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作品名:いにしえララバイ 作者:藤巻辰也

第10回   第9章 倭にて
 イハレビコ達はシンカラリョウの案内で、四條畷の集落から清滝峠を越える清滝街道を歩くことにより、倭の国に入ろうとした。
 イハレビコは、清滝峠を越えた所にある登美の集落に入る道中、ナガスネビコがどんな人物なのかを考えていた。その時、シンカラリョウがイハレビコに話し掛けてきた。
 「ナガスネビコの先祖は、この河内の国の人ではないのですよ。」
 「と言うと。」
 「元々は、筑紫の国の遠賀川流域の出身ですよ。」
 「筑紫の国の遠賀の集落の出身か。この旅をはじめた頃、筑紫の国に寄って、遠賀の集落のヒカレミと言う長老に会ってきたが、そんな話は聞いていないの。」
 「しかも、ナガスネビコの本家筋は、これから東南の方向に石上(いそのかみ)の集落があり、ウマシマヂがいます。」それから、シンカラリョウは、ウシシマヂの事をいろいろ話してくれた。
 古事記では、ウマシマヂはニギハヤヒとナガスネビコの妹トミヤビメの子となっていて、イハレビコが、大和朝廷を樹立した時にナガスネビコを討ち、ニギハヤヒがイハレビコに降伏して、イハレビコに仕えるようになる。このニギハヤヒの子孫が物部氏であると記述されている。しかし、日本書紀では、ニギハヤヒは、イハレビコの曾祖父アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギよりも早く葦原の中つ国に降り立ったとある。ニギハヤヒが天磐船に乗って、降り立った所が河内国河上哮峯(いかるがのみね・葛城山系の二上山とか、生駒山地の東側、四條畷市田原付近を流れる天の川の磐船峡谷とか言われている)であるとされている。本書では、ウマシマヂはニギハヤヒの子孫とし、ニギハヤヒが葦原の中つ国に降り立ったのは、筑紫の国の遠賀川とする。そして、筑紫の国にいた物部氏の祖先は、裕福な土壌、気候を求めて、倭の国に移動したのです。また、それ以外の地域、山陰地方の石見地域、東北地方の秋田地域等にも移動したようです。
 ニギハヤヒは金工鍛冶の神で、物部氏が祖先神としているが、穂積氏も祖先神としている。物部氏も穂積氏も鉄や青銅を扱う一族であったことが伺えられる。しかし、物部氏は大和朝廷で軍事を担当する豪族となっていき、政にも力を発揮するようになった。天皇家のイハレビコの曾祖父アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギの兄アメノホアカリ(一時期、この神がアマテラス大神ではないかとも言われた)がニギハヤヒであると言い、このアメノホアカリを祖先神としているのは、天橋立にある籠神社(このじんじゃ)を奉斎する海部(あまべ)氏や熱田神社を奉斎する尾張氏、丹波氏、住吉大社を奉斎する津守氏等がいる。このように日本神話では、主要な豪族が天皇家と関係があるように記載されている。
 イハレビコは、シンカラリョウからナガスネビコやウマシマヂの事やニギハヤヒの神の話を聞いているうちに、倭の国が日本全国の中心にあり、政治、経済、文化、軍事の中心であることを感じていた。
 イハレビコとシンカラリョウがナガスネビコの事を話している間に登美の集落に着いた。すると、馬に乗った恰幅のよい御仁が家来を連れて現れた。
 「よう、シンカラリュウ様、これからどちらへ行かれるのじゃ。」
 「これは、ナガスネビコ様ではないですか。これから、三輪の大神に反物を届けに行くところです。」
 「シキノマカヒコカサユラ様の依頼で、オホモノヌシ様に奉納するためだな。」
 「仰せの通りでございます。」
 「そうだ。ウシシマヂ様に頼まれていた事を思い出した。フツノミタマの大神に奉納する物を探せと。」
 「絹織物の反物でも作りましょうか。」
 「それはよいな。」
 「さて、ナガスネビコ様、そのようないでたちで、どうかなされたのですか。」
 「この頃、他国から倭の国に出入りする者が多くなってきて、見回りに出てきたのよ。隣におられる御仁は何方かな。」
 「私の知人で、アマテラスの大神に剣を奉納されるため、伊勢の国まで行かれる御仁です。そのため、倭の国へ私どもが同行しているのです。」
 「そうか。道中気をつけて行かれよ。」
 物部氏が奉斎している石上神宮(天理市布留町布留山)には、フツノミタマの大神(フツヌシノカミ)が祭神とし、布都之御魂の剣を御神体として祀られている。この布都之御魂の剣は、タケミカヅチノヲの神が葦原の中つ国に降り立って、国を平定する霊剣であり、神武天皇とその軍が熊野で悪神の毒気により倒れた時に、タカクラジの神がアマテラスの大神の命により、もたらした剣である。このことから、剣を祭神としてしまうあたりに、物部氏が金工鍛冶系の部族であった事の証となるだろう。また、布都之御魂の剣を作ったのが韓の国の帰化人、金工鍛冶系の丸迩(和爾・和邇・和珥・丸邇)氏であり、石上神宮や吉備(備前)の国の石上布都之魂神社を奉斎したのが、丸迩氏であり、物部氏である。
 「シンカラリョウ様、フツノミタマの大神とは、布都之御魂の剣のことですか。」
 「アマテラスの大神から与えられて、タケミカヅチノヲの神が葦原の中つ国を平定した霊剣です。」
 「その話は、父から聞いたことがある。その剣がウシシマヂの処にある。」
 「ウシシマヂの祖先神、ニギハヤヒの神がタケミカヅチノヲの神が葦原の中つ国を平定した後、最初に降り立った神だと言って、タケミカヅチノヲの神から譲り受けた剣だと言っている。」
 「その話は、父から聞いた話と違うな。最初に降り立ったのは、曾祖父であろう。」
 「実を言いますと、その剣はニギハヤヒの神の子息が吉備の国にいる韓の国の帰化人ワニの部族に作らせたと。」
 「吉備の国の帰化人ですって。吉備の国の総社の集落に行った時にその帰化人の話は聞いた事がある。」
 「これから、このワニの部族が住んでいる和爾の集落に行き、石上の集落を通って、磯城の集落に行きます。」
 いにしえの時代では、ワニは朝鮮語でサメと言う言語となり、海人を表している。布都之御魂の剣を作った帰化人こそが、オホクニヌシの子孫アダカタスを祖とする丸迩氏である。丸迩氏は、海人系の帰化人で和爾坐赤坂比古神社(わににますあかさかひこ・奈良県天理市和爾町付近)や和爾下神社の地から南には石上神宮(天理市布留町布留山)、北には春日大社(奈良市春日野町)の地域に勢力をもっていた。そして、丸迩氏が奉斎した石上布都之魂神社(岡山県赤磐市石上字風呂谷)は、江戸時代まで備前国赤坂郡と言う地名であり、この赤坂郡の郡名はベンガラ朱とか鉄にちなむ地名である事から、金工鍛冶系の豪族であったようです。また、古墳時代の丸迩氏は、須恵器(すえき)を生産していたようで、埴輪を製作したことでも有名である。なお、丸迩氏は奈良市春日野町に本拠地を移し、春日氏と名乗るようになる。
 イハレビコ達が登美の集落を出て、清滝街道をさらに進むと、左側に木津川が見え、正面には奈良坂、右側には奈良盆地が見えてきた。
 伊勢神宮詣での歴史街道は、大阪から行くには四ルートがあります。竹之内街道(堺東から羽曳野、太子町、二上山、竹内峠、當麻町、長尾神社まで)と横大路(當麻町から大和高田、橿原、桜井まで)と初瀬街道(桜井、三輪山から長谷寺、室生寺、赤目町、名張、青山峠、松坂六軒町、伊勢古市、五十鈴川まで)のルート。暗越奈良街道(大阪高麗橋から玉造、今里、枚岡、暗峠、富雄川、平城京朱雀大路跡、佐保川まで)と山辺の道と初瀬街道のルート。京街道(大阪高麗橋から京橋、野江、関目、森小路、守口まで)と守口街道(守口から西三荘、古川橋、提根神社、茨田提、巣本、四條畷まで)と清滝街道(東高野街道の交差点四條畷中野から清滝峠、磐船街道の交差点下田原、天野川、富雄川、山田川、木津、佐保川まで)と山辺の道と初瀬街道のルート。竜田越奈良街道(四天王寺から杭全、平野、八尾弓削、柏原峠、国分神社、信貴山、竜田川、斑鳩法隆寺まで)と横大路と初瀬街道のルートがある。
 イハレビコは、清滝街道から佐保川付近まで来た時、この広大な盆地がウシシマヂによって、事実上支配されているのは理解できたが、ウシシマヂ以前はどうだったのだろうと。
 「シンカラリョウ様、この倭の国を支配しているのはウシシマヂだということは分かったのですが、それ以前は誰が支配していたのですか。」
 「サルタビコです。」
 「サルタビコ、曾祖父様が高天の原から豊葦原の瑞穂の国に降りようとした時に、お仕えする事を誓った人物ではないか。」
 「そうです。サルタビコは、もともと筑紫の国に居ましたが、その後、三野の国や尾張の国、伊勢の国に移り、倭の国にやって来て、出雲の国のコトシロヌシと手を結んで、金工鍛冶の技術を広めようとしたのです。」
 サルタビコは、出雲の国のオホクニヌシの子のコトシロヌシと手を組んで、剣や銅鐸等の製品を作ることを約束し、倭の国も両者の支配化に置こうとしたのだが、筑紫の国からニギハヤヒが倭の国にやって来て、サルタビコ率いるニワの部族を倭の国から追い出し、出雲の国に出兵して、コトシロヌシの部族と戦い、ニギハヤヒの部族の一部を出雲の国の支配に当らせた。また、サルタビコのニワ部族は、旦波の国に追いやられて、サルタビコの子孫が邇波(にわ)氏となり、旦波(たにわ)氏に成っていくのである。
 「倭の国の事が、かすかに分かってきた。問題は、ウシシマヂだな。」
 イハレビコ達は、いよいよ和爾の集落を通り、石上の集落に近づいてきた。さすがに倭の国である、人通りが多いし、女性の着飾りも垢抜けていた。暦の上では旧正月まで一ヶ月もあったが、集落全体では慌しかった。
 「シンカラリョウ様、倭の国では女王が政をしていると聞いていますが。」
 「それは、そうですよ。しかし、女王と言っても、漢の国や韓の国に対してと、倭の国は地域ごとに権力者がいて、統制がとれないのです。なかでも、ウシシマヂ様はその権力者でも力がありますがね。」
 イハレビコ達が石上の集落に入った時、びっくりしたのは環濠集落で、広範囲に堀が引かれ、柵が回りを巡らされていた。門からちらっと覘いてみると、軍事倉庫が沢山あり、警備に当っている者をみると、如何にも戦闘用意が出来ている様相であった。
 「ウシシマヂは、何処と戦うつもりなのでしょう。」とイハレビコは独り言を吐いた。
 「倭の国の事をもう少し詳しく話しましょう。ウシシマヂは、コトシロヌシの子孫の出雲の国やサルタビコの子孫の旦波の国との戦いに備えているのです。そこで、旦波の国の北に籠神社(京都府宮津市字大垣付近)を奉斎しているサヲネツヒコと手を組んで、ニワの部族を抑えようとしているのです。」
 サヲネツヒコはイハレビコが大和朝廷を樹立するため倭の国を目指して、速水の門を越えようとした時に、亀にのって現れ、倭の国へ先導したと言われ、イハレビコはサヲネツヒコに倭宿禰(やまとのすくね)の称号を賜った。また、サヲネツヒコはアメノホアカリを祖先神としており、海部氏の祖となっている。この部族も海人系で、ワタツミの神を祀り、亀に乗ってとあるので、インドネシアやフィリピンや台湾や沖縄等の東シナから渡来したのだろうとも言われている。また、海部氏が奉斎する籠神社は主祭神としてアメノホアカリの大神、副祭神としてトヨウケビメの神、アマテラスの大神、ワタツミの神、アメノミクマリの神が祀られている。日本昔話に出てくる浦島太郎の原型がサヲネツヒコとも言われている。
 「そうですか。ウシシマヂは倭の国の軍事を担っているのですか。」
 「その他に、郡山の集落にはアメノホアカリの神の子孫タカクラジ、葛城の集落にはタカミムスビの神の子孫カヅラヒト、御所の集落にはオホクニヌシの子アヂスキタカヒコネの子孫でカモノカグヤヒコがいます。」
 古事記によると、イハレビコが大和朝廷を樹立するため、熊野から倭の国を目指した時に熊が出て、イハレビコをはじめイハレビコ軍全員が倒れてしまった。そこで、アマテラス大御神が困られて、タカギの神に相談された処、タカギの神はタケミカヅチノヲの神にイハレビコ軍を助けるようにと依頼されたが、タケミカヅチノヲの神は助けに行けないと断られた。しかし、葦原の中つ国のタカクラジの所へ布都之御魂の剣を高天の原から降ろし、このタカクラジが布都之御魂の剣を振り回したところ、イハレビコやイハレビコ軍全員が目を覚ましたとある。このタカクラジが郡山の集落にいるのである。タカクラジの祖先は、アメノホアカリの子アメノカグヤマで、イハレビコの父アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズが生まれた時に、お産の世話をしたアメノホアカリの孫アメノオシヒトになり、タカクラジの子孫は尾張氏である。
 尾張氏は天皇家に海産物を調達する役目を担っていたことから、海部氏と同じ系統の海人系の部族であったようです。また、尾張氏は大和朝廷が樹立した当時は、倭の国の大和郡山付近に集落があったのですが、その後に山代の国に移り、それからヤマトタケルの時代には尾張の国に移っていたようです。
 カヅラヒトの祖先はイザナキ・イザナミ大御神よりも先に高天の原に降り立ったタカミスヒの神で、タカミムスビの娘ヨロヅハタトヨアキヅシヒメがアマテラス大御神の子アサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミの妻となり、イハレビコの曾祖父アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギが生まれたように、タカミスヒの神は高天の原でアマテラス大御神に次ぐ地位にあり、タカギの神(高木の神)と呼ばれた。この神の子孫のカヅラヒトの部族は倭の国でかなりの地位にあり、ウシシマヂの部族に匹敵する程の権力を持っていた。カヅラヒトの子孫葛城(かづらき・葛木)氏は大和朝廷が樹立してからも、あまり表舞台には出てこないが、天皇家との婚姻関係は活発であり、神功皇后の朝鮮出兵の時に、葛城氏系のタケウチノスクネ(建内宿禰)が采配をふるい、欽明天皇の在任中の任那日本府の崩壊時にも、葛城氏系のソガノイナメノスクネ(蘇我稲目)が采配をふるった。カヅラヒトの部族は、サルタビコの部族やウシシマヂの部族より早く、最新の稲作技術を持ち、弁韓の国から倭の国に到着し、奈良県葛城市や御所市付近で賀茂の部族と手を組んで、倭の国の水田の開墾に取り掛かっていたのではないか。
 カモノカグヤヒコの子孫は賀茂(迦毛・加茂・鴨)氏ですが、カモノカグヤヒコの部族は葛城氏と合体した葛城系賀茂氏や、賀茂氏から三輪氏に吸収されていく賀茂氏がある。また、カモノカグヤヒコの部族ではないが、イハレビコが大和朝廷を樹立するのに、熊野から橿原まで八咫烏(やたがらす)に変装して案内するカモタケツヌミの賀茂氏と吉備の国からやって来て、陰陽術を使う山伏等の基礎を作った賀茂氏がある。八咫烏に変装して案内する賀茂氏は後に山代の国に移り、上賀茂・下賀茂神社を奉斎する。この賀茂氏はカムムスヒの神を祖先神とした海人系の帰化人木氏に近い部族ではないか。また、カモタケツヌミの祖先は馬韓の国からの渡来人で、最初は伊予の国から摂津の国の三島鴨神社を奉斎する賀茂の部族、この系統には、三島のミゾクイや娘のセヤダラヒメが含まれる。そして、紀の国の賀茂の部族で、この部族にカモタケツヌミがいた。
 「そうですか。これから行くシキノマカヒコカサユラの部族を入れるとあと四集落あるのですか。」
 「ウシシマヂが、この四部族の中で一番気にしているのが、カヅラヒトの部族です。」
 「シンカラリョウ様、倭の国に女王がいるのでしょ。今、どこにいますか。」
 「葛城の集落にいます。カヅラヒトの姉で、ハナキサクヒメです。」
 イハレビコ達は、倭の国の事をシンカラリョウから聞いているうちに、山辺の道を通り、磯城の集落に近づいてきた。
 「イハレビコ様、この辺りでお待ちください。この反物をシキノマカヒコカサユラ様に届けてまいります。帰ってきましたら、葛城の集落に織物をしているワクシズリ(倭文氏の祖)がいます。泊めてもらいましょう。」
 イハレビコ達はのどかな田園地帯で、シンカラリョウの帰りを待っていた。この辺りはイハレビコが大和朝廷を樹立して、畝傍の白檮原(かしはら)の宮を築き、葦原の中つ国を治めた地である。
 一時も過ぎた頃、シンカラリョウはイハレビコのもとに帰ってきた。
 「イハレビコ様、お待たせしました。シキノマカヒコカサユラ様の所に反物をお持ちしたところ、オホモノヌシ様が三島のミゾクイ娘のセヤダラヒメ様を娶られ、イスケヨリヒメ様がお生まれになり、その誕生のお祝いに反物をオホモノヌシ様に奉納するのだとの事でした。」
 「三島のミゾクイ様と言いますと。」
 「今、木の国に居ますカモタケツヌミ様の親戚筋に当られる御仁です。」
 「オホモノヌシの神について話してくれませんか。」
 「分かりました。葛城の集落へ向かいますので、その道中でお話しましょう。」
 オホモノヌシの神はオホクニヌシの神と同一の神と言われているが、実際には違って、三輪の部族の地神である。三輪の部族は、弁韓の加羅地方に大和朝廷が四世紀後半、朝鮮半島に出兵し、天皇の直轄地として任那日本府を置き、任那と言う国を建国した話があるが、この任那を朝鮮語で発音するとミワで、三輪の部族の先祖は弁韓から渡ってきて稲作技術の伝えた渡来人であるかも。そして、倭の国の御諸山のひとつを三輪山としてオホモノヌシの神を祀った。このように考えると、三輪の部族もカヅラヒトの部族と同じ頃に倭の国に渡来し、賀茂の部族と何らかの繋がりあるのではないか。なお、本書ではシキノマカヒコカサユラの部族は、この三輪の部族の一族とする。三輪氏に吸収される賀茂氏、シキノマカヒコカサユラの子孫師木氏、十市氏も三輪の部族の一員とみなす。
 「これで、倭の国のことがすべてわかりました。シンカラリョウ様、倭の国の事を話して戴いてありがとうございました。」
 イハレビコ達は、夕陽が葛城山系の二上山に沈もうとしている時に、葛城の集落のワクシズリの住居に着いた。
 「ワクシズリ様、ご無沙汰しています。今日は、日向の国の若君、イハレビコ様をお連れしました。」
 「ヒコホノ二ニギ様の曾孫のイハレビコ様ですね。」
 「イハレビコでございます。」
 「イハレビコ様は、アマテラス様に草薙の剣を奉納するために伊勢の国まで行かれる途中で、倭の国にお寄りされました。」
 「伊勢の国に行かれるのですか。丁度よかった。今、アメノウズメ様の孫のコヨノカヤスミコが来られています。伊勢の国の事を聞かれたら如何ですか。」
 「そうですね。そのようにしましょう。」
 「どうぞ、お入りください。宴を催しましょう。」
 日本神話でアメノウズメと言いますと、天の岩屋でアマテラス大御神がお隠れになられた時に、タカギの神の子オモイカネの命で、舞を披露したミコ。また、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギが豊葦原の瑞穂の国に降りようとした時、サルタビコとアメノウズメが出てくる。サルタビコの部族は縄文時代に、韓の国から北九州地方に渡ってきて稲作を伝え、中国大陸から山陰地方に渡ってきた狩猟民族と交わって、漁業技術を取得した部族であったので、サルタビコは伊勢の国五十鈴川の畔に鎮座して、アメノウズメにアマテラス大御神に従うので、魚の狩猟ができる伊勢の国の五十鈴川の畔を提供して、アマテラス大御神の祠を建てるように勧めた。
 「コヨノカヤスミコでございます。イハレビコ様は、伊勢の国のアマテラス様に草薙の剣を奉納されるとお聞きしましたが、私もカヅラヒト様から八咫鏡を預かって、アマテラス様に奉納するため、伊勢の国に行くのに伊勢の国のアマテラス様にお使えしています娘カグヤサチヒメに織物でも持ってあげようと、ワクシズリ様の所に寄りました。」
 「伊勢の国に八咫鏡を。」
 「イハレビコ様も、日向の国から長旅でこの倭の国まで来られたのですから、いっしょに伊勢の国まで行きませんか。」
 「是非とも、同行させてください。」
 八咫鏡は天皇家の三種の神器の一つで、天の岩屋でアマテラス大御神に供えられた鏡です。その後、タカギの神の子オモイカネが所持していたのですが、その子孫カヅラヒトがその鏡をアマテラス大御神に奉納するため、コヨノカヤスミコに託したことになる。
 「イハレビコ様、アマテラス様におめどおりなされるのなら、私が新しい衣服を縫うて差し上げましょう。」
 「それはよい。早速、反物を持ってきましょう。」
 「ワクシズリ様、コヨノカヤスミコ様ありがとうございます。」
 新着の衣服が出来上がり、イハレビコ達はコヨノカヤスミコを伴って、シンカラリョウとワクシズリに別れを告げて、伊勢の国へ出発した。


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