俺は、前の日に出張でこの町に来ていた。出張と言っても、ここは、以前勤めていた会社の元上司が作った会社があって、情報交換が主な仕事だ。 元上司の会社から仕事を回してもらったり、俺の会社からも仕事を回したりしている。別にFAXでも電話でも、メールでも仕事上で困ることはないが、深耕を深める意味合いもあって、月に一度はここに来ている。まあ、お互い助け合いながら、仕事をしている取引先だ。 月に一度しか来ていないとはいえ、五年以上も来ていると、みんな顔見知りのようなものだ。当然夜は酒がつく。いつもは、元上司や従業員と、何軒も飲み歩くのだが、明日は純との約束があったので、早めに切り上げた。そして、駅前の大きな時計を確認すると、ホテルへ帰った。 ホテルへ帰ると、ベットにある目覚まし時計をセットした。携帯の目覚ましもセットした。普段は目覚ましがなくても起きれる自信はある。しかし今日は、初めて女の子とデートする前の晩のように、何回も目覚ましがセットされているか確認した。 シャワーを浴びて、ベットに横になって寝ようとしたが、なかなか寝付けなかった。不思議な感覚だ。金を出せばホイホイついてくる女はいるが、明日、その女と会うことになっていても、こんな感覚は起きないだろう。 夜中、何度も目が覚めて時計を確認した。そんなことが何回か続いて、ようやく朝を迎えた。目覚ましなんてなくても大丈夫だった。 朝起きて外を見ると、雲ひとつない天気だった。最初に純にあったのが、物凄い天気の時だったせいもあってか、寝不足の体でも、心は晴れ晴れとしていた。 熱いシャワーを浴びて寝不足の体を起こすと、ひげを剃り、着替えをした。時計を見ると約束の時間まではたっぷりと時間があったので、その日はゆっくりと朝食を食べた。朝食といっても、ホテルの一階のレストランで食べる普通のものだ。 朝早くからホテルのレストランは混雑していた。前の日のうちに泊まりにきて、この町を観光する観光客が多いようだ。やたらとアベックが多かった。ビジネスマンらしい客もいた。相変わらず下品な食べ方をしている奴もいたが、今日は気にならなかった。なんとなく、自分は、こいつらよりちょっと幸せな人間だと思ったからだ。 部屋に戻って、テレビを見たり、新聞を読んだりしていたが、そわそわして落ち着かなかったので、ホテルを出て純との待ち合わせ場所に向かった。 歩いていると、木々を揺らした初秋のさわやかな風が、体を通り過ぎるときにこの町の匂いを運んでくれた。まぶしい太陽の光は、スポットライトのように自分を照らしているようだった。仕事で来ているときはなにも感じない町並みも、温かく自分を迎えているような気がした。すれ違う人達にもなんとなく懐かしさを覚えながら、大きな時計を目指した。 待ち合わせ場所には十分程で着いた。約束の時間まで三十分以上もあるので、大きな時計の近くにあるベンチに腰を下ろした。 純は隣町から電車で来る予定になっていた。この町は、そこそこ人も集まり、町行く人もそれなりにおしゃれだ。だが、決してすれちゃいない。人の良さを残している。俺に言わせれば「いい町」だ。 約束の時間の十分ほど前に懐かしい声が聞こえた。懐かしいといっても、つい一ヶ月前に会ったばかりだが。 純は「ユウさん、ここです」と言って、手を振ってこっちに向かってきた。今日も女の子らしい服装をしていた。それを見てなんとなく嬉しかった。そういう服装をするのは、純の素直な感情の表れだ。しかし、純の告白がなければ、俺は純をずっと少女と思っていただろう。それほどまで、純は一人の少女そのものだった。 「早かったね」 「ユウさんも早かったですね」と言って、俺のこめかみを見た。 「本当だ、直ってる」こめかみを触りながら言った。 「そうだろう。もう、たんこぶも全然なくなったよ」純はホッしたようだ。 しばらく、二人でベンチに座って話しをしていた。 「ユウさん、この町に何回くらい来たことがあるんですか」 「そうだな、かれこれ五年くらい前からだから、五十回以上は来てるかな」 「じゃ、だいぶこの町のこと詳しいでしょう」 「いや、実はネオン街は詳しいんだが、いつも、次の日の朝、真っ直ぐ帰るから全然分からないんだ」 「そうですか。それはちょっともったいないですね」 「じゃ、ちょっとこの町を案内してくれるかな」 「いいですよ。ついて来て下さい」
純に案内されるままに町をいろいろまわった。大きなビルが立ち並ぶところもあれば、急に緑が深くなったかと思うと、大きなお寺が現れたりする。城下町と近代が入り混じった町だ。それぞれを単独で見れば、アンバランスに見えないこともないが、全体的には、微妙な調和がとれて、見るものを飽きさせない。いつも、ここに来ていたのに、今までなにも感じなかったものが、今日はなんとなく新鮮に感じられた。しかし、この町は映画館のやたらに多い町だ。 「へー、こんなに映画館があるんだ」言っちゃあ悪いが、人口の割りに映画館が多かった。というか映画館が多すぎた。この町の人は、よほど映画が好きなんだろう。むかしの名画ばかり流しているところや、最新のものを流しているところまで、それこそ、よりどりみどりといったところだ。 「でしょう。ところで、何か観たい映画あります?」 俺は、純と映画を観る約束を思い出した。 「ああ、そうだな・・・そういえばさっき看板にあったんだ。なんて言ったかな、昔の映画で、ほら、刑務所に入れられて・・・なんだったかな、最後は脱獄して・・えーと」 「ショーシャンクの空に!」 「そう、それ!それが見てみたいな。君は見たことはあるかい?」 「えへへ、実は見たことがないんです。じゃ、それにしましょう」 純は笑顔で答えたが、よく考えれば純が見たい映画ではないかも知れなかった。 映画館に行って、上映時間を見た。少し時間があるので、近くのデパートで時間をつぶすことにした。 俺たちは、デパートの一階でブラブラしていた。少女は、やっぱり、アクセサリーや小物に目が行くらしい。あれこれ手にとっては眺め、ピアスを眺めては、今度は指輪を見るといった具合だ。加奈とだったら、あくびをかみ殺していただろう。しかし今は、純が笑顔でいることが嬉しくて、あくびなんぞ出る訳がなかった。 イアリングを見ていると、店員がつかつかと近寄って来た。 「どうぞ、手にとってごらん下さい。ああ、こちらなんか、よくお似合いだと思いますよ」と言って。何個かケースから出した。値段を見て、純がちょっと驚いたような顔をした。 それを見て店員が言った。 「今日は、お父様とご一緒ですから、そのくらい大丈夫じゃないですか。ねえ、お父様」 俺は軽いショックを受けた。いや、軽いなんてものじゃないショックだ。 純は、そんな俺を見て、笑いをかみ殺していた。 「また、今度ね」と言って、俺はその場を立ち去った。 純はといえば、まだ笑いをかみ殺していた。 「そう笑うなよ。ショックだったんだから」 「そうですね。でも、はたからみたら、そう見えるんでしょうね」純は笑っていた。 純に感じている愛情は確かに、そういったものかも知れない。ただ、俺は結婚もしてなければ子供もいない。そういった感情はよく分からない。 「そうか、純も俺をオヤジだと思っていたな」 「いえ、違います」純はまだ笑いをかみ殺していた。 「そうだろ。俺をインディ・ジョーンズだと思ってるだろう」 「今はそうです」純は笑いながら俺の顔を見た。その目からは、俺に対する愛情のようなものが感じ取れた。 しかし、純が俺に対してどういう愛情を持っているのかは、俺には分からなかった。ただ、それを感じ取れただけで、それはそれで嬉しかった。 そんな感傷に浸っていたら、純は今度は吹き出して笑った。なにもそんなに笑わなくてもいいのに。 「純には言ってなかったかも知れないが、俺はこれでも三十二才なんだ。せめてお兄様と言ってくれりゃな、あの店員も」俺は言った。 「えっ、もう三十過ぎてるんですか。もっと若いと思ってました」 その言葉にちょっと自信を取り戻した。 「そうだろ、そう思うだろ」 「でも、年は関係ないです。ユウさんはフリージアのようですから」純は笑い過ぎて涙が出たのか、ハンカチで目の辺りを拭きながら 言った。 「ああ、フリージアね。なんで、フリージアなの?」 「それは秘密です」純は、またいたずらっ子のような目をした。 俺はあいまいな顔をした。花のことは本当によく分からないが、ま、悪い花ではなさそうだ。
デパートを一通り見て、映画館に向かった。この映画館は、繁華街からちょっと離れたところにあって、遠くから見ただけでは、映画館とは思えないような造りをしていた。どこかのオフィスビルといった感じだ。建物は三階建てで、一階から三階まで、それぞれ別の映画を放映しているようだ。俺の青春時代の頃の映画が多く、なんとなく懐かしさを覚えた。 館内はやや狭かったが、清潔感のある内装だった。人も混雑しておらず、ゆっくり映画を鑑賞できる雰囲気だ。 「この映画、観たことないんですか?」純が聞いた。 「実は途中までは見たんだ。ところが、見ている途中で地震が起きてね。それで、係員が館内の点検をするとか言って全員映画館から出されたんだ。そのうちバイトに行く時間になって、結局、全部観れなかったんだよ」」 「そうなんですか」 「そう、それで、最後まで観た友達が、面白かったって言ったのを思い出したんだ。そいつは、ラストは実は・・・って言ったから、言うな、俺が見るまで言うなって言ったんだ。でもそれきり観てなかった・・・おっ、始まるぞ」俺たちはスクリーンを見た。 放映中、俺は映画を夢中になって見ていた。それは純も同じだった。映画が終わって、俺たちはしばらく椅子に座ったままその余韻に浸っていた。 「いい映画でしたね」 「ああ、こんなラストだとは思わなかったよ。あの時、友達にストーリーを最後まで聞かないでよかった」と言った後「グー」っと俺の腹の虫がなった。 「お腹空きましたね」 「そうだな、なんか食べにいくか」 俺たちは映画館を出て、食事のできる場所を探した。 「どこかないかな」 「ごめんなさい。私が調べてくればよかったのに」 「いや、いろいろ探すのも楽しいものさ。それに、純と会うのはこれが最後じゃないし」 純は俺を見て、嬉しそうに言った。 「そうですね。今度は私が探しておきます」 俺たちは、いつの間にか人通りの少ない所を歩いていた。昔のメインストリートだったのだろう、昔ながらの商店が立ち並んでいた。 そんな中で、一軒のレストランを見つけた。そこは、その通りにしてはしゃれた感じで、土曜日ということもあり、アベックが多かった。お奨めはシェフ自慢のハンバーグだった。俺たちはそれを注文した。当然、デザート付で。 「今日の映画、面白かったですね」純が言った。 「あの主人公は辛抱強いな」 「毎日、毎日、少しづつ、脱獄するための穴を掘ってたんですね。やっぱり、なにか、目標を持って頑張るって大事ですよね」 「そうだよ。純はアメリカに行って花屋さんになるんだろう。少しづつ、少しづつ、頑張ってごらん」俺は純の顔を見た。 「うん」と頷いただけだったが、純の目は、なにかを決心したようだ。そして俺の顔を見て「今は一人じゃないし」と言った。 俺はそれがとても嬉しかった。こんな俺でも、純は俺を必要としている。俺との出会いが、少なからず純にはいい影響を与えている。それが感じられたからだ。 「いただきます」俺たちはいつものように食べ始めた。 純の食べるのを見ていた。 「しかし、純は、和食でも、洋食でも、食べ方が綺麗とういうか、上品だよね。いつも感心するよ」 「おばあちゃんのしつけだと思います。おばあちゃんは昔、学校の先生をしていて、食べ方とか礼儀には厳しいんです」 「なるほど、そういう訳か。そういえば、おばあちゃんが、こないだ電話に出たとき、ちょっと安心したんだ」 「えっ、どうしてですか」純は不思議そうな顔をした。 「純が言った通り、優しそうだったからさ」 「そうですね。おばあちゃんは優しいです。ずっと育ててもらってますけど、本当に大好きです」 「ずっとって、いつから」 「両親は、私が生まれてすぐ事故で死んでしまったんです。だから私、両親の顔は写真でしか見たことがないんです。おばあちゃんはそれ以来ずっと、私を育ててくれています。おじいちゃんもいたんですけど。五年前に病気で死んでしまって。そう、おじいちゃんも優しかった。だから、おじいちゃんが死んだ時はショックでした」 「なんだか、悪いことを聞いてしまったね」 「いえ、ユウさんには、私のことを隠すつもりはありません」 「そうか、俺も純にはなにも隠すつもりはないよ」 「そうですか、じゃ、私から質問です。なんであだ名がユウさんなんですか?」 「うっ・・それは、その・・」俺は仕方なくあだ名の由来を話した。 「そんな風には見えないですよ」純は笑った。 「当然、俺もそんな人間だとは・・・思ってなかったりして・・・」俺は笑うしかなかった。でも、心の中で、純が両親がいないこと を乗り越えられていることが分かって、ホッとしていた。 デザートも食べ終わり、コーヒーも飲み終えて、時計を見た。 「そろそろ、電車の時間だね」 「そうですね、あっという間でしたね。ユウさんは、今日はここに泊まるんですか」 「ああ、今日はここに泊まって、明日の朝帰るよ」 店を出て俺たちは駅までの道を歩いた。辺りはすっかり暗くなっていた。街路樹の葉が、風に吹かれて揺れていた。茶色に統一された歩道の脇の街灯がそれを照らし、人があまり通っていないこともあって、なんとなく、神秘的な感じがした。 「ユウさんは、付き合ってる人いるんですか」純は突然聞いてきた。 「ああ、いるよ」 「どんな人なんですか」 俺は純を見た。純は前を向いて歩いていた。 「そうだな、どんな人と聞かれたら、いい人だと答えられる人さ」純は相変わらず前を向いて歩いていた。 「じゃ、私と会っていたら、その人と会う時間がなくなっちゃいますね」と言って純は俺の顔を見た。 「俺は、純に会いたいから会っているんだ」それは偽りのない気持ちだ。 純は立ち止まった。 「私、ユウさんといると、なんとなく勇気付けられてる気がします」そう言って純は、また、前を向いて歩き始めた。 純は気を使っているのだろう。その気持ちは嬉しかった。たしかに、俺は、純を見捨てて、今まで通りの生活に戻る気になれば戻れる。しばらくすれば、純のことも少しずつ、忘れてしまうに違いない。しかも、俺のできる事といえば、純とこうして会って、笑顔を思い出させること、夢を忘れさせないこと、そのくらいしかできない。それが、純の人生にとってどの程度プラスになるのかも分からない。しかし、純をこのまま一人にさせて置くことはできない。偽善者と言われようが、なんと言われようが、俺は純を守ってやらなくちゃいけない。 しばらくは二人ともなにも話さずに歩いた。駅に近づくにつれ、人通りは増えてきていたが、二人は、時間を惜しむようにゆっくりと歩いた。 駅に着いて、プラットホームまで純を見送った。純は、電車に乗るとき笑顔で手を振った。その時俺に見せた笑顔は、いままで以上にやさしい笑顔だった。そして、それは、純の俺に対する愛情を感じさせるものだった。 しかし、電車が発車したとき、ふと純の顔から寂しさを感じ取った。それは、また、現実に戻らなければいけない、その寂しさだからだろう。ゆっくりと動き始めた電車の座席に座っている純に言った。 「また会おうな。今度は美味しい店を探しておいてくれ」 純は笑顔で頷いた。俺は電車が見えなくなるまで、純を見送った。純もずっと窓を開けて、俺に手を振っていた。 「まるで、映画ようだな」 ホテルまで俺はゆっくり歩いた。どこにでもいる酔っ払いがフラフラ歩き、飲み屋の呼び込みは服を引っ張り、香水の香りをプンプンさせた女が声を掛ける。飲んでいる時以外は、面倒くさいとばかりに早足になるところだが、今日はこの町の雰囲気をずっと味わっていたい気持ちだったので、町の賑わいや空気を体に染み付かせるかのように、わざとゆっくり歩いてホテルに向かった。 ホテルに着くといつものように缶ビールをグイっと飲んで、熱いシャワーを浴びてベットに横になった。 今日の純は、前より明るく元気そうに見えた。それを感じただけで今日は満足だった。でも、これで終わりじゃない。これからも純を見守ってやらなければならない。と自分の心に言い聞かせて、眠りについた。
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