【I Won't Last a Day Without You】
10月・・・・・・・・・・・・・ぼくがあの女の子に遇ったのは今日と同じような肌寒い日の夕暮れ時だった。
東京から箱根を超えてドライブをしていたぼくは、青木が原樹海付近に差し掛かった時、うっかり脇見運転をしていたため目の前に女の子がいるのに気が付かず、 急ブレーキを踏みハンドルを切ったので車は道路を大きく逸れて林の中に突っ込んでしまった。 突然の出来事に驚いて暫くの間放心状態だったぼくは、すぐに気を取り直し車を飛び出して女の子のいた場所まで急いで駆けて行った。
女の子はその場所に座り込んだまま、びっくりしたような顔でぼくの方を見つめている。 ぼくは女の子の腕を抱え道路の真ん中から脇の道に出して、怪我はなかったかと聞くと目を瞬きさせながら何度も頷いた。 それまで無事故だったぼくは多少興奮しておしゃべりになっていたようで、聞かなくても良い事まで色々と尋ねていたみたいだ。 何分か経った後やっと口を開いてくれたその女の子は、東京から富士山周辺にハイキングをするため来たのだという。
車が無事かどうかも心配だったので、女の子を連れて車のある方へと急いで向かい、 エンジンを掛けて少し動かしてみると大丈夫らしいので、取り敢えず女の子を乗せてドライブを続ける事にした。 近くにレストランでもあればと探すつもりだったのだが、女の子は突然お家に帰りたいと言い出したので今日のドライブはお仕舞にし、 スピードを出し過ぎないよう気を付けながら東京方面に車を走らせた。
帰る途中、それまでずっと黙り込んでいた女の子はカーオーディオで鳴らしていたCDが気になったらしく、始めて彼女からぼくに話し掛けてきてくれた。 どこかで聴いた事のあるこの素敵な歌の曲名が知りたいと言うので、これは『Carpenters』の『For All We Know』だと教えてあげるとこの曲がきっかけになり、 ぼくが聞きたくても口に出せなかった事を彼女の方から話し始めた。 彼女は今月16歳の誕生日を迎えたばかりで、都内の女子高に通っているのだという。 そして、部活でソフトボールをやっているとか、勉強は余り好きではないとか、音楽は殆ど知らないけど映画を見るのが好きだとか楽しそうに話してくれるのだった。 彼女との波長がぴったり合ったからだろうか、食べ物の好みと占いや血液型の話などがとても弾んで、ぼくにとっては久し振りの充実した楽しい時を過ごす事ができた。
彼女の家の近くまで送りお別れを言ったところ、意外な事に彼女の方からまたドライブに連れて行って欲しいと言うのだった。 年齢がふた回り以上離れているので少々戸惑ったが、ぼくには家族がある訳ではないから断る理由も見当たらない。 何よりも彼女の清楚な美しさと、幼女のようなあどけなさでぼくの心を虜にしてしまった事が、再び逢う約束をする大きな拠り所になった。
そして今日、約束通り午前10時に彼女の住む街にある駅まで迎えに行き、彼女を乗せて2度目のドライブにいざ出発だ。 ぼくは何となく気恥ずかしい思いがあったので黙ったまま運転していると、彼女の方からちょっと上擦った可愛いらしい声でおしゃべりを始めてくれた。
「あのね、この間ちょっと焦ってたから、おじさまのお名前聞くの忘れちゃったの。私は奈々子です、お友達は奈々って呼ぶの。」
「ああそうだったね、ぼくは神前っていうんだ。よろしくね。」
おじさまか・・・・・・・そう言われてみれば何時の間にかおじさんと呼ばれる年齢になっていたのか。
「神前さんって、奈々子はなんか舌噛みそうだから、おじさまでいいよね。」
「何でもいいよ。おっさんでもとっつぁんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねえねえ、おじさま。この車ってポルシェでしょ。」
「え〜、こんな古い車よく知ってるね。奈々ちゃんが生まれるずっと前からあったんだけど。」
「何年か前に映画で見たの。頭の上が外れるんだよね。」
「うん、タルガトップだからね。これさ、ポルシェ916って40年も前の車なんだけど、エンジンが空冷のミッドシップでやかましいから話するのも大変でしょ。」
「大丈夫なの、奈々子は体育会系だから声が大きいの、ウフッ。でもこの車ってとってもカワイイよね。」
「車は誉めてやると長持ちするらしいからもっと誉めてやってね。」
とは言ったものの、ぼくはこの車を常日頃から悪し様にけなしていた為か、故障が頻発して維持費も大変なので頭痛の種でしかなかった。 ポルシェの新車を買える身分ではないから我慢しているだけで、誉められて嬉しいのはやはり車の方かも知れない。
「あっ、そうだ。この間聴いたあの曲、また聴きたいな〜。」
「あ〜、ごめんな、今日はそのCD持って来てないんだ。今度は必ず用意しとくからさ。」
そうだった。あの曲がこの娘とお話を始めるきっかけを作ってくれたのに何て間抜けなのだろうか。
「他のCDも持って来てないんだ、ラジオは壊れてるし・・・・・・・・ごめんな。」
「ううん、いいの。奈々子はあんまり音楽って聴かないから。」
「そうかあ〜、でも音楽がないと何となく寂しいよね。」
「♪守りもいやがる〜盆から先にゃ〜♪♪雪もちらつくし〜子も泣くし〜〜♪♪♪・・・・・・・」
「子守唄みたいだね。」
「おじさま、寝ちゃったら駄目よ。ウフッ。」
「ボーカリストの奈々ちゃん、次の曲どうぞ〜。」
「これしか知らないの。奈々子のベストヒットアワーでした〜。」
「それ気に入ったからまた歌ってね。」
「うん。」
奈々子が早起きしてお弁当を作ってきたと言うので、公園を探して二人で芝生の上に腰掛けお弁当箱を広げた。 自分で料理を作ったのは今日が初めてらしい。 ぼくも女の子の手作り料理を食べるのは何年振りになるのだろうか。
「美味しくなかったらゴメン。鳩にあげちゃうから、ウフッ。」
「あ〜、サンドイッチとフライドチキンだ〜〜。ぼくの大好物なんだよね。」
「え〜、よかった〜。でも不味かったら・・・・・・・鳩はチキン食べないかな、ウフッ。」
「じゃあ、フライドチキンからね。」
「たっくさん召し上がれ〜。」
「あっ、すっごい美味しいじゃん。」
「よかった〜、セーフ、セーフ。」
「カラッと揚がってて、塩加減が丁度いいね。」
「お客様ありがとうございます、ウフッ。」
「じゃ、ミックスサンドいっただき〜。」
「いかがですか、お客様。」
「うん、抜群に美味いよ、料理長殿。」
「はい、以上お母さん直伝のお弁当でした〜。でも全部奈々子が作ったんだから、嘘じゃないよ。」
「奈々ちゃんもお母さんに似てセンスがあるんじゃない。」
「まあね〜、とか言っちゃって。」
「これなら次も期待できそうだな。」
「う〜ん、次は何にしようかな〜。おじさまは嫌いなものとかあるの。」
「ヒカリモノくらいかな。あと小魚とか。」
「ヒカリモノってなあに。」
「鯖とか鰺の刺身とか寿司とか、皮の付いたやつってあるじゃん。」
「ふ〜ん、そうなんだ〜。奈々子は何でも食べちゃうから・・・・・・・そうなんだ〜。」
「好き嫌いが激しいと嫌われちゃうよね。」
「あっ、思い出した、シャコって虫みたいで気持ち悪い。あとイカの塩辛がクニャッとしてて気持ち悪い。」
「あれは海に棲んでる虫なんでしょ。足がいっぱい生えてるしさ。」
「やっぱ虫だったんだ。」
「いや、ん〜、多分そう、虫じゃないの。ゲテモノに近いよね。」
「なにそれ。」
「ヘビとか害虫の料理出してる店がゲテモノ屋っていうんだけど。」
「うわ〜、そんなの食べる人って人間じゃないよ〜〜。」
「ヘビは美味しいんだってさ。」
「うわ〜〜〜。」
「戦争中にネズミ食べたっていう人から聞いたんだけど、すごい美味しかったんだって。」
「うえ〜〜〜。」
「犬や猫を食べる国もあるしね。」
「え〜〜〜、信じらんない。野蛮だ〜〜。」
「奈々ちゃんはドジョウ鍋食べた事ある。」
「あっ、一回だけあるけどすごい美味しかったよ。」
「ぼくはああゆうのダメだなあ〜、ウナギも好きじゃないし。」
「うな重美味しいよ。」
「ウナギってヘビに似てない。」
「そう言われてみればそうかも。」
「鳥って爬虫類が進化したんだよね。もしかするとウナギもヘビの仲間だったかも知れないし。」
「じゃあフライドチキンはゲテモノだったんだ。」
「フライドチキンはいいんだけどスズメの焼き鳥とかさ。」
「え〜、スズメ可愛いのに?でも美味しいの。」
「フランス料理のエスカルゴってデンデン虫だしね。」
「い〜〜〜。」
「あと、カエルの唐揚げとかハチの佃煮とかザリガニのピラフとか。」
「ひえ〜〜〜。」
こうしてグルメ論争は延々と続き、薄暗くなって来たので今日の楽しいひと時を終える事にした。 帰りのドライブは別のルートを通って行ったのだが、比較的交通量の少ない場所で検問をやっていた。
「はい、免許証出して〜。」
「ぼく、お酒は飲めませんから。」
「トランク開けてくれるかな〜。」
「トランクは前ですけど、殆どスペースはないですよ。」
「後ろも開けてね〜。」
「後ろにも少し荷物は入りますけどね。蒸し風呂になってると思うけど。」
警察官は懐中電灯を照らして入念にトランクを調べているらしい。
「何かあったんですか。」
「隣の女性は・・・・・・。」
「友達ですけど。」
「まだ若そうだね。」
「未成年者じゃありませんので・・・・・・・・。」
「はい〜、じゃ通ってね〜。」
「だから、何があったんですか。」
「近くで要人テロ事件が起こったんだよ。」
「え?、要人て誰が。」
「後ろが詰まってるから早く出してよ〜、早く帰んなよ〜〜。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
楽しい一日の終りに何となく不愉快な気分にさせられた思いがある。 奈々子が18歳に満たない高校生なので余計な事を考えた為なのだろうか。
6時半頃、次のデートの約束をして奈々子と駅前で別れたが、今度はあのCDを絶対忘れずに持って来るのが二人の誓いだった。
11月・・・・・・・・・・・・・奈々子と3回目のドライブに出掛ける日曜日の朝、今日は爽やかな小春日和のとても気持ち良い天気になった。
あのCDは何日も前から車の中に用意して置き、さらに万が一の事も考え同じ物を買ってバッグの中に入れ奈々子の住む街に向かった。 日差しが強くなった午前10時頃、約束した駅前にブルー系の短いスカートと半袖のTシャツという軽装で、セーターと赤いポーチを手にした奈々子があくびをしながら待っている。
「元気〜〜〜奈々ちゃん、なんか眠たそうだね。」
「うん、昨日の試合がすごい延長戦になっちゃって、奈々子は先発ピッチャーだったからもうクタクタなの。」
「車の中で寝てればいいよ。」
「あっ、そうだ。今日、朝寝坊してお弁当が作れなかったの。」
「そんな、いつも作って来なくていいからさ。」
「お料理研究して腕を磨いてたのに〜、残念なのだ〜〜。」
「今日はレストランに行こうよ。奈々ちゃんは何が食べたい。」
「ラーメンか〜、カレーか〜、ハンバーグ。」
「すごい質素なんだね。」
「うん、奈々子はエコな子なんだよ。てか全部食べたいの、ウフッ。」
「デパートでそんな感じのお子様ランチ見たよ。エビフライとナポリタンも付いてるやつ。」
「お子様ランチ大好き〜〜〜。」
「じゃあ、今日はそれでいこうか。」
「あっ、でも注文するの無理っぽいかも。」
「別にいいじゃん。」
「奈々子はレディーですから、ウフッ。」
「じゃ、ドライブしながら美味しそうな店を探そうよ。」
「うん、カレーと〜、ナポリタンと〜、ハンバーグ。」
あれやこれやお喋りをしながらドライブを続けていると、正午を回る少し前、右手にカレー専門店を発見したので車を停めてメニューを見ると、 ぼくと奈々子の大好物が沢山揃っていそうなので今日はここをランチタイムの場所に決めた。 ぼくはチキンカレー辛口を、ハンバーグ・チキンカツカレー盛り合わせ・ミニナポリタン付きを注文した奈々子は、子供みたいにはしゃぎながら嬉しそうに食べていた。
食事を終えてお腹一杯になったぼくと奈々子は、近くにある大きな公園の芝生の上に寝そべり、暖かい秋の日差しを浴びながらウトウトしていた。 ぼくも奈々子もお腹が一杯になると無口になるらしい。 手を伸ばせば届く、ぼくのすぐ隣には奈々子が瞳を閉じて気持ち良さそうに寝ている。 奈々子は今どんな夢を見ているのだろうか。 揺りかごの中で安らいでいるのか、それともぼくの腕の中で眠っているのか、きっとそうだと思う、そうであって欲しい。 ずっとこのままでいい、このまま世界が終わってしまっても構わない、奈々子と二人きり夢の中で永遠に過ごしていたい。 この世界にはぼくと奈々子だけが生きていれば良い。奈々子の他は何も要らない。
1時間くらい眠っていたのだろうか。 ぼくの隣には奈々子がまだ幸せそうな顔でぐっすりと寝ている。 この大きな公園には犬を連れた沢山の人が来ていて、犬を走らせたり一緒に戯れたりしている。
ふと気がつくと、斜め後ろに子犬を連れたおじいさんが腰掛けていた。 可愛くて毛並みの良い豆柴のようだった。 ぼくが子犬を珍しそうに眺めていると、そのおじいさんがニコニコしながら話し掛けてきた。
「うちの孫娘なんだよ、可愛いでしょ。」
「はい、とても毛並みが良くって・・・・・豆柴ですか。」
「うん、孫娘のナナ子。」
「あはっ、この子と同じ名前だ。」
「娘さんかね。」
「いえ、そうじゃないんですけど。豆柴みたいに可愛いですよ。」
「そうかね、娘さんを大切にしてやりなさいよ。」
「はあ・・・・・・・」
「あなたたちは近くに住んでるの。」
「いえ、都内なんですけど。」
「ほ〜、都内は空気が汚れてて大変でしょ。」
「そうですよね、まだスモッグの雲が出る所もあるし。」
「この辺りは空気は美味しいし、水は美味しいし、ナナ子も良い土地だって満足してるんだよ。」
「はあ。」
「私はね、この可愛いナナ子さえいれば幸せなんだよ。後は何にも必要ないんだ。」
「うん、よく分かりますよ。」
「私とナナ子はね、夢の中で一緒に生きているんだ。」
「まあ、こうして公園にいますけど・・・・・・・まあ、そうですよね。」
「ナナ子さえ生きていれば、この世界はなくても良いと思ってる。」
「ほんと、その通りだと思いますよ。」
「あなたも娘さんを幸せにしてあげなさいよ。それからね暗くならない内に帰るんだよ。」
「はい・・・・・・・」
ぼくの背中に何かが触れた。隣を見ると奈々子が目を覚まして背伸びをしている。
「こんにちは、奈々ちゃん。」
「また寝過ぎちゃった〜、今何時?。」
「3時くらい。」
「夢の中でおじさまと誰かがお話ししてた。」
「ああ、それは多分この・・・・・・・・・・・・」
後ろを振り向くと、おじいさんと子犬の姿はもう見当たらなかった。
「ついさっきまで子犬とおじいさんがいて話をしてたんだ。」
「ふ〜〜ん。」
「可愛い豆柴なんだけど、名前がナナ子なんだって。」
「その子犬は、実を言うと奈々子だったの。」
「まだ寝惚けてるんじゃない。」
「うん、眠い。」
「もう直に寒くなって来るからセーター着た方が良いよ。」
「うん。」
ぼくの言う通りにセーターを着た奈々子はまた横になってしまった。 今度はぼくの方に顔を向けて少し口を開いたままぐっすりと眠っている。 まるで無邪気な子犬の赤ちゃんみたいな格好をして。 どこから見ても可愛い妖精みたいだ。
でもあのおじいさんの言っていた事は、人間と子犬の違いはあっても気持ちは同じだ。 もう何も要らない、こうして奈々子と一緒にいられるのが至上の幸福なのだ。
奈々子が寝返りを打った。 少しスカートがめくれてしまったので直してあげた。しかしどこにも触れてはならない。 大きく括れた腰から真直ぐに伸びた背中まで総てが、手を触れる事の許されない妖精なのだから。
風が冷たくなって来たので奈々子を起こし、帰りのドライブに出るためエンジンをスタートさせた。 午前中のドライブはお喋りに夢中になっていて、あのCDを掛けるのをすっかり忘れていたのに気が付いた。 このCDを掛けなければ、二度と再び奈々子に逢えなくなるような気がする。
「ほら奈々ちゃん、お約束の曲これから聴けるよ。」
「あっ、持って来てくれたんだ〜。」
「今日はちょっと違うCDね、曲順が違うだけで中身は余り変わらないけど。」
「あ〜〜、この曲は〜〜〜。」
「ああ、これは、『We've Only Just Begun』。」
「素敵〜〜〜。」
「だよね。」
「また眠くなってきちゃった。」
「うん、寝ちゃいなよ。」
「じゃ、この曲が終わってから。」
「はあ・・・・・・・」
妖精を乗せていつもの駅前まで到着し、次の約束をしてから別れた。
ぼくは今、奈々子と共に夢の中にいる。
12月・・・・・・・・・・・・・今日はクリスマスイブ・・・・・・・奈々子と4回目のドライブの日。
奈々子の通う学校は午前中で終わるそうなので、午後1時前にいつもの駅前で待っていると20分ほど経ってから、 紺色のブレザーにタータンチェックのミニスカート、白いブラウスに赤い棒タイの制服が良く似合う女子高生奈々子が、ぼくが乗った車の方に白い息を吐きながら駆け足でやってきた。
「ごめんなさ〜〜い、前の電車滑り込みでアウトになっちゃった〜〜。」
「そんなに急がないで良いんだからさ、今度からは遅れても構わないからゆっくり来なよ。」
「でも奈々子は足の速いランナーだから盗塁しちゃうの、ウフッ。」
「急がば回れ、だよ。」
「えっ、ワンコが?」
「慌てる蟹は穴へ入れぬ、ってこと。」
「わかった〜、ランナーに出ると蟹みたいにして動くからだよね。」
「蟹の奈々ちゃんが慌てるから牽制球でタッチアウトになっちゃうんだよ。」
「やっぱ奈々子の祖先は足の遅い蟹さんだったんですね〜〜。」
「うん、蟹さんは栗と蜂と臼に助太刀を頼んで悪いお猿さんをやっつけないとね。」
「エ゛ッ???・・・・・・・」
今日はクリスマスなので、帰りが夜遅くになっても構わないと奈々子は言うので、予めお洒落なレストランを下調べしておいた。 でも予約は取っていないので、入れないレストランが多いかもしれない。 そこで、夕方の早い時間に滑り込みで入店してしまおうという作戦を立てた。 それまでは都内をのろのろとドライブしていれば良い。
「あのさ、明るい内は都内をグルグル回って時間潰しするんだけど、運が悪いとお洒落なレストランには入れなくなるかも知れないよ。」
「慌てる蟹は・・・・・・・・・・なんだっけ。」
「その通りです、蟹さん。」
「蟹の茹でたのって美味しいよね。」
「あ〜、その手もありだな。まず先に、お昼ご飯はハンバーガーにしようか。」
「大賛成〜〜〜。あっ・・・・・・・この曲なあに。」
「『Christmas Portrait』に入ってる『Have Yourself a Merry Little Christmas』だよ。古〜〜い映画のクリスマスソングらしいよ。」
「ふ〜ん、すごい素敵な曲〜〜、英語解らないけど、ウフッ。」
ハンバーガーを食べながら渋滞した道をのろのろ運転していると、奈々子が何かを見つけたらしく車を止めるように言った。 他の車も違法駐車しているので空いている場所に車を停めると、奈々子の指差す先には占いの館と看板に書いてあった。 奈々子に手を引っ張られて早足でその建物に向かい、狭いエレベーターに乗って5階で降りると、その階全体が占い専門の店舗になっているようだった。 ナントカ占いと書いてある部屋が多数あるのだが、奈々子はその中に3つほどある西洋占星術の部屋へ入りたかったらしい。 奈々子はどの部屋にするか迷っているみたいなので、ぼくはカバラ占星術を奨めてみた。
ドアを開くと照明を落とした薄暗い部屋の中に太い蝋燭が何十本も立てられ、左側には尖がり帽子に黒いマント姿の、 如何にもという出で立ちのおばあさんが、小さいテーブルを前にして厳かな雰囲気の中に一人座っていた。 その占い師はぼく達には一瞥もくれないので、テーブルの前に二つある椅子に構わず腰掛ける事にした。 それでもその占い師はタロットカードの様なものを並べながら、こちらには無関心を装っているみたいだったので、ぼくが少し苛立っていたら奈々子の方から先に声をかけてくれた。
「あのう、すみません、占って欲しいんですけど。」
しかし占い師のおばあさんは耳が遠いのかと疑いたくなるほど、冷ややかな目でカードを見つめながらぼく達には無視を極め込んでいた。 再び奈々子が話し掛けると・・・・・・・。
「あの、二人の事を占って貰いたいんですけど。」
少し間を置いて占い師のおばあさんはやっと重い口を開いた。
「私は真実しか言わないよ。それでもいいのかい。」
「はい、お願いします。」
「何が知りたい。」
「え〜と、二人の相性とか未来とか・・・・・・・」
「うん・・・・・・・・・・・・・」
占い師はカードを切り何枚かテーブルに並べ始めた。そして・・・・・・・・・・・・・
「貴方たちは星の動きに導かれている。貴方たち二人は生まれた時から運命によって出会う事が決められていた。生涯の伴侶となるのは貴方たち自身以外には存在しない。」
「えっ、つまり・・・・・・・相性抜群て意味なんですか。」
「そうだ。その他には如何なる者も存在し得ない。」
「え〜、善かった〜。あと未来とかは・・・・・・・。」
「他に聞きたい事はないか。」
「え〜と、別に〜、やっぱ二人の未来。」
「聞きたい事がなければ帰りなさい。」
「えっ、二人の未来は・・・・・・・・・・・・・」
「今日はお帰りなさい。」
「はあ・・・・・・・・・・」
仕方なく、ぼくと奈々子は重苦しい気分のままビルの外に出た。 そして車に乗り込んだあと、ぼくは待ち構えていた様に文句を言い始めた。
「あんなの、インチキ、インチキ。ほんと不愉快だよ。」
「ん〜〜、でも相性は抜群なんだって言ってたから。」
「あっちも商売だから良い事しか言わないのは当たり前だけどね。」
「え?、じゃあ相性良くないの。」
「そんなの占い師が決めるんじゃなくて、ぼく達が決める事だと思うよ。」
「そっかあ〜。」
しかし一つだけ気懸りだったのは、あの占い師のおばあさんは何故、見料を払おうとしたのに全く受け取る素振りもみせなかったのか。
ただひたすら帰れ帰れの一点張りで・・・・・・・・・・・・・。
5時頃、前々から狙いを付けていた高層ビル25階にある展望レストランに電話を掛けた所、運良く窓際の席が空いていると聞いたので早速予約を入れて席を確保した。 ぼくと奈々子は外の景色の見える高速エレベーターに乗って25階のレストランに入り、予約済みの窓際の席へ案内された。 そして二人とも同じ特上のクリスマス限定フレンチフルコースを注文した。 奈々子はこの様な高級レストランは初めてらしく、不安そうな顔付きをして押黙ったままだった。 フレンチのフルコースも初めての経験だと言うので、簡単なテーブルマナーを教えてあげた。 でも奈々子はさっきからずっと外を見ながらだんまりを続けている。
「奈々ちゃん、元気かな〜、大丈夫かな〜〜?。」
「うん・・・・・・・」
「どこか具合でも悪いんだったら言ってね。」
「うん、別に・・・・・・・」
「ナイフとフォーク使うのって面倒だよね、やっぱお箸の方が食べ易いし。」
「うん・・・・・・・」
暫くするとフルコース料理が次々と運ばれて来た。 しかし奈々子は依然として無口のまま、余り美味しそうな表情も見せずに黙々と料理を食べているだけだった。 ちょっと心配になったぼくは何か落ち着かず、本当は飲めないグラスワインを注文すると、奈々子もワインを飲んでみたいと言うのだった。 未成年者なので余計に心配の種が増えてしまったが、断る訳にもいかず作り笑顔で乾杯する事にした。
コース料理が全て終わり、デザートのケーキとコーヒーが出てくる頃には、二人とも既にグラスワインを2杯ずつ飲み干していた。 お腹もいっぱいになりアルコールで少し頬を赤らめた奈々子は、目の前には大好きな特大ケーキもあり、やっと緊張の解けた何時もの明るい表情を取り戻したようだ。 そしてケーキを頬張りながら、普段通りのお喋りな奈々子になってぼくに話し掛けてきた。
「あのね、占い師のおばあさんの言ってたことがすごい気になってたの。」
「何だよ、そんなんで憂鬱そうな顔してたんだ。あんなのいい加減なんだから関係ないって。」
「うん、でもまだ気になってる。」
「奈々ちゃんらしくないなあ〜、もう忘れて元気出しなよ。」
「うん、大丈夫だよ。」
「元気があれば何でも出来る、って言ってた人みたいにさ。」
「うん、元気出す。」
「奈々ちゃんはエースなんだからさ。」
「うん、そうだよ。」
余り会話が弾まないまま8時前にレストランを出て、30分ほどで奈々子を駅前まで送り届けてあげた。
でも一番気にしていたのはぼくの方だったのかも知れない。
1月・・・・・・・・・・・・・元旦・・・・・・・今日は朝早くから奈々子と明治神宮へ初詣に行く約束をしている。
8時、5回目のドライブをするために、いつもの駅まで奈々子を迎えに行った。
「おじさま〜、明けましておめでとうございま〜〜す。晴れ着持ってないからお洋服で来ちゃった。」
「奈々ちゃんはスカートの方が可愛いんだから、着物は要らないよ。」
「そっかな〜。」
「正月は車には余り乗らないから、空いてればいいけどなあ。」
「のんびり行こうぜ〜〜。」
「奈々ちゃん今日は元気そうだから安心したよ。」
「奈々子は毎日元気だよ。」
「そうだよね。」
「あっ、この曲何ていうの。」
「『Close To You』だよん。」
予想通り渋滞が激しい様なので、駐車できそうな場所に車を停め、後はブラブラと歩いて行く事にした。 奈々子は晴れ着を着た女性を見る度に振り返ってみたり頻りに辺りをキョロキョロとしている。 30分以上掛かってやっと明治神宮の入り口まで辿り着いた。 中は相当な混雑振りだったので、訳も分からずお賽銭だけ投げ入れて、早々に退散する事とした。 明治神宮の怒涛の如き人波から押し出される様に外へと出て来た時には、既に11時を回っていた。
「凄かったね。」
「あぜ〜ん、ぼ〜ぜ〜〜ん。」
「何かお願い事したの。」
「ヒ・ミ・ツ〜〜〜。」
「八百万の神々は奈々ちゃんを何時も護ってくれてるんだよ。」
「ふ〜ん、やっぱ白馬に乗った王子様はいるんだ〜。」
「ぼくが白い跳ね馬に乗ればそうなるんだけど。」
「おじさまが護ってくれるんだ〜。」
「あのポンコツ捨てて白い跳ね馬に乗ったら、白馬に乗ったおじさんに変身出来るんじゃない。」
「いっ??・・・・・・・」
都内は何処も彼処もギューギューの鮨詰め状態みたいなので、今日は郊外のドライブに切り替える事にした。 九十九里海岸の近くへ行けば多分この辺よりも暖かいかもしれない。
アクアラインは相変わらずガラガラだった。 徹夜でおせち料理を作っていたという奈々子はもちろん寝てしまっている。 あっという間に千葉に入ったので、海岸を目指してヨタヨタの駄馬に鞭打って走り続けた。 間もなく広大に拡がる海岸と水平線が見えてきた。 誰もいない砂浜を探して更に車を走らせると、海岸沿い一面に畑が続く場所があったのでその近くで一服することにした。
砂浜から少し離れた所に腰を下ろして、奈々子特製お節弁当を広げた。 太陽が眩しいポカポカとした天気で、暖かな潮風も吹いている気持ちのいい午後の海岸だ。
「おっ、すごい豪華なお節だなあ。食べきれるかな。」
「もうお腹ペコペコだ〜〜。」
「ウインナーの蛸がいっぱいいるね〜。」
「酢蛸とかクニャクニャしてて嫌いだからタコさんウインナーにしたの。」
「後ろの方に畑があるでしょ。」
「うん。」
「夜中になると蛸が上陸して来て、大根とかの野菜を盗んで行くんだってさ。」
「タコさんウインナーは悪い奴なんだ〜。」
「最近ね蛸の乱獲で世界中が不漁らしいよね。」
「じゃあ、やっぱ酢蛸はやめてタコさんウインナーにしないといけないよね。」
「ロブスターは鋏だけ取って放せばまた生えてくるらしいよ。」
「へ〜、トカゲの尻尾みたい。」
「蛸も足だけ切って放してやれば生えてくると思うんだけど。」
「でも8本足全部取っちゃったら生きて行けないと思うよ。」
「どして。」
「正解はお野菜を盗めなくなるからでした〜。」
「なるほどね〜。それ当たってるわ。」
ぼんやりと海を見ながらずっとここにいたかったけど、今日は初詣に時間を食い過ぎてしまったので、もうそろそろ東京に帰らなければならない。 奈々子はまた幸せそうな顔をして寝てしまっている。 蛸の夢でも見ているのだろうか。
だんだん日が翳って来たので奈々子を起こして東京方面に戻ることにした。 車を出すとまた直ぐに寝てしまった奈々子は今日、一体何をお願いしたのだろうか。 でも奈々子はいつ見ても幸せそうな顔をしている。 それはきっと神々がこの子を唯一無二の存在として認め、この愛くるしいお友達を蔭ながら見守っているからに違いない。 わざわざ願い事などするまでもなく、奈々子の言霊は天を超え宇宙の遥か彼方まで届けられている。 そしてこのぼくは神々の意思によって律せられている。 もしそうでなければ、神々の善き友人である奈々子の傍にいられる筈がない。 奈々子の意思とは即ち神々の意思でもあるのだ。 ぼくはその意思に対して従順且つ盲目的に従わなければならない。
都内に入ったところで、眠れる森の美女奈々子が背伸びしながら欠伸をしている。
「お目覚めですか、オーロラ姫。」
「うん、眠たい。」
「また寝惚け眼だねえ。」
「うん・・・・・・・」
「忘れてた事があるんだ。」
「なあに。」
「どーでもいいんだけど、ぼくの下の名前、言い忘れてたんだ。」
「あっ、そうだった。もしかしてタコウインナーさんとか、ウフッ。」
「あ〜、惜しいな。ぼくの名前は尊、日本武尊の尊と書いてタケルって読むんだ。」
「え〜、すごい〜、漫画みたい〜〜。」
「奈々ちゃんの苗字もまだ訊いてなかったよね。」
「奈々子の苗字はね〜〜〜・・・・・・・神前なの、神前奈々子です。素敵な名前でしょ、ウフッ。」
「はあ・・・・・・・」
奈々子の投じた魔球に空振りを喫してしまったが、なんとなく嬉しい様な気持ちになった。
2月・・・・・・・・・・・・・昨晩から降り始めた粉雪が積もり、朝方には30cm以上になっていた。
ここ何年か東京には殆ど雪が降らなかったのでまさかこんなに積もるとは考えもせず、朝慌ててチェーンを巻く作業を始めたのだが、 最近全然やってなくて何度も失敗したため時間を無駄にし、6回目のドライブは約束の時間より30分以上も遅れてしまった。
奈々子は駅前でひとりポツンと寒そうにして待っていた。
「奈々ちゃん、ごめんな〜、寒かっただろ。」
「神前君、廊下にバケツ持って立ってなさい。」
「先生、水道管が凍っててバケツに水が汲めません。」
「じゃ、校庭一周しなさい。」
「あっ、そうだ。今日は環7を一周しようか。」
「カンナナっつ〜と〜、神前奈々子の略かな。」
「ま、そんなもん。環状七号線な。」
「ふ〜〜ん。」
「この車は寒さに強いだけが取柄なんだよね。だからエンコはしないと思うけど。」
「あっ、これなあに〜?。」
「『I Believe You』・・・」
「雪にぴったり〜。」
「はあ・・・・・・・」
そういえば映画大好き少女の奈々子とまだ一度も映画館に行ってなかった。 今日は環七をグルグル回りながら映画館でも探してみようか。
「奈々ちゃんは映画どんなのが好きなの。」
「う〜ん、よく観るのはカンフーアクションとか〜スパイが出てくるのとか〜アニメとか〜、そんな感じ。」
「じゃあ、あんまりおセンチなのは好きじゃないんだ。」
「えっ、何センチメートル?」
「泣き出しちゃうような映画。」
「奈々子は血も涙もないソフトボールの鬼だから何観ても泣かないよ。」
「へ〜〜、それじゃ、そういう映画探しに行こうか。」
「でも、カーアクションとかないと詰まんなそう。」
「うん、右に同じく、だな〜。」
しかしぼくはテレビで映画を観るくらいのもので詳しくないし、特に最近の映画とか俳優はほとんど知らない。 封切りの映画でも全然面白くないものを見せてしまったら白けてしまいそうだ。
それにしてもさっきから前の方が詰っていて中々進まない。事故でもあったのだろうか。 まるで動きそうな気配がないので、環七廻りは止めにして脇道に入った。 巡り巡って20分ほどで繁華街に辿り着いたので、車から降りて歩きで映画館を探してみる事にした。
看板などを見ながらあちこちを適当に見て歩いているのだが、先程からキャーキャー言いながら必死になって雪団子を何個も投げ付けて来るピッチャーがいる。 追い掛けると逃げてしまい、後ろからそっと近づいてはぼくの背中の中に雪を入れてケラケラと笑っている、赤いマフラーの可愛い雪女がいる。 一刻も早くこの雪女を暖房の効いた映画館に連れ込んで融かさなければ、ぼくは雪男にされてしまう。
運良く左側の路地に眼を遣ると、フランス名画館と書かれた看板を発見した。 この際だからどこでも良いと思いその劇場の前に行ってみると、小さな雑居ビルの中にある小規模の映画館だと分かった。 客の出入りもなく、ビル内もかなり古くてお世辞にも清潔とはいえない映画館だったので、雪女奈々子に御伺いを立てた所、 中でお弁当のおにぎりが食べられそうなのでここで良いと決定した。
内容は『冒険者たち』『シベールの日曜日』『禁じられた遊び』の三本立てだった。 ぼくはどれも観た記憶がないし、当然奈々子も知らないと言った。 中に入るとやはり100人も入れないような所で、客も数えるほどしかいなかった。 ぼく達は左側の最後部席に陣取り、雪女奈々子は早速お弁当のおにぎりを出し始めた。 3本の内どの映画かは分からないが、タイトルが流れているので終りか始まりなのだろう。
1本目の映画は男女3人の冒険ものらしいので順番通りに始まったみたいだ。 奈々子は最初のうちだけおにぎりをぱくつきながら、海が綺麗だとか主役の女性が可愛いとか盛んに喋っていたが、 そのヒロインが死を遂げると急におとなしくなってしまい、ラストシーンの主役男性が銃で撃たれて死んで行くシーンになると明らかに鼻をすすり涙をポロポロ流していたみたいだ。
1本目が終りトイレから戻って来た奈々子は、何で主人公が二人とも死んでしまうのだとか噛み付いて来たが、ぼくにそんな事言われても困る。 2本目が始まるとやっと気持ちが落ち着いたようで、何も喋らずに食い入る様にスクリーンを見詰めている。 しかしラストシーンから終りにかけてはボロ泣きの上に鼻を頻りにかんでいた。 トイレから戻って来ると目を真っ赤に腫らして、なぜあの主人公の男性は警官に射殺されなければならないのかとか、 再びぼくに噛み付いて来たがそんな事言われても困る。 そして3本目はファーストシーンからチンチン鼻をかんで、手持ちのティッシュがなくなったのでぼくに売店まで買いに行かせ、 映画が終わるまでに計3回も売店にティッシュを買いに行かされた。 ラストシーン辺りからわんわん声を上げて泣き出した奈々子は、FINになってからもわんわん泣いて収拾がつかない状態だった。
30分位すると落ち着いたようなので、その映画館をやっと出られることになったのだが、自称ソフトボールの鬼は実をいうと涙脆い雪女だったみたいだ。
車で帰る途中もまだ興奮状態が続いている模様で・・・・・・・・・・
「だからヒロインが死んじゃって、主人公が悪い奴に撃たれて死んじゃって、すごく可哀想でしょ。 それから記憶喪失になって可哀想な主人公を警官が鉄砲で撃っちゃって、残された女の子がすごく可哀想でしょ。 十字架を抜いたくらいで小さい子供を叱るなんて、大人のする事じゃないでしょ。あの女の子がすごく可哀想でしょ。 どうしてそんなラストシーンにしなくちゃいけないの。」
「そんな事ぼくに言われてもなあ・・・・・・・・・・」
「もういい・・・・・・・もう口きいてあげないんだから。」
「あれれ・・・・・・・・・・・」
でもぼくはそんな純粋な奈々子の姿を見て、ますます離れられなくなってしまった。
3月・・・・・・・・・・・・・7回目のドライブはどこかで桜の木のある公園を探してお花見だ。
幸いな事に今日は4月中旬のような眩しい陽が降り注ぎ、南からの暖かな風が吹いている。 駅前にはバッグを肩に掛け、大きな袋を両手に抱えた奈々子が首を長くして待っている。 まだ都内では桜が満開になっていないので、温暖な南西方面の桜を目指して出発した。
「いいとこが見つかりゃあ良いけどなあ。」
「上野とかはまだ満開じゃないもんね。」
「あそこは徹夜して場所取りしないとダメなんじゃないの。」
「え〜、そうなの。」
「若い頃いた会社でやらされた事あるよ。」
「へ〜〜・・・・・・・あっ、これなあに。」
「『Yesterday Once More』だよ。」
「♪イエスタディ〜〜♪♪・・・」
「あれ、続きは・・・・・」
「知らないの。」
「そりゃ残念。」
2時間ほど行った所に、綺麗で大きな公園を見つけた。花見客は20組位いるみたいだけど、公園が大きいのでガランとした感じがする。 ここならのんびりと落ち着いて過ごせそうなので、奈々子と話し合って今日のお花見はここに決めた。 誰も場所を取っていない桜の木があったので、その下にビニールシートを敷いて楽しいお花見だ。 奈々子は座ると直ぐに、特製お花見弁当をシートの上に並べ始めている。
「今日のご馳走はまたすげえなあ??。」
「うん、5人分くらい作っちゃった。」
「最近、料理の腕が上がったんじゃない。」
「まあね朝飯前だよ・・・なんちゃって、ウフッ。」
「おっ、奈々ちゃんお得意のタコウインナー君もいるじゃん。」
「今日のタコさんウインナーはコンソメで茹蛸にしてみたの。」
「うん、さっぱりしてて美味いわ。」
「はい、あ〜んして。」
「ん、わさびの風味・・・・・蒲鉾だ。」
「足が10本のイカさん焼きかまぼこでした〜〜、はい、あ〜んして。」
「あっ、ハンペンにころも付けて揚げたんだ。中にチーズが入ってるね。」
「ヒトデ君ハンペン揚げでした〜、はい、あ〜ん。」
「えっ、何だろう、わかんないから降参。」
「残念でした〜、ジョーズ君さつま揚げ奈々子風でした〜、はい、あ〜ん。」
「もしかすると天ぷらだよね。」
「正解です、グミ入りクラゲ君野菜天ぷら奈々子風味でした〜、はい、あ〜ん。」
「あ〜、これも降参だな。」
「残念ですね〜、海ヘビ君パスタ納豆ケチャップ風味でした〜、はい、あ〜んして。」
美味しいのやら、ワケワカメやら、もう何十回も奈々子にあ?んさせられているのだが、ふと気がつくと 奈々子の後方から一升瓶を手にした初老の男性がフラフラしながら近寄って来るのが見えた。 そして・・・・・・・・・・
「すみません、お邪魔して良いですかな?。」
「ええ、構いませんよ。」
「いやあ、うちの家族は全員下戸でね、一滴も飲めないんですよ。お近付きの印によろしければ一杯。」
「あ?、ぼく達も全然アルコールは駄目なんですよ。」
「そうですか、それは残念ですなあ。」
「いえ、お付き合いできなくて申し訳ないです。」
「いやいやぁ〜、飲まないのが一番良いってのは自分自身でも分かってるんですよ。でも何かあるとそれに託けてついついねえ。 意志が弱いって云うんだか中毒って云うんだか、もうねえ酒の匂い嗅いだだけで人間性を捨てても良いと思っちゃうんだよなぁこれが。」
「体を壊さない程度だったら良いんじゃないですか。」
「それがねえ、もうね飲み始めたらザル、もうねウワバミになって最後は大トラだからね。もうねヤマタノオロチ状態、もうね手に負えない付ける薬がない状態。」
「はあ、それは大変ですね。」
「実を言うとね自分はね、若い頃は深酒をした事なんて全くないんだよ。もうね30年以上も前の話なんだけどね・・・・・・・・・・・」
「えっ、何があったんですか。」
「うん、他人様にお話しする筋合ではないんだけどね、うちの一番下の娘がね・・・・・・・・」
初老の男性は突然絶句してしまい、ぼくもどうして良いのか分からなかった。
「自分がね、迎えに行って上げさえすればあんな事にならずに済んだものを・・・・・・・だから早く帰って来いとあれほど言ったのに・・・・・・」
「はあ・・・・・」
「でも全部自分の責任なんだ、それで酒を飲んでる訳じゃないんだ・・・・・・」
「はい・・・・・・」
「全部お父さんが悪いんだよ、堪忍してくれ・・・・・なな子・・・・・・・・ウッウ〜〜〜・・・・・・」
何なんだこの男は、いきなり泣き出したりして。それよりも奈々子がびっくりしてるじゃないか、こっちこそ勘弁して欲しい。
「いや、すみませんでした、取り乱してしまって。今日はちょっと飲み過ぎたみたいでね、お邪魔でしょうから引き上げますので。 ああ、そうだ、貴方達も早く帰った方が良いよ。じゃ、失礼。」
初老の男性はそう言って、勝手に来て勝手に引き上げて行った。本当に失礼だと思う。
「奈々ちゃん、びっくりしたでしょ。」
「びっくりぃぃぃ〜〜・・・・・・・」
「とんでもないオヤジだよな。」
「でも何だか可哀想な気がする。」
「じゃなくて、可哀想な奴なんだよ。」
「う〜ん・・・・・・・」
それは束の間の休息に過ぎなかった。今度は中年の太ったおばさんが、のそりのそりと近付いて来る。 まさか清姫大蛇ではあるまいな。一難去ってまた一難か・・・・・・どこかに釣り鐘はないのか。
「こんにちは、とても良いお花見日和ですわね。」
「ええ、今日はいい天気になって良かったですよね。」
その中年の太った女性は、どっこいしょっと、とか言って勝手にビニールシートの上に座り込むのだった。
「まあ、可愛い娘さんね、高校に行ってらっしゃるのかしら。」
「はい、そうです。」
「こちらはお父様ですのね。お母様はご一緒じゃないのかしら。」
「おじさまなんです。お母さんは今お家にいます。」
「ああ、姪御さんなのね。」
「いえ、姪ではないんですけど。」
「えっ、どう云う事なの、貴方達どう云う関係なの。」
「あの、おじさまはお友達なんですけど。」
「友達ってあなたね、あなたのお父さんと同じ位年齢が離れてるでしょ。」
「父はいないんです。」
「あ〜、ピンと来ましたよ。そ〜だったのね。」
「えっ、そうだったって何がそうだったんですか。」
「貴方達の関係はどこまで進んでるの・・・・・・そっちの中年男、あんたはいたいけな少女の弱みに付け込んで未成年者の心と身体を玩んで何が楽しいのよ。」
「玩ぶって、何を自分勝手な想像してるんですか。」
「おじさまはそんな人じゃないんです。」
「貴女は黙ってなさい。こら中年男、どこで知り合った、出会い系か、金で釣ったのか。」
「中年のオバサンねえ・・・・・言うに事欠いて、何が金で釣るだ。いい加減にしてくれ。」
「何言ってんのよ、援交なら援交ってはっきり言いなさいよ。あんたどうせ変態なんでしょ。」
「知りもしないのに一体何のつもりなんだ、このババア。ぼくは兎も角、奈々子が可哀想だ。こんなに純真無垢な女の子は世界中探しても二人といないんだ、分かったかクソババア。」
「あんたねえ、警察に通報してやろうか。県条例を知らないのかい、少女を連れて歩くだけで犯罪なんだよ、この変態男。」
「やめて!!!〜〜〜〜〜・・・・・・・もうやめて下さい。酷い・・・・・・・・酷過ぎます・・・・・・・・・・・・・おじさまの事を・・・・・・・・・・・・何にも知らないくせに・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ごめんなさいね、貴女を責めてるんじゃないのよ。この変・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あっち行け!!!〜〜〜クソババア!!!!!〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・ごめんね、そんなに怒らないでね、私は悪気があって言ってるんじゃないから、貴女の事が心配なだけなのよ。」
「あっち行け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ごめんなさいね、貴女の涙を見てオバサン良く分かったわ。それからね、遅くならない内に帰ろうね。」
大蛇に変身する前の太った清姫オバサンは勝手に来て勝手に去って行った。
奈々子は帰りの車の中で一言も口を利いてくれなかった。今日は厄日だったのか。
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