「う〜ん、セールを前に倒したまま、加速のみでコントロールはほとんどできてねえんじゃないの、素人目に見ても。」オペラグラスを取り出して、沖を見ていたタテうらがつぶやいた。 「椎野、とにかく逃げろ!!ボードは放棄!!」瀬津が言った。 「やはり、ボードを離れるしかありませんね。」ミッキーも言った。 「んなぁ、殺生やわ〜。」 「時間ねーぞ。」タテうらが言った。 「ふぎゃ〜。」椎野は半べそでボードを離れて泳ぎ始めた。 初級選手は椎野のボードの横をすれすれに通過した。 「椎野はどうしてる?」タテうらが誰ともなしに尋ねた。 「あいつ、もう10メートル以上、泳いでるんです。沈んだりしませんかね。」瀬津が心配そうに言った。 「なんだかんだで、もう30メートルぐらい泳いでますな、安全圏まで出ようと必死なんですな。」ジージがやや他人事のように言った。 「火事場の馬鹿力ですね。」ミッキーは相変わらず淡々とした調子で言った。 「已むを得ませんな、ライフセーバーを依頼してきます。」ジージが本部に向かった。 「椎野、救援隊を頼んだからな。」瀬津が言った。 「げっげっげっげげ、はやくしてね・・・・。」 椎野のボードすれすれを通過した選手は周回ポイントのブイを回り、ターンしてゴールに向かおうとしていた。 「おい、あの選手、コースからそれて加速してるぞ。」タテうらが言った。 「ターンが大きくなって遠心力でコースを外れたんだ。」瀬津が言った。 「椎野さんが泳いでる方に一直線ですね。」ミッキーが淡々と言った。 「椎野の奴、前しか見えてないから気づかないで平泳ぎしてるぞ。」タテうらが少し焦った感じで言った。 「あの速度では、せっかくがんばった椎野さんの30mもほんの数秒で到達しちゃいますね。」ミッキーが言った。 「椎野、後ろ!!」瀬津が叫んだ。 「え!なんで!!!。なんでこっち、くるん!」 「視界に入っちゃったからですよ。気になっちゃってるんです、椎野さんのこと。彼は見てる方にまっすぐ進むタイプなんですよ。」ミッキーは淡々と続けた。 「視界の外に消えてください。」 「そんなん、無理だっげっげぐっごほっ」 「消えてください。」ミッキーは冷たく言った。 ボードが目前に迫ってきた。 「消えなさい。」ミッキーは語気を強め、命令口調になった。 そのとき、椎野はとっさに沈み込んだ。 椎野を見失い、我に返った初級選手は、小回りで軌道修正したあと、左右に大きくスラロームするように、ふらつきながらゴールへと向かっていった。会場スタッフもあわててボートを出した。 「姿が見えないぞ。椎野はボードに撃沈されたのか。」タテうらが冗談とも本気ともつかないことを言った。 「だからさ、うちのチームはサーファー自体いないんだから。水上のヨコノリはそもそもご法度だったんだ・・・。」瀬津が最悪の事態を想像して言った。 「大丈夫です。浮いてきました。」ミッキーが言った。 椎野は潜る時に必死の蛙掻きをした分、けっこう深くまで潜ってしまったようだった。彼はかなり脱力した状態で大の字になりながらゆっくりと浮かんできた。両方の眼は塩が沁みても決して閉じることなく浮上するのを無心に待っているようであった。やがて、水面下から目を見開いて大の字になった椎野の姿が現れた。 彼は大きく息をすると空っぽの目で空を見つめながら波間にプカプカ浮いていた。 「生きてるか。」瀬津とタテうらが聞いた。 「もう、やらん・・・。」椎野は波をベッドにつぶやいていた。
風は凪になり、日も暮れ始めた。リタイア。久々の屈辱。椎野はもとより、瀬津も彼への気苦労から殊の外、疲れていた。 「椎野も大変お疲れさんなんだけどさ、俺も心身ともに疲れたよ。んでも、明日、就活なんだよなぁ。この分じゃ、延期するかな。」 「そんな余裕は無いですよ、瀬津さん。目標絞ってがんばってください。私の就活はいつも必死です。」ミッキーが言った。 「今回のミスがあった君にそう言われてもねぇ。」 「それとこれとは別です。就活とヨコノリ遊びは重要度が違います。」 「また、さらっと言いやがったな。」タテうらが、ぼやいた。 「わかってるよ。ちよっとカチンと来るけどね。」 「無職に余裕は禁物なのです。私はいつも必死です。」 「わかってるってば。」 「努々、余裕は禁物です。」
夜風が気持ちよい。 瀬津は部屋でまどろんでいた。ミッキーの最後の言葉が耳に残っていた。余裕は禁物・・・、うぅ〜、せっかく眠いのに、眠れんじゃないか〜・・・・。 瀬津は就活中だ。学歴からすると、大手をねらえる。しかし、初めての就活だというと、今までなにをしていたのかと問われて、大学院とも言えないし、無職でしたとも言えない。かと言って、前歴を書くと、退社理由を聞かれ、プレゼンテーションのすっぽかしみたいなことをしでかしまして・・・・と、これも返答に窮する。少しでもステップアップを目指している旨、伝えねばならない・・・。今まで回った会社では、小型衛星を打ち上げた町工場の感触がまあまあという感じだった。技術職の公務員という手もあるが、具体的なアプローチはまだ考えていなかった。坊ちゃん育ちのおっとりさゆえ、いざという時の詰めが甘い瀬津であった。
翌々日の夕方、涼しくなったガレージに瀬津が入ってきた。椎野が1人で書類を整理していた。 「あれ、今日はミッキーいないの。」 「チーム、辞めるってさ。向かないって。」 「辞める?」 「今回の責任とって辞めさせていただきますってね。」 「引責辞任?」 「実際は円満退社っぽいな。負けても総額の赤字は0だったし。」 「円満退社・・・。」 「お前、就活どうだったのよ。」 「いや、まあ・・・。」 「ミッキー、就職決まったんだよ。一流どころ・・・。だから・・・。」 瀬津はとたんに目の前が真っ白くなった。
人は見かけによらぬものなり・・・・。
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