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雨と靴音
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第1回
雨と靴音
雨が降った日の廊下を歩くと靴ぞこはキュッキュ、キュッキュと不思議な音を奏でた。
「なんだかまるで不思議な生き物の鳴き声みたいだね」
そんなふうに彼女が言った。ささいな一言なのに、それはなぜかずっと後になっても僕の頭に不思議とこびりついていた。 そうだねって僕は答えた。僕はあまり雨の日は好きじゃあなかった、べとべとしてジメジメしていて気持ち悪い。
そんな僕とは違って彼女は昔から雨の日がものすごく好きだった。まだ小さいころには 僕のうちの庭を雨の日には傘もささずに嬉しそうにびしょ濡れになるのもかまわず外を走り回っていた。 緑色の芝生が茂っていて、雨粒が滴る中をばしゃばしゃと黄色の長靴をはいて水溜りをつぶすように走り回っていた。 いったいなにをしているのだろうって僕はそのころから思っていた。
確かそのときの彼女の黒い髪は雨にぬれて、しっとりと首筋にまとわりついていた。 降りしきる雨をしっかり見ようと上を向いて浮かべた陽気な笑顔は今も変わらないと思う。 僕と彼女は小さいころから家が近くで、彼女は昔から僕の大事な友人だった。小学校ではけんかばかりしていたし 中学に入ってからは、勉強そっちのけの彼女に僕が家庭教師のようなことをしていた。 高校にはいって彼女と違う学校になってしまい、そのときのことは僕はなぜかあまりよく覚えていない。 僕は生物の研究をするためにそれなりに勉強してこの大学に入学した。 そして楽しい大学生活も終わり、僕は研究を続けていくために修士に入り、博士課程に入ってひたすら灰色の実験室と くすんだ白い仮眠ベッドと、それからにごった透明のビーカーやスライドガラスに埋もれる日々を過ごしていた。
気づいてみたら、いつのまにか25歳をとっくに過ぎていてもう四捨五入をすると30歳になってしまうのだ そのことはなんだか僕をずいぶんと憂鬱にさせた。 彼女だって僕より少し若いだけで同じような年齢だ、それなのにひさしぶりに僕の学校に遊びに来た彼女は全く持って 昔のイメージと変わっていなかった。 外は土砂降りの雨で、室内の湿度は大変高そうで、廊下がべとべとになっていた。そんな中を僕と彼女は一緒に歩いていた。 特に何か話すことがあったわけではなかったけど、久しぶりに友人に会ってなんだかほっとした。 ここのところ実験や論文に根をつめすぎて、それに加えてこの雨だ、僕は心底憂鬱で、まいっていたところだったから。 細かく見ると彼女の服装はずいぶん大人びていて、さすがに昔のような黄色い長靴はもう履いていなかったし 雨の中を走り回ったりはしないだろう、けどこういった、僕の大嫌いな日を心のそこから愛している彼女は昔からのままだった。
「もうすぐ結婚するんだよ」
子供みたいな口調ではしゃぐように彼女が言った。なんだかため息をつきたくなった。 僕らももうそんなことを考える年齢になってきたのか。
「すごくやさしくて、かっこよくて・・・」
僕が特に相槌も返さないうちから、彼女は自分の夫になる人について延々と話していた。僕は無言でも 僕のスニーカーは廊下とこすれて、彼女の話にまるでうなずくかのように、小気味のいい音を立て続けていた。 あまり話すのが好きではないので僕はそのまま話を聞きながら考えごとを続けていた。
今日は、論文の下書きをしていたら突然彼女から電話がかかってきて、学校の正門にまで迎えに行って 今にもばらばらになりそうな車に乗った彼女は突然に学校の中を歩いてみたいと言い出した。 車から外に出て雨に打たれながらうれしそうに、正門から室内に入るまでは遠いのに、彼女は僕の差し出した 黄色い傘を使おうともしなかった。 僕は黒い大きな傘をなんだか一人でもてあましながら、先導して歩いた。いつも振り回されるんだよなあ、と考えながら 久しぶりに会って懐かしくて、うれしかった。
「その靴の音、いい音だね」
彼女がそういって答えを待つかのように僕の顔を覗き込んだ。 え?って僕は答えた、驚いて急に立ち止まったから、靴底はこすれて、まるでおなかをすかせた小動物のような情けない音を出した。 驚いた僕の表情と、その音がよほどおかしかったのか、彼女は微笑んだ。 ひとしきり、構内を歩いて、しばらくたつと来たときと同じような唐突さで彼女は車を運転して去っていった。 いったいなんだったんだろうって僕は首をかしげた。 彼女は何かを理解していたのだろうか?これから自分に起こることをなんとなく予測して僕に逢いに来たのだろうか? よく分からないけど、僕が最後に聞いた言葉はささいなことで、実にわけのわからないへんてこな言葉だった。 それだからこそ頭の中にこびりついたのかもしれない。
彼女と別れて僕がまた研究三昧の日々に戻ってから、しばらくがたった。そんなある日に僕は人づてに もう古い古い友人で名前と顔がぼんやりとしてしまっている、そんな人から、彼女が病気で死んでしまった、と聞かされた。 葬式が近いからと葬儀の場所を教えられて、もう君は彼女のことなんか覚えていないかもしれないけど 中学のときの同級生だから必ず来るように。と彼は言った。
礼服の準備をして、葬儀場にいって、お経をあげてもらった。お墓参りをして、それから何かをした。 ぼんやりとしてあまり頭が働いていなかった、悲しいような、なにか割り切ってしまったような不思議な気持ちだった。 なぜか僕はあまり驚かなかった。彼女はいつだって昔から突然行動を起こしたし、いつも振り回されるのは僕だったから。 そんなふうに考えて何とか上手く自分を納得させたかった。
天気は彼女に味方をするかのように、お葬式のときもお墓参りのときも、いつも静かに雨が降っていた。 外を歩くと、青紫のアジサイの花や、草むらが雨に打たれてなんだか儚いようですごくきれいに僕の眼には写った。
帰り際に、水にぬれた石畳の上を歩くとき、僕の黒い靴はいつものスニーカーと違って軽いくせに重たい雰囲気を 出そうとするような、誰かに別れを告げるような、ぱしゃん、という水音を奏でた。さようならって彼女に告げるように。 寂しいけど、最後に話せてよかったよって、うまく言葉にできない、どこに向かって言えばよいのかわからない僕の思いの 代わりに靴音がすべてを物語ってくれるようだった。 一歩ずつ別れの言葉を踏みしめながら、僕は彼女の眠る場所を後にした。雨はずっとずっと長い間降っていた。 いつまでも降っていればいいと思った。そのほうがきっと彼女も喜ぶと思う、天気はいつだって彼女の味方だったから。 はしゃぎまわって、走り回って、軽快な水を跳ね飛ばす音を立てながら、びしょぬれになって髪の毛からしずくが滴り落ちて 眼も開けられないような雨の中で笑っている彼女の姿を僕はずっと考えていた。
雨ばかりの毎日もあっという間に終わってしまい、また晴れ晴れとした日々がやってきた。 ぴかぴかの太陽と、澄んだ空気が気持ちよかった。次第に僕は彼女のことを忘れていく、けど僕の靴はときどき 小さな鳴き声をたてて、僕に何かを伝えたそうだった。乾いた声は今にも消えそうなそんな気がした。
こすれあう音は次第にか細くなり、いつの日か僕はその音をもう、全くといっていいほど耳にしなくなった。 きっと彼女が発見した生き物だから、彼女の存在なしには上手く生きていけないのだろうと思う。 何もかもは移り変わっていくのだし、全てのものは失われる方向にしか進めないと僕は思った。 けど、そんな中でも大切な言葉は忘れないようにしたいと思う。日常をささやかに色づけるような言葉 ほんの些細な一言だったのに、随分と僕はそのことを考えることで辛いことから離れることができたように思う。 ただの靴音の中に、彼女はいろいろな何かを見出していた。もう少し長い間そばにいることができたのなら 僕はもっともっとたくさんの何かを彼女から受け取ることができたかもしれない、そしてそれはいつだって僕を勇気付けて 前に進む行動力の源になったと思う。
晴れきって乾いたような日々でも、夕方突然に雨が降った。 窓から外を眺めると、なんだかそこを誰かが走り回っているような気がする。 ささやかなことだけど、僕の大切な思い出と感情を思い出させてくれてありがとう。 ささやかな声を、席を立って歩き出すときに、最後の一言のようなものを僕は聞いた気がした。前に聞いたことと同じことを。
「今までありがとう、さようなら」って・・・。
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あとがき
ここまで読んでくださった方がいらっしゃるのかどうかは分かりませんが もしいらっしゃるようでしたら、駄文にお付き合いくださってどうもありがとうございました。
昔学生のころに、研究が進まず、暇で暇でしょうがなかった梅雨の時期に 廊下で派手に転びそうになったときにふと頭に思い浮かんだ小説です。
短いながら、当時の感情なんかがこもっていて 自己満足ですが、お気に入りの作品です。
また、文章を読んでなんらかの思いなどを抱いていただけたようでしたら 一言でもかまいませんので、感想などいただけると幸いです。
批評、肯定、批判、罵詈雑言、などなんでもかまいません 他人様からの言葉が今後の活動への、一番の活力だと信じています。
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