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作品名:返信 作者:黒川

第4回   4
 三人で練習を始めて、二ヶ月がたとうとしていた。毎週水曜日と土曜日には練習をした。
 相変わらず、奈々枝と文江も顔を出していた。最初は練習が終わる頃来ていたのだが、いくらうちの娘がじゃじゃ馬とは言え、女一人と男二人ではいくらなんでも、とさゆりの母が言ったこともあり、今では、最初から顔を出すようになった。まあいわゆる番犬のようなものだ。
 勇樹のギターも、歌も、最初の頃から比べれば格段に上達していた。他の二人も同じように、上達したのは言うまでもない。
 音楽村のライブにも当然、顔を出していた。こないだ、そろそろ、録音したやつ持って来いと、大森さんに言われたので、今日は二曲程録音することになっていた。
 先週、演奏を録音したので、今日は勇樹が歌を入れて完成だ。録音はさゆりの家で使っているカラオケセットを使った。
「じゃあ、行くよ」さゆりが、スイッチを入れると、曲が流れてきた。勇樹はちょっと緊張しながらも、なんとか二曲歌いきった。それを何度か続けて、一番良かったものを選んでCDに落とした。気が付くと全身汗だらけになっていた。
「結構よかったんじゃないか」正人は満足したようだ。
「後は、大森のおっさん次第だね」さゆりがカラオケセットのスイッチを押しながら言った。「ほら、ながすよ」
 ミスチルの曲がゆっくり流れてきた。本家本元にかなうわけはないが、勇樹も正人もさゆりも、初めて完成した曲に聴き入っていた。勇樹が正人を見ると涙を流さんばかりの顔で聴き入っている。奈々枝も文江も同じように静かに聴いていた。
「よし、じゃあ今度これを大森さんに聞いてもらおう。でも不安だな。奈々枝さんと文江さん、客観的に見て、どう思う?」勇樹が聞いた。
「大丈夫だと思います」文江が拍手しながら言った。
「うん、私も大丈夫だと思う。他の人に負けてないと思うよ」奈々枝も拍手しながら言った。
「奈々枝さんが言うなら間違いないな」正人はぼそっと呟いた。
「よし、今日は乾杯しよう」さゆりが言った。
 いつものようにテーブルと椅子を出して全員座った。この頃は、勇樹の左側に正人、勇樹の向かい側にさゆり、その向かって左側に文江、そして奈々枝は勇樹の右側の角に座るようになった。カタカナのニの字が、カタカナのコの字になったと言えばわかり易いだろうか。
 奈々枝がジュースを注いで、文江はお菓子の袋を開けた。
「乾杯!」
 大きな声で乾杯した。勇樹は汗をかいて、喉が渇いていたので一気にコーラを飲み干した。それを見ていた奈々枝が勇樹のコップにコーラを注いだ。勇樹はコップに左手を軽く添えた。
「勇樹君、その手どうしたの?」奈々枝が驚いて言った。
「ああこれ?これは左手で弦を押さえるから、この部分が固くなるんですよ」勇樹は左手を見せた。奈々枝は左手で勇樹の手をとり、右手の人差し指で勇樹の指先を触った。
「本当だ、凄い固い」
「私にも見せてー」同じように文江も勇樹の指を触った。
「痛くないの?」文江が聞いた。
「今は全然」
「俺の手も、ほらこんなになってるでしょ。なにも一生懸命やってるのは、勇樹だけじゃないですよ」正人が左手を前に出しながら、会話に割り込んだ。
「本当だね」奈々枝は手を見て言った。文江は目の前に差し出された指を手に取って、ちょんちょんと指で触り「本当ですね」と言った。
 勇樹は奈々枝に手を触られて嬉しかった。実は、勇樹は最近になって、奈々枝のことが気になりだしたのだ。それは、好きという感情より、あこがれの存在としてだ、と勇樹は思っていた。
頭の中で、奈々枝さんは高嶺の花だし、俺のことなんか気にする訳もないじゃないか。といった、ある意味逃げと言うか、もし奈々枝さんに彼氏が出来たら、と言った現実が目の前に立ち塞がった時の、ショックアブソーバーとして、そんな風に思うようにようなったのだ。
 無理だ無理だと思えば思うほど、頭の中は逆回転を始め、どんどん感情が高ぶっていく。それを押さえつけるように、勇樹は音楽にのめり込んで行った結果、人前でだって平気で歌えるようになったし、難しいコードを押さえられるようにもなった。
 だが、それは一時しのぎで、いつも、水曜日と土曜日の練習が終わった後は、せつない気持ちがこみ上げてくるのだった。

「そろそろ帰ろう」勇樹が立ち上がりながら言った。勇樹と正人が、椅子やテーブルやカラオケセットを片付けていると、女二人のひそひそ話しが聞こえてきた。
「奈々枝、明日、例の件なんだけど、行くんでしょう?」とさゆりが奈々枝に聞いていた。
「うん、でも、どうしようかな」奈々枝はすまなそうにさゆりを見て言った。
「どうしようかな?だって奈々枝、前に・・・ちょっと正人、あんた何聞いんのよ!」横では正人が聞き耳を立てていた。勇樹も聞き耳を立てていたが、正人みたいに、いかにも聞いています、と言うように二人を直視せず、カラオケセットのコードを抜きながら聞いていた。
 そこへトイレに行っていた文江が戻ってくると、女三人で外へ出て行った。
「おい勇樹、一体なんの話をしてるんだと思う?」心配そうに正人が聞いてきた。
「奈々枝さんは、明日、用事があるんだろう」カラオケセットのコードをたたみながら答えた。
「用事って男かな」正人は勇樹に顔を近づけた。
「そんなに心配なら、直接、奈々枝さんに聞いてみたらいいんじゃないのか」
「そんなこと出来る訳ないだろう」落ち着かない様子で正人もコードをたたみ始めた。
「分かった、じゃあ、あたしから連絡してみるよ」ドアを開けて、さゆりが入ってきた。遅れて奈々枝と文江も入ってきた。
 さゆりも文江もちょっと首をかしげていた。奈々枝は「ごめんね、さゆり」とすまなそうに何度も言っていた。
 そこへ、正人の携帯がなった。
「はい、そうです。あっ大森さん。いえ、ええ、はい、出来ました。ええ。今出来たばかりです・・・そうですか、いや今から行きますよ。ええ、じゃあ、ボイスで、はい分かりました」
「おい、大森さんが、録音聞いてやるってさ。今からボイスに来いって」
「本当かよ。早速行こうぜ」勇樹は録音したCDを取り出すと、バッグに入れた。
「さゆりさん、行きますよ!」
「分かった、じゃあ、ちょっと待ってて、着替えてくるから」
 さゆりは倉庫を飛び出した。
「着替える?何で着替えるんだろう」勇樹は、頭の上に?が並んだ。
「勇樹君、女の子は出かける時はおしゃれするものなのよ」文江が、メッと子供をたしなめる母親のように勇樹に言った。
「さゆりさんが、おしゃれ?おしゃれするより、あの性格直した方がいいんじゃないか」正人はおかしそうに笑った。
「ちょっと正人君、それは言い過ぎよ」奈々枝が言った。
「いえ、その、ちょっとした冗談ですよ・・・」正人はしょぼんとしてしまった。
 しばらくすると、いや、結構時間がたってからさゆりは現れた。初めてボイスであった時のような、大人びた服装をしていた。
「さあ、二人とも行くよ」格好は変わっても、あねさん性格はそのままだ、そのギャップに勇樹は笑いをこらえながら、奈々枝と文江に見送られてボイスを目指した。

 大森はヘッドホンをつけ、目をつぶって聞いていた。時折、首がカクッカクッと前に倒れていた。この人本当に聞いているんだろうか。勇樹は心配になった。横で、正人とさゆりも心配そうにしている。
しかし、随分長いな、録音は十分もなかったと思うけど。勇樹が不思議に思っていると、つかつかと天田がやってきて、大森の左のヘッドホンを外し、「終わりましたよ」と耳の脇で声を出した。
「ああ、終わったの」
 ああ、終わったの?もしかして、聞いていなかったんじゃないのか。勇樹と他の二人は顔を見合わせた。
「いいだろう、合格だ。八月のライブに出さしてやる。持ち時間は十分、順番は一番最初だ」そう言うと大森はトイレに行った。
 勇樹たち三人はきょとんとした。
「なんだお前たち、嬉しくないのか?」
 天田がテーブルの前の椅子に腰掛けて言った。
「いえ、嬉しいんですけど。大森さん本当に聞いてたかなって」不安そうに勇樹が言った。
「大森さんは、やる気のある人間にはどんどんチャンスを与えているのさ。そうは言っても、あまりひどいのは出せないからな。最初の歌い出しで、ああ、これは大丈夫と思ったんだろう」
「よし、これはスタートで、これからが本番だぞ」正人が自分に気合を入れた。
「いや、お前らは、ようやく競技場の観客席に座れたレベルだ。まだ、トラックで走るなんて、十年早いってもんだ。しかし、さゆりちゃんが、キーボードやるなんて知らなかったな」
 天田がさゆりに言った。
「中学の時から始めてたんです。でも、メンバーが見つからなくて」
 いつもより一オクターブ高い声でさゆりが答えた。
「あれ、天田さん、さゆりさんと知り合いなんですか?」正人は、さゆりと天田を交互に見た。
「ああ、いつも店に来てくれているし、ライブも毎回来てるからな」
「ところで、君達明日はなにか予定でもあるのかい」トイレから帰ってきた大森が椅子に座りながら言った。
「いえ、俺は、別に、予定はないですけど」勇樹は答えた。正人も頷いた。さゆりは、きょろきょろと勇樹と正人の顔を見て言った。
「何かあるんですか?」
「ああ、明日、音楽村のメンバーでドライブすることになってるんだ。ここに十時に集合なんだけど、君達もよければと思ってな。天田、お前も大丈夫なんだろう」
「俺は大丈夫ですよ。店の人繰りはつけておきましたから」
「私も大丈夫です」さゆりが大声を出した。「そうかい、じゃあ、いつも来る二人も誘ってみたら」天田がさゆりに言った。
「じゃあ、私、ちょっと電話します」さゆりは脇を向いてこそこそと携帯をかけ始めた。
「ごめんね。だから、そういう訳じゃなくて、分かったから、また、話してみるからさ・・・もう、あんたも男なんだから、うじうじしないの!」
 あまりの大声に四人は驚いてさゆりを見た。さゆりは「まったく!」と言って、携帯を切った。そして、はっとして顔を上げた。
「いやだ、私ったら・・・」ペロッと舌を出して、また、脇を向いて携帯で話し始めた。
「おい、お前ら、こんなじゃじゃ馬と一緒にやってるのか」大森が正人に聞いた。
「今じゃすっかり、慣れましたけどね」正人は言った。
出されたコーヒーを飲んでいると、「二人とも大丈夫だって」さゆりがこちらを向きながら言った。
「そうかい、そいつは良かった。しかし、さゆりちゃん、強いなー驚いちゃったよ」天田はさゆりを見ながらタバコに火をつけた。
「そんなことないんですけど、ちょっと、頭にきちゃって」さゆりは下を向いてぼそぼそと話した。
「いや、俺は強い女の方が好きだよ。自分の意見や思っていることを、はっきり言う女の方が俺は好きだな」天田が言った。
「そうなんですか」さゆりは、ますます下を向いた。
「でもさゆりさんは、ただ強いだけです・・・いでっ!」
勇樹が正人を見ると、さゆりが右手で正人のももを思いっ切りつねっていた。

 さゆりと別れて、勇樹と正人は一緒に自転車を押しながら帰った。「勇樹、奈々枝さんが明日来るっていうことは、明日の用事は大したことじゃないってことじゃないか」正人は嬉しそうだ。
「そう言うことだな」
「やっぱり、俺にも可能性は残っているってことだ」
「それはどうかな」
「ところで、勇樹、お前も奈々枝さんに気があるだろう」正人は横目で勇樹を見た。
 勇樹はドキッとして正人を見た。こいつ、なんで俺の気持ちが分かるんだ。そんな素振りは一切見せていないと思ったのに。
「そりゃ、奈々枝さんはいいと思うよ。でも、どっちかと言うとあこがれかな」
「やっぱりお前、俺の奈々枝さんを狙ってたな。最近、仲良く話していると思ってたら、そういうことか」
 俺のというのは、正人、大きな勘違いだぞ。奈々枝さんは誰のものでもないんだから。と勇樹は思った。
「まあいいさ。ライバルが多い方が戦いがいがあるってもんだ。勇樹、男らしく勝負しようぜ」
「あのな、正人。前にも言ったけど、奈々枝さんが俺達を相手にすると思うか。俺達は、奈々枝さんから見たら悪がきにしか見えていないさ。さっきのさゆりさんだって、あれはどう見ても天田さんに惚れているとしか思えなかっただろう。それも十も年上の男にだ。女は大人の男に憧れるんだと思うぜ。俺とお前が勝負するのは、奈々枝さんにとっては場外乱闘ってことだよ」
「お前の話は、なにを言っているのか、よく分からないが、じゃあ、お前は奈々枝さんを見ているだけでいいのかよ」
「ああ、そうだ」
「ああそうだ?俺はお前のことがよく分からないな。まあいい、俺は俺のやり方で行くから」そう言うと正人は自転車に乗って行ってしまった。
 勇樹は、嘘をついた。見ているだけでいいわけはないじゃないか。でもな・・・勇樹も自転車にまたがり、梅雨の季節の生温かい風を受けながら家に帰った。


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