死刑囚はやはり、死刑台の上で最期の時を迎える掟から逃れられないようだ。
地下道で軍に拘束された私は、今ヒルズ地域郊外にある陸軍基地の一室で取り調べを受けている。 何を訊問されようと完全黙秘を貫き通し、仮令拷問の地獄に晒されようが仲間を売る考えなど微塵もない。 そして運命に抗う行為から解き放たれた心は、既にひとつの場所だけを目指している。
私の犯した罪、かつての仲間たちを殺害した代償は、死刑による安楽死程度で補えるものではなかった。 私と同様に残忍な心を持った死刑執行人へ身柄を引き渡すのが最善の選択だったに相違ない。 それは高天原最高裁判所が生き地獄の責め苦に身を置く決定を下したのであり、決して神々の怒りに拠って与えられた試練などではない。 天罰とは地上の陪審員が罪人に対して求める魂の解放である。 突き付けられた運命を呪わず自分の情けない死に様を嗤え。
先程から焦燥に駆られた二人の取調官が怒鳴り散らしながら私の胸ぐらを掴んで髪を引っ張ったりしているが、何を言っているのか殆ど聞き取れない。 机の上に置かれた大小二つの端末機で頬を張ったり頭を小突いたりもしている。 私はその間中、如何にして拷問に耐え、本来行くべき場所まで辿り着けるかだけを考えていた。 有り難いことに連邦司令本部は、私からものを言う権利を奪い去ってくれた。 耐えられそうになかったら両手の指を全てへし折ればいい。
数時間に及ぶ訊問が無駄だと判ったのか、取調官たちはスッと立ち上がり取調室から出て行った。 もしも薬物を投与された場合、自白を免れる術はあるかどうかも考慮に入れなければならない。 しかし、何れも身体ではなく心が決める問題であることは当然至極だろう。
あれから1時間近くの時を経たが、取調官たちは食事でもしているのか。辺りは静まり返っており交代要員も現れる気配がない。 更に1時間以上経過したが、これは作戦なのか、こちらの方が焦りと苛立ちを覚えてきたのを感じる。 ありとあらゆる手段を講じ、恐らく眠ることも食事を摂ることも許さないつもりでいるに違いない。
私の気持ちが少し動揺し始めた頃、突然取調室のドアが開かれ、陸軍将校軍帽を深く被った大柄な男が入って来た。 その将校が机の近くまで歩み寄るとそれは・・・・・・・・・・・例の、キグチ大尉だった。
「やあ、冠木くん。久しぶりだね、元気そうで何よりだ。まさかここで再会するとは思わなかったがね。 君の噂は色々と聞いているが、それは軍情報部の管轄ではなく国家保安局の問題であることを先ず断って置こう。 自分としては再び君と酒を酌み交わしながら、議論に花を咲かせたいとの想いは今でも変わらない。 だから下級の取調官のように無粋な訊問を繰り返すつもりは全くないのだ。 即ち君たちが行ったとされている金塊強奪事件については一切触れず、仲間の情報を訊き出す意図もない事を約束しよう。 さて、聡明な君のことだから、これ以上の説明は必要ないと思うがね。それと、コーヒーを頼んであるから少し待っていてくれたまえ。」
これは恫喝しても口を割らない容疑者に対する懐柔策の一環ではあるまいかと思う。 しかしキグチ大尉はクロッカワーとは次元の異なる見識を持った人間であるのは疑うべくもない。 彼は取り調べの任務を帯びている訳ではなく、単なる接見が目的で来たとも考えられる。 顔見知りでもあるし、容疑者然として完全黙秘を貫徹するのは却って不信を招く。 金塊強奪に加わった事実は否定出来ないが、私は強姦殺人犯では有り得ないのだから。
『そうですか、キグチ大尉。そのお気持ち、有り難く心に受け止めたいと思います。』
「ああ、コーヒーが来たので冷めない内に飲みなさい。カクテルを出せないのは残念だがね。」
『私はあのパーティーの後、様々なことを学びました。 それは、この国の国家としての在り様に対する疑問だったり、或いはこの国に住む人々が種々雑多で多様性に富んでいる事も。』
「ほう、それまでの君はこの国の在り方に疑いを抱き、国民に対しても偏見を持っていたと言うのか。 しかしその心に抱き続けていた疑念は払拭されず、燃え盛る紅蓮の炎となり噴出した訳だな。 いや、決して君を責めている訳ではないから気にする必要はない。 自分は君に対して極々一般的な問題提起を試みようと思っているだけなのだ。 そこで一つ是非とも聞きたいのだが、この国と国民を如何様に導けば恒久不変の真理に到達出来るかだ。 恒久不変の真理とは甚だ大仰で宗教的な言い回しだが、それは宇宙の本質とでも解釈すれば良いだろう。 但し、民主主義に関する議論の蒸し返しは聞く耳持たないので、ひとつ宜しく願いたい。」
『それは以前お話した通り、それこそが人類に課せられた永遠不変のテーマではないでしょうか。 特定の思想に限定するのではなく、不断の有為転変を繰り返しながら醸成されるより方法はないものと思われますが。』
「無為に時を過ごし、自然淘汰に総て委ねるのが人類の賢い選択という訳か。 それでは冠木くんを挑発するためにひとつの仮定を設けてみよう。 この宇宙の生命が永久ではなく、終わりの瞬間が時々刻々迫りつつある事を人類が知り得たとする。 逃げ場は何処にもないかも知れないが、高等動物である私たちは種の保存のために未来を切り拓かねばならない。 下等動物であっても凶暴な肉食獣の匂いを嗅げば一斉に逃げ出す。高等な人類が危険を察知したのであれば尚更の事だ。 その判断が冷酷極まりない行為だったとしても、座して死を待つより賢明な選択をしたと歴史には記される筈なのだ。 つまり何らかの決断を下さない限り危機を回避することは適わず、人類は滅び去るのを待つのみだ。 その選択が真理や本質からは遠くかけ離れていたとしても、総てを見極めたと仮定した事が実は真理であり本質でもあったと書き残せば良いとは思わないかね。」
『それは具体的に何の喩え話のつもりなのだ。仮定ではなく妄想と言った方が正しくはないのか。 一体全体何を根拠に宇宙が滅亡するという発想に至るのだ。加えて、舌の根も渇かぬ内に歴史の捏造を肯定するとは噴飯物の極みだ。 以前、貴方は私の話を観念的だと仰ったが覚えて居られるか。観念的思想が間違っていて荒唐無稽な空想は無謬だとでも言いたいのか。』
「いや、果てしない大宇宙の事ではなく、この小さい太陽系宇宙に起こり得る出来事と置き換えれば良いのだ。 しかも自然淘汰ではなく人為淘汰が発端となって物語は展開されるのだとね。 まあよかろう。君も近い将来、好むと好まざるとに関わらず体験せざるを得ないだろうから。 さて、この話は限がないので打ち切りに・・・・・・・・・・・」
『ちょっと待ってくれ。それは地球と火星との間に生じる摩擦だと受け取れるが、あんたはそれを望んでいる様に聞こえる。 人為淘汰とはどちらかが全面戦争を企て先制攻撃に討って出ると予測しているか、或いは計画を知り尽しているか、何れかに間違いないな。』
「君の致命的な欠点は総ての事象を即物的な感情論で訴え掛けようとする所だろうな。感情的になる事は即ち心理戦に敗北を喫した事と思いたまえ。 妄想は心理戦の主たる戦術のひとつだが、延長線上では戦略的な最終兵器とも成り得るのだ。 心理戦に勝利した者のみが、覇者の証たる永遠の勝利に酔い痴れる権利を有している。」
『私が感情的になるのは、あんたがどうかしているからだ。』
「なるほど、それは奇妙な現象だな。では第二楽章を始めるが、ここには神の存在と書かれてある。 冠木くんは気付いていないかも知れないが、君は既に神と出遭っている可能性があるのだ。 それは人の姿ではなく、人の発する言葉を借り、言霊となって顕れる。 冠木くん、君は神を信じるか。」
『キグチ大尉は確か事実以外の出来事は認めないと言っておられたが、本当は空想癖をお持ちなのが事実ではありませんか。』
「事実の定義を一体誰がしたのかね。歴史を事実や真実であると認識している者は現在に於いては皆無に等しい。 事実とは個別的な体験であり、偶然の出逢いが契機となり魂を打ち震わせた想念でもあるのだ。 それは決して他人がアカデミックにとやかく口を挟む問題ではない。」
『逃げ口上では論理破綻から逃れる事は不可能です。貴方は私と同様に観念の虜になっているとお考えにはならないのですか。』
「盲目な心を持つ者たちは皆この様に言う。 在りもしないものを在るとする行為は極めて簡単だ。しかし存在しないものを存在しないと証明するのは困難を極める。 因って、在りもしないものを盲信している者達が勝利を収めるのが世の常である、と。 しかしそれは敗者の論理であり、自らを負け犬と認めた証明でもあるのだ。」
『確かに存在を明らかにするのが科学ですが、有り得ないものを強引に存在するものだと言い張るのは非文明社会の証左でもありますが。』
「いや、そうではなくて、読解力に難のある愚民には有り得ないものも在るとしておけば良いと言っているのだ。 無いものも在ると思い込ませれば、分け隔てのない幸福を皆一様に享受することが可能となる。 人間の本質とは、我と我が身の仕合わせのみ追求して自己完結を図ろうとする動物以外の何ものでもない。 大衆にとって必要欠くべからざるものとは啓蒙である。即ち、大衆の無知蒙昧を啓くために必要不可欠な機関が国家なのだ。 罷り間違って強い信念を持った人間を発見したとすれば、それは無能な愚民大衆ではなく人間に姿を変えた神に他ならない。」
『無能で暗愚な権力者が最も陥り易い暴論だな。その傲慢さ故、為政者は市民の信頼を勝ち得ることが未来永劫ない。』
「神は絶対に存在すると言っておいた方が楽だとは思わないかね。普遍的な存在が否定されたとしても、ああそうでしたかで済むのだ。 一例を挙げれば、天動説も容易く地動説に宗旨替えが可能だったのは歴史的事実ではないのかね。 絶対に無いと主張していた人間が致命的な論駁に晒される、つまり存在する事の証明が為された時は死を以って償う以外に道はない。 世の中は須く安楽な道を歩むべし。真実を探求するなどとは無能者が自己満足に浸っているに過ぎない。」
『良く言えば支離滅裂で味噌も糞も一緒だが、別の言葉では分裂質の悲劇と表題が付きそうな内容だな。』
「それでは第三楽章・・・・・・・・・・・・・」
『いいえ、もう存分に堪能したので結構です。』
「それは残念だな。第三楽章から終楽章へ掛けてがこの楽曲の聴き所なんだがね。 まあよかろう、冠木くんとはまたカクテルバー・・・・・・・ いや、次回は厳選された美味しい料理と絶品のワインを味わいながら議論を闘わすのが宿命だからな。 またの思いがけない出遭いを楽しみに待っているよ、冠木くん・・・・・・・フッフッフッ。」
この男はいつも言いたい事を言い終えるや否や、文字通り風の如く消え去ってしまう。 死者に鞭打つとは言い得て妙だ。やはり彼は死刑囚をからかいに来ただけなのだろう。 お喋りの相手をしてやったのは、サービスで出されたコーヒー代の支払いだと思えばいい。
キグチ大尉と入れ替わりに取調官二人が部屋へ入って来た。 国家保安局に身柄を引き渡すのだという。秘密警察の正式名称が国家保安局だ。 間もなく私服のそれらしき男がやって来て、手錠を掛けられ外で待機していた車の後部座席に乗せられた。
車は人家の全くない広大な平野を通り、曲がりくねった山道を越え、再び平地へ下りると高速道路に入り一気に加速した。 左右を眺めていると所々に建物が目立ち始め、更に数十分ほど行くと風景は一変し、眼前には大きな市街地が広がっている。 クロッカワー邸から見た景色とは異なり、ここはビルの建ち並ぶ都市部らしい事が分かった。
車は高速を下りて混雑した道路をゆっくりと走っているが、不思議な事に周辺にはゴグランドシティーで良く見かけた高層ビルがひとつもない。 しかし歩道はどこまで行っても人の波で溢れ返り、走行しているより信号待ちの時間の方が長い。 そして登り坂の入り口近くにある細い脇道へ入ると、直ぐ前方に広場のような所があり、その奥にはレンガ造りの瀟洒な建物が見えてくる。 車はその建物の横へ回り、地下にある自走立体駐車場を深く下りた所で停車した。
最初の入り口で顔写真の撮影と指紋の採取が行われ、エレベーターを上がった所のロビーにある一室で両手の静脈をスキャンされた。 更にエレベータで最上階の5Fへ上がり通路を右に左に折れた後、第一取調室と書かれた部屋へ通された。 どうやらここが国家保安局本部のようだが、この部屋は全面に異様な真っ黒のガラス張りが施されている。 恐らくマジックミラーか何らかの電子的仕掛けがしてあるものと思われる。
暫く待っていると、一人の男が乱暴にドアを開けて入り、また力一杯乱暴にドアを閉めた。 この特徴あるヒゲ面で赤ら顔の男は・・・・・・・・・・あのハヤト部長だ。
「よう、冠木。お前は必ずここへ来ると信じてたよ。俺はなあ、お前のヒトとは違う獣の臭いを嗅ぎ分けていた。 早期の取り調べも検討していたが、クロッカワーが邪魔立てしたもんで罪もない犠牲者を増やしてしまったと悔やんでいる。 どう足掻いても極刑は免れんから素直に吐くんだな。お前に唯一出来るのは刑に処されてあの世で詫びる事だけだ。分かってんのか、冠木。」
この男は直情型で単純な頭の持ち主だ。どうせ逃れられない運命ならば今度は私がからかってやるのも一興だ。
『国家保安局のNo.2であるハヤト部長殿が、ケチ臭い強姦殺人犯を直々の取り調べとは大変痛み入ります。』
「おい、貴様はてめえの立場が分かってんだろうな。この場から即座に強制収容所送りにしてやってもいいんだぜ。 意味が分かるか、冠木。ここは原始的な拷問をする場所じゃあねえって事だよ。 何故No.2の俺が直々に取り調べるかだと。貴様が頭のいい奴なら説明の必要もなかろうがな。 俺もそんなに暇を持て余しているわけじゃねえからな、強制収容所へ行きたくなければ白状した方が利口だって教えてやるためにだよ。 先ずはな、貴様が引き起こした事件について洗いざらい吐いてすっきりしろ。 それからキグチとどんな会話をしたか何もかも包み隠さず吐くんだ。」
キグチ大尉と話したのを知っていたとは驚きだ。これでハヤトの来た理由がはっきりした。 ハヤトの顔付きから想像するに、でっち上げ事件よりもキグチ大尉との接見の方に比重を置いている節がある。 二人の間には深い因縁が横たわっている筈なので話が面白くなりそうだ。
『物事は総て段取りを付けた上で因果関係を明らかにするのが肝要だ。 そのために貴方は、被害者とされている方々の氏名を私に告げる必要がある。』
「よう、冠木。捜査が終了するまで被害者の氏名を明かせないのは当たり前だろが。 刑が確定した時に初めて貴様は犠牲者の氏名を知る権利を得るんだ。」
『その様な前例がない事くらい知っているぞ。この件だけが特例措置として扱われている訳だよ。 一体全体裁判でどうやって名無しの何某殺害事件を立証するつもりなんだ。 三文芝居に不手際があったようだな。ペットでも名前くらい付いているだろうが。』
「貴様なあ、それは司法の問題だって事も分からねえのか。 それから貴様はなあ・・・・・・・・・・・・・ちょっと待ってろ。」
ハヤトは気ぜわしく立ち上がりインターホンで何か連絡した後、再び私の前にある椅子に座り横を向いてタバコを吹かし始めた。 黙りこくったまま三本目のタバコに火を点けた時、エプロン姿の若い女性がお辞儀をしながら取調室に入って来た。 そして女性は私たちの前に来ると再び丁寧にお辞儀をし、蓋付きトレーの中からグラスを出して机の上に置き始めた。 アイスコーヒーとクリームソーダが各二つずつあるのだが、酒癖の悪いハヤトは甘党なのだろうか。 甘党のハヤトは、真ん丸のアイスクリームを長いスプーンですくって一息に頬張ると、ストローも使わずソーダを一気に飲み干してしまった。
「おい、俺のポケットマネーだからな、両方とも飲めよ。ひとつ飲み終わったら話を続けてやるからな。」
『それはどうも。』
私もちょうど喉がカラカラだったので、ハヤトと同じくクリームソーダを有り難く頂戴することにした。 ハヤトは横を向いたまま四本目のタバコに火を点け、ストローでアイスコーヒーを上品に飲んでいる。 私がクリームソーダを飲み終わると同時に、ハヤトはこちらへ向き直り尋問を再開する姿勢を窺わせた。
「なあ、冠木よう、俺は子供の頃から心に誓っている事があってなあ。 その誓いが俺に法律を学ばせ、現在下院議員として活動する原動力になっているんだ。 それは閉塞状態に陥ったこの国の腐った政治を如何に改革し、国民をより良い方向に導いて行くかに尽きるんだ。 実現させるために必要な条件として、真理を深く見極める作業が最も肝心だと考えている。」
『真理だけでは漠然としているが。それに具体的な誓いの内容とは。』
「真理とは世界の本質を言い表す言葉故に曖昧模糊としているのは仕方がない。 誓いとは神と交わした契約だから他人が知る必要はないと思う。」
『ハヤト部長らしからぬ奥歯に物の挟まったような言い方に聞こえるんだが。』
「憂国なんて言ってもお前には関係ないだろうからな。」
『私が無神論者だからさ。』
「いや、俺も無神論者だけど森羅万象に宿る精霊としての神々は敬っている。」
『それならば私にも理解可能だ。』
「だから以前話したと思うが、自然破壊を平然と行った野蛮人が許せないんだよ。 それが何百年も前の出来事だとしても、傷跡は深く残って決して消え去ることはない。 精霊である神々の怒りはやがて我々の知る所となり、必ず不埒な人類を滅ぼして幕を閉じる。 神々の復讐が地球と火星間の不和という形で結実するのは多くの学者が指摘している処だ。 花も雑草も小動物も小さな魚も遍く万物に精霊が宿っているのであり、人類もその内のひとつに過ぎない。 人類だけが特別な存在だなどと考えるのは自然界に対する不遜も甚だしい。 悪性ウィルスが自然界に蔓延して大自然そのものを滅ぼしてしまうなんて事は有り得ない。 ウィルスは必ず自分の生命を維持するために活動を縮小し、どこかに潜伏しなければならないのが自然界の掟だ。 しかし何時の間にか人類と云う名の背徳者が自然界の頂点に君臨してしまった。 彼らが悪性ウィルスと同じ運命を辿る日は遠からずやって来るのだ。」
『人類の遠い御先祖様はウィルスかも知れないしな。それで、地球と火星の不和とは如何様に決着がつくとお考えかな。』
「まあ俺は軍人じゃないんで想像の域を出ないが、早晩必ず起こり得る事だけは確信している。 但しそんな破滅的な思想が古くからあった訳ではなくて、極々最近になってから盛んに吹聴される様になったんだ。 所謂宇宙最終戦争論の提唱者とは、お前も良く知っているあのキグチ上院議員だ。 平和主義者だったキグチは20年程前、突如として宇宙最終戦争論者に変貌を遂げてしまった。 彼は大学時代から多数の著作を残している学者肌の軍人だが、後輩の俺から見れば或る日突然人間性が変わってしまったとしか言えないんだ。 俺が政治家を兼任してから傲慢になったのではなくて、あいつが害悪を垂れ流すから反論を試みたに過ぎないのだ。」
『宇宙最終戦争とは穏やかじゃないな。キグチ大尉の性質は何となく判ってはいたけどね。』
「この世に神と悪魔が存在すると仮定したら、あいつは明らかに人間を憎み呪う悪魔の化身だ。 奴が豹変してしまった理由なんだが、幾つか証拠を挙げる事は可能だ。 ただ主観的な誹謗中傷に矮小化するのだけは避けたい。個人間でしか分からない確執でもあるしな。 客観性のみで・・・・・いや、多分に主観も入っているが、火星との関係が無縁ではないとだけ言って置けば良いだろう。 余りある事ない事、想像だけで言い触らすと名誉毀損で刑務所行きにも成り兼ねないからな。」
『死刑の確定した私は何を発言しても別段問題化はしないので言うが、私にはキグチ大尉の正体と宇宙最終戦争論が何だか判る気がするよ、ハヤト部長。』
「はっきりし過ぎては身も蓋もないけどな。 ああ、もうこんな時間か。すっかり忘れていたが白状する気になったか、冠木。」
『だから被害者の氏名を出さない限り進展はないと断った筈だが。』
「キグチと何を話したかだけでもいいんだがな。お前も強制収容所は好きじゃないだろ。」
『覚悟は出来てるよ。』
「それは残念だな。お前は悪そうには見えないんで、非常に惜しいと思ってる。もう一度聞くが、吐く気にはならないか。」
『私は嘘を吐くのが苦手でね。』
「じゃあ、お別れだな、冠木。」
『アイスコーヒーとクリームソーダ、どうもご馳走さん。』
囚人護送車に乗せられて市街地を後にする頃には、辺りは既にすっかり夕闇に包まれていた。 護送車は陽が沈む方向へ真っ直ぐ向かっているようだ。 時折、助手席に座っている奴が振り向いて鉄格子付きの窓から監視している。 両手両足を太い鎖で車に括り付けられていては逃げようにも逃げられないのだが。
宇宙最終戦争・・・・・・・キグチ大尉らしい論理の飛躍した発想かも知れない。 論理の飛躍・・・・・そういえば今日の二人の話にはおかしな共通点がある。 真理・・・本質・・・地球と火星・・・人間憎悪・・・神・・・・・そしてコーヒー・・・・・ 二人の性質が似通っているからなのか、単なる偶然だったのか。 ハヤトは陸軍取調室を盗聴していた可能性もあるので同じ話題を振って来たのか。 いや、会話の内容を知っていたのなら、わざわざ私にしつこく訊く必要はなかっただろう。 まさか逆にキグチ大尉がハヤトの話す内容を予め想定して・・・・・・・まさか、そんな馬鹿な。
車は田園地帯を抜け未舗装の山道に入った。収容所もこの近辺にあるのだろうか。 小窓を通して見える景色は前も後ろも真っ暗闇のままだ。 急勾配の坂道を登り切り、下りに入ってスピードを増した所で突然車が急停車した。 そして間髪を入れず前方からガラスの砕け散る音が鳴り響いた。 暗闇で運転席は殆ど見えないが、目を凝らして見ると・・・・・・運転手と助手席にいた男の首がない。 確かに胴体だけ前のめりになっているのがヘッドライトの反射で見える。 何が起こったのか考えている間もなく、後部ドアの方で連続した甲高い金属音が聞こえてきた。 数秒後にその金属音は止み、観音開きのドアが徐に開かれた。
暗闇の中で不気味に赤く光を放つ八つの眼・・・・・・・・・ケルベロスだ。二頭の軍事警察犬ケルベロスがいる。 その内の一頭が車に乗り込み、あっという間に両手両足を縛っていた鉄の鎖を噛み砕いた。
『マッスグ ニシヘムカエ』
そして、もう一頭は何かを咥えてきて私の足元に置いた。それを手にしようと思った時、二頭は既に闇の中へ消え去っていた。 中身を調べてみると、ホルスターに入った銃が二挺ある。それは使い慣れたモーゼルC96とルガーP08らしい事が分かった。 後は端末機と財布とサングラス、それともうひとつ小さい革製のショルダーケースに何かの機械が入っているらしい。 兎にも角にも長居は無用だ。車がずっと目指していたのは西方向なので、このまま道を下っていけば何処かへ辿り着くだろう。
しかし見捨てたとばかり考えていた連邦司令本部は、どの様な思惑があって私の命を救ったのか。
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