然、受け入れるべき内容です。彼女は私の態度に納得を示しました。」
「わかったわ、マチェク。私はミストだものね。手術室は扉が三重になってるわ。マチェクはまだ執刀スタッフには関われていないのね。」「最もターゲットに近づける潜伏ポイントは手術室の辺りと踏んでますが、そこまではまだ信用されていません。でも、ジェシーのお陰で施設内部の青写真は大分完成してきました。ありがたいです。」「一日でも早くエリート・スタッフになってね。手術室で待ってるわ。」「そのときは、私の隣に倉石もいることでしょう。あなたの目の前でやつらを切り刻んでやりますよ。」「あら、ターゲット以外は手を出しちゃダメよ。」「あなたが調査した播津 刑がいれば問題ないでしよう。新人が身を守るために止むを得ずターゲット以外を処分しても過剰防衛に当たらないという例外規定がありますから。実際、彼ら執刀医は全て悪魔か狂人です。脅されてやっているのではなく、実験行為として進んで参加しています。」「あなたも似たようなものよ。」「だから、わかるんですよ。好奇心を満たす行為だってことが。」「あなたと話してると寒気がするわね。じゃ、私は街の調査を続けるわ。」
「ですが、その後、彼女は第三段階で脱走を図りました。他人の脳組織を植え込まれることで別人になってしまうことが怖かったのでしょう。その前に倉石と会いたかったというのは正直、わかってました。でも、私のサポートは施設内のみでしたから・・・・。あるいは脱出後のサポートをしていれば、彼女を死なせずに済んだかもしれません。ですが、私の任務は別でしたから、怪しまれぬように、それ以上のサポートはしませんでした。それでも、さすがの私もあのときのことを思い出すと心穏やかにはおれません。」「いや、いいんだ。俺たちの任務は成功しなきゃ意味がない。今こうして、ここにいられるのはそれぞれの任務を確実にこなしてきたからだ。」「で、ジェシーはどうなったんだ。」「ターゲットは焦り、抹殺組織を雇って彼女を処分しようとした。」

「彼女は中央アジアからシベリアへ脱出した。そこまではよかったが、ほどなく、やつらの調査網に引っかかった。」「そんな距離をどうやって。」「彼女はコール・ガールとして潜入しました。基地脱出は研究員と一緒でした。」「研究員を利用したわけか。」「その研究員は私が彼女に引き合わせました。ターゲットに近づく計画に使える男だと思ったからです。その男を彼女は自分の脱出のために利用してしまったのです。」「その男も彼女に惹かれていたんだな。」「それが彼女の手口でもありましたから。」一瞬、倉石の表情が険しくなった。「そんな顔しないでください。コール・ガールにだって、本命の男はちゃんといるんですからね。」マチェクはフォローにならない一言の後で続けた。「地下走行用の車で地上に出てからは私が施設10キロ地点の岩肌にカモフラージュして隠しておいた小型機で移動しました。彼女はその程度の操縦技術はもっていましたからね。ただ、私がナビゲートすればあるいはもっとよい地点へ誘導できたかもしれません。ですが、通信行為がばれたり、研究員の気が変わったときに私からのナビゲートのことがばれてしまう可能性がありましたから。」「その研究員はどうなったんだ。」「彼女の捕獲の前に捕まってここにいます。」「ここに?」「そこのカプセルの臓器群がそうです。彼女の足取りを聞かれた後で処置されました。私も死人に口無しで安堵はしましたが、気の毒な気はしましたよ。」「命よりも体が大切・・・か。全て、商売の為だな。で、その後の彼女は?」「コール・ガールとしてギブ&テイクを重ねながらヒッチ・ハイクで移動さ。だが、やつらも必死だった。彼女を乗せた男達を探し出し締め上げて最後の男に辿り着いた。その男は彼女の風体から追って来ているのはマフィアの売春組織だと思い、全速で逃げ込んだ先がシベリアさ。男は殺され、彼女は廃屋の納屋に閉じ込められた。」「なぜ、そんなに詳しく知っているんだ。」俺は倉石に聞いた。「彼女から直接聞いたからさ。」「彼女から聞いた?」「飛行機はシベリア付近に着陸したようだとマチェクから連絡が入った。あのあたりは道も単純だ。追跡行為があれば、すぐに見つけられる。」「それで、お前は殺し屋達を追いかけたわけか。」「まあ、そんなところだ。だが、大っぴらにはできないからな。俺たちの存在が気づかれれば、計画は無に帰す。寸手のところで彼女との接触を図ろうとした。でも、・・・・・。」


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