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作品名:山の神 作者:黒川

第1回   山神村へ
 孝明は一人夜遅くまでネットの旅行欄を見ていた。会社に入社してもう一〇年になるが、一〇年経つと会社から一週間の休暇がもらえるのだ。土日を入れれば全部で九日間になる。
 会社の同期はほとんど結婚していたが孝明はまだ独身だ。家族がいればみんなで旅行にでも出掛けるのだろうが、孝也には付き合っている女性もいない。 
孝明は会社帰りにフラッと立ち寄った本屋で立ち読みをしていた時、隣の若い女性二人が旅行のことで盛り上がっているのを見て、そうだ、一人旅をしようと決めた。そして、せっかく行くなら温泉がいいと思いネットでいろいろと検索していたのだ。
「どこも似たような所だな」
 左肘を机につき、手のひらの上にあごを乗せてぼそっと呟いた。右手はマウスをカチャカチャとクリックしていたが、やがてその動きも止まってしまった。泊まるのは平日だし宿はどこでも空いているさ、と思ったものの、どこに行っていいか、全然決まらなかった。
 ちらっと時計を見ると間もなく十二時を回ろうとしているところだった。こんな時間になっちゃったよ、いいや、明日もう一度探そう。孝明は首を二回くるくると回し、タバコに火をつけた。
 まったく、俺はこういうことを決めるのが遅いんだよな、そんなもんだから、彼女も出来ないのかな。一人でぶつぶつ言いながら窓を開けて夜空を見上げた。
「ああ、俺が神様だったら、明日から素敵な女性と旅行に行けるし、お金だって心配しないで、贅沢な旅館に泊まれるんだけどな」
 孝明は、自分は別にモテないタイプではないと思っている。ウィットが聞いたジョークだって言えるし、仕事だってそこそこできるとも思っている。まあ、見た目はしょうがない。体こそスマートではあるが、身長は百七十センチに届かない。チラッとガラスに映った、自分の顔を見て、そうだよ、二枚目じゃないけど愛嬌のある顔をしているじゃないか。と自分を慰めた。
 タバコを消し、ゴロンと横になって蛍光灯をぼんやり見ていたとき、はっと思いついた。
「そうだ、地図を広げて目をつぶって指で指した所に行こう」
 孝明は地図を探したが、地図は見当たらなかった。仕方なくネットで地図を出して、目をつむりマウスを動かして、しばらくしてマウスを動かすのを止めた。孝明はちょっとドキドキしながら、ぱっと目を開けた。マウスのポインタは中部地方の山間部で止まっていた。そこをクリックすると、山神村と言うところだった。
ネットで検索すると、緑豊かなところで、一番奥には小さいながら山神温泉という温泉もある。村のホームページでは村長が写真入りで村の紹介をしていた。村長は田舎のおじさんそのものの顔をして、無理に作った笑顔がどことなくぎこちなかったが、人が良いであろうことは十分伝わってきた。
 よし、ここにしよう。そう決めて温泉をクリックした。温泉宿は三つしかないようだ。三つの旅館とも規模も値段も同じだった。写真を見ると玄関も部屋もほとんど同じ造りのようで、これではどこに泊まっても同じだ。孝明は、まるでカルテルを結んでいるような三旅館が可笑しかったが、ひなびた温泉だからこんなものだろうと、ネットの一番上にあった「旅館山田」に泊まることにした。
 ネットでの予約はできないようなので、明日旅館に連絡を入れることにして、山神村のことを調べ始めた。
 人口は二千人、主な産業は観光や農産物、スキー場もあり民宿も何軒かあるらしいが典型的な過疎の村のようだ。死亡事故ゼロ二千日達成の記事も大きく載っていた。車もそう通ることはないだろうから、それも可能だろう。孝明は笑いながらも、自分の行く山神村に思いを巡らしていた。
緑豊かな温泉に、人懐こいサービス。五月の爽やかな風に吹かれながら露天風呂に入り、地元の食材を食べる。もちろん、美味しいお酒も楽しむ。夜は何もないところだろうから、好きな本でも持っていって、川のせせらぎを聞きながらの読書三昧。そんな旅情に浸る自分を想像して、心はもう車のキーを回しているような感じがしていた。
 あれこれ、山神村をネットで調べていると、そばが美味しいことや近くに霊峰と言われる山があることが分かった。山登りに興味はないが、孝明はそばに目がない。これは掘り出し物の場所だぞ。孝明の期待は一層高まった。
 あれこれネットを見ていたら、まもなく午前二時になろうとしていることに気がついた。もっといろいろ調べたいところではあるが、まあ、急ぐ必要はない。どうせしばらく休みなんだし。とタバコに火をつけたとき、ネットの検索欄に山神村の未解決事件が載っているホームページを見つけた。
 こんな田舎でなにか事件でもあったのか。少し興味を持った孝明はそのホームページを開いた。そこには、今から三十年程前、登山に来た若い女性が殺害され、連れの男性が行方不明になった事件が載っていた。なんでも、このカップルはよく山神村に来ていたようで、その時も登山をするために来たらしいが、登山に出掛けたまま二人とも戻らなかったため捜索したところ、女性が民家の近くでナイフのようなもので胸を刺されて殺害されていたのが発見されたようだ。連れの男性の行方は分からず、警察では男性が事件に関与しているものと見て、徹底して捜索したようだが、男性を見つけることはできず、結局時効になったということだ。
 こんなところで、痴話げんかでもしたのか。まったく、地元の人もいい迷惑だったろうな。グリグリとタバコを灰皿に押し付けて消し、もう一度、山神村のホームページを見た。そばの美味しい店が載っているページと、旅館のページをプリントアウトし、ベットの上でしげしげと眺めていると、さっきの事件のことはすっかり孝明の頭から抜け落ち、また、旅情に浸っている自分が浮かんできた。そして、孝明は眠りに落ちた。

 次の日、孝明は八時に目を覚ました。体はまだ睡眠を欲していたが、頭の中は冴え渡っていた。冷蔵庫から牛乳を取り出したとき、手が滑って牛乳の入った紙パックを落としてしまった。おそらく、体はまだ頭の要求に応えられる程、目覚めていないのだ。
 まだ少しだるい感じがしながらも、こぼれた牛乳を雑巾で拭いていると、朝の眩しい光が自分を包んでいるのが分かった。その光に包まれながら、雑巾を絞りながら外を見た。会社に向かう人が、次から次へ急ぎ足で歩いているのが目に入った。それを見ていたら、体にも徐々に力が入ってくるのが感じられた。  
よーし!今日から一週間、ゆっくり休むぞ。そして、一人旅を満喫するんだ。その時、頭の勢いに体も負けたように、お腹の虫が鳴った。
 普段はパンとコーヒーだけで済ませてしまう朝食も、今日はハムエッグが追加され、ちょっとした贅沢をしているようで、新聞とテレビを見ながら、いつもよりゆっくりと食べた。
 今日は旅館に予約を入れて、そうだ、本を買ってこよう。地図も必要だ。それから、車もチェックしなくちゃ。せっかくの旅行なのに、車が故障したら始まらないからな。あとは・・・特にない。そう、特にないのが一人旅のいいところじゃないか。まあ、そのうち、俺にもいい人が見つかるさ。ブルブルと頭を振って、そんな寂しい気持ちを振り払うと、食器を持って台所に向かった。
 いつもなら食器なんてチャンチャンと洗っておしまいなのに、今日は気分がいいこともあって、念入りに洗った。部屋も片付けた。洗濯もした。
気分さっぱりになったところで、昨日プリントアウトした旅館のホームページを見ながら、タバコに火をつけた。
 当然初めて泊まるところで、それも聞いたこともない温泉だったので、大丈夫かなと、軽いとまどいを覚えたが、気がつくと後ろから誰かに押されるように携帯の番号を押していた。
 こういう旅館は、おばちゃんが訛り丸出しで電話に出るんだよ、きっと。そう思って携帯を耳に当てるとすぐ電話が繋がった。まるで、自分が電話するのを分かっていたかのような素早さだった。おそらく、有名な温泉でもないし、それに加え、月曜日で暇なのだろう。
「はい、旅館山田です」
「榎木と申しますが、明日そちらに泊まりたいと思いまして。一人なんですが、部屋は空いてますか」
「お一人様ですか、今、確認してまいりますので少々お待ち下さい」
 言葉遣いは丁寧だったが、訛りのある、人懐こい感じのおばちゃんの声に、ホッとしながらも、あまりに想像どおりの話し方だったので、相手が電話に出るまでクスクスと孝明は笑ってしまった。
「お待たせいたしました。お部屋はお取り出来ますので、ご連絡先を教えてもらってよろしいでしょうか」
「その前に、宿泊代はお幾らですか」
「はい、お一人様ですと、一泊・七千五百円になります」
「えっ、七千五百円ですか。ちょっと待って下さい」
 あれ随分安いなと思い旅館のホームページを見ると、一泊・一万三千円となっている。
「ホームページだと一泊一万三千円と書いてあるんですが」
「当旅館では、登山客の方も多いものですから、そういった方のために七千五百円のプランも用意しているのです。お客様は観光でいらっしゃるのですか?」
「ええ、ちょっと、骨休みにと思いまして。ところで一万三千円と七千五百円のプランはなにが違うのでしょうか」
「休前日と休日は部屋が違います。それと料理が違います。でも、明日は平日で、部屋も空いておりますので、部屋は普通の部屋をご用意いたします」
「そうですか、いや、それじゃ七千五百円のプランでお願いします」
「かしこまりました。それではご連絡先をお願いいたします」
 孝明は住所と電話番号を告げた。
「ありがとうございます。明日お待ちいたしております」
 思ったよりいい応対だし、それに安く上がった。孝明は一人でニコニコしながら着替えをした。そうだ、せっかく安く上がったのだから、もう一泊してもいいんじゃないか。そうだそうしよう。
 早速、もう一度旅館に電話を入れ二泊予約した。孝明はまた旅情に浸っている自分を浮かべながら着替えを済ませ、旅館で読む本と、車のチェックをするために外に出掛けた。
 太陽がさんさんと辺りを照らしている中で、孝明は頭も体もいつもよりすっきりとしている自分を感じて、車のキーを回した。
 西の空にちょっと雲がかかっていたが、どうせ旅館で読書三昧なんだ、天気は関係ない。それに雨音を聞きながら昼寝をするのも悪くない、と、いつもよりアクセルをふかし、軽やかにハンドルを操作して車道に飛び出した。

 孝明がアパートに帰ってきたのは、雨がシトシトと降り出し始めた夕方だった。右手に持っていた鍵を鍵穴に差込み、かちゃっと回して取っ手を回した。あれ?閉まってる。なんてことだ鍵を開けたまま出かけてたのか?それとも、まさか泥棒じゃないだろうな。もう一度鍵を回し部屋に入ってみたが、特に荒らされた形跡もなく、泥棒に入られた訳ではないようだ。もっとも、久し振りに掃除をしたので、なにか盗られても分からないとは思うが。
 おや?孝明は台所の窓が開けっ放しになっているのに気がついた。確かここは閉めたと思ったんだけど。まさか本当に泥棒でも入ったのか?。孝明は全身から汗が吹き出るのを感じた。さっきペットボトルのお茶を飲んだのに、喉もカラカラに渇いてきた。乾いた唇を舌で湿らし、孝明は玄関に戻り用心のためスキーのストックを手に取り、辺りを見渡した。やっぱり荒らされた形跡はない。ストックをぎゅっと握りトイレにそーっと近づいて、バッとドアを開けた。誰もいない。同じように風呂も見たが誰もいない。そして、開いている窓を閉めようと台所に向かい窓に手をかけた時だった。
 孝明は、背筋がぞくっとするのと同時に、体中に鳥肌が立った。台所の窓から吹き込んだ雨でキッチンの上は濡れていたが、そこにくっきりと人の足跡が残っていたからだ。孝明はつばを飲み込んで窓から顔を出した。見ると、窓の下では一階の住人が育てている花が、鉢植えごと粉々になっていた。
 ここから飛び降りたのか!孝明はもうここに泥棒はいないという安心感から、その場に座り込んだ。手にしていた、汗で濡れたストックを放り投げると、ガチャンと大きな音がした。一瞬びくっとしたが、しばらくすると徐々に怒りがこみ上げてきた。
ちくしょう!俺だって、学生の頃は空手部にいたんだ。今度会ったらめちゃめちゃにぶん殴ってやる。泥棒ごときにびくびくさせられたことにも腹が立ったが、せっかくの旅行気分が泥棒に水を差されたことにも腹が立った。
 警察が色々と調べて帰ったのは、夜の十二時近くだった。まあ何も盗られてなかったのが不幸中の幸いだ。まあ盗られて困るものはここにはないけど。それにしても明日の旅行どうするかな。こんな目に遭って、のんびり旅行に行くのもどうかと思うし。でも逆にこんな目に遭ったから気分転換に旅行に行くのもいいかも。
 孝明は、横になりながらああだこうだと考えた。そして、よし!やっぱり旅行に行くぞ!そう決めた時、引っ張られるように眠りに落ちた。


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