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作品名:いにしえララバイ 作者:藤巻辰也

第18回   第2部 漢委奴国王印 第7章 山戸の国
山戸の国

 イハレビコが娜国に旅をして日向の国に帰って来てから、三ヶ月が経っていた。旧暦の正月が近づき、庄内の集落では、来年の稲作の準備と今年とれた稲穂の籾取り、藁で作る住居の修理に追われていた。そんな時、ミチノオミが大君の詔を持って現れた。
 「若、大君のお達しで、正月に高千穂の宮に集まるようにと。」
 「そうか、いよいよ、一の宮の集落建設の話だな。」
 「若は、山戸の国に行く準備を進めないと。私も、連れて行ってくれますよね。」
 「ミチノオミは連れて行くつもりだ。その他に、コナキネ(アメノオシクモ)の子アメノタネキを。」
 「アメノタネキですか。漢文を学んでいるとは聞いていたのですが。」
 アメノタネキは、アマテラス大御神が天の岩屋にお隠れになった時に、詔を唱えたアメノコヤネの孫にあたり、豊の国のウサツヒメを妻にしている。アメノコヨネは、第十一代垂仁天皇から、伊勢神宮の祭主を命ぜられ、伊勢神宮を皇室だけの神霊とし、大和朝廷を強固の政権にするため、五大夫のも命ぜられた中臣国摩大鹿島、物部尾輿と廃仏を唱えた中臣鎌子、大化の改新の時代の中臣鎌足の祖先神である。飛鳥時代には、日本神話を操作し、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニキ達が高千穂に降り立った天孫降臨以降の皇族、豪族を天つ神系とし、天孫降臨以前の地方豪族を国つ神系に振り分けたのも中臣氏です。
 正月になり、高千穂の宮は華やかな衣装を纏った大君の一族や部族の長が集まり、大君の登場を待っていた。そして、大君が上座に着席すると、長老のイグラが口火を発した。
 「今回、皆様に集まって頂いたのは、阿蘇山の麓に新しい集落を建設する事になった。詳しくは、大君からご発言がある。」
 「イグラが述べたように、阿蘇山の麓に一の宮の集落を作り、鉄の生産を始める。そこで、この集落の建設に当って、イツセが指揮を執り、イグラを副に命じる。そして、稲作の担当として、アジキを任命する。」
 「大君、鉄の生産をすると言われましたが、阿蘇山の麓に鉄鉱石があるのですか。そして、鉄製造技師はいるのですか。」
 「イツセ、これが鉄鉱石だ。金工鍛冶師はイハレビコを韓の国に行かせて、連れて帰る事になっている。そうだな、イハレビコ。」
 「筑紫の国の宗像の集落にイベズカサと言う人物がおられて、韓の国に渡る手助けをして貰います。そして、韓の国に渡れば、オホノミカデオミに会い、日向の国に来るように説得します。」
 「そんな段取りになっているのか。しかし、大君、阿蘇山には、原住民がいるでしょ。」
 「原住民は捕虜にして、奴婢として鉄鉱石の採掘に当らせるのだ。」
 「阿蘇山の北部には娜国があり、西部、南部には、熊曾がいるのではないですか。」
 「そこで、イグラを副に据えて、軍事面を見させるのだ。そのような事なので、皆の部族から一の宮の集落に人を送って貰いたい。鉄を生産する事は、日向の国のためであり、最後は皆のためになる事だから。」
 大君のお達しが終わった後、膳が配られ、雑談になった。
 「イハレビコ、よくも韓の国に渡る事を決意したな。」
 「兄上、庄内の集落を大君から頂いてから、鉄の事を考えていました。そして、娜国を探索して、いよいよ、鉄の必要性を実感しました。日向の国には鉄が必要です。」
 「イハレビコは、各地を見てきたからな。次は、また、とんでもない事を言い出すのではないだろうな。」
 「そうかも知れませんね。」
 イツセは、イハレビコとの会話から、十五年程先にイハレビコと共に、倭の国を目指して、東征する事を察ししていたかもしれない。しかし、イハレビコはこの時点では、二十数年後に大和朝廷を樹立する事になるとは、思ってもいなかった。
 その後、ヨホトネが老弱のため、その代理で来ていたイグラと久しぶりに再開して、伊勢の国まで行った思い出話に花が咲いた。そうこうしている間に正月の宴が終わり、イハレビコは山戸の国に行くため、庄内の集落に帰り、庄内で稲作の準備の手はずをしなければならなかった。
 庄内の集落に梅の花が咲く頃になって、イハレビコとミチノオミとアメノタネキは、高千穂の宮で、大君に山戸の国に行く事を告げて、オホノミカデオミ宛の詔を懐に入れ、高千穂の宮を後にした。
 「若、山戸の国に行く前に、豊の国のワタツミ様とウサツヒコ様にお会いされるのですか。」
 「ミチノオミ、そうしよう。」
 「若、今回の旅は船で行きましょう。大淀川に船を用意しました。大淀川を下って日南海岸にでましょう。」
 「船旅か、それもよいだろう。」
 イハレビコ達はミチノオミが用意した船で、豊の国の臼杵の集落まで、船頭サジロイが艪を掻いた。イハレビコの船が海辺に出た時、穏やかな太陽の日だしを受け、海風が心地よく感じられた。そして、夕陽が海岸線の向こうの山々に沈みかけた頃、イハレビコ達の船は、五十鈴川の下流に近づき、カラヤの集落の付近まで来ていた。
 「若、夕暮も近づきました。ここらで、一泊しましょうか。」
 「この辺りは、カラヤ様の門川の集落に近いのではないか。カラヤ様の所で一泊しようか。」
 イハレビコは、去年の秋に、馬で筑紫の国に行く途中、カラヤの集落に立ち寄っていた。
 「若、ようこそ、来られました。今回は、金工鍛冶師を韓の国に探しに行かれるそうですね。大変な役目ですね。」
 「韓の国に渡るには、玄界灘があるからね。カラヤ様、金工鍛冶師を韓の国から連れ帰って来たら、日向の国のため、力を貸してください。」
 「分かりました。今夜はごゆっくりお泊りください。」
 早朝、門川の集落を出て、ワタツミのいる臼杵の集落に向かって、船を走らせた。延岡の集落を通った頃から、リアス式の海岸になり、入り江には漁師の船が浮かんでいた。それから、佐伯の集落の入り江を通り、津久見の集落の入り江を通過した頃には、昼下がりになり、太陽が地平線を照らしていた。そして、イハレビコ達の船は、臼杵の集落の入り江に近づいて来た。
 「若、ワタツミ様にまた、会えますね。」
 「お爺様に、韓の国に渡る報告をしなければならない。宗像の集落のイベズカサ様を紹介して頂いたからね。」
 「若君、臼杵の集落には、ラサトモ様が居られますね。」
 「アメノタネキはラサトモ様に会いたいだろうな。ラサトモ様は臼杵の集落の祈祷を司っておられるから。この間来た時、この翡翠勾玉を譲り受けたからね。」
 イハレビコ達は入り江に船を着け、ワタツミの住居に向かった。
 「韓の国に行く前に、お爺様に挨拶するため立ち寄りました。」
 「いよいよ、金工鍛冶師を探しに行くのだな。」
 「この間、お寄りした時にイベズカサ様に会うようにと言われ、尋ねていきました。そして、冬場は玄界灘が荒れているので、暖かくなったら、韓の国に連れて行ってくれる約束をしました。」
 「金工鍛冶師の当てはあるのですか。」
 「ヤジラベ様が、金工鍛冶師を束ねているオホノミカデオミ様に会う事を勧めてくれました。」
 「それはよかった。イハレビコ君も知っているだろうが、倭の国にカモノカグヤヒコの部族がいるだろう。」
 「知っています。カヅラヒトの部族と手を組んで、ウシシマヂの部族が倭の国に現れるまで、倭の国を支配していた部族ですね。」
 「このカモノカグヤヒコの部族は、元々は漢の国の部族で、鉄製造を得意にしていた。そして、カヅラヒトの部族と共に倭の国を支配する事になった。それと、木の国のオホキノカナエヒコの部族も同じ頃、漢の国から韓の国に、そして、木の国に落ち着いた。」
 中国の歴史で、春秋戦国時代(紀元前七百七十年から二百二十一年)程、中国の国土が乱れ、平安な時代はありませんでした。最後に、秦が出てきて、中国を統一するのですが。その当時、日本では、縄文時代後期から弥生時代前期の頃です。中国では、周が滅亡してから、沢山の国が出来ました。そして、戦争を繰り返し、滅亡したり、新興の国が生まれたりし、滅亡した民族や雲南省および広西壮族自治区、広東省辺りにいたミャオ族は、南の方から黒潮に乗って、南九州へ、また、対馬海流に乗って、朝鮮半島や北九州へ辿り着いた民族です。そして、水田による稲作文化をはじめ、土器、青銅器、鉄器、織物等の文化が入り込んで来ました。
 その他にも、秦が中国を統一して、国土拡大政策が取られ、中国北部の遊牧民族、吉林省辺りにいた扶余族や黒竜江省辺りにいた濊族や黒竜江省東部からロシアのババロフスクから南のウラジオストク辺りにいた粛慎(しゅくしん)族、青海省辺りにいた氐族が朝鮮半島から日本に渡来した。
 これらの民族が日本へ移動を始め、水田による稲作によって、古代の最初の産業革命が紀元前五世紀から紀元前二世紀頃に起きた。そして、古代の第二の産業革命が、織物を始めとして、青銅器や鉄器の製造によって、紀元前一世紀から紀元二世紀頃に起きている。この頃に、初代神武天皇が存在したのでしょう。
 「それから、イハレビコ君、先程言ったカモノカグヤヒコの部族だが、その部族の一部がまだ、韓の山戸の国にいて、鉄器の製造をしていると聞いている。」
 「それは、ほんとうですか。」
 「間違いない。どうも、ワイ族の流れを組むワニの部族に使われているようだ。」
 「ワニの部族ですって。確か、倭の国の和爾の集落にいる。」
 「そうだよ。ニギハヤヒがワニの部族を追いかけて、倭の国に辿り着いた事については以前話したな。そのワニの部族は先方隊なのだ。ワニの部族の多くは、まだ韓の国にいて、山戸の国を作っている。多分、オホノミカデオミ様もワニの部族に関わりがある人ではないかな。」
 「お爺様、山戸の国の事が薄っすら分かってきました。」
 当初の天皇家を陰で支えたのが、最初は春日と名乗り、丸迩氏に変えて、天皇家に妃を送り、この妃からは天皇とはならなかったが、かなり、天皇家の支えになった氏族です。そして、倭の五王の時代に春日氏を名乗る事になる。後に天皇家に影響力を与えたと言われる息長氏もこの丸迩氏の出身です。
 「お爺様、これで威風堂々と韓の国にいけます。いろいろ、教えていただいてありがとうございました。」
 「ラサトモも呼んだので、今晩はゆっくり語りあかそう。」
 イハレビコ達は、ワタツミらと一時の安らぎを感じながら、一晩を過ごし、翌朝、足一騰宮にいるウサツヒコに会うため、臼杵の集落の入り江から出発した。
 「若、父タシトに聞いたのですが、倭の国には、いろいろな部族がいるのですね。」
 「倭の国では、今、ウマシマヂが実権を握っているが、お爺様の話を聞いていると、殆んどが、韓の国から渡って来た渡来人なのだな。渡来して来る部族は、娜国を経て、倭の国に渡ったのだろう。」
 「出雲の国にも渡っているのでしょ。」
 「出雲の国に渡った部族は、韓の国の北部から直接、船で来たのだろう。そして、吉備の国や旦波の国に移住し、その他にも、高志の国に渡った部族もいた。」
 「そうすると、私たちの日向の国以外にも沢山の国があるのですね。」
 「アマテラス様が言われている豊葦原の瑞穂の国は、倭の国だけでなく、出雲や高志の国も含んでいるのだろう。」
 イハレビコ達の船は、国東半島を越えて、周防灘に入り、寄藻川の下流に出て来た。
 「この川を上がれば、足一騰宮がある。」
 イハレビコ達が足一騰宮に着いた時には、既に、日が落ち、薄暗くなってきた。川の畔に船を着けたイハレビコ達はウサツヒコの宮殿に急いだ。
 「これはイハレビコ君、よく来られた。ちょうどよい。ウサツヒメも来ているし、今宵は宴をしよう。」
 「ウサツヒコ大君、ありがとうございます。今回は、金工鍛冶師を日向の国に迎えるため、韓の国に行く途中でお寄りしました。」
 「韓の国に渡られるのか。何方か韓の国に居られるのか。」
 「筑紫の国のヤジラベ様から、韓の国に渡ったなら、オホノミカデオミ様を訪ねるようにと。」
 「その方はどの辺りにおられるのだ。」
 「山戸の国に居られるそうです。」
 「ワニの部族が、支配している山戸の国か。その山戸の国から移住して来た渡来人がこの宮にいる。ミワオホミサ(宇佐大神氏の祖)と言って、ミワの部族の出身だ。」
 「ミワの部族ですか。確か、倭の国で三輪山の付近にいたように思います。」
 「そうだな。オホモノヌシを奉斎している部族で、祈祷に優れた部族だな。このミワの部族も、韓の国から渡って来た。まだ、ミワの部族の一部は、山戸の国にいる。」
 「そのミワの部族のミワオホミサが、なぜ、足一騰宮にいるのですか。」
 「以前、宗像のイベズカサが、韓の国から連れて来た渡来人で、ミワオホミサは比売神(宗像の三女神とされているタキリビメ、イチキシマヒメ、タキツヒメ)が韓の国から、この宇佐嶋(宇佐の御許山)に天降られたと言って、祈祷をし始めた。そして、この地に住み着いたのです。」
 宇佐の大神(おおみわ、或は、おおかみ)氏は、三輪大神を奉斎している三輪氏、大三輪氏と同系の一族で、欽明天皇の命により、大神比義(おおがのひき)が宇佐に着任し、応神天皇を祀る神社として、宇佐神宮を建てた。これ以後、宇佐氏と大神氏が交互で宮司職に就いた。この事が宇佐神宮の社伝に記されているが、それ以前から、大神氏は宇佐に関係があったと思われる。
 「イハレビコ君、ミワオホミサに山戸の国を案内させましょうか。」
 「それはありがたい。」
 しばらくしてから、ウサツヒメを交えて宴が始まった。最初は、ウサツヒメの舞から始まり、終わると宇佐で取れた米で作られた酒が振舞われた。操行している内に、ウサツヒメがイハレビコの横に座り、耳打ちした。
 「君、今日、始めて来られているお方は何方ですか。」
 「アメノタネキですよ。私の国の祈祷師コナキネの子息です。彼は、漢文に優れているので、今回の韓の国の旅に同行させました。それが如何かしましたか。」
 ウサツヒメは顔を赤らめて、恥ずかしそうにウサツヒコの横に座った。宴も終わりに近づいた頃、ミワオホミサが現れた。
 「イハレビコ君、先程、言っていたミワオホミサです。明日にでも、韓の国に連れて行きなさい。」
 イハレビコが目を覚ました時、表にミワオホミサが旅の用意をして待っていた。そして、ミチノオミが現れ、最後にアメノタネキが眠たそうに目を擦りながら現れた。
 「アメノタネキ、どうかしたのか。」
 「何もありません。昨日の夜。」
 「そうか。ウサツヒメとか。」
 「とんでもないです。何もないです。」
 「顔に描いてある。」
 イハレビコは、寄藻川の畔を歩きながら、昨日の宴でのウサツヒメの振る舞いを頭に浮かべていた。そして、岸辺から船に乗り、宗像のイベズカサに会うため、船を出した。
 「ミワオホミサ、オホノミカデオミ様をご存知ですか。」
 「オホノミカデオミ様ですか。知っています。私が住んでいた隣の集落に居られて、狗邪韓国で生まれ、後に首露王を金海駕洛国(金官伽耶)の王にするため、ワニの部族と手を結び、私達が俗に言っている山戸の国を立ち上げた人物です。」
 首露王の金海駕洛国は、後に伽耶国になり、現在の慶尚南道金海市付近に、鉄の王国を作り上げ、任那を含めた大伽耶連合を形成し、百済や新羅と戦ったりしたが、最後に、新羅によって滅ぼされてしまう。
 「首露王は、ワニの部族やカモの部族らと山戸の国に鉄の文化を築いたのだな。」
 「その通りです。」
 イハレビコ達は、周防灘を北に進み、関門海峡を通り、ナキカツヒコの重住の集落で一泊する事にした。そして、遠賀川の下流を通過して、宗像の集落に着いた。
 「イハレビコ君、船でよく来られた。韓の国に出発するまで、準備があるので、ゆっくりと滞在されよ。」
 「ありがとうございます。」
 イベズカサは、山戸の国に輸送するため、去年収穫した米や蚕や銀鉱石等を船荷していた。その中には、ヒスイも含まれていた。それから、数日後、イハレビコ達は、イベズカサに連れられ、イチキシマヒメを奉斎している田島の辺津宮に行き、航海の安全を祈り、山戸の国に物資を輸送する船に乗り換えて、宗像の集落を出発した。
 「イベズカサ様、これから、どちらに行きます。」
 「私達の海の基地、大島から沖ノ島に行きます。これらの島には、私達の神、大島の中津宮にはタキツヒメ、沖ノ島の沖津宮にはタキリヒメが祀られているので、航海の安全を祈祷しなければなりません。」
 古代から、沖ノ島は女人禁制の島で、神の島として有名である。上陸するにも、日露海戦があった日、毎年五月二十七日に、宗像大社の沖津宮で、日露海戦を記念して行なわれる沖津宮現地大祭の時に、二百人の男性しか上陸できません。このように、昔から神の島として、上陸が許されていなかったお陰で、古代の遺跡の中から、翡翠勾玉や銅鏡や剣等沢山の遺品が発見され、宗像大社の辺津宮の資料館に保存されています。
 イハレビコ達の船は、沖ノ島を出ると、さらに北へと進み、前方に大きな島が近づいて来た。
 「イハレビコ君、あの島が、対馬の国です。この島には、君のお婆様に当るトヨタマヒメの亡き骸が奉納されている。」
 「お婆様の。」
 「トヨタマヒメは、病弱で、君のお爺様アマツヒコヒコホホデミ様に嫁いで、日向の国の大君アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズ様をお産みになった後、君の母上タマヨリヒメの看病空しく、お隠れになられた。そこで、私達がトヨタマヒメの亡き骸を対馬の国に持って来て、祀ったのさ。」
 「そんな事があったのですか。それで、イベズカサ様は、私の母上をご存知なのですね。では、対馬の国に着いたら、お婆様にお参りしましょう。」
 大和朝廷樹立後、対馬の国を重要視したのは、中国大陸や朝鮮半島の交流の基地としてだけでなく、天皇家と何等かの繋がりがあったのでしょう。
 イハレビコ達を乗せた船は、対馬の部族との物資交流のため、対馬列島の北端、和珥津(対馬市上対馬町鰐浦付近)に到着した。
 「若、遠くに見えるあの大陸が韓の国ですか。」
 「いよいよ、来たな。」
 「対馬の国から近いですね。」
 「ミチノオミ、以前、阿多の野間岳に登った事を覚えているか。」
 「若が、大陸の事や韓の事を話してくれましたね。」
 「そうだったな。いよいよ、韓の国に近づいた。」
 「いよいよ、大陸に渡る事に。」
 「アメノタネキ、この対馬の国にお婆様が眠って居られると聞いた。祈祷しに行こう。用意をしなさい。」
 イハレビコ達は、イベズカサに許しを得て、船と船頭を借りて、和珥津から南へ、トヨタマヒメが眠っている峰の集落に行く事にした。そして、イハレビコは船の中で、遠くに見える韓の国を眺めていた。
 「若、対馬の国は、韓の国から近いですね。この国は、韓の国と交流するには必要な国ですね。」
 「私は将来、対馬の部族と手を結ぼうと思っている。」
 「それは、山戸の国とも手を結ぶ事に繋がりますね。」
 「そうだな。」
 イハレビコが大和朝廷を樹立して、間もない頃から、対馬の国に国造を置き、対馬を支配した。
 イハレビコ達は、峰の集落で、トヨタマヒメを祈祷し、イベズカサのいる和珥津に帰って来た。イベズカサ達は対馬の部族から、他の物資を受け取り、山戸の国に届ける事を承諾して、韓の国のプサン(釜山)に向けて、出航した。
 イハレビコ達の船は、プサンから、洛東江(ナクトンガン)下流を少し上った所、現在の慶尚道金海市に到着する。狗邪韓国の後、首露王が紀元四十二年に金海駕洛国(金官伽耶)を建国する地なのですが、日本神話に出てくるアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギが高天の原から高千穂峰に降り立つ天孫降臨神話とよく似た話として、韓国神話が残っています。韓国の慶尚道金海市の亀旨峰に天から六個の金色の卵が降り立ち、その一個から生まれた男子が首露王となり、金海駕洛国を治めた。また、卵から生まれたと言う建国神話は、高句麗の東明聖王や新羅の朴赫居世(光明王)にもみられる。
 首露王が金海駕洛国を建国した背景には、鉄器の新しい技術を基にした部族の移住がみられ、鉄器の量産により、軍事力の強化が図られた事が伺えられる。さらに、この金海駕洛国(金官伽耶)地域の遺跡に、日本の弥生式土器が見受けられる事から、その当時、金海駕洛国に日本人が渡来して、生活していた事も考古学上の事実です。
 「イハレビコ君、ここが山戸の国です。」
 「イベズカサ様、ここまで連れて来て頂いて感謝します。それと、少しお聞きしますが、何故、この地を山戸の国と言っておられるのですか。」
 「それは、私達の理想の国ですから。本土の倭の国を捩って、命名しただけですよ。また、この山戸の国の良いところを本土に持ち帰り、倭の国を支配したのが、ニギハヤヒの部族であり、ワ二の部族ですよ。」
 「なるほど、これで分かりました。」
 イハレビコは、洛東江の畔から、小高い丘を背景にした沢山の集落を眺めながら、日向の国を始めとして、本土にない雰囲気を感じていた。
 「ミワオホミサ、この辺りの事は詳しいのでしょ。」
 「私が案内しましょう。先ずは、私の集落にて、旅の疲れをお取りください。」
 ミワオホミサの祖先は、中国の春秋戦国時代の韓非子で有名な韓の国(紀元前二百三十年に秦の国に滅ぼされた中国の河南省北部の一部、山西省南部の一部、陝西省東部の一部付近にあった国)から、紀元前三世紀頃、朝鮮半島の南部に渡って来た。そして、朝鮮半島南部、後の三韓(馬韓、辰韓、弁韓)に辰国の建設に参加した。その頃、朝鮮の北部では、紀元前二百二十二年に秦の国により滅ぼされた遼東半島の燕の国や山東半島の紀元前二百八十四年に秦や燕の連合軍によって滅ぼされた田斎の国の亡命者が箕子朝鮮を倒して衛氏朝鮮の国を建国していた。それから、紀元前百八年頃に漢の国が朝鮮半島の北部に侵略して、衛氏朝鮮の国を滅ぼし、現在の北朝鮮人民共和国の首都、平壌市付近に漢の国の朝鮮半島の北部の地方行政機構として、楽浪郡を設置した。その頃、吉林省付近にいた濊族系の扶余族や濊族系の沃沮族が南下し、その後、濊系高句麗族は紀元前三十七年に高句麗を建国し、濊系沃沮族は高句麗の支配下に置かれ、また、吉林省の東部、朝鮮半島の北東部、韓国の江原郡付近にいた紀元前百二十年頃、中国の東北地方に存在した濊国の末裔、濊族系の濊貊族が朝鮮半島の北部から南下して、辰国を滅ぼした。この様に、漢の国が楽浪郡を設置してから、辰国が崩壊し、馬韓、辰韓、弁韓は小国に分かれる。その後、馬韓は紀元三百四十六年に、濊系の扶余族の一部が百済を建国し、辰韓は紀元三百五十六年に、辰国の末裔が新羅を建国した。そして、辰国が滅亡して、中国の春秋戦国時代の韓の国から、朝鮮半島の南部に渡って来た民族は辰韓に移り住む事になるが、その民族の一部が弁韓にも住み着き、紀元一世紀頃には、キム族の中から首露王が出て来て、金海駕洛国を建国し、紀元三世紀頃には、金官伽耶国となり、紀元六世紀中期頃、伽耶諸国が新羅に吸収されていく事になる。それ以降、首露王の一族、金氏は、元々新羅の民族とは同族であったので、新羅の高官となっていく。また、弁韓に住み着いた韓の国の民族や濊族系の扶余族や濊族系の濊貊族が日本に渡り、大和朝廷の高官になった。大和朝廷が任那の日本府を置き、百済や新羅と交渉を持ち、伽耶諸国を支援していたのは、大和朝廷の高官に金海駕洛国出身の丸迩氏、賀茂氏、大神氏(三輪氏)等の氏族がいた事が想像される。
 イハレビコ達はミワオホミサの集落に向かう途中、馬に蚕を積んでいる十数人の行列を見かけた。
 「ミワオホミサ、あの馬上に積んでいるのは、蚕の繭だな。あの人達はこれから、何処へ行くのだろう。」
 「昔の言い伝えなのですが、父親の帰りが遅いので、馬に父親を探すように命じた。もし、父親を探してくれば、その馬の嫁になると約束した。馬は無事に父親を探して来て、馬は娘の約束が叶う事で、有頂天になっていた。しかし、その話を聞いた父親は、馬を殺してしまった。その死体を馬の皮にしようと放置していたところに娘が来て、娘に巻きついて、娘を呑み込んでしまった。そして、大きな蚕に変身したと言う話があります。それで、このように、蚕の繭を馬に乗せて、この地の神に奉納しに行く途中です。」
 古事記にスサノヲが高天の原から追い出されて、出雲の国でコシノヤマタノヲロチと戦う前に、食べ物をスサノヲに差し上げたオホゲツヒメが、体の一部を食べ物にしたため、汚らわしい食べ物だと怒り、スサノヲはオホゲツヒメを殺してしまうのです。そのオホゲツヒメの死体から、頭から蚕、目から稲の種、耳から粟、鼻から小豆、陰から麦、尻から大豆が生まれた。このように、古事記に蚕が記されていることから、蚕は稲と並んで、いにしえの時代から、重要視されていた事が分かる。現在でも、皇居で蚕が飼われている事から、古代天皇家の頃、養蚕が盛んにされていた事が窺える。
 「この地方では、神に稲穂を供えるのではないのだな。」とイハレビコはつぶやいた。
 「ミワオホミサ、あなた達の部族が崇拝する神は、アマテラス様ではないのですか。」
とアマノタネキが何気なく、問いただした。
 「アマノタネキ様、私達の神は天孫系の神ではないですよ。」
 韓の国には高天の原から、アマテラスの命により、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニキが高千穂に降り立った天孫降臨の神話とよく似た建国神話があり、金海駕洛国の首露王が亀旨(クジ)峰に天降る話もそのひとつですが。このように、天孫降臨の神話を持つ天つ神系の部族と地神の神話を持つ国つ神系の部族に分かれていた。日本神話と共通点が多い。また、神話ですので、何とも言えないのですが、大和朝廷と出雲の国との争いのように、天つ神系の部族と国つ神系の部族間で対立があったのではないでしょうか。大和朝廷樹立の際には、天つ神系と国つ神系部族の合体があったかも知れない。
 「私達の神は、オホモノヌシ様です。」
 「山戸の国には、アマテラス様を崇拝している部族がいるのですか。」
 「アマテラス様ではないですが、タカミムス様やカムムスヒ様を崇拝している部族はいます。また、アマテラス様の子孫でアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニキ様の兄に当たるアメノホアカリ様を崇拝している部族もいます。」
 イハレビコ達は、アマノタネキを中心に山戸の国の神について、話を弾ませている間にミワオホミサの集落に着いた。
 「父上、ただ今、帰って来ました。倭から日向の国の若君をお連れしました。」
 「日向の国のイハレビコです。」
 「ミワタチキオミです。イハレビコ君、どうぞ、お入りください。長旅でしたでしょう。我が家でごゆっくり、旅の疲れを癒してください。」
 「それは、ありがたい。ご好意に感謝します。」
 「オホミサ、豊の国でしっかりと祈祷をしてまいったか。比売神は私達と関係が深い航海の神様だから。」
 神道の神としての比売神は、神社の主祭神の妻や娘として祀られている。そのため、全国に多くの比売神が居られる訳ですが、比売神の代表的な神では、宇佐比売大神とか、宗像の三女神が有名です。
 ミワタチキオミの部族は、倭の国のオホモノヌシを奉斎したシキノマカヒコカサユラの部族の後、オホモノヌシを祖とする三輪大明神を奉斎したヤマトオオミワの部族とは、同族であった。ヤマトオオミワの部族は、ニギハヤヒが筑紫の国に弁韓から渡った頃、倭の国に辿り着いていた。ミワタチキオミの部族は、後に豊の国に渡り、宇佐神宮の比売大神を奉斎して、ブンゴオオミワの部族となっていく。
 ミワタチキオミが食事を用意し、イハレビコ達が席に着いた。
 「イハレビコ君、オホミサに聞いたのですが、今回、山戸の国に渡られたのは、金工鍛冶師を探しに来られたのですか。」
 「そうです。山戸の国にオホノミカデオミ様が居られると聞いて、どうしても日向の国にお連れしなければならないので。」
 「オホノミカデオミ様ですか。」
 「ご存知ですか。」
 「オホノミカデオミ様は、金海駕洛国の若手の官僚ですよ。鉄器の生産に携わっておられるお方です。」
 「首露王に仕えているのですか。」
 「首露王の高官にキムバイコウ様が居られまして、そのキムバイコウ様の直属の部下として、オホノミカデオミ様は働いておられるのです。」
 「何ですって。キムバイコウ様。」
 「キムバイコウ様をご存知ですか。」
 「以前、筑紫の国の訶志比の宮に行った時、お会いした事があります。確か、その当時、キムバイコウ様は、馬韓の高官をされていたように思いますが。」
 「そこまで、ご存知でしたら話が早い。実は、馬韓の高官をされていたのですが、首露王とは、同じ一族でして、首露王の寡って願いもあって、ごく最近、金海駕洛国の高官になられたのです。」
 「そうだったのですか。しかし、キムバイコウ様は、馬韓の生まれだと聞いていますが。首露王もそうなのですか。」
 「首露王もキムバイコウ様も狗邪韓国の北部の出身なのです。昔の狗邪韓国は金海駕洛国よりも広い領土を持ち、馬韓や辰韓の南部も狗邪韓国の領土だったのです。」
 「なるほど、理解できました。キムバイコウ様はどちらに居られます。」
 「キムバイコウ様に会われるのですか。」
 「キムバイコウ様にお会いして、オホノミカデオミ様の事をお願いしようと思います。そして、オホノミカデオミ様にお会いした方が良いかと。」
 「では、明日にでも、キムバイコウ様の所にお連れしましょう。」
 「それはありがたい。」
 「イハレビコ君、オホノミカデオミ様を日向の国に連れて帰る目的は、鉄器の製造にあると聞きましたが。」
 「そうです。阿蘇山の麓に一の宮の集落を建設して、阿蘇山の麓で取れる鉄鉱石を鉄器にするため、オホノミカデオミ様のお力をお借りしたいのです。」
 「鉄器の製造ですが、金工鍛冶師は居られるのですか。」
 「いや、これから探すつもりです。」
 「私の集落に、金工鍛冶師をしているカモノカサメルネがいます。是非、イハレビコ君のお供をさせて頂けませんか。」
 「願ってもないことです。」
 イハレビコは山戸の国に来て、ミワタチキオミと出会う事によって、アマテラス大御神に草薙の剣を奉納する旅で出会ったキムバイコウと再会できるとは、夢にも思っていなかった。日向の国で鉄器の製造を夢みていたイハレビコは、現実となってきた事を実感していた。
 「オホノミカデオミです。」
 「日向の国のイハレビコです。あなたを日向の国にお迎えするために、金海駕洛国まで遣って来ました。」
 「イハレビコ君、先日、ヤジラベ様が来られて、日向の国に行く事を諭されました。」
 「そうですか。ヤジラベ様が来られましたか。日向の国で鉄器を製造しようとヤジラベ様に相談しましたら、山戸の国のオホノミカデオミ様を訪ねるように言われました。」
 イハレビコは、オホノミカオミに阿蘇山の麓に一の宮の集落を建設し、鉄鉱石の採取、鉄鉱石を溶かして鉄を製造する炉の設置等を日向の事業として行っている事を説明した。
 「オホノミカデオミ様に鉄器製造の長として、ミワタチキオミの集落の金工鍛冶師カモノカサメルネ様と一緒に日向の民を指導して頂きたいのです。」
 「分かりました。日向の国に行きましょう。ただ、私達の部族の君主ワニノカスガワケに許可を得なければなりません。」
 「オホノミカデオミ様、ワニノカスガワケ君の処に連れて行ってください。私からもお願いしてみます。」
 イハレビコはキムバイコウに別れを告げて、ワニの集落に向かった。
 ワニの部族は、朝鮮半島から鉄器文化、特に剣を日本に伝えた。神武天皇が東征した時に出てくる剣としては、熊野で神武天皇以下部隊が高熱に襲われ、倒れている時にタカクラジが剣を振り回し、布都御魂の霊の威力で救われた布都御魂剣があります。そして、神武天皇が大和を制圧した時にその剣をウマシマヂに与えた。現在、布都御魂剣は奈良県の石上神宮に奉納され神体となっています。布都とは物を断ち切る時にでる音の事で、剣を振り回した時に発生する霊として布都御魂大神が存在し、崇められた。布都御魂剣は大きな直剣で、石上神宮の他に、丸邇氏と関係が深い岡山県赤磐市の石上布都御魂神社や中臣氏と関係がある茨城県鹿嶋市の鹿島神宮にも神体として奉納されている。
 このように、ワニの部族は弥生時代中期に筑紫の国や出雲の国から吉備の国、倭の国へと鉄器文化を伝えたと考えられる。また、大和朝廷の草創期に丸邇氏或は春日氏として、天皇家に影響を与えていく。
 イハレビコ達はオホノミカデオミに連れられて、ワニの集落に向かった。そして、ワニノカスガワケ君と面会した。
 「日向の国のイハレビコでございます。この度、日向の国で鉄器製造のため、オホノミカデオミを日向の国に迎えたいと思っています。是非、オホノミカデオミを連れて行く事をお許しください。」
 「イハレビコ君と言われたな。アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギ様の一族の方ですね。」
 「私の曾祖父をご存知ですか。」
 「アマテラス様の命により、豊葦原の瑞穂の国を治めるため、高天の原から高千穂に降臨された大君ですね。」
 「何故、そのような事を知っているのですか。」
 「私達の部族は、稲作をしながら、鉄器の生産を行っています。そして、鉄鉱石を求めて、倭人の誘いに従って、玄界灘を渡り、鉄器文化を伝えてきました。私達の部族の一部が吉備の国や倭の国にいます。」
 「あなた達の部族の者に、私の先祖の事を聞いたのですか。」
 「そうですね。確かに、イハレビコ君の一族の存在は、私達の部族から聞き、以前から知っていました。しかし、その他にも私達の部族の言い伝えなので、実際の事は分からないのですが、漢の国に昔、周と言う国がありました。そして、周の国が西周から洛邑に移動した東周になった頃、周の高貴な貴族が倭に移住したと聞いています。」
 「それは本当ですか。」
 中国史において、殷を滅ぼした姫后稷(こうしょく)は紀元前千四十六年に周を建国した。その姫后稷は中国神話で農業の神として崇められ、農政に優れ、后稷に支えた貴族が存在していた。周(西周)の第十二代幽帝の時代に諸侯のひとり、申公が遊牧民族の西戒を誘って、紀元前七百七十年に西周を滅ぼし、春秋時代に入る。そして、周は首都を洛邑(河南省洛陽市付近)に移して、東周となり、紀元前二百五十六年に秦によって滅ぼされる。尚、春秋戦国時代の韓、晋、魏の君主は周の君主の姓と同じ姫を名乗る同じ部族の出身です。
 周の時代、すでに倭人の存在が周の歴史書からも確認され、中国の春秋戦国時代に東周、韓、晋、魏から朝鮮半島を経由して、水田による稲作技術を持って、日本に渡来した事があったとしても不思議ではない。天皇家が中国の周の一族であったかは、不明ではあるが、本書では、イハレビコの祖先が中国の周王朝から来た事を仮定し、濊族系の濊貊族出身のワニの部族が配下にいた事も仮定する。
 イハレビコはワニノカスガワケと話しているうちに、イハレビコの先祖が漢の国から渡って来た事を知る事になり、何か複雑な気持ちになった。
 「ワニノカスガワケ君、色々とお話ありがとうございました。さて、オホノミカデオミを鉄器製造のため、日向の国に連れて帰ってよろしいですか。」
 「ああ、そうでしたね。オホノミカデオミを日向の国に連れて行ってください。そして、イハレビコ君の一族の配下の一員に加えてくださいね。」
 「分かりました。ありがとうございます。ワニノカスガワケ君も、是非、日向の国に来てください。」
 イハレビコ達は、ワニノカスガワケ君と別れ、オホノミカデオミを連れてミワタチキオミの集落に戻って来た。そして、金工鍛冶師カモノカサメルネも連れて、イハレビコの船が停留している洛東江の下流に到着し、船に乗り込んで、宗像の集落に向かって、玄界灘を航海した。


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