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作品名:いにしえララバイ 作者:藤巻辰也

第14回   第2部 漢委奴国王印 第3章 稲作
イハレビコの新居(宮崎県都城市庄内町付近)にアヒラヒメが嫁いできて、イハレビコは大君から、奴婢(ぬひ・賎民)タジロとヒカメを下働きに、それと水田(庄内川一帯)を与えられた。
 大化の改新により、律令制を基に階級制度ができ、奴婢が存在したが、いにしえの時代もすでに、階級制度が芽生えていた。農耕社会では、農業を営んでいる民を良民と言い、農耕作業に失敗し、土地を手放した民や戦で捕虜になった民を賎民と言った。賎民はその当時、五から十パーセントと言われている。奴婢は男を奴と言い、女を婢と言った。筑紫の国(奴国)が後漢の光武帝に奴婢を数十人献上して、漢委奴国王印を頂戴した話やその後に、肥の国(面土国)の帥升(すいしょう)が後漢の安帝に生口(戦争捕虜)を百六十人献上していると、「後漢書東夷伝」に記載されている。
 稲にはアフリカイネとアジアイネがあり、アジアイネにはインディカイネとジャボニカイネがあり、ジャボニカイネには熱帯ジャボニカと温帯ジャボニカがある。野生のジャボニカが人工的に栽培されるようになったのは、一万年以上前と言われ、インドネシアやフイリピン等の東南アジアが起源とされている。また、ジャボニカの類似種が中国の雲南省で見つかっている。水稲は五千年前の頃から、中国の揚子江下流の淅江省や江蘇省付近で行われるようになった。その頃の日本は、竪穴式住居で、狩りを中心に生活していた。縄文時代前期の最大級の竪穴式住居は日向の国、鹿児島県霧島市の上野原遺跡に四十六基、鹿児島市の加栗山遺跡に十六基がある。そして、縄文時代後期(三千五百年前の頃)の陸稲(熱帯ジャボニカ)が吉備の国、岡山県の南溝手遺跡や津島岡大遺跡で発見され、縄文時代晩期・弥生時代早期(三千年前の頃)の水稲(温帯ジャボニカ)が筑紫の国、福岡県の板付遺跡や野多目遺跡や吉備の国、岡山県の津島江道遺跡で発見されている。日本の稲は温帯ジャボニカであるが、縄文時代前期、中期には稲は存在しないで、縄文時代後期から弥生時代前期(三千年前から二千五百年前の頃)に、中国の山東半島、遼東半島から朝鮮半島を経たルートと揚子江下流の江蘇省・浙江省のルートと台湾から南方の島々のルートから渡って来た。
 イハレビコとアヒラヒメが新居で暮らし始めたのは、霧島山系に桜が咲く頃であった。大君から頂いた水田も、タジロとヒカメが管理し、お田植えの準備に掛かっていた。気候も穏やかになり、平穏な日々を暮らしていた二人のところにミチノオミがやって来た。
 「若、大君が御田祭に参加するようにと、仰せです。」
 「御田祭か。アヒラヒメも行くか。」
 「姫も行かれますか。御田祭には、我ら久米一族のお田植踊りもありますし、日向の国の部族の長や姫君も来られますので、参加してください。」
 「私も、お田植踊りを舞いましょうか。」
 「それはよい。ヒメ用意しなさい。」
 現在の天皇家の行事には、四方拝(しほうはい・元旦の早朝に宮中で行われる一年最初の儀式)、歳旦祭(さいたんさい・四方拝の後、年の初めを祝う儀式)、元始祭(げんしさい・一月三日に皇族が集まって、皇位の元始を祝う儀式)、先帝祭、紀元節祭(二月十一日旧暦の正月元旦に神武天皇が即位した日を祝う儀式)、祈年祭(きねんさい・二月十七日・旧暦二月四日に一年の五穀豊穣を祈る儀式)、皇霊祭(春分の日に春季皇霊祭、秋分の日に秋季皇霊祭。歴代天皇や主たる皇族の忌日を祈る儀式)、神武天皇祭(四月三日旧暦三月十一日に神武天皇が崩御された日にちなんでの儀式)、大祓(おおはらえ・六月三十日に夏越の祓、十二月三十一日の年越の祓。除災行事)、神嘗祭(かんなめのまつり・十月十七日旧暦九月十七日にその年に獲れた新穀を天照大御神に奉る儀式)、鎮魂祭(ちんこんさい・十一月二十二日冬至の日に天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式)、招魂祭(しょうこんのまつり・陰陽道や道教の祭祀)、新嘗祭(にいなめのまつり・十一月二十三日に天皇が五穀の新穀を天神地祇に勧め、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する儀式)、大嘗祭(おおにえのまつり・天皇が即位して、最初の新嘗祭。即位の儀式)、天長節祭(今上天皇の誕生日を祝う儀式)がある。
 イハレビコの時代には、現在の天皇家の祭事はなかったようです。ただ、イハレビコの曾祖父アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニキがアマテラス大御神から豊葦原の瑞穂の国を治めよと、稲の種を頂戴して、高千穂に降り立ったのですから、新嘗祭はあったようです。
 「ミコ、御田祭に竹で作った笠をかぶって行ってよろしいですか。」
 「ヒメは、まだ皆に会わしていないのに。なぜ、顔を隠す。」
 「ですから、初めての方に笠を脱いで、挨拶をするのです。」
 「そうか。明日にでも、タジロに裏山の竹藪から、竹を取って来させよう。」
 「ありがとうございます。竹細工して、笠を作ります。」
 アヒラヒメは、絹織物の布を纏い、頭には竹細工された笠をかぶって、イハレビコの後から高千穂の宮に入った。
 「アヒラヒメ、よくぞ来られた。入られよ。」
 「大君様、婚礼以来、ご挨拶にお寄りしないですいません。」
 「硬い挨拶はよいぞ。イハレビコにはもったいないぐらいだ。」
 「イツセの兄は来られているのですか。」
 「みんな、来て居るぞ。今宵は、みんなで宴をしよう。」
 「ミコ、母上に挨拶に行きましょう。」
 「そうだな。」
 「母上、アヒラヒメを連れてきました。」
 「アヒラヒメ、入られよ。あれ、少しお腹が大きいようだな。」
 「まあ、母上、イハレビコ様の子がいます。」
 「体に気をつけなさいよ。」
 イハレビコとアヒラヒメにはその後、タギシミミとキスミミが生まれる事になる。タギシミミは、イハレビコが大和朝廷を樹立して、イハレビコが崩御した時に、跡継ぎ問題でイスケヨリヒメから生まれた子カムヌナカハミミと争い、敗れる事になる。
 「みんな、揃うたな。宴を始めよう。」
 「イハレビコ、よき嫁をもらったな。」
 「兄上、アヒラヒメは。」
 「アヒラヒメに子が授かったようですよ。」
 「母上までも。イハレビコを。」
 「めでたい事だ。また、ひとり、わしの孫ができる。」
 「大君から頂いた水田、今、苗代を作っているところでして、順調に進んでいます。」
 「それは良かった。苗代が出来ても、水路が大事だぞ。なあ、イツセ。」
 「イハレビコ、そちの庄内の集落には、庄内川が流れておろう。その川から水を引くのだが、水田に水が流れるように水田を低くしないとだめなのだぞ。」
 「私達の祖先が、アマテラス様に頂いた稲の種を絶やさないようにしなければならないのだ。」
 「よく分かります。大君から頂戴した水田を広げるため、開墾しようと思っています。そのためには、今使っている鍬ではらちがあきません。」
 「鍬がだめだと言うのか。」
 「そうです。鍬です。それも鉄の鍬がいります。」
 「鉄か。剣には鉄を使っておるが、高価なものだぞ。その鉄を鍬に。」
 「旅をして、出雲の国や吉備の国等を見てきましたが、やはり鉄です。これからの戦をするにも、剣や矢尻は鉄で作らないとだめです。」
 「イハレビコの言うことはよく分かった。さあて、如何したらよいかの。」
 イハレビコも大君に鉄の事を進言したのですが、如何してよいものか、検討が付かなかった。イハレビコが大和朝廷を樹立するために東征したのも、この鉄の問題があったからかもしれない。
 「さあ、明日は御田祭だ。この辺でお開きにしよう。今日は、高千穂の宮でゆっくりしてくれ。」
 御田祭の当日、イハレビコが目を覚ますと、アヒラヒメがそわそわしていた。
 「ヒメ、どうしたのだ。」
 「ミコ、兄上がこの高千穂の宮に大君の誘いで、来られると。」
 「阿多の小椅の君が。大君もやるな。もう、阿多の部族を見方に入れたか。」
 イハレビコとアヒラヒメが御田祭の場所に行くと、松明や薪が置かれ、篝火の用意ができ、舞を踊る舞台が設置され、イグラを始めとする重臣の他、各集落の長達が控えていた。正面には、大君の横に阿多の小椅の君が座る場所があった。大君と阿多の小椅の君が座ると、御田祭がはじまった。
 御田祭の最初は、薪に火を付け、松明に火を付け、篝火に火を付けて、巫女が登場し、呪文を唱え、それが終わると久米一族によるお田植踊りと音曲が始まった。踊りが終わり、篝火が消えたところで、御田祭が終わります。
 皇室の行事には、太鼓や笛を鳴らして、舞を踊る雅楽が演じられるが、最古の舞に久米舞があり、神武天皇が大和朝廷を樹立した時に、神武天皇が詠んだ歌に合わせて舞ったのが久米舞だと言われている。雅楽の発祥の地は中国とされ、平安時代に唐から輸入されたものである。しかし、大和歌(和歌、倭歌、倭詩)に合わせて、雅楽を舞ったのが、ピッタリあったのだろう。イハレビコの時代に、お田植踊りや隼人踊り等があった事は、否定できない。
 御田祭が終わって、高千穂の宮に戻った時、大君がイハレビコに声を掛けた。
 「イハレビコ、筑紫の国で不穏な動きがある事を知っているか。」
 「漢の国に使者を送っている話ですか。」
 「そうだ。私達の瑞穂の国の代表だと言って、漢の国と交渉しているようだ。許す訳にはいかない。」
 「遠賀の集落のヒカレミ様から聞いた事があります。確か、筑紫の国の大君は沃沮のワイ族の出身ですよね。」
 「そうか。イハレビコ、稲の収穫が終わったら、筑紫の国に行って貰えないか。」
 「分かりました。」
 イハレビコとアヒラヒメは、大君と母上に挨拶して、高千穂の宮をあとにした。
 「ヒメ、兄上とお話が出来たか。」
 「はい、妊娠した事を報告しました。体には気を付けるようにと。」
 「そうか。体を大事にしろと。」
 庄内の集落に帰ったイハレビコは、稲作に従事し、水田に水を張り、苗代を田植えして、秋には、稲穂が垂れ下がり、収穫の時期に来た。イハレビコは、稲作をしながら、鉄の事や筑紫の国の事を考えていた。
 稲の収穫が終わった頃、イハレビコとアヒラヒメの間に第一子が誕生した。


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