※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『人間族は特に言葉の分野における能力に特化した種族である。 様々な種族の言語を分析、習得することにより、様々な存在との対話、交渉を可能にするとともに、“言術”と呼ばれる奇術を使うようになった。 言術はその起源こそ明らかでないが、“その言葉に血と肉を”という、非常に宗教じみた思想からその研究が始まったとされる。キュリセリアでは一般に言術を研究、使用するものを総じて“言術師”と言う。 また、人間族は“自分の存在を示す言葉”である名前に異常なほどに気を使う。そのため、人間族の教会には福音を乗せた名を人々に与える『命名師』と呼ばれる役職が存在するほどである。 これは余談であるが、高等な言術を使う言術士ほどその傍らには必ず1つか2つの楽器があると言われる。それは人が本来その言葉で紡げる音と想いには限界があり、その部分を楽器という媒体を使って補完していると言われているが、真実は定かではない。 〜チェルノバス公国 オルネア大学教授 狼人族 シオン=デルバラート著 《種族学》より抜粋〜 』
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ さて、自らを有難い言霊だと名乗るオルデュオに導かれ、近くの村へと前進していたはずの俺であったが、そんなその目の前にあるのは到底信じられない光景だった。 「…おい、オルデュオ。これはどういうことだ?」 俺はオルデュオに対する怒りを隠しきれない、というか隠す気も無い。 …というのも、俺の目の前にあるのは小さく長閑な農村などではなく、部外者に対する明確な拒絶の意思を示す、空を見上げんばかりの立派な城壁を備えた城砦都市だったからだ。城壁の上には数名の歩哨が外を警戒している。城壁の門は開け放たれているが、ここにもまた門番が2名立っていて、街へと出入りする人間を逐次取り調べている。 さてそんな街に入ろうとしている俺の今現在の服装だが、リーネのとんでもない力で真っ暗な小部屋から突如吹っ飛ばされてしまっただけあって、万人が見ても旅人とすら思われないくらいにみすぼらしい姿をしていた。 儀式用の真っ白だったローブは床に雑魚寝してたせいもあって、薄汚れて見る影も無い。旅をするのに当然背負っているであろう荷物も無ければ、日差しや雨を凌ぐための帽子やコートも持っていない。小部屋に入るときに靴は履いたままだったから、かろうじて裸足で街まで歩くなんてことにはならなかったが、この格好のまま城門まで行けば、浮浪者か変質者扱いされて叩き出されることは間違いない。 ちなみに事前に確認したのだが、俺の髪の毛は燃えさかる炎のように真っ赤だった。目もおそらく碧色になっているのだろう。もちろん俺はどこの出身の人間がそんな面になるのか知る由も無い。 そんなこんなで俺は別段悪事を働いたわけでもないのに、木の陰に隠れて城門の様子を伺うという、物語の主人公に有るまじき惨めな姿に甘んじている…。 これだけの問題を抱えて、正に目と鼻の先にある街に入ることができない、俺の怒りの矛先がオルデュオへと向かうことは当然のこととご理解頂きたい…。 ――さてと…、 「おい!オルデュオ!!ここにあるのは小さな村だったんじゃないのか!? …それともあれか。お前の感覚ではこれが小さな村だって言うのか?」 話しかける相手が相手なだけに俺は未だにどっちを向いてしゃべればいいか分からない。オルデュオ曰く、何でも俺の存在情報とやらに自分の肉体兼精神である言葉を同化しているとかどうとか言っているが、俺に言わせればシラミやノミみたいな寄生虫となんら変わりが無い。 まあ、心優しい俺は口が裂けてもそんなことは言わないが…。 さて、オルデュオは俺の怒りの声を受けて、ガラにも無くうろたえているようだ。 「いや、そ…そんな馬鹿な。俺の得た情報では確かにここにあるのは村だったはずだ ぞ。そんじょそこらのエセ言術士ならまだしも、この言霊である俺様がこんな凡ミス を冒すなんて有り得ない…」 「じゃあ、やっぱりお前の有難い言葉によるとあれは村だってことなのか?」 「……イエ、チガイマス」 「じゃあ何か俺に対して言うことの一つや二つや、三つや四つあるだろ?」 「ごめんなさい。すいません。申し訳ありません。お許しください」 ――…こいつのどこが頼りになるんだか。 そんな小言が後をついて出そうになるが、まあ間違ってしまったものは仕様がない。 俺は何とかして街に入れる方法はないかと考える。が、
…思いつくハズも無い。
俺は言葉(文字)通り眼前に立ちはだかる大いなる壁を前にして頭を抱える。 「うわああ。こんな街を目の前にして野宿なんて俺はいやだぞ!!」 「そうです、そうです。野宿なんて寒いし、怖いし。良いことなんて何にも ありませんよね」 …突然横から聞き覚えの無い返答を聞いて、俺はそちらに振り向く。 「ん、うわあ!?な、何だお前は!?」 何と俺の横には身長140センチ、推定12歳と思われる少年が、こちらに向かって微笑みかけているではないか。 「え、ぼくですか?ぼくは木の陰で城門を恨めしそうに見る旅人が気になってそばに来てみた一青年ですよ」 「その一青年が何でまたそんなに俺の近くに来る必要がある?」 「へっへ〜。だって何だかからかい甲斐がありそうじゃないですか」 …このガキ。どうやら人を馬鹿にしているようだ。…ここは教育的指導を施してやらねばなるまい。 「おい、小僧。人を驚かすようなことはするなって親に教わらなかったか?残念ながら今俺はいろいろとあって機嫌があんまり良くないんだ」 俺は少年の襟首をつかんで持ち上げる。これには相手も驚いた様子で足をじたばたさせる。ふむふむ、いい気味だ。 しかしながら、どうやら相手はこの状況下においても、まだ反抗の姿勢を崩す気が無いらしい。こちらに大声で吠えてくる。 「お、おい!止めろ、離せ!!僕は教会の神官だぞ!!それに僕は小僧なんかじゃない!!今年でもう20歳だ!!」
――……に、20歳!? 俺は改めて右手に抱える不審物を眺める。短く切り揃えられた灰色の髪、目も幼さを備えながらも知性的な光を宿しているような…、身体も成年男子としては奇跡的なぐらいに華奢で小柄だが、教会でのお勤めを考えれば分からないでもないような…、つまりは高貴そうな気品こそ備えているものの20歳の神官さまとは到底思えない…。辛うじて彼の青い法衣だけが必死に自己主張している。 「ははは…。ま、まさかあ。それにしても中々良くできた仮装だな。どこで仕立ててもらったんだ?」 「仮装なんかじゃありません!!もう、そんなに疑うんならこれを見てください!!」 少年(仮)は懐から何やら取り出して俺に見せる。それは印籠…ではなく杖の上に英知の象徴である梟が止まっている姿を模した紋章だった。もちろん俺はそれが何か知りはしないが、まあ教会の神官である証明になるだろうものであることくらいわかる。 「……、それはそれは。どうもいろいろと失礼なことをしちゃったみたいで」 「全く、ほんとですよ。…それより分かったら早く下ろしてもらえません」 俺は20歳の青年をその手にぶら下げていたことに気づく。 「へ、あっ、ああ。本当に申し訳ないねぇ。ははは…」 慌てて相手を下ろす。いやはや世界も広いもんだな、と俺はこのチビッコ神官を見て思う。
さて、ある程度互いの気持ちが落ち着いたところで、神官様はいかにも偉そうに…、いやいや威厳ありそうな態度で話し出す。 「……こほん。あなたにはいろいろと言いたいこともありますが、僕もちょっとからかおうという邪な気持ちであなたに近づいたのは事実です。ここは全て水に流しましょう。さて、僕はサンテノン教会から遣わされた命名師ジミニー=カーティスです」 相手はご丁寧に自己紹介をしてくださる。しかし、 「めーめーし?羊飼いか何かか?」 俺は失礼な質問で返してしまう。思えば物心ついてから、村から出ることの全く無かった俺は知らないことがあって当然だ。ここは開き直ることにする。 「違いますよ!!“めいめいし”!人々に幸福をもたらす名を与える歴とした教会の役職です。もちろん教会でも命名をしてますけど、こうして要請があった町や村を回ったりもするんです。…あなたのところには来たことがないんですか?」 「無い」 俺はきっぱりと答える。ジミニーはがっくりと肩を落とす。 「へぇ…。まあ今では人々の信仰心も地域によってまちまちですから。そんなところもあるのかも知れませんね…。ところであなたは?」 「ん?」 「自己紹介ですよ、自己紹介。こちらが名乗ったんですよ。そちらも名乗るのが筋でしょう」 お決まりだが、もっともな意見をジミニーは言う。さて答えるかと俺が口を開こうとすると、 「俺様の名前はオルデュオだ」 例の居候が割り込んでくる。 ――さっきまで大人しくしてたくせに、なんだこの図々しさは?全くこのお邪魔虫が。 俺はオルデュオに対して軽く毒づく。対してジミニーは、 「オルデュオですか?知らない名前ですね?」 と何か意外そうに言う。 「知らない?俺様とあんたは今会ったばかりだよな?そりゃどういう意味だ?」 オルデュオはすかさず突っ込む。ジミニーは慌てて、 「いやいや、ちょっと表現を間違っただけです。深い意味はありませんよ。ところでオルデュオさんはどこの出身なんですか?」 と普通に答えて話題をそらす。 ――全くオルデュオも細かい言葉の間違いを許せないのは言霊故なんだろうか?さて出身か…困ったことになったが、ここもオルデュオが答えてくれるんだろうか? と、 「いや、それがいろいろ調べてみたんだがな。どうやら時間軸の設定を間違えちまってたらしくてな。修正に苦労したぜ。なにせあれから300年近く経ってるもんでなあ」 「?」 オルデュオは俺たち二人を置き去りにして何やら説明する。何のことやらさっぱりわからない。ジミニーもきっと同じだろう。オルデュオはそんなことはお構いなしに説明を続ける。 「さて、そうそう出身だったな。ここより北西のほうにチェルノバス公国ってのがあるだろう?俺はそこの北のはずれの村シヴァスの出身だ。あそこはイチゴが名産でなあ。俺様も小さいころは、よく畑に入っちゃ摘み食いしたもんだ。あんたも神様にお暇をもらうことがあったら食いに行ってみたらいい」 「は、はあ。それはずいぶんと遠くから旅をされているんですね」 ジミニーは驚いてこそいるが、別に不審がっている様子は無さそうだ。 ――へぇ〜。オルデュオにしては上出来だな。さてそろそろ俺に主導権を返してくれよな。 俺はオルデュオに小声で語りかける。しかしなおもオルデュオの話は続いてしまう。 「ところであんたは命名師だって話だが…。俺様もあんたから名前をもらえば、その福音とやらで幸せになれるのか?」 「それはできませんよ。一人の人間に名前は一つだけです。いくつも名前を持ったりしたら、神とこの世界に対してそれだけ多くの使命を負うことになって大変なんですからね。名前を二つも三つも持とうなんて思わないことです」 「まあ、それより何より多重存在なんて創った日にゃ、そちらのお仕事も大変だものなあ。そうだろ?」 「!?」 一瞬ジミニーの顔がひきつるのを俺は見逃さなかった。ここまで来てオルデュオは真剣なその眼差しを緩め、 「いや、ごめん、ごめん。ちょっと俺様もからかってやろうと思ってやったんだけど、ちょっとマジになっちゃったみたいだな。ところで言い忘れてたんだけど、俺ここまでくる途中に盗賊に襲われちゃって、持ち物全部盗られちゃったんだよ」 とジミニーの前で両手を合わせる。ジミニーはしばらく話を理解できていなかったようだが、 「え?えぇっ〜!そうだったんですか!どおりで旅人や冒険者にしては、何一つ持って無いから可笑しいなとは思ったんですけど。ああ、僕はそうとも知らずになんて心無いことを…」 ジミニーはがっくりとして、うなだれる。オルデュオはそんなジミニーを励ますように声をかける。 「な、だからさ。俺様は当然あの街に入る通行証も持ってないわけ。できればあんたのそのご威光で俺様も入れてもらえないかな?」 これを聞いてジミニーの目がきらりと光る。 「ええ、もちろんですよ。困っている人を見て助けなかったとあれば、私も神官失格です!ここは私の全権限を持ってしてもあなたを通して差し上げましょう」 ジミニーはえへんと胸を張る。全く感情のコロコロと変わりやすい奴だ。…ただ悪い奴でないのは確かなようだ。 オルデュオの方はジミニーとの会話に満足したのか、 「よし、じゃあ後のチビとの会話は任せたぜ、ルーファス!」 と言ってやっと俺に指揮権が返ってくる。しかし、この一言はジミニーにも少し聞こえていたらしい。 「…?どうかしました、オルデュオさん?」 俺はオルデュオと呼ばれることに少し戸惑ったが、 「いや、何でもない。独り言だよ」 と無難に返す(というか返したつもりだ)。ジミニーは不思議そうにこちらを見ていたが、 「じゃあ僕は門番の人達とちょっと交渉してきますね」 と言って城門の方へと走り出す。
彼が門番と何やら話している間、オルデュオから声をかけてくる。 「気をつけろよ、ルーファス」 「え、何が?」 「あんまりあいつを信用しすぎるなってことさ」 意外な一言に俺は目を丸くする。 「どうして?確かに癖はあるけどいいやつだぞ」 俺はオルデュオに反抗する。これから俺達を助けてくれようという奴を疑えだなんて、どうかしてる。 「どこまでいっても、奴らは新たなる神の名を探す狂信者だ。長い付き合いだから、俺にはわかるんだよ。お前も近いうちに嫌でも気づかされるさ…」 「?」 俺はオルデュオの真意を汲みきることができない。 と、そんな二人の会話などお構いなしに、 「オルデュオさ〜ん♪許可出ましたよ〜」 ジミニーの高い声が、城門からでも俺の耳に強く響いた。
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