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作品名:YOKONORI RACER(ヨコノリ・レーサー) 作者:ふ〜・あー・ゆう

第23回   ボウル・レース
ニセコはふかふかの新雪だった。予想を上回るはやさで全道を覆った寒気団のお蔭だ。この3日間、降り続いた雪は景色を一変させていた。今頃は旭岳・黒岳辺りも真っ白だろう。主催者側は延期も考えていたようだが、人工雪でスタンバイしていたのが功を奏した。コース作りが急ピッチで行われ、当初の予定通りの開催となった。ジージやタテうらは南国レース同様、ニセコでバカンス気分だが、久しぶりのプロもエントリーした国際大会である。海外の選手も多い。気合いを入れないと入賞は難しい。ここでのメインのレースはナチュラルキッカー(自然のジャンプ台)もあるバックカントリーレース(ゲレンデと異なり、人の手が加えられていない自然のコースでのレース。オフピステ。)である。だが、今日は前座としてエキジビションマッチの性格の強いボウルレースが午後から開催されるのである。メインレースで拮抗した場合、こちらの成績も加味される。

「みんな下見に来てるな。選手の顔でもチェックするかな。」椎野は周囲を見渡した。天気は快晴。雪面は適度な水気があり、滑走に適していた。
「直前に見てもあんまり役立たんだろうが、コースが昨日の深夜にようやく完成したってことだから、みんな一応、見に来るわな。そんでも、エキシビションと割り切ってるプロは顔出してねーかもな。」タテうらがまぶしそうな目をして言った。
「雪上のボウルなんだね。スケボーのボウルプール(調理具のボウル状のセクション)がいくつかつながったみたいな感じだ。」瀬津は初めて見るボウル・レースのコースに見入っていた。
「スノボのハーフパイプがくねくねになったようなコースですな。」
「いや、パイプのように精緻に計算して角度とか面に配慮して作られているようなもんじゃなく、アバウトに出来ている感じだな。」ジージの感想にタテうらが答えた。
「そうですか。それでは私はこの子と一緒に応援しますからがんばってくださいよ。」
「ねぇ、ブラウン来てるかな。ショーン・ブラウン。」このレースでは、ジージは通信と小二の甥の息子の子守り役だ。孫は家族と出かけるので観戦には来られなかった。代わりに、仕事で忙しいニセコに住む弟の孫を連れてきている。弟の孫の言うショーン・ブラウンはオリンピックでも有名な選手だ。椎野たちは、いくらプロがエントリーをしている大会だとしても、さすがに世界を転戦中のショーンがアジアの新興の大会には顔を出さないだろうと苦笑して聞いていた。

コースは巨大ミミズの這った跡のようだった。コースそれ自体が微妙に左右に振れながら全体としても大きく蛇行していた。蛇行しながらトップを狙うなら直線での最短距離をトレースする(なぞる)のが効率的である。しかし、このコースでの競り合いは立体的になる。たとえば、一番底を直進するライダーを左右の壁から抜きさることができる。その際、壁の上端(リップ)を前方向に大きな弧を描いて飛び出していくことで、より前方に着地し、いくぶん順位を上げることも可能である。同様に壁面を滑走する選手に対し、下方や上方からその進路に割り込んでいくことも可能である。
ジージはスノーボード1級の腕前だが基本的に高速のカービングターンで滑り降りるアルペンタイプのライダーなのでこうしたコースでジャンプしたり板の前後を入れ替えたり、スピンしたりといったトリッキーな滑りは苦手である、というかできない。したがって、エントリーは遠慮したわけである。
椎野が遠方に目を凝らした。コースの中腹あたりで、ウェアのフードを被り、ゴーグルとフェイスマスクをしていて素顔の見えないスタッフが1人、念のため、テスト滑走しているようだった。そのスタッフは、やたらとエアが高く着地も安定していた。周囲は、招待選手なのではないかと囁きあっていた。ひょっとすると設計者かもしれない。その人がレースに出るのは反則だ。でも、招待選手ならありうる。前座のレース、つまりエキジビションのレースとしてのボウル・レースでは、最初から1位がほぼ決まっている・・・、他の選手はいかにして2位以下に入れるかの策を練るのである。したがって、その1位本命の選手が出来レースの最後の仕上げに臨んでいる・・・・・・のかも知れない、ということだ。とは言え、真っ向勝負してもその一位に太刀打ちできるものはいないだろう。

ロッジでの昼食後、選手達はコース前に集まっていた。もちろん、腹いっぱいには食わず、砂糖入りのコーヒーやスポーツドリンクを中心とした軽食で済ませている。特に、椎野はダイエットせよと言われていたので、食べたのはドーナツ一つであった。
「うう、ひもじい。」
「途中で交替するから我慢しな。」タテうらがたしなめた。
本大会のレースではリレーが可能である。ボウル・レースでは、チームの想定したリップ(コースの頂上部)で選手交替ができる。エントリーは4人までである。もちろん、1人での完走も可能である。
「中国やオーストラリアの選手もいるな。プロでは、誰が来てるんだ。」椎野は相変わらず、周囲を見渡していた。
「スタートでは出てこないみたいだね。アンカーでごぼう抜きとかじゃないの。」
「かなりあり得るな。」タテうらが瀬津の言葉に納得した。
「いずれにしろ、3位以内は無理だ。多分、実力が違いすぎる。」タテうらはさらに付け加えた。
「でも、7位まで賞金があるからね。ぎりぎり7位になれれば御の字ですね。」
「だめでも、今回は宿代、ただだから俺は気楽に行きますよ。ジージ様、ありがとう。」椎野が無責任に言った。礼を言うべきジージも今ここにはいない。ジージはロッジの中で暖をとっていた。レースが始まれば二人で出て来るだろう。
ジージは雪の季節になると山にこもっている。もともと、山育ちなのである。今回のレースではジージの弟さん親子が経営している宿にほとんど、ただで宿泊させてもらっているのだ。そんなわけで、ジージは繁忙期に向かう旅館の中で1人ぽつんとしていた甥の息子さんをレース見物に連れてきたのである。ただし、次のレースではお留守番になる。ジージもエントリーしているからである。バックカントリーということで観戦ポイントが限られ、子どもだけで見に来るのは無理だ。旅館で忙しく働く大人たちの姿をじっくりと見ているか、自分の部屋でおとなしく遊んでいるしかない。そんなことも思いながら宿泊しているジージや椎野たちは弟さんの家族全員に感謝していた。できれば、入賞して一矢報いたい思いもあった。

瀬津たち一走の選手達はスタート地点に移動した。椎野たち後発のメンバーはそれぞれのチームで想定した地点のリップに移動した。バトンタッチによるコース・インは先行選手が抜け出たリップから、またはそれよりスタート地点よりのリップからならばどの地点からドロップ・イン(下降する)してもオッケーである。なお、先発滑走者が他チームのバトンタッチを妨害するために故意にリップに近づいて滑走し、後続選手の進入を遅らせるのは反則にはならないが、後続選手がコース進入の際に他の選手と接触した場合は、ドロップ・インした側が失格となる。
全ての選手が配置についた。
「やはり、さっきテスト滑走してたのは招待選手のようですね。ウェアはもちろん、顔を隠しているところも全く同じです。中腹辺りに待機しています。何レース目に出てくるかは分かりませんが・・・。」ジージから通信が入った。
「中腹と言っても中継ぎとは考えられないな。そこからがアンカーなんだろ。当たらなきゃいいが。」アンカーのタテうらが即答してきた。
「よほど、有名な選手なんすかねー。顔見たら誰でもわかるような。」
「顔を見せないのは周囲に戦意喪失させないためとか。スタートから1人で十分なんだろうけど周囲が興ざめしちゃうような選手ってこと・・・。」
「そんなやつ、限られるよな・・・。」椎野と瀬津は謎の選手の素顔をぜひ見てみたいと思った。
「ゴールしたら拝めるよ。ま、絶対に俺達の歯が立つようなお方では無いから安心しな。」タテうらはリップに寝そべっていた。リレーするポイントが自由なので、タテうらのそばにドロップ・インを待っている選手は1人もいない。寝転がって目をつぶっていた。

予選第一グループの選手達がスタートした。ボウル・レースはタイム・レースではあるが予選8位以下の選手の入賞も無い。いわゆる足切りである。椎野たちは第三レースだった。開始早々、あちこちでカラフルな花火が上がった。花火というのは選手達のことである。このレースの場合、エア(空中への飛び出し)はそれほど有利に働くわけでは無い。競り合う相手を確実に抜かせるときで無いと、かえってタイムロスになってしまう。エアをして着地する頃にはボトム(底)を高加速で滑る何人もの選手に抜かれていることもありうるのである。それでも、加速がついてしまってリップ(壁面上端)から飛び出す選手は少なくなかった。そのため、くねくね曲がりながら進むコースのあちこちで華やかなデモンストレーションのように打ち上げ花火のごとく、選手達のカラフルなウェアが宙に舞っていたのである。。しかし、とは言え、リップの外へすっ飛んでリタイアしてしまう選手もほとんどいなかった。みんな上手に真上に飛んでコース内に戻ってくる。
「ショーンはいないの。ショーン・ブラウンは出てないの。」
「じいちゃんも見てるけど、そんな有名な人はいない感じだねぇ。」ジージはゴール付近で双眼鏡を覗きながら椎野たちにも聞こえるように答えた。
「じゃ、僕達の番です。その調子で連絡頼みます。」瀬津がスタートした。
「じいちゃん、さっき飛んでた人、まだ滑んないのかなぁ。」
「まだ、座ったままだし、この次のレースかねぇ。」
「なら、まあまあの成績で予選通過できるかもな。」アンカーのタテうらが立ち上がった。瀬津はバーチカル(壁面)に登っては下降して加速することを繰り返していた。少々、ダーティーだが、入賞するにはやむをえない。プロには通じなくても自分達ぐらいのレベルのチームには有効だ。ライバルは少しでも蹴落としておく必要があるのだ。瀬津はリップ(壁面上端)で立ち上がってドロップ・イン(この場合、コース・イン)しようとしている他チームのメンバーを見つける度にバーチカル(壁面)を登り、妨害した。後続チームはやむなく減速してのバトンタッチとなる。その間に瀬津を抜かしてボトム(底面)を通過していく選手たちもいるが、そちらは椎野やタテうらに任せることになっている。瀬津の仕事は下位チームを完全に引き離しダークホースを消し去ることだ。
ほどなく、椎野の姿が見えてきた。そのとき、仕返しとばかりに前に割り込んでくる下位チームの選手がいた。これでは椎野とのバトンタッチが遅れる。人を呪わば、穴二つだ。その時、椎野が思い切りスケーティング(片足のみ固定し、もう片方の足で雪面を蹴って進むこと)をして、斜面を登りスタート地点よりに高速で移動してきた。リップ(壁面上端)上の椎野とバーチカル(壁面)の瀬津が交差した。椎野はスタート地点よりに、瀬津はゴールよりに位置した。そのまま、瀬津は加速を続けリップを飛びぬけた。瞬間、椎野はワンフット(片足固定)のまま、ドロップ・インした。片足のみでのコントロールは非常に難しい。しかし、タテうらに少しでも有利につなぐためには不可欠な行為だった。椎野はボトム(底面)を滑走しながら、もう片方の足をバインデイング(靴を板に固定する部分)に固定した。数人に抜かれたが、コース・インが遅れるよりは、ましだった。椎野は10位での滑走となった。順調に加速して、二人を抜き返し、ボトム滑走のまま、タテうらのポイントに向かっていった。だが、二つ目のカーブを過ぎたとき、その二人が左右の壁面から追い越しをかけてきた。3人はほぼ並行に滑走していた。上位チーム同士の駆け引き、トップ争いの前の共同戦線。二人は椎野を潰しにかかってきた。ボトム(底面)を滑走する椎野の前に出ようと左右のバーチカル(壁面)から、ほぼ同時に下降し、プレッシャーをかけてくる。そんな競り合いがしばらく続いた。
「なんか、右の奴、特に速いんだけど。ヨーロッパ系っぽい。」
「右のボードはアルペンタイプ(山滑りタイプ。トリックには不向き)のようですね。スピントリックには不向きでしょうが直線的な加速は抜群ですから警戒してください。」
「じいちゃん、けいかいって、なーに。」
「気をつけるということだよ。椎野さん、敢えて右によってリップ方向に揺さぶってやったらどうでしょう。」
「ダーティーだな。スピン(回し)に不向きな板ゆえ、小回りが利かずにエア(飛び出し)で、すっ飛んでリタイアする様に仕向けるわけか。」タテうらが呟いた。
「明日のレースのためにもポイントは少しでも多い方がよいでしょう。」
「でも、高速だから、相当プレッシャーかけないと逆に前に出られるぞ。」タテうらが椎野に忠告した。
「宿代ただだから、プレッシャーないし、平常心でいけそうっス。」
椎野はすぐさま、提案を実行に移した。急加速して反則すれすれに接近してくる椎野に対し、相手は判断する暇も無く、少しずつ上方に移動し始めた。加速がついているので下方への急角度なターンは難しい。板を傾けて壁面にエッジ(板のサイドの金属部分)のみを引っ掛けて、強引にカービングターン(板底面を使わず側面の金属部分=エッジのみを接地して加速しながらターンする)をしかけてきた。しかし、相手とて、椎野の前に突っ込んでいき、万が一、椎野に接触した場合、加害側となり、リタイアの憂き目を見ることになる。下降する側の接触は、上昇する側の接触より危険度が高いとされ、即失格となる。一方、被害側はその時点での順位が一つ繰り上がるのである。ゴール時には、そのポイントが加算されて最終的な順位が決まるのである。したがって、上位ぎりぎりでゴールしても中位のものに逆転されると言うこともあるのである。基本的にボードクロスとは異なり、接触プレーは厳禁なのである。それだけ、レースには綿密な計算が必要になってくる。ここで減速して後で追いつくか、このまま、張り合うか。椎野は相手とバーチカル(壁面)を並走しながら迷っていた。相手は迷わず張り合ってきた。左の選手はラッキーとばかりに右側の選手を置き去りにして滑走して行った。
「おっと、逃がさへんでー。」椎野は接触しない程度に板を右に振った。
「やっちゃったかぁ、鬼だな・・・。」タテうらが呟いた。
椎野たちの思惑どおり、ヨーロッパ系選手はリップの外に消えていった。
「鬼だなんてぇ・・・。瀬津の遺書返しっすよ。サーキットレースでひどい目にあったでしょ。日本人をなめんなってこってすよ。」
「でかく出たね・・・。」
「タテうらさん、もう少しですから、仕上げ、たのんますよ。では・・・っと。」
今のままライン(自分の滑りたい経路)を外れすぎるとボトム(底面)に後続が入り込んできてしまう。椎野はすぐさま、ボトム(底)よりの自分のラインに戻った。後続選手は椎野が曲者であることを悟り、警戒し始めた。他の選手の板は加速より、トリックに向いたフリースタイル系の板のようであった。バーチカル(壁面)やボトム(底)を行ったりきたりしながら、カーブでは低めのエアを取り入れてスピンや小回りのターンを入れながら、巧みに攻勢をかけてくる。椎野もボトム滑走だけでは十分な加速が得られなくなってきた。幾分、壁面を登り、下降時に一気に加速したいと考え始めていた。
そのとき、ジージの声が聞こえてきた。
「タテうらさん、例の選手が立ち上がりました。」
「次のレースに出るんじゃなかったのか。」
「だとすると、スタンバイが早い気がしますねぇ。」
「練習で十分アップしてたからスタンバイは直前でよかったというわけか。」
「タテうらさん、本気で勝負するんですか。あの天才タイプと・・・。」瀬津が心配げに言った。
「無理だろ。ただ、少しでも追いつくか、逃げ切るか・・・。まだ、どのライダーと入れ替わるのかも、わかんねーからな。」
「彼はラストの組に出てくるとばっかり思ってましたが、残りのレースに出る選手のモチベーション下がんないんですかねぇ。」
「それだけ圧倒的に強くて魅力のある選手なんだろ。ラストじゃ、ありきたりだから、本人がこの組での出場を希望したんだろうな。」
「ジージ、エアするのに、何か規定あったっけ。」突然、椎野が聞いてきた。
「エアするんですか。」
「さっき、左にいた選手、かなりトリッキーなんでアメリカの選手っぽいんだけど。相手と同時にエアして振り切りたいんだよね。でも、みんなエアするとき、互いの距離測ってるみたいで、何かルールとかあったっけ。」
「ありますよ。先行や後続との差が3メートル以上ない場合のエアは本主催者の全てのレースへの出場停止と罰金。当然失格です。」
「厳しいな。だいたい滑走しながら3メートルなんて分かるかよ。」
「相手と近距離なら飛ぶなってこった。着地点に選手がいる可能性が高いから、万一、近距離で吹っ飛んだら、その時点で自らコースアウトしてリタイアしろと言う警告だ。」
「んー、でも、後続の選手までなんてイチイチ意識できねー。」
「なら、飛ぶな。」
「このまま、ねばっこく耐えろと・・・。」椎野がイライラして言った。
「ま、一箇所だけ例外の地点はあるがな。」
「えっどこ。」
「お前のコース上にはねーよ。それにお前の技量じゃ無理だ。」だが、もし、それをやる奴がいたら明日のレースも上位入賞は夢のまた夢だ・・・。」
「はいはい、わっかりやしたよ。エアして壁面着地で下降して一気に加速しようと思ったけど、止め!!。とにかく、タテうらさんにかけるわ。」
椎野はアメリカ系の選手とボトムのラインを取り合うようにしながら競り合った。と、そのとき、相手の選手が大きく上方に舵を切った。
「あっ、たてさん。例のやつが今インした。トリック野郎とバトンタッチした・・・。」
「なんだって、あの選手、やっぱりアメリカの選手かも知れないのか。」瀬津が呟いた。
「だとすると、まさかとは思うが、例外の地点であれをやれる唯一の選手かもな・・・、このルールは多分、あいつのためのルール・・・。」
「あれっ、あいつ着いて来ないっすよ。」椎野は加速を続けながら後方を確認した。
「ダブルフリッブ(後方2回転)とか始めたぞ。エアは凄いけど、随分のんびりしてるな。その分、だいぶリードできたぞ。」瀬津は椎野を目で追った。
「のんびりし過ぎだ。余裕がありすぎる。こんなことができるのは・・・。」タテうらが呟いた。
「わー、すごい、すごい。」子どもの声が聞こえてきた。
「エアして楽しみながら滑ってますねぇ。この子も喜んでますよ。」
「そりゃ、よかったっすね。でも、俺は多分、あいつに抜かれますよ。今は完全にエキジビションのキャラに徹してる感じですが、そのうち・・・・。」
「何、弱気になってんすか。そろそろタッチですよ。」
「・・・あいつの正体は・・・、でも、まだ自分だけの技を出してねーし・・・。。」
「何ぼやいてんですか、あいつの正体は招待選手でしょうが。」
「ふっ、なるほどな。」タテうらは椎野の暢気さに緊張が和らいだ。
「ドロップアウトしますよ。」
「オッケー。」タテうらと椎野がクロスした。タテうらは板を踏み込み、精一杯加速した。8位の選手が左右に振り子のようにスラロームをしながら前方を滑っている。7位以上の選手は500メートルほど前方で団子になっている。あちらはトップ集団での競り合いになっている。こちらには縁の無いバトルと言える。
8位争奪戦は俺達中位集団のトップ争いってわけだな。それにしても、あいつは入賞する気が無いのか。タテうらは後方が気になっている。例の選手は相変わらず、エアを決めている。順位は10位以下に落ちているはずだ。
「ブラウンだよ。僕、テレビで見てたもん。オリンピックでやってたよ。」
「まさかな・・・、彼がこんなアジアの大会に来るわけは・・・。」
「タテうらさん、ぼやっとしてないで、とっとと、抜かしちゃいなよ。」
「あのな、そう簡単にいかねーんだよ。エキジビション・タイプのレースでも今までのとはレベルが違うんだよ。」
「タテうらさん、例の選手がエアを止めました。」
「!!」タテうらは、ついに来たと思った。
無我夢中で先行の選手を抜いた。
その後はトップにしがみつくように突っ走っていった。
ようやくトップ集団の最後尾につけた頃、後方に走者の気配を感じた。前方ではゴール寸前で途切れているリップが見えていた。
「タテうらさん、ゴールまでわずかです。そのままの速度なら、あいつを振り切れます。」
「わかってるよ。でも、あのリップは例外なんだよ・・・。」タテうらは心の中で1人呟いた。
「やった、ゴール直前だぜ。」
「待て、あいつ、リップを登りはじめたぞ。」
「エアするっての。」
「タテうらさんや6位の選手に近すぎる。反則でしょ。」
「いえ、あそこがタテうらさんの言っていた例外の地点なんですよ。」
「前の選手を飛び越えるってのか。」
「さあ・・・、先行選手に追わせた負傷・最悪の事態の責任は全て選手個人が負うものとすると規定されていますから、そんな無茶は・・・。」
「だよね。結局、ゴール前で無茶しそうな選手への警告だね。相当な自信が無ければ、敢行する選手はいないだろうね。」
「だね。ブラウン並みの腕がなけりゃね。」
「ブラウン・・・。まさか・・・。」
「タテうらさん・・、あいつのためのルールだとかって言ってたな・・・。」
ゴールは目前だった。このまま行けば、ぎりぎり入賞だ。
「おい、後はどこまで来てる。」
「えっ、あっ、その。」椎野らは口ごもった。ブラウンはリップすれすれを加速して既にタテうらたちの頭上に来ていた。
「やはり、無理か・・・。」タテうらが呟いた。
瞬間、リップを抜けて宙に飛び出した招待選手は、タテうらのはるか上方を飛び越え、ダブル・コーク(横回転と縦回転を複合したエア。体軸を中心に2回捻りながら同時に2回バク宙をする)を決めて、6位の選手の前に着地し、ゴールインした。
タテうらは8位に終わった。
「ゴール直前でやられた・・・。」椎野が嘆息した。
招待選手は素顔を見せた。
「!!」
ジージの連れてきた子どもが歓声を上げた。
「やっぱり、ショーンだ。ブラウンだぁ。」
椎野たちは入賞表彰の間、列の後方で小声で話していた。
「ブラウンだってことをシルエットで気づけなかった俺達の目が節穴だったのかもな。あの子の観察眼の方がよっぽど鋭かったんだな。」
「どうも、金が絡まないと切迫しなくて気が緩んじゃうんすかねぇ、俺たち。」
「俺とタテうらさんは純粋だよ。お前と一緒にすんなよ。」
「いや、俺も椎野と似たもんだ。仲間と楽しく滑れりゃ、いいぐらいにしか思ってなかった。」
「それでいいじゃないすか。大会に出る以上、金は絡みますけどね。俺だって、本当は金より仲間と楽しく滑れるのが一番なんすよ。」椎野は真顔で言った。
「でもな、椎野。彼も楽しんでたろ。彼は俺たちのさらにずっと先を見てるんだ。」
「よく、わかんないっす。」
「このままだとヨコノリは消費されつくすかもな。そうなれば、仲間とレースできる環境もなくなる・・・。」
「それは嫌ですよ。」
「ブラウンはそこまで考えてるのかもな・・・。」


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