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作品名:葉桜に変わるまで 作者:須磨 二ノあ

第1回   1
 なんだか空気がふわふわしていた。もうすぐ桜が咲くなと思った。
高田馬場の駅前で集合することになっていた。時間通りに行くと、見事に統一のない格好のみんなが既にいた。あたしたちは「うっす」とか「おはよ」とかいいながら、こころもち無言で、みんなそろって西武新宿線のホームに向かった。
「喪服禁止」と、ぐっちーから回ってきたメールに書いてあった。そうはあったが、就職活動まっただ中で大人の「本音と建前」というものを学びつつあったあたしは、みんなにメールしまくった。けいたがそういうんならいいんじゃないの、とミカはいい、加奈からは明るめの色を着ていくと返ってきた。やっぱりきっちりめの格好でいくことにしよう。
 「それからなんかぐっちーゆかりのものを持っていくこと」メールにはそうも書いてあった。西武新宿線に乗って車内であらためて自分たちを見てみると、変な集団にみえた。ミカは紺色のワンピース、加奈はオフホワイトのワンピースに焦げ茶のカーティガン、あたしはベージュのスーツに黒のシャツとパンプス。男子はリクルートスーツの狩野に、けいたときたらホストの人がきているような空色のスーツで一際異彩をはなっている。なんでそんなスーツを着ているのか、質問もはばかられる。こういう時にずばっと聞いてしまうのは美都だ。でも「ほらあいつ、いつも晴れてると、アー外いきてーっていってただろ」とけいたが答えたので、あたしたちはそれ以上何も言えず、沈黙がちになった。沈黙の合間にだれかが突発的に話す。また黙る。何回か繰り返しているうちに、駅に着いた。 
 電車を降りて、歩いて葬儀場へ向かった。列席者はごく内輪にしたらしくて人の目も多くなく私はちょっと安心したけれど、やっぱりそれでも親戚は問答無用で喪服で、あたしたち友人連中はちょっと居心地悪かった。でもおかあさんは笑顔で迎えてくれて、一瞬ちょっとまぶしそうにあたしたちをみたあと、みんなきてくれてありがとうといった。あたしたちは列の後ろに遠慮がちに固まって座って、式の間もじもじと正座した足がしびれるのを我慢して座っていた。線香をあげるのに歩いていかなくちゃならなくて、予想はしていたけれどやっぱりあたしたちの列になると、列席者の間にあきれたようなおどろいたような空気が走った。
 (学生さんだねえ)
 ああ、もうすいません、ほんっとごめんなさい。頭の中でけいたの背中を蹴っ飛ばした。
 不思議なことに、狩野もミカも加奈も、ほかのみんな平気そうな顔をしていた。ぐっちーの品行方正そうな写真にむかって手を合わせ、式が終わるやいなや、そそくさと表へ出た。うしろからぞろぞろとみんながついてきた。そのあとにおかあさんがやってきて、もしいやじゃなかったら、このままお骨までひろっていってもらえないかしら、といった。話し合って、参加することになった。ぐっちーの体が焼き上がるまでの間、近くの川縁へ散歩することにした。みんなその場にいるのが気詰まりだったのだ。
ぐっちーが死ぬことはわかっていた。おそらく覚悟はできていたんじゃないかと思う。だからあたしたちは葬式で泣くことはなかった。おかあさんもなんだかさっぱりしたような顔をしていた。たぶんあたしたちとは別の理由で。きっと、もうさんざん泣きつかれたのだ。だけどもいざ葬儀の空気の中にいると、なんだか現実感が無くて、芝居の中に紛れ込んだような気分がした。
川縁の土手をのぼえり切ると、空気がよく流れているのを感じた。ふーっと大きく息を吐き出して、伸びをした。
「あーっ、もうけいた! ほんとひやひやだったから!」
美都がいった。なんだ、みんなひやひやしてたんだ。
「ほんとだよ」
「まあまあ、おかあさんは笑顔だったからいいじゃないか」とリクルートスーツの狩野がいった。そりゃあんたはその格好ならダメージは少なかったでしょうよ、とあたしは心の中で毒づいた。ベンチが並んでるあたりで立ち止まって座った。文句をいわれた当のけいたは涼しい顔で、伸びをすると草の上にばったりと転がった。
「でもさあ、これがあいつの希望だからさー」。「おぅいい天気」
ぐっちーに一番近しかったのはけいたで、そのけいたにそう言われてしまうと、みんなほかにいいようがなくなる。
向こうの方に、葬儀場から立ち上る煙がみえた。あれはぐっちーを焼いているんだと思うと、すごく不思議な気がした。青色の空に向かってもくもくと白色の煙が立ち上っていた。その先端はうすく、やがて霧のようになって、青色の中に吸い込まれていく。 
しばらく、無言になってその煙を見ていた。
 近しい誰かが死んだのは、ぐっちーが初めてじゃなかった。まず最初に幼稚園の一年年長のお友達が死んだ。。港から海に落ちたのだ。どうしてだが、助からなかった。ある日、幼稚園で、みんなで集まって、その子の写真を囲んだ。なんでそんなことをしてるのかわからなかった。その子はどこにいったんだろう、仲間に入れてあげればいいのに。悲しそうな人たちがいて、なんとなく騒いではいけないのかなと思った。次におじいちゃんが死んだ。いつも気難しい顔をしていて怖かったおじいちゃんが、写真に納まってこっちを見つめている。棺桶のなかのおじいちゃんはなんだかいつもよりちんまりしていて、鼻にティッシュなんかつめて、いつもより威厳がないようにみえた。死ぬというのがどういうことが、おぼろげながらにわかっていた。死ぬと、しゃべんなくなる。動かなくなる。火で焼かれる。おじいちゃんがかわいそうになった。火に焼かれてもこわくないように、お気に入りのきれいな音が出るハーモニカを棺桶に入れてあげた。
高校の時にはみぃが死んだ。みぃというのは、生物の先生で、最高に変わった先生だった。家は猫屋敷。四十を過ぎても独身で、家にはお皿も包丁もない(というのは遊びにいった上級生からの情報)。キャットフード食べてるらしいという噂もあったがそれはウソ。ほんとはカップ麺が主食だった。皮肉屋で、くたくたの背広のズボンには、いつもいろんな色の猫の毛がひっついていた。みぃが死んだのは、そういえばぐっちーと同じガンだった、と思い出す。そして、みぃも、自分が死ぬことを知っていた。ある日の授業中、自習にしましょうといって、みいは教室の隅っこでちんまりと座って、外の木立を眺めていた。そのうちだれにいうともなく、「私はねえ、ガンなんですよ」といった。顔は木立を向いたまま。もしかしたら、木立に話しかけてたのかもしれない。眠る体制で机に突っ伏していたあたしは頭をもたげた。みぃがいつもほんとかウソかわからないようなことを言ってみんなをケムに巻くのになれていたから、あたしたちは冗談にしてわらった。全然病気なようにはみえなかったのだ。みんなが本気にしないので、みぃはちょっとムキになった。「ほんとうです。なぜなら、もうここしばらく便が出ないんです。おそらく、腸にできものができていて、それが止めているんだと思います。「それはただの便秘では」と誰かがいった。由美が、「漢方のお通じ薬、聞きますよ、今度持ってきます」といった。「そうですかねえ、便秘ですかねえ」みぃは小首をかしげてそれきり黙り込み、あたしはまた眠りに戻った。
 漢方をうけとった翌日から、みぃは学校に来なくなった。その夜、救急車で病院に運ばれたのだという。下剤を飲んで、それでも肥大した腫瘍が、便を通してくれなかったのだ。出口をなくした便は、お腹の中で暴れまくった。みぃは学校葬で盛大に見送られた。体育館のど真ん中に大きく飾られた写真のなかのみぃは、男前でとても誠実そうで、詐欺だと思った。寮で(寮生活だったのだ)、夜中にこっそり起きて、物干し場で、頭をちぢ込めながら、クラスの七人ばかりでささやかに送別会をした。まっくらな中で、ワインと、チーズと、きーちゃんの主食にちなんでカップヌードル。寮監にみつからないようにささやき声で。
「どうもリアル感がないんだよね」と誰かがいった。
「それわかる」
「なんかさ、ふつーに元気そうなまんま、いなくなって、お別れがあれじゃん、あの写真一枚。あれはみぃではない。詐欺みたいなもんだよ」
「いえてる」「でもいいすぎ」
「お見合い写真かな」
「みぃがお見合い? どこの猫と?」
酔っていたせいか、みんな一層毒舌だった。酔う以前になにかをけなさないと、やってられない気がした。だから酔ったのだともいえる。みんなの話を聞きながら、死ぬってどんなことなんだろうとあたしはふわふわする頭で考えて、なんにも浮かんでこなくて考えるのをやめた。
「メメント・モリ」
だれかがいった。
「それなに?」とあたしはきいた。
「ラテン語で死を思え、ってこと」
「メメント・モリ」まただれかがいったのであたしもつぶやいた。
「メメント・モリ」
意味なんてどこにもない、ただの音のつながりとして。

暖かい日だった。
卒業式はもう終わっていたし、来週は入社式が始まる。といっても、卒業できなかったあたしには関係がない。その場で就職が決まっていないのはあたしとけいただけで、しっかり女子であるミカと加奈はそれぞれ大学院進学と、スチュワーデスになることが決まっていた。狩野はまあまあな商社に入ることが決まっていて、年明けから研修みたいなものに参加させられて、そのせいか一足先にサラリーマンの雰囲気を身につけていた。あたしは生来のぼーっとした性格がたたって就職活動に乗り遅れ、というより、7月に留学先のアメリカから帰ってきたら、もうほとんどの活動は終わっていたのである。そういえば、むこうでも途中で日本に帰ったりしていた日本人がいたっけ、などと今更思いだしても後の祭り。就職事情が厳しいというのは、出かける時に釘をさされていたものの、あたしはぴんとこず、なんとかなるだろうとたかをくくっていたのである。気がついたときは行きたかったマスコミ業界の募集はとっくに終了していた。あわてて募集の遅いサービス業やらを受けたけれど、なんだが今ひとつしっくりこず、また向こうもしっくりこないと思ったのか、最終面接で落とされることを十回くらい繰り返したのち、いやになってやめてしまった。それでわざとどうでもいい単位を落とし、親に頼み込んでもう一年大学にいさせてもらうことにしたのだ。それなのにエントリーシートで落とされ続け、筆記試験にも進めなかった。マスコミなんて無理かもしれない。弱音を吐こうにも、もう後戻りができないことはわかっていた。実家の母親に電話をしたら、怒られた。
「あなた、マスコミの仕事がしたいがためににわざわざもう一年大学にいるのよね、学費払ったわよね、海外経験が欲しいからって留学もしたわよね。もうちょっと必死になりなさい。心から頑張ればなにかしら前に進めるはずなのよ。ちゃんと努力しているの?」
元気づけて欲しかっただけなのに。しかし母が怒るのは当然なのである。エントリーシートで落とされるなんて、自分の努力の足りなさの証明にしか思えなかった。
「わたくしは、御社の○×という姿勢に大変共感し、ぜひともその一員として○○事業に貢献したく、今回エントリーシートを提出させていただきました」夏からこっち、あたしはそんな手紙を書きまくっていた。心がこもっているとはいいがたかった。これはいわば枕詞なのだ。手書きがいいといわれて素直に手で書いていたら、腱鞘炎になりそうだった。
うそをつくのがいやになってきたので、ワープロで打って、サインだけ手書きで出すようにしたら、心持ち、通過率が下がった気がした。とにかくそういうわけでこのしばらくあたしは自分が嘘つきで、身勝手で、不謹慎で、愚かな気がしてしょうがなかった。
けいたは同じ未定組でも、自ら望んでの未定組だった。けいたも私と同じように、最初はマスコミを志望していたのだが(どうやら密かにマスコミセミナーなどにもいっていたらしい)、決まらず、マスコミを受けるうちに、自分はしゃべりが向いているということに気づいて営業志望に転換し、商社などを受けていくつかに内定をもらうも、今度はしゃべりでモノを売るというより人を幸せにしたいんだとかいって、お笑い芸人に宗旨替えした。人から言わせると贅沢ものである。その内定寄越しやがれ、とか思いもするが、よく考えるとあたしもしっくり来ない、とか贅沢を言ったのである。
 ぐっちーはなにがしたかったのだろうかと、ちょっと感傷的なことを思った。ぐっちーはフットサルの同好会に入っていて、同好会といっても結構熱心に練習しているみたいで、いつも真っ黒に日焼けしていた。病気になったのはちょうどみんなが就職のことを考えだす三年の夏の終わりのころ(つまり私がアメリカにいってしまったあと)で、最近疲れるので同好会を辞めたのだといっていた。腰がだるいだるいというので、遊び過ぎじゃないのとみんなでからかっていたら、それは腫瘍のせいだったらしくって、即刻入院となった。出発の前日、みんなで壮行会を開いてくれて、ぐっちーは最初いつものようにばか騒ぎをしていたのが、途中で眠り込んでしまった。らしくはなかった。一回退院して大学に来たときいていたので、大丈夫だったのかと安心したりもしていたのだが、みんなが就職活動に飛び回っているうちに、また再入院したとの知らせが届いた。スポーツを好む割に、あたしとどっこいどっこいぼーっとしているところもあって、就職活動をしても決まっていたかどうかは疑問だといまは思うが、活動の機会さえもなく、旅立ってしまった。  活動する前に病気のことがわかったのは不幸中の幸いだったとあたしは密かに思った。残り少ない時間をもっとほかのことに使うことができたのだから。その残りの時間を、でもそうはいうけれどそんなに自由に使わせてはもらえずに、ぐっちーは大半をベッドの中で費やした。日本の病院では、なかなか好きな形態で治療を受けさせてもらうのは難しい。検査だ、薬だなんだ、と結局退院できずに、それがけいとが電車の中でいった「あー、外いきてー」につながったのである。
 ぐっちーが死との葛藤をどう処理したのかはわからない。自分のことに忙しくて、それから自分は元気にしているという罪悪感も手伝って、あたしはあんまり病院に顔を出さなかった。気合いを入れて、たまに誰かと連れ立って病室にいくと、だいたいぐっちーはマンガ本を手にしていて、「おーらっしゃい」と笑って私たちを迎えてくれた。ベッドサイドにはサッカーの試合のビデオが山積み。男子の領分らしいマルヒなんてステッカーがべったり貼られてるのものもある。あまりのくったくなさに、こっちが気抜けするくらいだった。二人部屋で、相方がいるときもあれば、いない時もあった。
 人生の途中あたりで死んでしまうって、どういう気分がするのだろう。考えてもうまく想像できなくて、悟りきったのかノー天気なのかわからないぐっちーの様子がどうしても腑に落ちなかった。あたしだったらどうするのだろうか。あたしはもうちょっと世界を見てみたい。だからきっとそれが果たせないまま死んじゃうのはすごく悔しい。死ぬなら死ぬ直前まで世界を旅して生きてたい。でもあと半年後に死にますよ、とわかっても、お金がないし、実現することはできない。親に借金して旅するっていうのもちょっとなんか違う気がするし。きっとすごい悔しいかな。ベッドから動けなくて、それならせめて、この世界にはどんな光景があったのか、知っておきたい、と思うかも。旅のビテオをみたり、本読んだり。そういうことなのかな?ぐっちーもそういうことなんだろうか? そこまで考えて、いつも止まってしまう。あたしの乏しい人生経験じゃ、これくらいがせいいっぱいなのかもしれない。死ぬってことの前に、生きるってどういうことなのかさえ、あたしにはまだぴんとこなかった。そしてそういう風に、人の心境を想像することも、なにか無遠慮に覗き込んでいるようで、後ろめたい気分になるのだ。だから、あえて考えないようにしていた。病室で、私たちは冗談を言い合い、最近の音楽や映画やサッカーの話題をし、あれは面白かったとか、今度持ってくるよとか学食でいつもしていたようなのと変わらない会話をした。
最後にぐっちーに会ったのは、正月の三が日を過ぎた日のことだ。みんなで初詣に行って、羽子板を買って部屋に持っていった。男どもが羽子板で試合を始めたので、罰ゲームだと筆ペンで顔に落書きをして遊んでいたら、通りがかった看護婦さんに「もうちょっと静かにしなさい」と怒られた。それでちょっと静かになって、まーじゃーまた来るわ、となって病院を後にしたのだ。ぐっちーはやせていたけれど、まだまだ元気そうだった。なのに、それからしばらくして面会謝絶になって、そのまま今日を迎えてしまった。 
みんながいつ最後にぐっちーに会ったのかはわからない。留年のきまった私はなんとなく居心地が悪くて、就職活動を理由にあんまり大学にも寄り付かず、みんなも最後の学生生活を楽しむのに急がしそうだった。どうせまたいつか会うだろう、という頭もあった。
そんなことを考えながらぽかぽかするなか、風に吹かれてぼんやりしていた。こういうのってピクニック日和なんじゃないのかな。
「ねえ」と加奈がいった。
「この日覚えてる?」
加奈が手帳から取り出した写真には四年前のあたしたちが写っていた。
「うわ、マジ、懐かしい」
「みんな幼くない?」
「てゆうか、スゴい髪型だね、狩野」
「うるせー。若かったんだよ」
加奈のアパートで飲んだ時のバカ写真。
「すごいね、加奈よく持ってたね、てゆうか、いつも手帳に入れてるの? それスゴくない?」「違うよ、ほら、メールにゆかりのものもってくることって書いてあったでしょ」
そういえば、メールにそんなことも書いてあったのだ。
「なるほど、みんななに持ってきたの」
あたしももってきた。一年の時のゼミのノート。そもそもそれが出会いだったのだ。私たちは二文の一年ゼミで出会った。最初に教室に入った時、その人数のあまりの少なさに教室を間違えたのかと思った。一年ゼミは一クラスの受講人数が多い、というのが聞いていた話で、その教室には十人ちょっとしか座っていなかったからである。しばらくして謎は解けた。ゼミを担当した先生は厳しいことで有名だったのだ。したがって、そのゼミにやってきたのは、私みたいにぼんやりして情報を逃した人間か、どうしてもその分野の勉強がしたいという熱心な人間か、勉強に困ったことはないという猛者のみで、その中でも半分が前期の段階で脱落していった。噂に違わず地獄のような課題をこなし、授業に出るうちに、生き残ったゼミ生同士は自然と結束し、無事に単位をもぎとったあとの二年になってもちょくちょく一緒にたむろするようになった。もともと興味の方向がにていて同じ講義で顔をあわせたりとかとか、そういうことも縁となった。「なんかすごくなつかしい」と、同じテーマで大学院にすすむことになったミカがいった。鬼教授は院で指導教授になる。「ああしてるけど、ほんとは優しいところもあるのよ」と昔ミカはいっていたけれど。ノートは押し入れから引っ張りだしてきたのだけれど、いま読み返しても、今と変化のない汚い字ながら、けっこう真剣に勉強していたらしいと自分でも感心した。ミカは院試のお守りにもらったというストラップを持っていた。狩野はWANTEDという下にぐっちーの顔を落書きしたメモ。CD返還せよ、と。「なんのCD貸してたの」
「ミスチルとピンクフロイド」
「なんか節操ねえ組み合わせだな」とけいたがいったのでみんな笑った。狩野はそれを棺桶に入れるつもりで作ってきて、会場の空気に気づいてとどまったらしい。ちょっと大人になったと思ったけれどアホさ加減は健在なようだった。
「それでけいたは」とみんながいった。
「オレはこれ、空色スーツ」けいたは片手を高く掲げて格好つけたポーズをしてみせた。「それ、どうしたの」
「借りた。仲間から」
そうなのか。
しばらくして、「逝っちゃったな」狩野がぽつりといった。思えば、あたしたちが会う時は、いつもふざけて回っていた。最初それは超シリアスなゼミでの時間の反動であったのだけれど、(ゼミでは討論でお互いに「建設的な批判」を加えることになってたけれど、高校卒業したてのあたしたちはもちろんそんなものには慣れてなくて、そんな状態であってもなくてもそもそも人の意見に批判を加えることは結構な緊張を要するわけで、みんな自分がただの嫌みな人間だと思われるのが嫌だったのだ)その反動が、いつのまにかこのメンバーだとバカやります、というように行動に刷り込まれてしまってしまったらしい。メンバーとあうと、なんか楽しいことしなくちゃ、という気分になるのだ。だから、このシリアスな状況にどう向き合ったらいいのか、あたしも、たぶんみんなもとまどっているのかもしれなかった。
「よし」と暗くなった空気を振り払うようにけいたがでっかい声でいうと、ビール買いにいくべ、ビール」というと速攻でコンビニ目がけて駆け下りようとしたので、あわてて止めてみた。さすがに赤い顔をして、骨を拾うわけにはいかないんじゃないか。ぐっちーと一番近かったのは奴なのだからなんかいろいろ思いもあるのかもしれないけれど。じゃああ終わった飲みいくべ。ということで落ち着いた。
「そういえばけいた、なんで喪服禁止だったわけよ? あとなんかもってこいっていうの、あれもなに? あたしたちてっきりお母さんが決めてけいたに伝えたんだと思ってたんだけど。なんも言ってなかったよね」
ミカの疑問はみんなの疑問だ。確かにおかあさんはなにもいっていなかった。とすると、けいたの独断?なにがしたかったのだろう。そこらへんの草を蹴ったり、むしったりしていたけいたは、ああ、そうそう、といって立ち上がった。
「あいつから預かっの、これ」
そういってけいたは四月一日に開けること。という但し書きのついた封筒を胸ポケットから引っ張りだした。但し書きを無視して封筒はびりびりと破かれていた。けいたはだれに向かってかぺこりと軽くお辞儀するとぐちゃぐちゃになった中の手紙をあたしたちに差し出した。

一、オレの葬儀に喪服は禁止
二、なにかオレにまつわるものを持ってくること
三、みんな人生を楽しめ!
こうみえても、いちおうオレは楽しんだ。
あとはみんなで日本をもりたててくれ。まかせた!
  (エイプリルフールだぜ、Baby!)
  
 間に合ってないじゃん。間にあわなかったのだ。ぐっちーが自分で思うより、ちょっと早く、神様はぐっちーを自分のところに連れて行ってしまった。けいたがもしやと思って封を開けなかったら、どうなっていたのだろうか。そのちょっと詰めの甘いところが最後までぐっちーらしい。そう思ったらなんだか顔が自然に泣き笑いのかたちに引きつってきた。「ばかたれ」といってやりたくて、もくもくの煙を仰ぎ見た。ビールが無性に飲みたくなった。
 私はどうやら順調に流れていきそうにない人生のこの先が不安だった。面接に落ち続け、エントリーシートで落とされ、こういう仕事をするのだろう、と思っていたような仕事につけそうな展望はみえず。それでもオーケーだっていうなら、そんな人生を楽しむコツを教えて欲しかった。楽しめというからには、教えてくれる義務があるだろう。ましてや、自分の分まで日本をもり立てろなどと大層なことを頼むのであれば。あるいはそんなものなくて、ぐっちーはあたしたちの前で虚勢をはっているだけなのかもしれない、病室にいくたびに、そういう思いが心の隅に飛来しては閉じ込めてきた。自分がすごく意地の悪い人間になってしまう気がしたから。でも虚勢なら虚勢でもいい。最後まで貫き通すのなら。悲しみ、うらやましさ、不安、同情、いろんな感情が一緒くたになって、あたしはあたしはもう立っても座ってもいられないような気分になった。けいたの空色スーツが、緑色の草の中で空の存在を主張していた。煙が空に流れていた。
「いこうよ」あたしはそういって、振り返らずに土手を降りていった。


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