20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:いにしえララバイ 作者:藤巻辰也

第12回   第2部 漢委奴国王印  第1章 帰郷
 イハレビコ達は、八ヶ月ぶりに筑紫の国に戻って来た。山田の宮のガリサミに会って、今回の旅について報告し、マラヒトを引き取り、ワタツミの豊の国に向かった。
 「マラヒト、ガリサミ様から教わった漢文の勉強、進んでいますか。」
 「若が、ガリサミ様から頂いた漢文の書を読み返しています。」
 「日向に帰ったら、私にも聞かせてもらえないか。」
 「分かりました。その代わり、旅の話を詳しく聞かせてください。」
 イハレビコは筑紫の国で、ガリサミから聞いた神代の話と、今回の旅で感じてきた天つ神と国つ神の話との比較もしたかった。また、ウマシマヂの祖先ニギハヤヒが筑紫の国遠賀川付近にいた事。そして、ニギハヤヒが遠賀川の土地を捨て、倭の国を目指した事に関心があった。
 「今回の旅で、ウマシマヂの部族が遠賀の集落にいたと。マラヒト聞いていないか。」
 「この間、遠賀のヒカレミ様がガリサミ様の所に来られて、遠賀の昔話をしておられました。」
 「それで。」
 「高句麗から渡ってきた部族がいまして、遠賀川の西側に住みつき、筑紫の国を荒らしまわったそうです。」
 「高句麗か。」
 「その部族が、ニギハヤヒの部族であったかは分かりません。」
 「その部族がその後、どのようになったかは、ヒカレミ様に会って聞いてみよう。」
 高句麗は、紀元前一世紀頃に中国東北地方の東方に建国し、七世紀に新羅と唐の連合軍に滅ぼされる中国の扶余地方と朝鮮半島の北部の国である。高句麗の民族は、紀元前七世紀から六世紀頃まで中国の河北省長城地帯にいたツングース系の (わい)と貊(はく)の民族で、紀元前六世紀から一世紀の間に、漢族・モンゴル族にこの地帯から中国東北地方に追いやられ、さらに中国の吉林省の西部から北朝鮮の北西部、韓国の江原道にかけて移動した。この民族は鉄器文化を持ち、優秀な金工鍛冶技術を持っていた。また、言語はアルタイ語族系のツングース諸語に属している。なお、一世紀頃に中国の扶余地方にいたこの民族の一部が馬韓に移住して、百済を建国している。
 民族と言語とは遺伝子的に関係が深く、言語には世界の代表的な三大言語(ウラル・アルタイ語族とインド・ヨーロッパ語族とアロフ・アジア語族)がある。ウラル・アルタイ語族は、ウラル語族(フィンランド語・ハンガリー語・エストニア語等)とアルタイ諸語族(ツングース諸語・モンゴル諸語・テュルク諸語・日本語族・朝鮮語)に分かれる。アルタイ諸語族の特徴はSVO型言語で、主語、目的語、動詞の順番で並んでいる。SOV型言語を持つ言語は、ドイツ語、オランダ語、日本語、琉球語、アイヌ語、朝鮮語、インド・イラン語派、アルメニア語、ドラヴィダ語、チベット・ミャンマー語派、アムハラ語、ナバ語、ケチュア語、アイマラ語、パスク語、シュメール語、アッカド語、ヒッタイト語等、その他に、ラテン語、サンスクリットもかなりの語順がこの型であり、フィンランド語やハンガリー語も一部の地域ではこの型である。また、中国語は、インド・ヨーロッパ語族と同じSVO型(主語、動詞、目的語)であるが、日本語は、中国語の漢字や一部の文法を取り入れている。
 イハレビコ達は山田の宮から遠賀川を渡り、ヒカレミの遠賀の集落に着いた。
 「イハレビコ様、アマテラス様にお目通りされましたか。」
 「五十鈴川で身を清めたら、清純な気持ちになって、アマテラス様に拝顔することができました。」
 「それはよかった。」
 「ヒカレミ様、伊勢の国に行く途中で、倭の国に寄りました。石上の集落にウマシマヂがいまして、倭の国をほぼ支配しているのですが、そのウマシマヂの祖先が遠賀川付近にいたと聞きましたが。」
 「ニギハヤヒのことだろう。ウマシマヂの祖父に当たるのかな。」
 ヒカレミは、イハレビコ達に獲りたての魚と貝を用意した。それから、ニギハヤヒの事を話はじめた。
 「ニギハヤヒの部族はツングース系のワイ族で、昔(紀元前二世紀頃)、中国の扶余地方に住んでいた。鉄器を作る金工鍛冶技術に優れたニギハヤヒの部族は、前漢や鮮卑(騎馬民族で南北時代の北魏を建国する)、 婁(ゆうろう・航海術を持った古代人)と戦い、負けて、扶余を離れ、鉄鉱石を求めて、朝鮮半島を南下し、この遠賀川の下流に辿り着いたそうだ。」
 「金工鍛冶技術と言えば、ワニの部族もいるのではないですか。」
 「そうだな。ワニの部族はニギハヤヒの部族より先に筑紫の国に辿り着いて、出雲の国に砂鉄が取れる事を知り、東の方へ行ってしまった。ニギハヤヒの部族は、ワニの部族を追っかけて来た形だな。」
 「遠賀川に着いたニギハヤヒは、それから、どのようになりました。」
 「ニギハヤヒはこの筑紫の国で、国家を樹立するのだと言って、私達の筑紫の国で戦いが頻繁に起こり、国が乱れた。」
 「ヒカレミ様が、年少の頃ですか。」
 「いや、まだ、生まれていない時の話だよ。それから、娜の津に品格のある高貴な青年が、また、沃沮(よくそ・朝鮮半島北部の咸鏡道(かんきょうどう)付近にいたワイ族)から渡って来た。その青年は、多分、沃沮の王室の子孫ではないか。ニギハヤヒはその王子を頭に据え、娜(奴)国を建国した。」
 「奴国。そんな国ありましたか。」
 「娜国は、筑紫の国のことですよ。漢の国に対する対外的な名称でしょうね。私達は、大君が政を治めてくれれば良い訳で、平穏に、稲作が出来れば良い訳ですから。」
 筑紫の国から、西暦五十七年に後漢の光武帝に使節団を送り、金印「漢委奴国王印」を授かった。その時の使節団の長が、倭の娜の国から来た大夫(わのなのくにからきただいふ)と発音して、挨拶したのですが、まだ、日本には文字がない時代であるから、後漢の役人は「わ」を倭(委)、「な」を奴にしたのでしょう。
 中国では、北部に匈奴(中央アジアの北部にいた遊牧民族)がおり、秦の始皇帝が万里の長城を築いたのも、匈奴の侵略から守るためであった。この匈奴の奴という漢字は中国が付けた民族名であり、高句麗が県名に絶奴、順奴、潅奴、涓奴の奴という漢字を付けている。また、日本でも卑弥呼の時代に邪馬台国の南東方向に狗奴(くな)国があったと魏史倭人伝に記載されている。実際の処、狗奴国と言う名の国があったかは分からない。
 「それから、ニギハヤヒは、どうなったのですか。」
 「私が年少の頃、筑紫の国から出て行ってしまった。ニギハヤヒの子孫が、倭の国にいましたか。」
 「沃沮の王子の子孫が、今の筑紫の国の大君ですか。」
 「沃沮のワイ族の出身だけあって、国作りに手腕があるから。」
 「どんな手腕があるのですか。」
 「沃沮のワイ族は、韓の国の北東部の日本海岸沿いに住んでいただけあって、航海術に優れていて、遼東半島まで船で行き、漢の国に使者大夫を送っているとか。やはり、国を失ったものは、建国した国を大事にするものですね。私達は、平和で平穏な筑紫の国にいるので、政にはうといので。」
 「大君は、訶志比の宮に居られるのですよね。落ち着いたら、一度、訶志比の宮に行って、お会いしましょう。」
 イハレビコ達は、ヒカレミに別れを告げて、ワタツミがいる豊の国の臼杵の集落に向かった。
 「若、ニギハヤヒは何故、筑紫の国から姿を消したのでしょう。」
 「タシト、私も疑問に思っている。」
 「ニギハヤヒには、何か目的があったはずです。」
 「マラヒトはその事について、如何だ。」
 「ガリサミ様の所へ、ヒカレミ様が来られた時に、ニギハヤヒの話でガリサミ様が天の岩船かと言われた事を思い出しました。」
 「天の岩船。」
 「それにしても、漢の国や韓の国から渡って来ているな。」
 「そんなに良い国なのですかね。私達の国が。」
 「やって来たって、よそ者扱いをしないし、第一、政には関心がないようだし。一部の者だけでやっとけばよいと言う感じかな。」
 「政に関心があるのは一部の者だけなのですね。」
 「よそ者が来て、困る者だけだ。よそ者が来て、いろいろな技術を伝えてくれるのは、ありがたいことだ。」
 「今回、旅をして分かった事は、集落はたくさんあるけれど、必ずしも、纏まっていないことです。」
 「だから、アマテラス様が私に、豊葦原の瑞穂の国を治めよとの仰せなのだろう。」
 「あ、そうか、ニギハヤヒは豊葦原の瑞穂の国を治めるため、筑紫の国を出て、倭の国に行ったのではないですか。」
 「そうかも知れないな。」
 イハレビコ達は、遠賀の集落から沿岸線に沿って進み、豊の国に入り、足一騰宮を通って、臼杵の集落に入った。
 「イハレビコ君、よく戻られた。」
 「アマテラス様に、草薙の剣を奉納してまいりました。」
 「こちらの居間に入られよ。ラサトモも来ておるからな。」
 「アマテラス様から、何かお告げがあったかね。」
 「お爺様、アマテラス様は、私に豊葦原の瑞穂の国を治めるようにと。」
 「豊葦原の瑞穂の国と。水と稲作を中心に、生活をしている国々のことだな。」
 「豊葦原の瑞穂の国とは、倭の国の事ではないのですか。」
 「倭の国も、瑞穂の国の一部じゃ。」
 「お爺様にお会いする前に、遠賀の集落のヒカレミ様に会って、ニギハヤヒの話を聞いてきました。ニギハヤヒの子孫ウマシマヂが倭の国にいるのです。」
 「ニギハヤヒか。漢の国の扶余から来たワイの部族だな。」
 「倭の国には、他にも韓の国から来た部族もいました。」
 「確かに、倭の国は瑞穂の国の中心的な国だから。」
 「倭の国にサルタビコの部族がいて、ニギハヤヒが倭の国にやって来て、サルタビコのニワ一族と戦って、ニギハヤヒに倭の国を追い出され、サルタビコの部族が各地に散らばったと言う話もありました。」
 「サルタビコか。私達の部族より先にこの地に辿り着いた部族や。」
 「え、お爺様の部族もこの地に。」
 「昔の事だが。漢の国に楚(河南省の南陽の周辺)呉(江蘇省の上海の周辺)の国と越(淅江省の杭州の周辺)の国があって、呉が越に滅ぼされ、越が楚に滅ぼされた頃にこの地に渡って来た。」
 「サルタビコの部族は。」
 「キン族と言って、台湾やそれより南の島からこの地に渡って来たのさ。日向の国の隼人の集落の部族もキン族ですよ。」
 「倭の国に宇陀の集落があるのですが、その部族もキン族だと聞きましたが。」
 「多分、台湾やそれより南の島から韓の国の南端に渡ったキン族が、筑紫の国に渡って来たのだろう。」
 「伊勢の国の丹生の集落に行った時、オオヒルメとワカルヒメ姉妹の話を聞いたのですが。」
 「オオヒルメ様ですか。若君の祖先に当られる方ですね。」
 「オオヒルメがアマテラス様ですか。」
 「オオヒルメとワカルヒメ姉妹も、私達と同族でね。楚の国に越の国が滅ぼされた時の呉の国出身のヒメで、私達と一緒にこの地に渡って来たのです。」
 日本のことわざに臥薪嘗胆(がしんしょうたん)とか呉越同船とかがあるが、中国の春秋時代に呉の夫差と越の勾践の戦いや越が楚に滅ぼされる前に、越と呉が力を合わせて戦った逸話から出た故事成語である。また、北陸地方の事を昔は越後とか言われたのも、日本の弥生時代に中国の杭州付近から渡って来た部族がいたと言う話もまんだら嘘ではない。
 「お爺様、いろいろな話を聞かせて戴いてありがとうございました。疑問に思っていた事が分かりました。」
 「イハレビコ君、日向に帰られても、お爺の所へ来なさい。また、ウサツヒコ大君やウサツヒメ様にもお会いなされよ。必ず、力になって戴けるから。」
 イハレビコ達はワタツミに別れを告げ、祖母山の谷間を通って、アジキの集落に出た。そして、アジキがイハレビコ達を出迎え、アジキの集落で一夜を過ごした。早朝、いよいよ、大君のいる高千穂の宮に向かった。
 「大君、ただ今、戻ってまいりました。」
 「イハレビコ、どこまで行っていたのだ。心配しておった。」
 「伊勢の国まで行き、アマテラス様に拝顔してまいりました。」
 「アマテラス様に会って来たか。」
 「旅の話は、後日に聴こう。旅の疲れを取りなされ。」
 イハレビコは日向に帰り、今まで張り詰めていた気持ちが、穏やかになるのを感じていた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 99