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作品名:いにしえララバイ 作者:藤巻辰也

第4回   第3章 旅立ち
 イハレビコは大君の許しを得て、母上に挨拶を済ませ、タシトとイグラの孫のマラヒトと手下を連れて高千穂の宮を出発した。
 「タシトがわれに、よく話してくれた祖母山の頂上からの風景を見たいものよ。アジキを尋ねてみよう。」
 「若、タシトもかれこれ十五年ぶりでございます。」
 イハレビコは好奇心が旺盛で、何事にも見識を持って、新しい事にも素早く対応できる能力を兼ね備えていた。以前、長老のイグラから豊の国の事を聞いたことがあった。
 イグラによると豊の国を治めているのは、ウサツヒコとウサツヒメの兄妹で、兄が政を妹が祭祀を司る祭政体制をとっているとのこと。その兄妹の集落は大分県宇佐市の宇佐神社付近にあり、その集落には足一騰宮(あしひとつあがりのみやと読み、高い足一本で築かれた宮殿で高床式の建物のこと)があり、この宮殿を見るのも今回の目的であった。
「タシト、豊の国のことで何か知っていることがあるか。」
「豊の国では、矢尻や刃物に金属製のものを使っているとのこと、見たいものです。」
 山道を歩いてきたイハレビコ達は、タンポポやスミレの花が一面に広がったアジキの集落に着いた。
 「若君、ようこそお越し下された。庵にお食事を用意しておりますので、旅の疲れを癒してください。」
 「二、三日お世話になるのでよろしく頼みます。」
 早朝、イハレビコとタシトは祖母山に登り、頂上に着いたのは、昼前であった。
 「あの海の向こうが伊予の国だな。」
 「そうです。伊予の国に渡るには船が必要です。」
 「わしは、我らの神アマテラス様がおられるところまで、行きたいのじゃ。」
 「アマテラスの神は、海より向こうの、伊予の国よりずっと向こうの、お日様が日の出される東の方角におられます。」
 「そうか、まだずっと向こうか。これから、タシトといっしょに行ってみたいの。この旅は永くなりそうだな。」
「若、これから行かれるおつもりですね。ご一緒しましょう。」
 アジキの集落に帰って来たのは、田植えを終えて、皆が集落にもどって来たころであった。
 「アジキ、これから母上の国、豊の国へ行ってみようと思うのだが、誰か母上の集落まで案内してくれまいか。」
 「ワタツミの部族ですね。わたしの配下のトキワケにその部族から、嫁にした者がいます。案内させましょう。」
 ワタツミの集落は、豊の国の南部地方にあり、大分県臼杵市深田町の臼杵石仏で有名ところにあった。アジキの集落は宮崎県臼杵郡高千穂町であるから、昔から関係があったのだろう。また、神話では、ワタツミは海の原の神とされているが、本書ではワタツミが豊の国の南部を治め、豊の国でも由緒ある家柄で、ウサツヒコの重臣であったことにする。
 トキワケに案内されて、アジキの集落を早朝に出発して、アジキの集落の米蔵を荒らした隣の集落を通り、大野川の中流にある集落付近(現在の大分県豊後大野市)で野宿して、海辺まで田園が広がったワタツミの集落に着いたのは、翌日の昼過ぎであった。
 「イハレビコ君、よくぞ来られた。タマヨリヒメは元気にされておるか。」
 「母君は、ワタツミ様のことや集落の話をよくされています。」
 「そうか、イハレビコ君もご立派になられてこれからが楽しみじゃ。爺のところでゆっくりされよ。」
 いにしえの時代では、母系家族が主流をしめ、豊の国はその典型であった。現在でも、法律上や社会風習では父系家族を採っているが、実際には母系家族が残っている。しかし、母系家族はもともと農耕民族によくみられる家族形態であるが、イハレビコの日向の国は父系家族を採っていた。何故だろう、イハレビコの部族も稲作を財源としているのに。たぶん、イハレビコの祖先の部族は、本来高千穂に永住していた原住民で狩猟生活をしていたが、稲作が東南アジアから島伝いに渡ってきて、九州に稲作文化が上陸してから、その文化を吸収したのではないかと。アマテラス信仰についても、もともと東南アジアにあった農耕民族の信仰であったが、この信仰・文化をも吸収してしまった。そして、日本を代表する家系としてしまったのでは。現在の日本をみても、外来の文化や技術を取り入れるのが得意な国民の特性は、このいにしえの時代からの伝統ではないだろうか。余談にそれたのでもとに戻ります。
 「若、お目だめでしたか。」
 「タシト、雨続きだったが、今日は晴天である。浜辺に出てみようか。」
 朝日が浜辺を照らし、十隻ほどの丸太船が漁をしていた。松林の木陰で腰を下ろして、その風景を眺めていた時、腰をかがめた老人が通られたので声を掛けた。
 「ご老人、我々といっしょにここへ腰を掛けませんか。わたしは、日向の国のイハレビコと申します。」
 「ありがとうございます。これは、めずらしい方にお会いできた。わたしは、臼杵の集落で祈祷を司っている、ラサトモでございます。どうですかな、この辺の景色は。」
 「お日様がまぶしくございます。豊の国の繁栄をみているようです。」
 「イハレビコ様は、あのお日様の所まで行こうとされているのではないですか。」
 「よくお分りですね。」
 「あなた様の顔の相に描いてあります。その他にも、あなた様は将来、各地の国をまとめて統一されるでしょう。」
 「各国に分かれている現状を知りたいし、我が祖神アマテラス様にお会いしたいのだ。この海の向こうの東方にアマテラスの神が居られると聞く、ご存知ないですか。」
 「ここからだと、海路で行くと伊予の国と周防の国の間を通り、難波の海まで行き、南下して紀の国を通り、海岸沿いに行くと伊勢の国に行きます。その国にアマテラスの神が居られます。陸路で行くと筑紫の国から船で周防の国に渡り、安芸の国、吉備の国を通って、難波の崎から河内の国を通って、倭の国から伊勢の国に行くことができます。」
 「遠いのう。伊勢の国にアマテラスの神が居られるのか。タシト、諸国を見て回ってから伊勢の国に行こう。」
 海辺から田植え作業を見ながら、ワタツミの集落に帰って着たのは昼過ぎであった。
 「お爺様、海辺でラサトモ様にお会いして、アマテラスの神のことをお聞きしました。」
 「アマテラスの神は、我らにとっても稲作を営むものとして崇拝する神である。ラサトモもそのことには詳しいはずじゃ。」
 「これから、タシトを連れて各地を回りながら、伊勢の国まで行こうと思います。」
 「イハレビコ君、伊勢の国へ行かれてアマテラスの神に拝謁されるのであれば、剣を奉納なされ。」
 「剣ですか。お爺様、剣を手に入れるにはどうすればよいでしょうか。」
 「筑紫の国にナキカツヒコと言う御仁が居る。馬韓の国や漢の国にも精通していて、剣も詳しい御仁じゃ。訪ねて行かれよ。」
 「豊の国の足一騰宮を通っていけばよいのですね。」
 「そうじゃ、近日中に足一騰宮のウサツヒコ様にお目どおりして、所要を済ませるので、ついてまいるか。」
 「私も、足一騰宮に行ってみとうございました。ぜひ、お伴させてください。」
 ワタツミの豊の国では、筑紫の国と交流があり、大陸からの物資や文化が筑紫の国から入ってきていた。また、筑紫の国では、壱岐の島から対馬に渡り、韓の国(朝鮮半島)に上陸し、集落を形成していた。その後、韓の国の南端に任那の国を建国したぐらいである。イハレビコの時代には、この韓の国の集落を基点に馬韓(のちの百済)、辰韓(のちの新羅)、高句麗の三国との交流が盛んであった。その当時の日本の力は、韓の国をしのぐ政治力、軍事力、財力を備えていたようである。後世に神功皇后が朝鮮を攻めた話は有名である。しかし、邪馬台国の卑弥呼の時代の魏の歴史書(魏史倭人伝)では、日本のことを倭の国としているが、イハレビコの時代には、日本の国は統一国家でなく、各地に分裂した国の形態であった。
 剣については、その当時大陸からの輸入か、山陰地方で取れる鉄鉱石で作られたものが有名であり、なかなか手に入らない品物であった。また、剣は天皇家の証、三種の神器(草薙の剣、鏡、勾玉)の一つでもある。神話では、スサノヲがヤマタノヲロチを退治した時のヲロチの尻尾から草薙の剣を取り出したという剣であり、ヤマトタケルが東の国(蝦夷)に遠征した時に伊勢斎宮にいる叔母のヤマトヒメを訪ね、伊勢神宮に奉納されていた草薙の剣を授かった剣である。草薙の剣は、垂仁天皇が伊勢神宮に奉納したという説があるが、いつごろから存在したのかというと定かでない。本書では草薙の剣は、イハレビコが皇祖神アマテラス大御神を祀る伊勢神宮に奉納したことにする。
 この他に剣についての神話として、アマテラスの孫で、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギと言うイハレビコの曾祖父が、最初に高天の原から地上の日向の高千穂に降りた時に出迎えたアメノオシヒとアマツクメの神で、大きな瘤付きの帯刀と鋭く磨いた矢と弓を持って現れる。この帯刀も剣である。なお、アメノオシヒはヨホトネやタシトの祖先神で、その家来としてアマツクメは久米部族の祖先神であり、これらの神の子孫が大伴氏の氏族として発展していく。
 初夏のある日、ワタツミはウサツヒコとの合議に参加するため、イハレビコとタシトをともにして、ワタツミの集落を出発した。
 小高い山間を通ると壮大な田園地帯が広がり、その地帯に流れる大野川と大分川が望めた。そこには数か所の集落があり、豊の国の豊かさを象徴する風景であった。これらの集落を通って、大野川と大分川を渡って、海岸沿いに行くと地面から温かな湯が沸きあがっている所に着いた。現在の別府温泉である。昔から日本の各地に温泉があり、日本人が現在でもお風呂好きであるのも納得がいく。イハレビコ達は、この温泉がある集落で宿をとることにした。翌朝、山間を抜けると、水の恵みに満ちた駅館川が流れ、その川に沿ってたんぽぽが咲き、川沿いを行くと、堀と擁壁で囲まれ、中央に聳え立つ足一騰宮が見え、一つの集落と言うよりは要塞という感じであった。
 ワタツミに案内されて場内に入ると、中央に広い道があり、その道の突き当たりに高々と聳え立つ宮殿があった。地上から階段があり、上がりきるとこの要塞全域が見渡され、宮殿に入ると広々とした居間が四部屋あった。ここに、ウサツヒコとウサツヒメが生活されておられた。ワタツミはウサツヒコと面会されるので、玄関先の居間で待機するとのことであった。イハレビコ達は、面会が終わるまで、宮殿を出て足一騰宮をぶらりと探索することにした。
 「タシト、宮殿の華やかさには感服したな。それにしても、この宮の賑やかさにも驚かされる。会う人会う人が活気に満ち、優雅で裕福そうである。」
 「若、わたしはこの宮が敵に攻められたとしても容易に攻め落とせないように造られているのに感心しました。堀にしろ、擁壁にしろ、戴したものですし、宮殿に上がると東西南北が見渡せます。」
 足一騰宮の場内では、豊の国の集落の特産物が持ち込まれ、物々交換している光景が見られた。米はもちろん野菜、魚介類、畜産類、陶器類、衣類、なかには他国からの珍しい品物も見受けられることもあった。畜産類では、狩猟による猪や鳥の肉もあったが、その当時は犬や鶏が家畜されていたようで鶏肉もあった。陶器では、すでに弥生時代の後期でもあるので、壺はもちろんのこと茶碗や湯のみもあった。衣類では、蚕が飼われている国もあり、蚕の糸の生地で作られた衣服があり、韓の国からの使者が足一騰宮に参上したさいの土産としてもたらされた衣服もあった。他国からの品物では、鉄で加工された剣や矢尻や青銅で加工された鏡等の品物もたまには見られた。
 「若、日も落ちてきたので、ワタツミ様の別宅に帰りましょうか。」
 イハレビコ達が別宅に着いた時には、ワタツミも帰ってきていて、玄関まで向かいに出て来ていた。
 「お爺様、宮殿といい、場内での人の往来といい、感服いたしました。」
 「まあ、入られよ。宮殿で二日程所用を済ませるので、ここでゆっくりされよ。また、それから、筑紫の国のナキカツヒコのところに連れてやるのでのう。」
 「ありがとうございます。」
 ナキカツヒコの集落は、筑紫の国でも関門海峡の沿岸(福岡県北九州市小倉北区付近)にあり、海を隔てた周防の国が見えるところにあった。また、海を渡って、周防の国や安芸の国の物資と文化が入ってき、筑紫の岡田の宮(遠賀川の下流付近)と筑紫の訶志比の宮(大宰府の北側で福岡市東区香椎付近)からは、対馬、壱岐の島を渡って来た馬韓や辰韓の渡来人が物資や文化をもたらしていた。
なお、古事記によると岡田の宮は、イハレビコが大和朝廷を樹立するために東の倭の国に行くまでに、筑紫の国で一年余り滞在した宮であるが、訶志比の宮は、古事記では仲哀天皇が九州に制圧軍を送った時に、筑紫の国に宮を住居にしたとあるが、本書ではイハレビコの時代にすでにあったと仮定する。
 「お爺様、宮殿での所要がお済になられましたか。」
 「秋の稲作の収穫祈願の打ち合わせをしておった。今年は、雨も降り、日照りも続きそうなので、嵐が来なければ豊作になるだろう。そのための新嘗祭での祈祷についての話し合いだ。漸く終わったわい。」
 「それは、ご苦労さまでした。」
 「明日の早朝に、駅館川下流から船に乗って、ナキカツヒコの集落まで行こう。」
 イハレビコとタシトは、船旅が初めてで、その当時の船としては、丸太を削ったもので、大きさは現在の五人乗りのカヌーのようなものであった。ワタツミは駅館川下流の漁師の集落に行き、船を用意した。
 「イハレビコ君、東に見えるのが伊予の国で、北に見えるのが周防の国です。これから、豊の国の沿岸を航海すると、筑紫の国の沿岸になり、海流の流れが激しい海峡を通ります。そして、ナキカツヒコの集落に着くのう。」
 「お爺様、我が国日向では航海術が苦手で、いざ海での戦闘になると苦戦しています。山河での戦闘には自信がありますが。」
 「豊の国では、戦闘をすることは重要ではあるが、国を治めるには戦闘をしなくても知的戦略で国を栄える方法があると考えている。戦闘だけが国力を高めるものではない。」
 「航海術を学ぶには、どの国へ行けばよいですか。」
 「筑紫の国は、大陸まで行くのに航海術を備え、イキの島、ツの島に渡り、韓の国の南端弁韓に集落を作って、高句麗や辰韓、馬韓を掌握している国だし。航海術としては筑紫の国がよいし。海での戦闘となると、安芸の国は伊予の国と海の領域を争って絶えず戦闘を繰り返している。安芸の国がよいかな。」
 イハレビコは、ワタツミに航海術のこと等を聞きながら、船旅を楽しんでいた。


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