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作品名:返信 作者:黒川

第3回   3
 勇樹と正人は、さゆりの家の隣にある倉庫で、ギターのチューニングをしていた。そこへ、さゆりが入ってきた。
「本当にここ使っていいの?」
 正人はさゆりが入ってくるなり尋ねた。
「いいよ。お父さん新しい倉庫作ったから、好きに使っていいって言ってた」
 さゆりの父は会社を経営していた。今まで、ここは会社の事務所兼倉庫として使っていたのだが、事務所も移し、その近くに大きな倉庫も建てたので、ここは不要になった。倉庫の中は自転車や、タイヤが置いてあり、今は家の物置として使っている。
 勇樹と正人は置いてあったパイプ椅子に座り、さゆりは、昔使っていたという学習机にキーボードを置いた。
「よし、じゃあ最初はミスチルから行こうぜ、それともチャゲアスにしようか」
 正人は持ってきた楽譜をペラペラとめくり始めた。
「じゃあ、ミスチルで行こう」
 勇樹は自分の知っている歌をギターで弾いて歌ってみた。
「こりゃだめだ、サビの所は、全然声が出ないや」
「でも、勇樹、結構上手かったよ。もっと練習すれば、高い声も出るようになるんじゃない」
「正人、お前歌えるか」
「頼む、俺は歌はだめなんだ。知っての通り」
 正人は、それだけは勘弁してくれと言った顔で、さゆりと勇樹を見た。「さゆりさんは?」勇樹が聞いた。
 さゆりは右手の指をピンと伸ばして、顔の前に垂直に立てた。どうやらダメらしい。
「まいったな、今の俺じゃ無理だな」勇樹は頭をかいた。
「大丈夫、キーを下げればいいのよ」さゆりが言った。
「キー?」
「そう、勇樹が歌えるところまで、キーを下げればいいの。ちょっと待ってて」
 さゆりは赤ペンを持ってきた。
「勇樹、一番高い声を出してみて」
 勇樹は、言われたとおりに声を出した。
「この辺かな」さゆりはキーボードを叩いて音を出した。「じゃあ、もう一回」勇樹は声を出した。
「ちょっと借りるね」さゆりは楽譜を取ると、なにやら赤ペンで書き始めた。勇樹と正人はしばらく黙ってそれを見ていたが、正人が勇樹に小声で聞いてきた。
「勇樹、奈々枝さんは来ないのかな」
「今いないってことは、来ないんじゃないの」
「そうか、残念だな、ちくしょう」
 正人はむちゃくちゃにギターを弾いた。
「ちょっと、うるさいよ」さゆりは楽譜から目を離さず冷たく言った。二人は舌を出して顔を見合わせた。
 さゆりは、はっきりした話し方から、姉さんタイプの人間のようだ。髪も短くカットして、そのさっぱりとした性格にはよく似合っている。この人とならうまくやっていけそうだ。と勇樹は思った。
「出来た!これでいいと思うけど」さゆりが勇樹に楽譜を渡した。そこには、赤ペンでコードが書いてあった。
「そのコードでギターを弾いて、それに会わせて歌えば、今の勇樹でも歌えるよ」
「本当ですか。でもこれ結構難しいコードですね」
「楽譜の一番最後にコード表が載ってるから、それで練習してみて。じゃあ、あたしと正人はこっちで練習しよ」
 勇樹は倉庫の片隅で一人コードを覚えながらギターを弾いていた。時折、正人の弾くギターの音とキーボードの音が耳に届いた。勇樹はなにか新しい一歩を踏み出したみたいで、指先が痛くなるのも忘れてギターに熱中していた。
 この倉庫の中には、なにか新しい世界への鍵があるような、扉を開ければ、わくわくするような世界が広がっているような。俺、こんな気持ちになったの初めてだよ。勇樹は、一種身震いするような快感を感じていた。
 午後三時から練習して、あっと言う間に二時間が立った。
「ねえ、今日はもう終わりにしない?」
 さゆりが勇樹に声を掛けた。勇樹は、はっと気がついたように顔を上げた。
「勇樹さっきから聞いてたけど、かなり上達したよね」
「そう思います?」
「そう思う」
「俺も、そう思う」正人も頷いた。
「じゃあ、ジュースでも買ってきますか」勇樹が外に出ようとしたところで、さゆりが止めた。
「勇樹、間もなく友達がジュース持ってくるから大丈夫だよ」
 それを聞いて正人は目を輝かせた。
「友達って、そうか、そうですよね」一人でうんうん言いながら正人の顔はにやけている。
「ゴメーン、遅くなって」
 奈々枝と文江が、手に袋を持って倉庫の中に入ってきた。勇樹は正人が奈々枝を見た時の反応が見たくて、正人を見た。
 だらしねえ。お前のその顔は俺が見た中で一番だらしねえ。急に椅子とテーブルなんか用意して、汚いハンカチ出して椅子を拭きやがって。
でも、お前は憎めないな。そういう単純な所は嫌いじゃない。うらやましいくらいだ。それに、お前に誘われなければ、自分の未来の鍵も探せずじまいだったかも知れないし。
勇樹が、そんな正人を見ていると「さあ、皆さん座って下さい。何飲みます?オレンジジュースですか。はいどうぞ。おい勇樹、なに笑ってるんだよ。お前も座れ。」と命令口調で言われた。
 勇樹は、急に場を仕切りだした正人がおかしくて仕方なかった。「勇樹、なに笑ってるの?」さゆりが聞いた。
「いえ、別に」勇樹はさゆりの脇に座った。「お前は何飲むんだ?」正人が勇樹に聞いた。
「俺、コーラがいいな」
「コーラ?坊やにはコーラはまだ早いんじゃないか」正人は紙コップにコーラを注ぎながら毒づいた。いつもなら、うるせい、とでも言う所だが、勇樹は、奈々枝が来て急に張り切りだした正人がおかしかったので、なにも言わずに紙コップを受け取った。
 席は、勇樹の左隣にさゆり、向かい側に右から正人、奈々枝、文江となった。正人は、もうそこに座ると決めていたのだろう。
勇樹は、会話をする度に椅子をずらして奈々枝の方に近づいていく正人に気が付いていた。そんな正人を見てると、もう勇樹は笑いをかみ殺すのは限界に近づいた。
「ねえ、勇樹君、さっきから何も話さないでニコニコしてるけど、なにか楽しいことでもあったの?」舌足らずな口調で文江が聞いた。
 文江は、髪を三つ編みにして、オレンジのメガネをかけ、アニメの声優のような声が特徴的だ。
「いえ、別に、なにもないですよ」
「分かった。音楽やってて、楽しくて楽しくてしょうがないんでしょう」奈々枝が言った。奈々枝は髪が肩まで届くか届かないくらいで、顔に似合わずはっきりとした口調で話した。顔立ちは整っていて、確かに正人が一目ぼれするのも勇樹には理解できた。
「そうですね。いや、本当に楽しいですよ」
「いいなあ、なにかに打ち込めるって、うらやましいよね」奈々枝が言った。
 勇樹がコーラを一口飲んだとき、ふと正人と目が合った。正人は勇樹を睨んでいた。勇樹の我慢の限界はそこで超えた。
「ぶーっ」と音を出して、床にコーラを吐き出してしまった。
「うわ、キッタネ!」正人が叫んだ。さゆりたちは笑っていた。勇樹はもう笑いをこらえられず、しばらく、下を向いて笑っていた。
「勇樹、お前、ちゃんと拭けよ」正人が言った。
「あたし、雑巾とってくる」さゆりが雑巾を持ってきた。勇樹はそれを受け取ると床を拭いた。
「さゆりさん、水道はどこにあるんですか?」勇樹が聞いた。
「いいよ、そこにおいて」
「いいですよ、俺、絞ってきますから」
「じゃあ、ついてきて」
倉庫の裏手に水道はあった。勇樹が雑巾を絞っていると、「勇樹、なに笑ってたの?」と、さゆりが半分にやけながら勇樹に聞いた。
「いえ、別に」勇樹はとぼけた。
「正人のことでしょう」
「知ってたんですか」
「あれだけ露骨にやれば分かるでしょう。もっとも、あんた達の会話も聞こえてたから、そんなことだろうとは思ってたけど」
「あいつ、単純だから」
「でも、奈々枝はああ見えてガード固いからね。今まで結構いろんな男が言い寄ったみたいだけど、ことごとく玉砕してたよ。どうして、二、三回会っただけで、その人を好きになれるの?っていつも言ってた。まあ、女子高だから、そんなに出会いは多くはないし、そんなことを言ってたら、男なんて出来ないじゃん、てあたしは言ってるんだけどね」
勇樹は雑巾をぎゅっと絞った。「よし、この雑巾どこに置けばいいですか」
「その辺にかけてくれればいいよ。ねえ勇樹、戻ったら席替えたほうがいいよね」
「そうしましょう」勇樹はさゆりの提案に同意した。

「正人、あんたこっちに座って」楽しく奈々枝と話していた正人は、哀れにもさゆりに「あんた」呼ばわりされて、さゆりの座っていた場所に座らされた。そして、さゆりは文江と奈々枝の間に座った。
 それからこの四角いテーブルは、ちょっとした変更はあったが、いつもこの順番で座ることになった。


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