金曜日の夜、勇樹は会社の同期と二人で、夜の街に繰り出していた。 「がははは、勇樹お前、そんなんだから女の一人も、ものに出来ないんだぞ。それに俺と同じでまだヒラだし」 同期の坂田が勇樹のカラオケを聞いて爆笑した。 「どれ、ちょっと貸してみろ」 マイクを取ると、坂田は隣にいた店のあやちゃんに曲をリモコンで入れてもらった。お前こそ、リモコンの操作もできないくせに、よく言うよ。と言おうとしたが、坂田はすくっと立ち上がって、もう歌う準備に入っていたので、勇樹は余計なことは言わなかった。 まあ、坂田は確かに歌は下手ではないし、気持ちが入っているような歌い方ではある。自慢するのも分かる気がする。しかし、同期はもう係長なのに、俺とこいつはまだヒラで、金曜日の度に騒ぐことしかやることもない。 「どうだ、これが歌ってもんだ。心を込めて歌えば、ちょっと音程が外れても、人の心に染み入るもんさ」 「ちょっと音程が外れるのはいいけどな、お前のは外れすぎだ。そんなんだから、お前も金曜日の夜に俺と騒ぐことしかできないんだ」 「まあ、お前の宴会芸のカラオケよりはましだと思うがね。しかしさ、俺は入社して、ずっと男ばかりの部署にいるから、全然いい思いしてないんだよ。そうだ、勇樹、今度合コンしようぜ。お前、誰か連れて来いよ」 「連れて来るような女がいれば、連れて来てやるよ」 「随分冷めた返事だねぇ。お前も俺と同じで女には縁がないようだな」 「まあな。大学は工学部だったし、女に縁がある訳がない」 「確かお前、高校、男子校じゃなかったか?」 「そうさ。そうだ男なら知り合いがたくさんいるぞ」 坂田はタバコの煙を吹き出して、がっくりと頭を下げた。 「なんて悲しい高校時代を過ごしてきたんだ。ということは、お前、高校時代は彼女いなかったのか」 その時、勇樹の携帯が三回鳴って止んだ。 「おい、勇樹、今のメールじゃないのか」 「ああ、メールだ」 「ああメールだ?お前見ないのかよ」坂田は怪訝な顔をした。 「俺の所にくるメールは、いたずらメールばかりさ」 勇樹は携帯を取り出して坂田に渡した。坂田はそれを手に取るとがちゃがちゃといじっていたが、メールを開くことは出来なかった。みかねたあやちゃんが「ちょっと坂田さん、メールの見方も分からないの?」と言って携帯を取り上げた。 「バカ言え。機種が違うから分からないだけだ」 まあ、こいつもメールなんてめったに来ないのだろう。機種が違っても、多少知識があればメールくらい開けるはずだ。お前も俺も、結局、女には縁がないってことさ。勇樹がニヤニヤして坂田を見ていると、坂田もその視線を感じたらしく、ニヤッと照れ笑いを浮かべた。 「勇樹さん、見ていい?」 あやちゃんが、坂田のグラスを拭きながら勇樹に聞いた。 「別にいいよ。でも、若い女性には刺激的かも知れないけど」 「大丈夫。私これでも知識だけは豊富だもーん」 あやちゃんは、携帯のボタンを慣れた手つきで押し始めた。 「ちょっと、勇樹さん。二ヶ月前のメールもあるわよ。本当に、全然見てないんじゃない」 坂田が、携帯を覗き込んだ。 「しかし、二ヶ月もメールを見てないのに、全部で七件ってのも寂しいな。なになに、秘密クラブの会員案内?がははは、これは典型的ないたずらメールだ」 「あなたとの出会いは?もう、こんなのばっかり。やだこれー、私こんなの読めなーい」 さすがのあやちゃんも目をそらした。坂田は携帯を見て大笑いした。 「これは、あやちゃんは読めないだろう。なになに、人妻との出会いを、ってのもあるな、これが今来たやつか、えーっと、幸恵ちゃんがあなたを待ってまーす。幸恵ちゃんか、そうか、勇樹、お前幸恵ちゃんと付き合っていたのか。お前もすみに置けないな」 坂田は、ゲラゲラと笑いながら、勇樹に携帯を返した。 「この幸恵ちゃんて言う子でいいから、俺に愛を持ってきて欲しいもんだ」 勇樹は携帯をポケットにしまい、グラスに残っていた水割りを飲み干した。 「坂田、そろそろ帰ろう」 「もう、こんな時間か。じゃあ帰るか」 「また、来てねー」あやちゃんの愛想笑いに見送られて二人は店を出た。
勇樹がアパートに着いたのは、午前一時を回ろうとしているところだった。何故か、勇樹はさっき坂田の言った「心を込めて歌えば、ちょっと音程が外れても、人の心に染み入るもんさ」という言葉が耳に残っていた。 あいつもたまにはいいことを言うよ。それは音楽だけに当てはまるものではない。歌が気持ちを伝える手段であれば、当然、言葉や表情や行動もその手段と成り得る。 勇樹は高校時代の自分を思い出した。あの頃、俺の気持ちは五十%でなく百%伝わっていたのだろうか。あの頃は、言葉を選ぶにも使える言葉は少なく、人の気持ちを察するにも、経験したことのないことばかりで、今思えば、とんちんかんなことを言っていたような気がする。歌で言えば、音程が外れている状態だったろう。でも、自分の気持ちを一生懸命伝えようとしていたのは間違いない。 それを未熟と言うのだろうか。確かに、人間的には未熟だったかも知れないが、あの時の方が純粋に人と接していた気がする。気持ちと気持ちをぶつけ合っていた気がする。 それに、それは決して恥ずかしいことではない。誰もが通る道であり、それによって人は成長していくのだから。勇樹は階段を上りながら一人でそんなことを考えていた。 高校時代を思い出した勇樹は、アパートの部屋に入ると、高校時代のアルバムをぺらぺらとめくった。そこには、バカな格好をした同級生や、ギターを持って歌っている自分の姿があった。 いまじゃ、考えられないことをしていたな。勇樹は懐かしい目で写真を見ていた。 こいつは、今、何してるんだろうな。そう言えば、こいつ坊さんになったって聞いたけど、こいつの説教は聴きたくないな。ああ、大野は学校の先生してるんだっけ。 勇樹の手が止まった。そこには、湖を背に照れくさそうに並んで立っているカップルの写真があった。立っている二人の微妙な距離が、まだ若さを物語っているようで、勇樹は、何度見ても恥ずかしい気がしながらも、懐かしさを感じずにはいられなかった。 彼女は、頑張ってるって言うのに、まったく俺ときたら。勇樹は入社五年目の時に、大きなミスを起こし、責任を取らされて今の部署に配属になった。それまでは、周りも認める優秀な営業マンだったが、そのことがきっかけとなって、一気にやる気を失ってしまい、今では、坂田と二人で、同期の中で漫才コンビと言われていた。 もう一度その写真を眺めると、勇樹は、天井を向いて目を閉じ「はぁー」とため息をついた。
「どれ、今日のニュースでも見て寝るか」勇樹はネクタイを緩めネットでニュースを見始めた。 今日も大したニュースはない。あれこれとマウスを動かし、エンタメのページをクリックした。 「どうしんたんだ?また同じ病気になったのか?」勇樹はそのニュースを見て心配になった。そこには「女優、坂下京子が病気のためドラマ降板」と書いてあった。 坂下京子、本名、内山奈々枝。高校時代に勇樹が付き合っていた女性だ。 奈々さんは高校卒業後、東京の大学に行った。そこでスカウトされタレントになり、その後、女優をこころざした。最近は演技力にも磨きがかかり、主役まではいかないものの、重要な役所を任されるようになったと聞いている。 「聞いている」と言うのは、勇樹は、女優・坂下京子を見ることが出来なかったからだ。テレビに映るとチャンネルを変えていた。気恥ずかしいという気持ちと、なんだか心配で演技を見ていられないという気持ち、そして、今の自分と比べてしまい、自分のだらしなさに嫌気がさしてくるので、勇樹はテレビで坂下京子を見ることはなかった。 勇樹は、奈々枝が東京に行ってからは、一度も会ったことがなかった。「私、女優を目指します」、「頑張れ、応援してます」そのメールが、奈々枝との最後のやりとりだった。 それから、もう十年以上の年月がたっている。当然、奈々さんは自分のことなんか忘れているだろうし、俺だって、こうやってたまにネットで坂下京子を見るくらいで、それは、高校時代の懐かしい思い出に変わっている。と勇樹は思っていたし、それは嘘ではなかった。
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