20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:いにしえララバイ 作者:藤巻辰也

第5回   第4章 筑紫にて
 船旅も夕陽が西に沈むころ、海峡を過ぎ、沿岸にナキカツヒコの集落が見えてきた。ワタツミとナキカツヒコとは従弟関係にあり、お互いに行き行きがあった。
 「ワタツミ殿、よく来られた。さあ、居間へどうぞ。」
 「今日は、珍客を連れて来たぞ。日向の若君じゃ。」
 「それは、筑紫の国までよく来られた。母君はご健勝でござるかのう。まあ、夕食を用意するのでゆっくりされよ。」
 食事も済ませてから、ナキカツヒコは家宝の剣をイハレビコに見せるため持ち出した。
 「この剣は出雲の国に出向いた時に、鍛冶屋職人に作らせたものじゃ。」
 イハレビコの時代には、すでに出雲の国で鉄製品が作られていたようです。出雲の山々から取れる花崗岩に、鉄の原料となる砂鉄が含まれ、時には岩鉄も採れ、これらの山々から砂鉄が川に沿って流れ、川砂鉄として採取され、川から海へ流れて浜砂鉄として採取されていた。しかも、出雲の国は大陸とのつながりが深い土地柄であったため、鉄製品を作る技術を習得していた。
 鉄の発見は紀元前二千年ごろ、トルコ付近とも言われ、鉄を作る技術が西はヨーロッパ、東はシルクロードを通って、中国から朝鮮半島へ、そして日本に辿り着いた。
 「すばらしい剣ですね。私どもの今回の旅は、伊勢の国のアマテラスの神を拝礼するためのものです。お爺様に相談したら、それだったら剣を奉納されよと諭されました。そこで、ナキカツヒコ様にお知恵を頂戴しようと、お挨拶によして戴いた次第です。」
 「我らの神でもあるアマテラス様にお会いに行かれるのですか、それは良いことです。出雲の国も寄られるがよかろう。それから、我が集落でゆっくりされて、筑紫の宮も見とくが良かろう。」
 「せっかく、筑紫の国に来たのですか、山田の宮や訶志比の宮を見とうございます。」
 イハレビコの祖先の神であるアマテラスは、豊の国でも、筑紫の国でも崇拝されていた事実がわかり、日向の国よりもこの二つ国のほうが文化的にも経済的にも優れていたことが分かる。また、出雲の国の崇拝する神はオオクニヌシであり、この神は中国に関係がある神ではないだろうか。中国の遊牧民族では、国を守る神として、オオクニヌシの神が存在していた。日本の神話では、スサノヲの子孫として取り上げられているが。
 出雲の国は、中国から渡って来た民族ではないだろうかと考えると、イハレビコの子孫が大和朝廷として、日本を統一しようとした時に、最後まで抵抗した国のひとつであり、ヤマトタケルが熊曾を制圧した帰りに、出雲をも制圧した。そして、日本神話にオオクニヌシの神が吸収された。
 「お爺様、ナキカツヒコ様、いろいろとお世話になりました。」
 イハレビコ達は、浜風がふく早朝にナキカツヒコの集落を後にした。
 「若、これからどちらへ行かれます。」
 「山田の宮から、訶志比の宮に行ってみよう。筑紫の国の繁栄をこの目で見たいのじゃ。それから、船で出雲の国まで出てみよう。」
 イハレビコ達は、山田の宮を目指して、玄海灘に沿って旅を進めた。
 「タシト、筑紫の国を見ていると我が国と比較してしまう。これからの旅は、見るもの聞くものがめあたらしく、今後の私の力になるだろう。」
 「我が国を筑紫の国以上にしないと、またこれから訪ねる国は、筑紫の国以上かもしれませんな。」
 「とりあえず、筑紫の国をよく見て、民のくらしから政を学び、民の風習から神々の祀り事を学ぼうではないか。」
 玄海灘から吹き寄せる浜風が心地よく、田園には稲穂が全面に広がっていた。今年も豊作になるだろう。イハレビコ達は、遠賀川付近まで来て、川を渡るのに船を用意しなければならなかった。そこで、船頭を探し、その船頭の集落で宿を取ることにした。
 船頭ヨカトは高貴な客人のため、集落の長老を呼んで来た。
 「遠賀のヒカレミと申します。」
 「日向の国のイハレビコでございます。この度は、ごめんぞうをかけるが、よろしくお願いします。」
 「ヨカトに聞いたのですが、山田の宮まで行かれるようですね。筑紫の国の古い都で、今では訶志比の宮で政を行っています。」
 筑紫の国は、イザナキとイザナミの神話に出てくる国で、九州では文化的に歴史の古い国であった。イハレビコの曾祖父(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギ)が高天の原から日向の高千穂に降りたという話は、イハレビコの時代以降に付け加えられた神話で、アマテラス神話の流れからいくと筑紫の国に降りたかもしれない。また、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギよりも早く、高天の原から降り立ったニギハヤヒという神が居られて、物部氏の祖先神となっている。だから、高天の原から降り立った神は、天皇家の祖先神(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギ)だけではなかった。神話はその地方によって、多少違っていたとしても不思議ではない。神話は歴史ではなく、その地方の言い伝えであり、その地方に都合のよいように作り変えられているのである。そして、イハレビコの子孫が日本を統一することによって、日本神話として確立し、天武天皇の時に古事記や日本書記に編集された。
 アマテラス神話は太陽信仰で、稲作技術とともに日本にもたらされた。イザナキとイザナミの子として、日本国土を作り、アマテラスやスサノヲをその子とした。すなわち、イザナキとイザナミは、日本人が日本国土に誕生したところにまでさかのぼる。西洋諸国にもこれとよく似た話があり、聖書ではエホバの神がアダムとエバ(イブ)によって、人類の始まりとしている。
 イザナキとイザナミの神話は、メソポタミア文明の発祥地の中東からシルクロードを通って伝わってきた話である。
 アマテラス神話は、東南アジアから伝わってきた話であり、スサノヲとオオクニヌシの神話は、中国から朝鮮を経て伝わってきた話である。
 高天の原から高千穂に降り立った神話は、イハレビコが初代天皇とするための話である。このように分析すると、日本神話はメソポタミア文明、インダス文明、黄河文明の影響を受けていると考えられ、天武天皇の時代に確立した。
 早朝、ヒカレミが山田の宮までおともしてくれるというので、ヨカトの船に乗り、遠賀川を渡って、川に沿って上流の方へ向かうと、山手の方に擁壁を廻らし、人の出入りの多い場所に出た。
 「イハレビコ様、これから私の知り合いの祈祷師ガリサミを紹介します。」
 「それは、ありがたい。マラヒト、そちといっしょに筑紫のことを聞こうぞ。」
 町並みを見ながら行くと、ガリサミの住居にたどり着いた。
 「ヒカレミ様、今日はそちの集落の稲穂の豊作を祈願しに来られたか。」
 「いや、筑紫の国のことを知りたいと言われる御仁を連れてまいった。」
 「日向の国のイハレビコでございます。」
 「筑紫の国と言われても何も知らんぞ。」
 「いや、これは失礼申した。実は、我らの祖先神アマテラスについてですが、諸国を回っているうちに、各地でアマテラスの神の話を聞くものですから。筑紫の国では、アマテラスの神がどのように祭られているかが知りたいのです。」
 「そうですか。アマテラスの神のことでしたらお話しましょう。」
 ガリサミは、アマテラスがスサノヲの執行に怒られて、天の岩屋の戸を閉められ、高天の原が暗くなった話などについて、坦々と話し出した。イハレビコやマラヒトが知らない話がいっぱいあった。中には、高天の原から筑紫の国にアマテラスの神の死体の一部が降り立ったと言う話もあり、日向の国の高千穂に降り立ったと言う類似している話もあった。
 「ガリサミ様、いろいろお聞かせ頂き、ありがとうございました。さて、高天の原は神代のことですが、実際のところどの地方にあるのでしょうか。」
 「そうだな、高天の原は東の彼方にあると聞いておる。ただ、アマテラスの神を祭られているところは、私も行ったことがないが、伊勢の国で祭られていると聞いておる。」
 伊勢神宮や出雲大社は、紀元一世紀にはすでに存在していた。本書では、天皇家が伊勢神宮を建立したのではなくて、イハレビコの時代にはすでに存在していたことにする。また、各地の風土記によると、集落の守り神としての祠が建てられていたようで、伊勢神宮や出雲大社もその祠のひとつであった。
 「あ、そうだ、私が話したことを漢文にしたためたものがある。イハレビコ様に差し上げよう。」
 筑紫の国では、大陸との交流が盛んで漢の国からも渡来人が渡ってきていた。その時に文字として、漢文も伝来した。イハレビコ達は漢文を読めないし、書くことも出来なかった。そこで、マラヒトをガリサミに預けることにした。
 「ガリサミ様、私の手下のマラヒトに漢文を教え願えないですか。いずれ、お礼をいたしますので、よろしくお願いします。」
 「分かりました。私が知っている限りのことはすべてお教えしましょう。」
 イハレビコ達はマラヒトをおいて、ガリサミとヒカレミに別れのあいさつをした。そして、山田の宮を見て回って、宿をとった。
 翌日、山田の宮を出て、稲穂が垂れ下がり、収穫が今か今かと言わんばかりの田園地帯を西へ進みました。田園で働く人は笑顔を絶やさず、楽しげに農作業をしていた。
 「筑紫の国って、よき国だな。」とイハレビコは独り言を言った。
 「若、日向の国も今頃は農作業に励んでいますよ。」
 「タシト、稲作でもたらされた裕福さで、心まで明るくなるということなのだ。」
 この時代には、国を運営するための財源として、租税(年貢)の取立てという制度が確立されていなかった。国の形成としては、集落の長が集落を束ね、集落同士の戦いに勝ち残った者が国の長になっていた。もちろん、勝ち残った者にはそれだけの広大な農地があったのは事実である。日向の国もそれに近い国の形成であった。また、戦いがある度に集落の出費が増えていた。だから、日向の民は稲作で得た裕福さはあったが、戦いに費やす労力の負担が大きくて、心の明るさには乏しかった。
 筑紫の国では、大陸の交流から得る利益と戦いに費やす負担が少ないため、集落ごとの負担が少なかった。また、筑紫の国の財政として、大陸の影響もあって、民には年ごとにわずかな年貢の取立てをしていたようであった。
 イハレビコ達は、田園風景を見ながら訶志比の宮をめざしていた時、目のまえに海が広がって来た。
 「この海の向こうに、韓の国、その向こうに漢の国があるのだな。」
 「若、海の彼方では、どのような生活をしているのでしょうか。」
 「行ってみたいのう。」
 訶志比の宮を訪れる目的のひとつには、大陸のことを知ることも含まれていた。
 「若、あちらの入り江に大きな船が停泊しています。」
 「大きいのう。行ってみるか。」
 イハレビコ達がその入り江に到着した時は、夕陽が西の海に沈む頃であった。この入り江が筑紫の水門(みなと)であり、娜の津(現在の博多港)である。
 「タシト、ここで三日程滞在しよう。宿を探してまいれ。」
 ちょうどその時、イハレビコ達の前を今までに見たこともない衣服を着た渡来人が通り過ぎた。
 タシトは手下に命じて、後を就けさせた。すると、高殿式の倉庫らしい建物を備えた住居に入っていった。手下はタシトに報告した時、タシトはその住居を宿舎にするため、訪ねていった。
 「こちらは、日向の国のイハレビコの者ですが、ご主人にお目にかかりたい。」
 主が玄関まで出てきた。
 「これまた、遥々日向の国からようこそ。大君(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズ)には、何かとお世話になっているヤジラベでございます。イハレビコ様と言いますと大君のご子息でございますね。」
 「若君は、アマテラスの神にお会いするため、伊勢の国まで行く途中に筑紫の国に立ち寄りました。実を言いますと、ここらで宿舎をさがしております。」
 「そんなことでしたら、たいしたことは出来ませんが、どうぞ私の居間でお泊りください。」
 ヤジラベは、娜の津で大陸から来た渡来人と物々交換をしている商人で、大陸の品物を北は北陸地方、東は近畿地方、南は九州の諸国に持って行き、その地の産物をもって帰り、渡来人と交換することによって利益を得ていた。だから、日向の大君とも懇意にしていた訳である。
 「若、ヤジラベ様が宿を用意してくれました。」
 「そうか、ヤジラベか。父から一度聞いたことがある。」
 そうして、ヤジラベの住居に長期間居候することになる。
 ヤジラベも、ワタツミと関係があり、子孫は安曇氏と名乗り、海運で勢力を伸ばした一族となり、ワタツミを海の神様として、祀られた。
 「イハレビコ様、ご立派に成られましたな。大君から、若君のことはよく聞かされました。どうぞ、ごゆっくりとされてください。」
 「ありがとうございます。諸国のことや、大陸のことや渡来人のことなどをいろいろとお教えください。」
 「若君、入り江に大きな船が停泊しているでしょう。韓の国の馬韓(のちの百済)から来た船です。先ほども商談に来ていたところです。船の積荷を見てほしいとの事でした。」
 「同行させていただきたいのですが。」
 「船の中を見学されるだけでしたら、べつにかまわないですよ。」
 翌日、ヤジラベに連れられて馬韓の船に乗り込んだ。船の中には、馬韓から運んできた品々が積まれていた。積荷には、金銀製の首飾りや勾玉等の装飾品、衣料品、青銅で作られた鏡、鉄製品、剣もあった。これらを日本で荷降ろして、日本の特産物を積み、朝鮮に運んでいた。
 「ヤジラベ様、このような品々をどのように集めて来るのですか。」
 「韓の国の南端に、我らの仲間がいまして、筑紫の国から運搬した銀鉱石や蚕等を馬韓の製品と物々交換しているのです。」
 鉄砲が種子島に上陸した頃、世界地図には日本のことをジャパンと記されているが、その当時、日本に渡ってきたポルトガル人が見たのは、金や銀がある黄金の国であったからジャパンと名づけられている。
 日本は、火山の国で地球のマグマから噴出してくる副産物として、金や銀、鉄などが溶岩に含まれていた。だから、佐渡金山とか、石見銀山、生野銀山等が各地にあった。また、蚕も各地で取れ、絹の糸になったため、羊から取れる羊毛や綿花から出来る綿と違って、貴賓があり、高級感が味わえる衣料に仕上がったため、海外で重宝がられた。
 馬韓と日本との関係は古く、縄文時代に日本から朝鮮に渡り、住み着き、垂仁天皇の時代に、朝鮮の弁韓に任那の国をつくった。その時、百済が力を貸してくれた。それ以来、百済とは友好関係にある。また、百済から渡来人として日本に住み着いた者もいた。
 「イハレビコ様、この船に興味をお持ちのようですね。」
 「船もそうだが、積荷にも興味がある。また、韓の国にも興味がある。」
 イハレビコ達は、この娜の津で今まで経験したことのないことを見たり、聞いたりすることになる。そして、イハレビコが倭の国と戦って、日本を統一しようとした時に、大きな力となっていく。
 「そうだ。イハレビコ様に馬韓の渡来人キムバイコウを紹介しましょう。」
 キムバイコウは馬韓の朝廷から日本に派遣され、筑紫の国と馬韓の国のパイプ役を任務としていた。また、ヤジラベが馬韓から物資を調達するために韓の国へ渡った時に、馬韓の高官として対応してくれたのがキムバイコウである。
 「キムバイコウは、訶志比の宮にいます。明日にでも訪ねて行きましょう。」
 「ありがとうございます。我らも訶志比の宮に行く途中でした。」
 イハレビコはキムバイコウに会って、馬韓のことや馬韓と漢との関係や高句麗、辰韓(のちの新羅)の現状を聞きたかった。
 娜の津を出発して、海沿いに行くと、擁壁で囲まれ、入り口には朱色に塗られた門が見えてきた。門の出入りを見ていると物資を抱えている人、農作業をしている人、武装をした人、渡来人も見かけた。
 「タシト、筑紫の国の繁栄を見ているようだな。」
 「若、日向の国にはこのような賑やかさはないですね。」
 ヤジラベに連れられて、キムバイコウの住居までやって来た。
 「ヤジラベ様、祖国からの積荷は無事届きましたかな。」
 「なにせ、あの海(玄海灘)を渡ってくるのですから。何とか、無事着きましたよ。」
 「今日は、日向の国の若君をお連れしました。」
 「筑紫(九州)でも、武装集団と言われている日向の国ですか。」
 九州には、筑紫、豊、肥、日向、熊曾の国があり、軍事力では、熊曾が優れていたが、日向も同等の軍事力をもっていたので、文化的な筑紫、豊、肥の国は熊曾の侵略を防ぐことができた。
 「馬韓の祖国としましても、日向の国に関心を示していたところです。」
 「日向の国のイハレビコでございます。我が国の大君も、馬韓との関係を模索されています。」
 「馬韓で一番困っているのが、辰韓や高句麗の侵略です。日向の国の軍事力には興味があります。」
 朝鮮半島の状況は、高句麗では北から漢、東南から辰韓の侵略に苦慮し、西南の馬韓とは同盟を結んだり、侵略したりを繰り返している。辰韓では高句麗との戦いのために頻繁に漢と密会を続け、いずれは漢の力を借りて、高句麗を討ち、馬韓を滅ぼして、朝鮮半島を統一しようと目論んでいる。それで、馬韓や弁韓まで侵略を続けている。馬韓としては、高句麗や辰韓に侵略されて、東アジアのもう一つの大国、日本を頼りにしなければならなかった。
 キムバイコウは、このような内容を永遠と話した。
 「いろいろな話をお聞かせ頂き、よく理解できました。一度、日向の大君に合わしましょう。我らはこれから、伊勢の国までアマテラスの神に剣を奉納しに行きます。」
 イハレビコ達は、キムバイコウと別れ、ヤジラベに連れられて訶志比の宮を探索した。
 「イハレビコ様、これから伊勢の国まで剣を奉納に行かれるのですか。」
 「アマテラスの神に拝顔するため、伊勢の国まで行く旅なのですが、豊の国のお爺様ワタツミから、アマテラスの神に剣を奉納するように言われました。」
 「その剣を用意されていますか。」
 「それがまだ用意できていません。出雲の国に鉄や鋼を作る職人がいると聞いています。これから、出雲の国へ行こうと思います。」
 「実は、出雲の国で手に入れた意われのある剣があります。」
 「アマテラスの神の弟でスサノヲの神が出雲でヲロチと戦った時に使われた剣だと言い伝えの草薙の剣があります。」
 「なで、そなたのところにその剣があるのですか。」
 「出雲に私の知り合いサツミワケが、この剣を由緒正しい方に出現れたら渡してほしいと。」
 「その剣を私に託すのか。」
 「そうです。その代わりにサツミワケに会って頂きたいのです。」
 「出雲の国には、剣や矢尻の整備を進めるため、製鉄の技術を学びに行く予定です。」
 「それでは、私どもが出雲まで船を用意しましょう。そして、サツミワケに会っていただきます。」
 イハレビコ達は、ヤジラベの案内で出雲の国に船で行くことになった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 99