「ごめん、待たせちゃって」奈々枝が一時を十五分位回ったところで現れた。 それを見て勇樹はドキッとした。いつもより大人びた服装の奈々枝がそこにいたからだ。しかも、耳には小さいながらもイアリングをしているではないか。勇樹は、自分の、TシャツにGパンという格好と見比べて、あまりの落差に、最初からワンツーパンチを食らったような気がしてしまった。 勇樹は、さっきまで真夏の太陽なんて感じないくらい緊張していたのが、急にじりじりとした不快なものになったような気がしていた。 「いえ、俺もさっき来たばかりですから」 初めてコンビニで客と接するアルバイト店員のような固い笑顔で勇樹は言った。 二人は音符に入っていった。吉田がいつもの格好で店の中を掃除していた。 「おう、どうした。ギターでも買いにきたのか」吉田は雑巾を絞り、立ち上がると二人の方へ向かって来た。 「いえ、そんなお金はありませよ。今日はピックを買いにきたんです」 「おおそうか。じゃあ、そこにあるやつ、適当に見ていいぞ。あれ、奈々枝ちゃん今日はいつもよりきれいじゃないの」吉田はポンと奈々枝の肩を叩いた。 おい、その雑巾を絞った汚い手で触るな。勇樹は口を尖とがらせた。吉田はそんなことには気が付かず、また、ガラスケースを拭き始めた。 勇樹と奈々枝が二人でピックを見ていると、吉田が話しかけた。 「ところで、今日は二人だけなの?」 「ええ、今日は二人だけです」勇樹は答えた。 「怪しいなー、勇樹の顔を見れば見るほど怪しいなー」吉田はひげをなぞった。 「俺の顔に何かついてますか?」 「鼻の下が、いつもの二倍はあるぞ」 「鼻の下二倍あります」勇樹は奈々枝の方を見て、鼻を突き出すようにした。奈々枝は何も言わずに笑った。 「これがいいんじゃないかな」奈々枝が白いピックを手に取った。それは、ごくごく普通のピックだった。でも、勇樹は奈々枝が選んだくれた、世界に一つだけだのピックを迷わずに買った。 「そうか、そうだったのか。お前ら、そういう仲だったのか」おつりを持って来た時、吉田が言った。 勇樹も奈々枝も何も言わずに、笑って音符を後にした。すぐ夏の太陽がじりじりと照りつけてきた。 「ねえ、勇樹君。私も付き合ってもらっていいかな。ちょっと文房具屋さんに行きたいの」 「もちろん、いいですよ」勇樹に断る理由のある訳がない。 二人は文房具を見て、レコードショップを見て、本屋にも寄って、そして、喫茶店で話しをした。ボイスはさゆりや文江がいそうだったので、違う喫茶店に入った。喫茶店で、勇樹は、奈々枝に告白するつもりでいた。しかし、周りの客の目が気になって、ありきたりの話でお茶を濁してしまった。 ああ、今日は告白できないかも知れないな。勇樹は帰り道奈々枝と歩きながら考えていた。喫茶店で言おうとしても、人が多かったような気がするし。それにこの道も人が多いし。いや、そんなに多くはないけど、多いような気がするし。そうだ、その先に公園がある。そこで、そんな雰囲気になれば言えるかも。 「あのー、そこの公園歩きませんか」勇樹は誘ってみた。 「うん、いいよ」奈々枝は勇樹の後をついてきた。 公園では、小学生が五、六人遊んでいた。こいつら、俺の邪魔をしやがって、と思いながらも、勇樹はなんとなくほっとしたのも嘘ではない。しかし、小学生は勇樹たちが公園に行くと、「じゃあな」と言ってみんな帰って行った。やばい、みんな帰っちゃったよ。勇樹は全身がしびれてくるのを感じた。 公園の池の周りを歩いていると、勇樹の緊張はピークに達した。昨日あれだけ準備したのに、なんて言っていいのか分からなかったし、言葉が一つも出てこなかった。 「奈々枝さん、今日は、無理言って付き合ってもらって、ありがとうございました。」 勇樹はありきたりのお礼を言った。 「ううん、いいのよ。私こそごめんね。いろいろ付き合わせちゃって」 「いえ、でも、とても楽しかったです」 「本当?そう言ってもらえると、うれしいな」 えっ、うれしい?その言葉に勇樹の胸は高ぶった。もしかして、これは、じゃあ、今こそ言うしかない。 「あのー、そのー、じゃあ、また、誘ってもいいですか?」 ダメだ言えない。 「うん、私でよければね」 私でよければ!これは、本当にもしかするぞ。勇樹、いまこそ言うんだ。勇樹は、自分を奮い立たせた。 「あのー、あのー、俺、そのー、奈々枝さんを・・・好きになってもいいですか」 ダメだ勇樹、なんだその中途半端な言葉は。勇樹は自分で自分を叱咤し、そして頭の中は割れんばかりに脈打ってきた。 「うん」奈々枝が頷いた。 うんか、そうか、えっ、うん?勇樹は立ち止まって、勇気を出して奈々枝を見た。奈々枝も立ち止まって勇樹と目を合わせた。 「じゃあ、私も勇樹君のこと好きになってもいい?」奈々枝がちょっと緊張した顔で勇樹をみつめた。それを聞いて勇樹は言った。 「俺、もう奈々枝さんのこと好きになってました。俺と付き合って下さい」 「うん」奈々枝は頷いた。 勇樹も奈々枝も、夕日に負けない位、赤い顔をしていた。でも、二人ともそのときは、そのことに気づかない位に緊張していた。 急に、ざっざっと足音が聞こえた。二十代後半のカップルが勇樹達の脇を通り過ぎた。勇樹は、そのカップルはなんとなくにやにやしていたような気がした。 「聞かれちゃったかな?」勇樹がカップルの後姿を見て言った。 「勇樹君、結構、大っきな声だったから、聞こえてたと思うよ」 「すごく緊張してたんで、そんなこと気づかなかった」奈々枝は、ふふっ、と言って笑うと下を向いた。 二人は、公園を出て交差点の赤信号で止まった。 「ねえ、私、これから、勇樹、って呼んでいい?」奈々枝は勇樹を見た。 「いいですよ。じゃあ、俺は、えーっと、奈々さんって呼びます」 「いいよ。じゃあ勇樹、ここでいいよ。勇樹の家、この近くでしょう」 「いえ、今日は送って行きますよ」 「いいよ、無理しないで」 「今日は送って行きたいんですよ」 「じゃあ、送ってもらおうかなー」 「いいですよ、奈々さん」 勇樹は奈々枝を家まで送った。奈々枝は勇樹が見えなくなるまで見送ってくれた。勇樹はそんな奈々枝の気持ちがとってもうれしかった。勇樹にとって、こんな気持ちになったのは初めての事だった。 でも勇樹は、もやもやしたものがなくなったと思ったら、なんだか、別のもやもやが自分を支配してきたことに気付いた。今日はとってもうれしいはずなのに、このもやもやは消えることはなかった。メールで「おやすみ」と送ったら、「おやすみ」と帰ってきた。その時は一瞬もやもやは消えたが、また、すぐ、入道雲のように勇樹の心の中を荒らし回った。
次の日、勇樹は町でばったり弘道に会った。弘道は彼女を連れていた。 「勇樹君じゃないか。どうだ、ちょっとお茶でも飲むか」と誘われたので、勇樹は遠慮なくついていった。 「ああ、この子、こないだライブに出てた子じゃない」椅子に座ると弘道の彼女は言った。 「そうだよ」 「若いのに、あの度胸は大したもんだって、みんな言ってたわよ」 「でもな、こいつすごい緊張してたんだぜ。だけど良かったよ。俺も大丈夫かなって思ってたんだけどさ」 あれやこれやと話しをていると、勇樹は思い立った。そうだ、弘道さんなら、このもやもやの正体を知っているかも知れない。そう思った勇樹は弘道に聞いてみた。 「勇樹君。それはな、人を好きになったからだよ。その人と一緒に居たい。話しがしていたいって思うだろ。でも、現実にはそうはいかない時のほうが多い。だからもやもやとしているんだと思うよ」 「その気持ち分かります。そうか、それが、このもやもやの正体だったんですね」勇樹は何度も頷いた。 「そうさ。そのうち、その彼女と何度も会っているうちに、手を繋ぎたい、キスがしたいって思うようになる。どんどん、そういう風に思ってくるのさ。だから、残念ながら、そのもやもやはしばらく消えないよ」 「そんなもんなんですかね」 「いいじゃないか。そんな気持ちになるってことは、恋してるってことさ。俺なんかうらやましいよ」 「あら、じゃあ、弘道は私といて、そんな気持ちにならないの?」横に座った彼女が割って入った。 「バカ、俺は勇樹君より大人だから、その気持ちをコントロールできるだけで、勇樹君はまだ若いから、こうやって苦しんでいるのさ」 「どうだか」彼女はチラッと横目で弘道を見た。 「弘道さんは、若い頃、同じ思いしました?」 「ああ、したよ。勇樹君とまったく同じだ」 「女の子もそれは同じ。私も、いつも一緒にいたくていたくてしょうがなかったもの。きっと君の彼女も今頃同じ思いをしてるはずよ」 「そうですか。なんか、自分だけ、こんな思いしてるのかと思いましたけど、みんなそう思ってるんですね」勇樹は弘道と話して、随分楽になった気がした。 「ところで、勇樹君の彼女、奈々枝ちゃんかい?」弘道が突然聞いた。 「何で、知ってるんですか」 「昨日、音符にいったら、吉田さんが、勇樹が鼻の下二倍に伸ばして奈々枝ちゃんと一緒に来た、って言ってたからさ。いいじゃないか、君達、お似合いのカップルだと思うよ」弘道はにこっと笑った。 あのヒゲ親父。汚い手で奈々さんには触るは、俺の鼻の下が二倍になってるって言い触らすは、とんでもない親父だ。勇樹はそう思いながら鼻の下を触った。 「ああ、奈々枝ちゃんって、私の近所に住んでいた子ね。あの子、お父さんいないのよね」彼女が言った。 「えっ?」勇樹は驚いた。 「あら、ごめんなさい。知らなかったの?」彼女はちょっと困った顔をした。 「初めて聞きました」もちろん勇樹は、そのことは知らなかった。 「どうして、お父さんがいないんですか」勇樹は聞いた。 「私から聞いたって言わないでね。お父さん、二年前に事故で死んじゃったの。その時は、まだ、奈々枝ちゃんが中学生だったから、卒業するまで待って、引越したのよ」 そういえば、昨日送っていった所は、勇樹の行っていた中学の学区だった。でも、奈々さんを中学校で見たことが無かったと思ったら、そういうことだったのか。勇樹は奈々枝の暗い部分を知って、少ししんみりとした。 「勇樹君。君がそういうことを忘れさせてやるくらいに、支えてやればいいんだよ」弘道が勇樹の頭を撫でた。 「そうですね」勇樹は頷いた。 「あれ?勇樹君、そう言えば、奈々枝ちゃんは一つ年上じゃないか」弘道がタバコに火をつけながら言った。 「そうです。一つ年上です」 「そうか。じゃあ、俺とこいつの関係と同じだな」弘道は隣の彼女を見た。 「女は一つ年上に限るぞ。金のわらじを履いて探せって言うくらいだからな。俺なんか、こいつが最高の女だって思ってるもん」 「あら、ご馳走様」隣の彼女はニコーっと笑って弘道を見た。ご馳走様は、こっちのせりフですよ。勇樹もニコーっと笑った。
「おい勇樹、奈々枝さん達遅いなー」勇樹と正人は夏祭りに設置された休憩所のパイプ椅子に座ってキョロキョロしていた。 目の前を、ハッピ姿や、ウチワを持った人達がひっきりなしに行きかっていたが、奈々枝たちの姿は見えなかった。 「きっと、おめかしして来るんだぞ。もし奈々枝さんが、浴衣姿なんかで来たら、俺くらくらしちゃいそうだ」 正人、実は俺、奈々さんと付き合い始めたんだ。勇樹は正人にそのことは言っていなかった。 今日の練習は正人が一番遅れてきた。勇樹が倉庫に行くと、すでに、奈々枝達は三人揃っていた。 「王子様のご到着だね」さゆりは勇樹を見るなり言った。 「からかわないで下さいよ」勇樹は頭をかいた。どうやら、奈々さんとのことは、全員知っているらしい。まあ、この三人の間だったら知っていてもおかしくはない。 勇樹は奈々枝に会えることはうれしかったが、正人の顔を見るのはつらかった。俺と奈々さんのことは正人に言わなくちゃいけない。でも、どう言えばいいんだろう。勇樹は、練習中そのことばかり頭をよぎって、練習に身が入らなかった。 そんな勇樹を見て、練習が終わるとさゆりが勇樹を呼んだ。 「勇樹、正人に話したの?」とさゆりが勇樹に聞いてきた。勇樹は黙って首を振った。 「それは、あんたたちが解決する問題だからね。あたしはもう手助けしないよ」さゆりはそう言うと戻って行った。 「おい勇樹、なにしてんだよ。帰るぞ。今日、夏祭り行くんだろう」正人がギターを持ってやってきた。 「ああ」勇樹もギターを背負うと、自転車に乗って正人と並んで走った。その時、勇樹は奈々枝のことを正人に話そうと思ったが、とうとう言えなかった。そして、こうやって勇樹と正人は二人で並んで、奈々枝達が来るのを待っているのだ。 勇樹は、ちらっと正人を見た。さっきの練習の時といい、今といい、正人だけが真実を知らないんだ。それは逆に正人にとって、不幸なことじゃないのか。うんと一人で頷くと、勇樹は正人に話しかけた。 「正人、ちょっと聞いてくれ」勇樹は体を正人に向けた。 「なんだよ、真面目な顔して」正人は首だけ動かして勇樹を見た。 「実は、俺さ、奈々枝さんと付き合い始めたんだ」勇樹が言った。 「そんなこと知ってたよ」正人は前を向き、ウチワで自分の顔を仰いだ。 「おととい、お前と奈々枝さんが一緒に歩いているの見たよ。あれはどう見ても恋人同士の顔だった。いつお前が俺に報告するか待ってたんだ」 「知ってたのか」勇樹も前を向いて、ウチワで自分の顔を仰いだ。 「大丈夫、俺はそんなことで、お前をどうのこうの言ったりしないから。それに、昨日一日泣いてたから、もう、辛いのも流れてしまったよ。ただ、一発お前を殴ってやりたいとは思ったけどな」 「正人、殴っていいぞ」 「いや、そんなことしないさ。俺が殴ったって何の意味もないだろう。それはただの暴力だ。でも、お前が奈々枝さんを泣かせたら、俺が殴ってやる。それまで、取っといてやるよ」 正人は相変わらず前を向いていた。 「正人」勇樹は黙って正人の横顔を見ていた。 「なんだよ、シンキくさい顔しやがって、俺はなんとも思ってないって・・・いや、嘘だ、すごくショックだ。でも、それは、奈々枝さんを取られたことがショックなだけで、俺とお前の関係は今までも、これからも同じだ。気にするなよ」 正人は、また、前を向いてウチワで顔を仰いだ。しばらく勇樹と正人はそうやってただ前を向いてパイプ椅子に座っていた。 「ごめーん。遅くなって」奈々枝と文江が三十分遅れで到着した。 「どうしたの二人とも黙っちゃって」文江がしゃがんで、勇樹と正人の顔を覗き込んだ。 「文江さん、どうしたのその浴衣!」正人は驚いた。勇樹も驚いた。文江はピンクに黄色にオレンジに、まるでアニメの世界から飛び出してきたような浴衣を着ていた。しかも、髪も黄色や赤が織り交ぜてあって、通り過ぎる人も文江を見て驚いていた。 「これ?これはねえ、私のお気に入りなの。どう?似合うでしょう?」文江は勇樹と正人の前でくるりと回った。 「文江さん、よく似合ってますよ」正人が言った。 そう言えば正人もアニメは好きだ。こういう感性は好きな人間でないと分からないだろう。 「文江は去年もそれ着てたよね」横にいる奈々枝が言った。勇樹は立ち上がって、奈々枝を見た。奈々枝は紺を基調にして、花柄の模様がある浴衣を着ていた。 「奈々さんも、とっても似合ってますよ」 「ありがとう。でも、私のはちょっと地味だけどね」 「文江さんのが、目立つからそう思うんですよ」 突然、正人が勇樹の肩に手を当てて奈々枝に言った。 「奈々枝さんもとっても似合ってますよ。俺、くらくら来てますもん。それから、こいつのことよろしく頼みます。こいつ、悪い奴じゃないのだけが取り得ですけど、俺にとっては大事な友達なんです。だから、面倒見てやって下さい。ほら、お前も頭下げろよ」正人は勇樹の頭を手で抑えた。奈々枝も文江も笑っていた。
四人で歩きながら山車を見ている頃には、日はすっかり落ちていた。しかし、人込みと、熱を持った地面からの放熱、そして、祭りの熱気が、むんむんと体に張り付いてきた。 勇樹は、露天の明かりや街灯に照らされる奈々枝を見ていた。髪を上げた奈々枝は、時折うなじが見えた。勇樹はそれを見てドキっとしては、前を向き、またドキっとしては前を向きを繰り返した。 奈々さんきれいだなー。勇樹が奈々枝を見ていると、奈々枝がその視線を感じたのか、くるっと勇樹の方を振り返った。 「勇樹、どうしたの?」 「いえ、その、奈々さんきれいだなーと思って」勇樹は照れ隠しに、一つせきをした。奈々枝も照れたようにニコっと笑うと、なにも言わずに前を向いた。 そうこうしているうちに、だいぶ混雑してきた。四人一列で歩いていたが、いつの間にか文江と正人がはぐれてしまった。勇樹は前を歩き、その後ろを奈々枝がついてきていた。 勇樹は後ろを振り返りながら歩いていたが、奈々枝が遅れそうになったので、右手を差し出した。奈々枝は右手で勇樹の手をぎゅっと握った。そのまま、しばらく歩くと、ようやく空いている場所に出た。 勇樹と奈々枝は、その場所で正人と文江を待つことにした。勇樹はウチワで体を仰いだ。奈々枝も顔をウチワで仰いでいた。 「勇樹の手、大きいね」奈々枝が言った。 「そうですか。いや、人と比べたことないから、分かりませんけど」勇樹は右手を広げて奈々枝の顔の前に差し出した。 「ほら、やっぱり大きいよ」奈々枝は左手を勇樹の手と合わせた。 「俺、男ですから、奈々さんよりは大きいですよ」 「そうだよね。男の人の手は大きいよね」奈々枝の目が一瞬曇った。勇樹は、静かに合わせていた手を下ろした。 「奈々枝―、元気してたー」突然、女の子三人が奈々枝に声を掛けてきた。どうやら同級生らしい、勇樹は一歩下がって、奈々枝と女の子が話しているのを脇で見ていた。 しばらくすると、一人の女の子がちらちらと勇樹を見出した。そして、ひそひそと話しをすると、突然声が上がった。 「やだー、うそー、そうなのー」 自分のことを話されていると思った勇樹は、何となく気恥ずかしくなって、さらに一歩下がった。その時、勇樹は側溝に足が入り、転んでしまった。 「勇樹、大丈夫?」奈々枝が駆け寄った。 「大丈夫です」勇樹は、足に激痛が走ったが、奈々枝の友達にみっともない所を見られた恥ずかしさから、何事も無い様に立ち上がった。 「じゃあ、私たち、行くから、じゃねー」奈々枝の友達は、また、ぺちゃくちゃ話しながら立ち去った。 勇樹は、「うっ」と言うとその場に座りこんだ。 「どうしたの勇樹?」奈々枝が心配そうにしゃがんで、勇樹の顔をみつめた。 「大丈夫、すぐ直りますから」勇樹は顔を歪めて、痛みを我慢した。どうやら転んだ拍子に、右足のくるぶしを痛打したようだ。 しかし、勇樹の足からはなかなか痛みが引かなかった。勇樹はしばらくその場にうづくまっていた。そのうち、正人と文江もやってきた。 「勇樹君、大丈夫?」文江が声を掛けた。 「勇樹、お前くるぶしぶつけたのか?」正人はしゃがんで、正人が押さえている所を見た。勇樹は黙って頷いた。 十分もすると、徐々に勇樹の足からも痛みが引いていった。「もう、歩けるかも知れない」勇樹は立ち上がった。おそるおそる右足を前に出した。歩けないことはないが、体重を掛けると痛みが走った。これは、みんなと一緒に歩くのは無理だな、と勇樹は思った。 「ごめん、俺、もう帰るから、みんなでお祭り見てってくれよ」 勇樹は三人の顔を見回して言った。 「じゃあ、私、送ってく」奈々枝が勇樹の横に立った。 「え、でも」勇樹は奈々枝を見た。 「一人じゃ、心配だもん。私が送ってくから、二人はボイスのイベントにでも行って来たら」 「俺が、勇樹を送っていきますよ」そう言った正人を、文江が制した。 「いいから、正人君、ボイス行こ。じゃあ奈々枝、勇樹君のことよろしくね」手を振って正人と文江はボイスに向かった。後ろから見ると、文江が正人になにか言っているようだ。そして正人は頭をかいていた。
勇樹は、混雑している通りを、右足を引きずりながら歩いていた。 「奈々さん、ごめんね。せっかくの祭りだったのに」 「ううん、いいよ。でも驚いちゃった。勇樹が立てなかった時は、どうなるかって思ったけど」 「俺、くるぶしの骨くっついてないんですよ。だから、ここをぶつけると、物凄く痛いんです」 「直らないの」 「医者に、直らないって言われました」 しばらく歩くと、露天のタイヤキ屋があった。 「勇樹、タイヤキ食べるでしょう」 「食べる、食べる」 勇樹と奈々枝が、道路の端に腰掛けて、それぞれジュースを飲みながらタイヤキを食べていると、頭を坊主にした集団が目の前を通った。 「来年は、大成高校に勝って甲子園に行くぞ」一番前を歩いていた生徒が後ろを振り返って大声を上げた。「おおー」後ろの生徒もそれに合わせて大声を上げた。 「ねえ、勇樹。どうして高校で野球やらなかったの。もしかして、坊主になるのが嫌だったとか」奈々枝はその集団をずっと目で追っていた。 「足のせいですよ」勇樹はタイヤキを口にほおばりながら言った。 「足のせいって?」奈々枝が勇樹を覗きこんだ。 「実は、俺、県大会でのピッチングが認められて、光ヶ丘学園に入学することになっていたんです。でも事前の健康診断で、くるぶしの骨がくっついてないって言われて。普段は痛くないんですけど、練習すると、痛くてたまらなかったんです。そんなことは誰にも言いませんでしたけど。まあ、仕方ないですね」 「本当は、野球やりたかったの?」 「前までは、野球部の練習見てるだけで嫌でしたよ。悔しくて。でも、今はそんなことは思わないですけど。それに、野球やってたら、奈々さんに会えなかったでしょう」 「なかなか言うな、こいつー」奈々枝が右手の人差し指で勇樹の額を押した。 しばらく、二人は黙って山車が通り過ぎるのを見ていた。 「勇樹、私も、言っておきたいことがあるの」奈々枝が切り出した。 「私、お父さんいないんだ。事故で死んじゃったの」 「そうなんですか」勇樹は、知らなかったフリをした。 「だから、さっき勇樹に手をつないでもらった時、お父さんを思い出しちゃって・・・なんか、ごめんね」奈々枝の目にはうっすらと涙が浮かんだ。 「奈々さん。一緒に頑張りましょう。音楽も、恋愛も、もちろん勉強も。二人で頑張りましょうよ」 「そうだね。ねえ、勇樹、もう一つタイヤキ食べない?」 「食べる、食べる」 勇樹は、奈々枝に家まで送って貰った。勇樹は角を曲がるまで奈々枝を見ていた。奈々枝は角を曲がるとき、勇樹に手を振った。勇樹も手を振った。 ああー、この瞬間がたまらなくせつない。もっと一緒にいたかったのに。勇樹はそう思いながら、家に入った。 寝る前に、奈々枝から「一緒に、頑張ろうね。おやすみ」とメールが来た。勇樹は「今日は、ありがとう。おやすみ」とメールを返した。
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