イハレビコ達はサツミワケに会うために、ヤジラベが用意してくれた船に乗って、出雲の国をめざして娜の津を出発した。 「ヤジラベ様、サツミワケ様は出雲のどこに居られますか。」 「出雲の石 (いわくま)の曾の宮に居られます。」 出雲の石 (いわくま)の曾の宮(斐伊川の上流付近)までの道のりは、神門(かんもん)の水海(みずうみ)(出雲大社付近の海岸で現在の稲佐の浜付近)から出雲大社を経て、肥の河(斐伊川)沿いに上流へ行った所にあった。なお、斐伊川の下流は江戸時代に、今の宍道湖に流れるようになったが、イハレビコの時代には神門の水海に流れ出ていた。肥の河と言うと、日本神話でスサノヲがヲロチと戦い、草薙の剣を得たところである。 イハレビコ達の船が玄海灘を通り過ぎた頃から、波は穏やかになり、一面に海が広がってきた。海岸線を見ると、山々の木々が微かに色づいてきたように見えた。イハレビコがその景色を眺めていた時、ヤジラベが突然言い出した。 「イハレビコ様には、航海の途中で石見の銀山によって頂きます。」 「銀鉱山に寄るのか。」 「イハレビコ様が見学されました船で馬韓に銀鉱石を運ぶために、銀鉱山に寄らなければなりません。」 「石見の銀山は、出雲の国の財源になっているのか。」 「違います。石見で銀鉱石が取れるのは、誰も知りません。我らの仲間で採取しているだけです。」 「その銀鉱石を馬韓に持っていって銀製品にしているのか。」 イハレビコの時代の日本では、金銀の製品や装飾品などを作る技術を持っていなかった。そこで、馬韓の職人などに頼らなければならず、馬韓に銀鉱石を運ばねばならなかった。 イハレビコの時代の日本では、出雲の国だけが鉄製品や青銅製品の製造技術を持っていたが、金銀の装飾品などの金銀製造技術は持っていなかった。 出雲の国が何で、鉄製品や青銅製品を作る技術を持っていたのだろうか。しかも、稲作の収穫も、その当時トップクラスであった。地理的な観点から視ると、熊曾や日向の国は東南アジアから、筑紫や豊の国は朝鮮半島から、稲作文化が入って来たかと。しかし、出雲の国は如何だろう。やはり、中国大陸から、稲作文化が入ってきたのではないか。その稲作文化と共に製造技術や神話等の文化も一緒に入って来たのかも知れない。 出雲の国の神話は、オオクニヌシが中心になって語られ、オオクニヌシの名前が出雲の地域によって、内容によって、五つの別名の神(オオクニヌシ、オホナムヂ、アシハラノシコヲ、ヤチホコ、ウツシクニタマ)として登場してくる。また、この五つの神の神殿には、勾玉、鏡、剣、矢、楯が各神殿にひとつずつ祀られ、すべて鉄や青銅製品である。 出雲の国に関する日本神話では、スサノヲが登場し、オオクニヌシはスサノヲの子孫として扱われている。たとえば、スサノヲがコシノヤマタノヲロチと戦った神話では、出雲の国の肥の河の氾濫をヲロチに例えてあるのだが、イザナキとイザナミの子オホヤマツミの子アシナヅチの八人の娘達がヲロチの生贄なり、最後の娘クシナダヒメを助けるため、スサノヲはヲロチと戦い、退治して、スサノヲとクシナダヒメが一緒になって子を儲ける。その子孫がオオクニヌシとなるという神話がある。 大和朝廷と出雲の国との関係を示した日本神話には、アマテラスの玉飾りをスサノヲが噛み砕いて出てきた子供達には、イハレビコの祖先神アサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミや出雲の国の出雲臣一族の祖先神アメノホヒがいて、兄弟として扱われている。 このように、イハレビコの子孫が大和朝廷を設立し、日本を統一するまでには、日本神話をみても、大和朝廷と出雲の国との経緯があったし、出雲の国の五つの神の神殿に祀られている五品と、天皇家の象徴としての三種の神器(勾玉、鏡、草薙の剣)との関係も興味深い。大和朝廷が出雲の国を制圧した後、色々な経緯があって、出雲神話を日本神話に取り入れたり、天皇の三種の神器にしたりしたのだろう。また、古事記の神話では、出雲の神話の後、あの高千穂の神話があり、神話の最後にイハレビコが東国に出陣して、倭の国に到達し、初代天皇に就く神話の流れがある。 それにしても、出雲の国は大和朝廷と対立するだけの経済力や軍事力、政治力があり、文化的にも確立した国であった。 夕陽が西の海に沈もうとしている時、イハレビコ達の船は陸地の方へ近づいて、海岸の入り江に向かっていた。この入り江は、現在の島根県の温泉津(ゆのつ)付近であった。 「イハレビコ様、この港付近に温泉があります。その温泉で一泊しましょう。」 「銀鉱山はここから、近いのか。」 「明日、陸路で銀鉱山まで案内します。」 「この前、馬韓の船を見学した時、積荷の中に金銀製の勾玉や首飾りをみつけたのだが、あのような高価な品物を欲しがる方がこの世に居られるのですか。」 「倭の国に、女王様が居られまして。」 倭の国は、大和三山とその周辺にあり、女王を中心にした母系家族形態の国家を形成し、文化的にも経済的にもその当時では群を抜いていた。また、崇神天皇の時代まで、大和朝廷の宿敵となる国であった。 卑弥呼(邪馬台国の女王)が倭の国の女王に就いていたと本書では仮定しているが、実際には、邪馬台国と女王(卑弥呼)は、魏の歴史書(魏史倭人伝)に出てくるだけで、邪馬台国が倭の国であったかというと定かでない。三世紀の頃、魏の歴史書(魏史倭人伝)では、魏の国王が邪馬台国の女王(卑弥呼)に親魏倭王の称号を与え、金印を送って、卑弥呼を倭の国王と認めた記述があるだけである。また、古事記によると神武天皇からの天皇家の年代を計算すると紀元前にまでさかのぼるから、イハレビコと卑弥呼が同年代であることはありえない。本書では、イハレビコの時代を一世紀と仮定している。 「倭の国か。」 朝晩が冷え込む中秋の頃、温泉の湯煙があちこちに見られた所で、イハレビコ達は宿をとった。 温泉の集落を早朝出発し、東の小高い山に向かって歩き出した。 「イハレビコ様、あの山を越えると仙山と言う山があります。その山で銀鉱石が取れます。」 矢滝城山の頂上へ来て見ると西から北にかけて日本海の海岸線が広がり、東から南にかけて山陰山脈の山々が薄らと色づいて見えた。 それから、降路坂を下り、仙山の頂上に着いた頃には、太陽が頭上に来ていた。 「イハレビコ様、もうすぐ着きます。山の中腹にある集落に我ら仲間がいます。」 「ヤジラベ様、お迎えに来ました。」 「コラベ、銀鉱石の発掘は如何じゃ。」 「順調にいっています。」 「娜の津に停泊中の船が、もう時期入り江に着くで。入り江に運ばないと。」 「分かりました。」 「イハレビコ様、ここが銀鉱山です。中に入ってみましょう。ぴかぴか光っているでしょう。これが銀鉱石です。」 イハレビコが手にした銀色の石は、ずっしりと重たかった。日本は火山帯が沢山あり、地球のマグマから噴出した溶岩の中に、金鉱石や銀鉱石が含まれていた。 「ヤジラベ、各地を回っているあなたなら、このような鉱山が他にもあることを知っているだろう。」 「確かに、諸国に鉱山がございます。なぜそんなことを聞かれるのですか。」 「いや、ふと思っただけです。このような鉱山を手に入れたなら、諸国を統一して国家としての財源になるだろうと。」 「仰せのとおりです。もし、イハレビコ様がそのお積りなら、お仕えいたします。」 イハレビコ達が石見の銀山を出て、温泉の集落に帰って来た頃には、夕陽が沈もうとしていた。 「イハレビコ様、明日はいよいよ出雲の国へまいります。」 イハレビコ達は、早朝、温泉の集落を出て、入り江から船に乗り、神門の水海に着いたのは夕方であった。イハレビコ達は、船から降りて、浜辺に立った時、東の方角に今までに見たこともない背の高い祠が目に入ってきた。 「神門の水海は、肥の河の下流です。しかし、肥の河の氾濫が度々あり、出雲の人は何時も困っています。」 「スサノヲの神が、ヲロチを退治した肥の河ですね。」 「そうです。そこで、あの背の高い祠を建て、オオクニヌシの神を祀っています。」 イハレビコ当事の出雲大社は、現在の大社と違って、権威の象徴として、また山陰地方の木材の豊富さと、建築技術の向上によって、高々な建造物に仕上げていた。イハレビコ達は、この祠の付近で宿をとることにした。 「イハレビコ様、石 の曾の宮までは神門の水海から、肥の河に沿って行くと山の麓にあります。」 「ヤジラベ様、肥の河の上流で鉄鉱石が取れると聞いている。また、その鉄鉱石をもとに鋼や鉄を作り、剣などの鉄製品を作っているらしい。」 「そうです。我等もその製鉄集団から鉄製品を譲り受けたりしています。イハレビコ様に差し上げた草薙の剣もたぶん、肥の河の上流の集落で、その製鉄集団が作った剣だと思います。」 日本神話では、スサノヲがコシノヤマタノヲロチと戦って、ヲロチの尻尾を切り取った時、その尻尾が剣(草薙の剣)に変わって、ヲロチをその剣でやっつけたとある。これは、天つ神(高天の原におあすアマテラスを中心にした神々)が諸国の乱れを正すため、スサノヲの神を出雲の国に遣わして、出雲の国つ神(オオクニヌシを代表とする地上の神々)を治めた話である。 実際には、天つ神を崇拝する部族が、出雲の国に出兵して、出雲の部族と戦った。そして、出雲の国で困っている肥の河の氾濫を土木の技術で改善し、日本神話では、肥の河の氾濫をヲロチと例えた。その時、天つ神を崇拝する部族が、出雲の国の祠に奉納されていた剣(草薙の剣)を持ち帰ったかも知れない。 本書では、イハレビコがサツミワケから預かって、伊勢神宮に奉納したことにする。また、天皇家の三種の神器のひとつ草薙の剣が、出雲の国と何等かの関係がある処に、いにしえの時代の不可思議がある。 「イハレビコ様、明日はいよいよサツミワケに会って頂きます。」 出雲大社付近では、稲穂を刈り終えて、田園地帯は野焼きが始まっていた。イハレビコ達はその風景を見ながら、肥の河沿いに石 の曾の宮まで歩き出した。 現在、石 の曾の宮はどの辺りあったか、不明であるが、本書では島根県雲南市木次町日登辺りにあったと仮定する。また、イハレビコの時代に出雲の国の石 の曾の宮が、政の中心であったかと言うと、そうではなかったようです。 出雲の国の政と祭祀は松江であり、松江には、出雲大社が建立される前にアシハラノシコヲ(オオクニヌシの別名)を祀る熊野大社(島根県松江市八雲町付近)があって、その神社を現在の出雲大社に移したと言われています。松江が、かなり古くから出雲の国の中心地であったことには違いない。熊野大社と言うと、南紀に熊野大社があり、イハレビコが倭の国を目出した時に、南紀の熊野大社に立ち寄った形跡があることから、松江の熊野大社と南紀の熊野大社とは、同じ国つ神を祀っているので、何等かの関係があったかも知れない。 肥の河は、川の水位が高く、如何にも水量が多く、豪雨が続けば川が氾濫しても不思議ではない状態であった。また、川の水路もうねりが多く、水位が上がれば、川の周辺は水浸しになりそうな地形であった。イハレビコ達は、そんな風景を見ながら肥の河を行くと、川沿いから見て、山沿いの纏まった集落が見えてきた。その集落の中心に高殿式の建物が見えた。 「イハレビコ様、あそこが石の 曾の宮でございます。」 ヤジラベは、石 の曾の宮には久しぶりに来たようで、サツミワケの住居に着くまで時間を要した。 「出雲の国まで、よく来られた。サツミワケでございます。」 「ヤジラベ様から、草薙の剣を頂戴いたしました日向のイハレビコでございます。」 「草薙の剣をヤジラベ様に預けた訳をお話します。」 サツミワケによると、出雲の国では昔から、国つ神としてオオクニヌシの神を祭祀してきたが、サツミワケの祖父の話では、吉備の国の友人が倭の国の祈祷師を連れてきた。その時に、その祈祷師は天つ神(アマテラスの神を中心とした神々)の話をした。 その話の中で、諸国では国つ神(オオクニヌシの神や祖先の神)を祭祀しているが、国は乱れているではないか。天つ神を祀れば、国は治まり、安堵した平和な生活がおくれる。そこで、その話を聞いていた出雲の国の人が、天つ神がそれほどよい神であるのなら、出雲の肥の河の氾濫を抑えてくれるように祈ってくれないかと問いただしたそうだ。すると、その祈祷師はアマテラスの神の弟でスサノヲの神がおられて、その神はめっぽう暴れん坊で、その神にお願いしてみようということになった。それから、その祈祷師が、日夜に渡って、音曲や能舞や薪を炊いて祈られた。そして、祈祷師の言うには、神門の水海の間口を広げよ。それから、その付近に祠を建て、スサノヲの神を祀られよ。 この話をサツミワケの祖父が、その当時の出雲の大君に話したところ、大君が祈祷している祠(松江の熊野大社)を神門の水海の付近に出雲大社として移された。そして、スサノヲの神の子として、オオクニヌシの神を祀られた。建て前は天つ神を截てて、実際は国つ神を祀ったのである。 サツミワケの祖父は、出雲大社にスサノヲの神を実際に祀らなかったことを気にして、スサノヲの神に剣を奉納するため、現在の奥出雲市八川付近の製鉄集団の集落に命じて、草薙の剣を作らせた。しかし、この草薙の剣をどのように奉納するかということになって、サツミワケの時代まで保管してきた。それで、ヤジラベ様にお願いして、スサノヲの神にいわれがある天つ神(アマテラスの神)に奉納して頂けるお方を探してもらったという内容の話を、サツミワケはイハレビコに永遠と語った。 「よく分かりました。必ず、草薙の剣を奉納します。」 この剣は、天皇家の三種の神器になっていくのだが、剣として数奇な運命をたどることになる。 「サツミワケ様、我らは日向の国で生活しているのですが、鉄製品を使ったり、作ったりしたことがありません。どうか、製鉄集団の集落をお教え願えないでしょうか。」 「それはできないですな。」 「何故ですか。理由を教えてください。」 「出雲の国は、古くから製鉄技術を持ち、この地の鉄鉱石があることを探り出し、古来のたたら製鉄手法で、剣などを作りだしてきたのに、それを簡単に教えることは出来ません。」 「それを何とかお教え願えないでしょうか。それでは、製造している作業をお見せできないものでしょうか。」 「イハレビコ様の願いとあれば、仕方がありません。釜戸での製鉄作業をお見せしましょう。」 イハレビコは、大和朝廷を樹立するために倭の国を目指して北上した時に、天つ神の子孫とし、諸国の国つ神を制圧するという建て前で、日本を統一しようとしたのである。天つ神を権威の象徴としたことになる。これとよく似た話が近代にもあり、明治政府(薩長連合)が江戸幕府を倒幕するのに、天皇の権威を利用して、錦の旗を立てて戦ったのとよく似ている。 また、イハレビコが北上した時に、出雲の国の製鉄集団から、矢尻や剣などを調達するのに安芸の国や吉備の国で時間を費やすし、出雲や安芸や吉備の三国と戦ったのではないだろうか。 サツミワケは手下に命じて、イハレビコ達の夕食と寝床を用意させた。そして、翌朝イハレビコ達は、ヤジラベと別れを告げ、サツミワケの案内でたたら製鉄の作業を見に製鉄集団の集落に出発した。 「イハレビコ様、製鉄のすべての工程をお見せすることは出来ませんが、釜戸で鉄を燻っている様子をお見せしましょう。」 釜戸には、鉄鉱石と薪を入れ、風を吹きこんで鉄が溶けるまで作業を続けていた。 「サツミワケ様、ありがとうございました。大変参考になりました。」 「さて、イハレビコ様、これからどちらの方へ行かれます。」 「この山を越えて、安芸の国まで出ようと思います。」 「安芸の国に行かれるのですか。」 「安芸の国には、海戦が上手な部族がいると聞いています。これからの参考になるかと思っています。」 「安芸の国の多祁理の宮に、私の知り合いコトミナヒコが居ます。訪ねて行かれよ。」 「これはありがたい。必ず、訪ねます。」 「これからの旅で、何か困られた時は草薙の剣をお使いください。きっと、頼りになるでしょう。」 「サツミワケ様、必ずアマテラスの神にこの草薙の剣を奉納いたします。」
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