「記憶にない同窓会」
青春時代の思い出は古い映画に似ている。 中年以降の汚れた思い出は惜しげもなく屑箱に捨ててしまうが、十八歳の輝かし い出来事は、誰もが立派な映画として心のスクリーンへ後生大事に上映し続けて いる。 それは灼熱の炎天下が続く、真夏のある日に起こった。私の家に突然、奇妙な一 通の葉書が送られてきたのだ。 その葉書には[平成十年度、幸せの会・同窓会]と書かれ、会員番号や同窓会の 場所と時間、参加料金が記されていた。 二十八歳の私はその「幸せの会」という宗教団体のような組織をまったく見聞き したことはなかった。それこそ寝耳に水であった。 当時の私は両親、特に厳格な父親へ激しく抗い、女版暴走族・レディースに入り、 集団暴走、他のグループとの抗争、援交に万引きなどと悪さばかりをしていた時期 だった。 高校にはほとんど通うことはなく、派手なイデタチに濃いメーク金髪で50CC の原チャリバイクに跨り、仲間内での集団暴走運転に興じていた。 だが区役所で働く父は真面目しか取り得がない男であった。 下駄のように大きな顔で決して笑わず、歯に衣きせぬ物言いで母や一人っ子の私 へいつも嫌味を言っていた。 だからそんな口煩い彼が、不良グループに入った私を許す訳がない。交通法違反 傷害事件で警察に補導されたときにも、父は私を執拗に殴り悪魔のような辛辣な言 葉を浴びせかけてきた。 「出て行け。警察のお世話になりやがって・・勘当だ」 もちろんそのころの私はそんな父へ猛烈に抗っていた。 「うるせー。こんな家、頼まれたって、いてやるか。出て行ってやるよー」 しかし私はある事件をきっかけに突然、人が変わったように温和しく真面目にな ったのである。 凛と背筋を伸ばし父親へ謝罪、少し時間はかかったが、高校もちゃんと卒業した。 そのことには父親より暴走族仲間が大袈裟に愕いていたようだ。 そして今の私は主人や五歳の一人娘がいるが、その忌まわしい過去を家族には話 したことはなかった。 また主人も清楚で上品になった私が、過去不良グループにいたとは夢にも考えて なかったはずである。 自分で言うのも恥ずかしいが、私は濡れ羽いろの豊かな黒髪に雪のような白い肌、 小顔でぱっちりとした目もと、おちょぼ口など癒し系の美貌の持ち主だ。 だから高校卒業後、地元の銀行に就職した私は、男性行員や若い男性客から人気 がありデートに誘われることも度々だった。 ところが私が選んだ結婚相手は、同じ銀行内の小肥で貧祖なばかりに頭髪の薄い 中年男であった。 銀縁眼鏡がテカテカと脂ぎっている。 どう贔屓目に見ても二枚目とは言えない。 実のとこ私は彼の意外な趣味に心引かれていた。 その中年男は異常なほどの単車好きで750ccのバイクに跨ると性格が変わった。 つまりスピード狂になり時速二百キロ近くのスピードで東京の街を疾走していた のだ。 私はバイクの後部座席に同乗、猛スピードにより全身が痺れるほどの快感を味わ った。 要するにこのダサい中年男と一緒にいると、私は暴走族時代の感覚が呼び起こさ れ、面妖に落ち着き結婚を決めたという訳だ。 彼こそ今の主人である。 このごろでも時々、育児ノイローゼの私は癇に障ると、昔の癖だろう。主人や娘 へ乱暴な言葉を吐いていた。 瞳には青白い殺気を漂わせ、怒鳴っていた。 「うっせーッ。あたいに逆らうんじゃねーよ」 可哀想にそのときの主人は私の罵声に驚嘆、ワナワナと身体を慄わせ、幼い娘も 戦慄から激しく泣きじゃくったものである。 兎に角、私はまったく身に覚えのない「幸せの会」が無性に気になり、その集ま りに顔を出してみようと思った。 当日、私はチューリップ帽を深めに被り、大きなトンボサングラスをかけると、 顔がわからぬような恰好でホテルへ入って行った。 風のない蒸し暑い日で、外では蝉が喧しく鳴いていた。 ホテル内は外の喧騒とは違い水を打ったように静まり返り、冷房でむしろ寒いく らいである。 ホテル一階の大広間を覗き込むと、高校生から中年、老人まで幅広い年代層の人 たち百人ほどがいた。 特に若い男女の姿が目立っている。 「駄目だわ。知っている人が一人もいないじゃないの」 私はとりあえずその会場に入り立食パーティーのバイキング料理に舌鼓を打ち、 隣の男女の話に聞き耳を立ててみた。 頬骨の出た顔にひしゃげた鼻の醜い中年男と浅黒い顔の若い女のカップルだ。 若い女は笑うと、あどけない顔つきになり、右の頬に笑くぼが生まれている。 それに口のききようや身ぶり仕草にこぼれるような愛嬌がある。 と、突然、彼女は赤いミニスカートを少し上げ、露になった太ももを男に見せて いる。 醜い男はピチピチとした若々しい太股を見てニヤリニヤリと嫌しく、せせら笑っ ている。 「先生、あのときの傷、まだ残ってるんですよ」 「ごめん、ごめん、残っちゃったんだ。できるだけ気をつけたのになあ」 私は若い女の太股に十センチほどのムカデの這うような傷が残っていることを見 逃さなかった。 なぜか傷を目にするや醜い男は気まずそうに目を背けている。 二人が怪しく不釣合いな関係であることは誰の目にも明らかであった。 それから私は不埒なアベックを怪訝そうに睨みつけ、考えを巡らした (先生? 学校の先公か? もしかして、こいつら、援交してたの? [幸せの会 ]って援交をやってた連中の集まり?ゲーッ、私も高校のとき、憶えあるからな。 や・・やばい。でも、待てよ。年配の人たちもいるわね。老人は援交しないでしょ う。やっぱり、この集まりは援交とは関係ないみたいだわね)
私は席を移すと、今度は鋭い眼差しを痩せた中年女性と強面の男に向けた。 男は天井を突きぬけるほどの巨体で顔の額には五センチほどの古傷があった。 筋肉質な肩を怒らせ歩いている。 いかにもヤクザっぽい四十男である。 男は中年女性を見るやいなや、地面に擦り付けんばかりに頭を垂れ彼女に挨拶し ていた。 度の強い眼鏡をかけた女は、目尻に魅力的な皺を寄せ、男に蔑むような冷笑を投 げかけている。 気の強そうな狐目の女だ。 「先生、あのときは本当にお世話になりました」 「ああ、あなた、あのときの? もう暴力団の抗争事件で血を見るのはゴメンだか らね」 そのとき私は全ての疑問が解け、瞳を輝せた。 (わかったわ。先生って弁護士のことなんだ。「幸せの会」って弁護士に世話になっ た犯罪者の集まりなのね。私もサツにパクられたときには弁護士に助けられたわ。 だから、私、今日、呼ばれたのね。くわばら、くわばら。知り合いの弁護士たちに 会う前に撤退した方がよさそうだな)と私は考えていた。 私は足早に出口へと向かった。 すると、高校生くらいの一人の少年が、突然私の前に立ちはだかり顔を穴の開く ほどにジロジロと覗き込んでくる。 顔中そばかすだらけで丸い黒ぶち眼鏡をかけた、いがぐり頭の少年である。 私もその少年の顔を怪訝そうに見つめると、記憶のページを捲っていった。 (誰だろう? この少年、見たことないわ。十年前として、彼は五、六歳くらいか ? うーん、それでも見覚えがないな。しっかし、こいつ意地悪そうな顔してるわ ね)と思った。 少年を無視、再び出口へ急いだ。 と、その少年は唐突に素っ頓狂な大声で、 「やっぱり、暴走族のおねえさんだ。また暴れ出すぞ」と喚きだした。 その言葉に場内の客たちの視線が一斉に私を捉え、どよめいた。 私は顔から火が出るほどの恥ずかしさに襲われ、思わず出口へ疾り出した。 次の瞬間、聞き覚えのある声が私の耳を慄わせた。 女性のかんと冴えた甲高い声音である。 「奈緒美さんでしょう? 」 私は知り合いの女弁護士だと思い「しまった。遅かったか」と呟き、恐々と足を 止め振り返った。 そこには背の低い小太りの中年女性が佇んでいた。狸のような眼に唇の歪んだ女 だ。 しかしまったく記憶にない女性である。 「看護婦の波多野よ。憶えてる? 憶えてる訳ないわよね。あなた、入院してると き、目、見えなかったんですものね」 十年前の春、暴走運転で交通事故を起こし、骨折や網膜剥離で幸福病院に入院し たことが私の胸に甦った。 彼女はそのとき私の担当で色々とお世話してくれた看護婦だった。 それにあの黒縁眼鏡の少年は、当時、小学校低学年で隣室に入院、私のことをよ く記憶していたのである。 また先ほどの二組の男女のカップルは医者と十年前にお世話になった患者であっ た。 私は波多野という看護婦と懐かしく会話するうち「幸せの会」の正体をようやく 理解した。 幸せの会」とはその幸福病院に入院、退院した人たちの親睦会であった。 むろん私も退院時に「幸せの会」へ入会、メンバーズ・カードも貰っていたが、 長い年月が経過、そのことをすっかり忘れていた。 今回のパーティーは病院数が増加する中、若い人たちにまた幸福病院を利用して もらおうと病院側が健康チェックも兼ね開催したものだった。 病院関係者が葉書に「幸せの会」としか書かなかったのは、若い人たちが病院だ と知ると参加しないという懸念からであった。 波多野看護婦は嬉しそうに目を細め、十年前の思い出を語り始めた。 「そう言えば、奈緒美さん、同じ病室の吉田のおばあさん、憶えてる? 」 「はい、もちろん」 十年前、入院していたとき骨折で身体が痛いうえ目が見えないこともあり、私は 看護婦や他の入院患者をつまらぬことで面罵、大暴れしていた。 しかし彼らが私を恐れるなか、同室の吉田のおばあさんだけはそんな私を嫌うこ となく諭すような口調で気楽に話しかけてくれた。 「お姉さん、今日は窓の桜が綺麗だよ。早く目、治さないと花、散っちゃうね」 「今日は桜の木にお客さんが来てるよ。黄緑のインコだ。綺麗だよ。お姉さんにも 見せたいわね」など言って、吉田のおばあさんは怪我で塞ぎこむ私を勇気づけてく れていた。 私も次第に心を開き、吉田のおばあさんと会話するようになっていった。 江戸っ子だという吉田のおばあさんは、鉄火な姉御肌であった。 だから私がバイクで事故して入院していると聞いたときも、怒って説教するどこ ろか「男も女も関係ない、若いころはそれくらいの元気があったほうがいいよ」と 言って励ましてくれたのである。 ただ私の記憶する限りでは同室でありながら、吉田のおばあさんを見舞う家族や 親戚は一人もいなかった。 私は一度だけおばあさんの家族について聞いてみた。ところが彼女は、私の質問 がかなり気に入らなかったらしく臍を曲げてしまった。 「一人息子がいるけど、嫁の尻にひかれた、どうしようもない子だよ。情けないね。 もう家族のことは聞かないでおくれ。ところで、お姉さんは、お父さんとは仲はい いのかい? 」 「いいえ。あんまり・・。父親、煩くって・・」 「そうかい。それは良くないね。あたしァ言えた義理ではないけど、お父さんはお 姉さんのことが可愛いからこそ口煩くしていると思うよ。退院したら、迷惑かけて 申し訳なかったと言って謝るんだよ。いいね。きっとお父さん、喜ぶから・・」 おばあさんは私の見舞いに母親だけが来て、父親が来ないことが気になっていた らしい。 私は吉田のおばあさんの言葉を神妙に聞くうち胸がいっぱいになった。 軽く頷くとあえて何も答えなかった。いや目頭が熱くなり、答えられなかったの だ。 そう言えば吉田のおばあさんは若いころの話を、度々、語ってくれた。青春時代 の彼女は数多の男に言い寄られ、かなり人気があったそうだ。 「お姉さんのお見舞いには男友達は来ないんだね。自慢じゃないけど、若いころの あたしァ、お姉さんよりずっとモテたもんだよ。あたしの顔見たさに家の前に長蛇 の列ができたものさ」 なんでも数年前に先立った、つれあいはおばあさんにプロポーズした男たちの中 で一番の色男だったらしい。 つれあいに告白されたとき、おばあさんは彼の顔を初めて見たようで、忽ち一目 惚れ申し出を快諾したということだ。 年は取っても凛とした佇まいで掛け値なしに美しい人だろうと私は勝手に想像、 目が治り、吉田のおばあさんの顔を見ることが楽しみであった。 しかしその望みは叶わなかった。 私のこの目が開く一週間前、おばあさんは突然に容態が悪くなり、亡くなってし まったのだ。 看護婦の話だと末期の肺癌だったらしい。 さすがにそのときは、おばあさんの一人息子と嫁が駆けつけたが、可哀そうに死 に目には会えなかった。 息子さんによると見栄っ張りの吉田のおばあさんは、弱っていく姿を見せたくな いとお見舞いを許さなかったということである。 吉田のおばあさんは私との会話の中、末期の肺癌であることをおくびにも出さな かった。 それどころか、おばあさんは病気の影響で顔がパンパンにむくんでしまってから も、病院のベランダへ出て象牙の吸い口に両切りの煙草いこいを立て、うまそうに 喫っていたそうだ。 むろん気丈な彼女は「痛い」とか「苦しい」の一言も弱音を吐なかったのである。 病室での別れのとき、私は冷たくなった、おばあさんの顔を手で触ってみた。 うりざね形の小顔に高く形のよい鼻、薄く上品な唇と瞠目するほどの美女であっ た。 私の予想通り老いているとは言え、彫りの深い日本人離れした美しさだ。 私は風のように喉を嗄らして泣いた。 「吉田のおばあさん、励ましてくれて、ありがとう。おばあさんの生き方、凄くカ ッコ良かったよ」 目が治ったとき、私が最初に見たかった物は窓から見える桜の木であった。 花は散っているだろうけど、吉田のおばあさんとの思い出に胸へ刻み込むつもり だった。 しかし窓から外を見たとき、私はぞっと髪が逆立つ思いで「う・・嘘でしょう」 と呟いた。 なんと、その窓からは隣のビルの薄汚れた白い壁しか見えなかったのである。 吉田のおばあさんは、自分が癌であるにも関わらず、ありもしない桜の木やイン コの話をして私を励ましてくれていたのだ。 退院後、吉田のおばあさんから「人を思いやる気持ち」を教えてもらった私は、 今までの暴走行為で多くの人に迷惑かけたことを反省、不良グループを脱退した。 そして家に帰ると、おばあさんとの約束通り、口煩い頑固な父親に如才ない笑顔 を向け、深く謝った。 「お父さん、今まで迷惑かけて、ごめんね」 「急にあらたまって・・どうしたんだ? 気持ち悪い奴だな。うん、うん、わかっ た。何より元気になって良かった」 毒気を失った父親は初め羽の萎えた孔雀のように大きな顔で俯き、私と目を合わ せようとはしなかった。 戸惑っているらしく落ち着きがなかった。 そのうち老いた瞳で微笑み口元を緩めると、目頭を熱くした。 私はそんな泪もろくなった父親を目にして胸が締め付けられるような衝撃を受けた。 (お父さん、知らない間に白髪が増えて小さくなったのね)と思っていた。 それから十年、私にとって吉田のおばあさんは、立派な映画として心の中で上映 し続けたい青春の思い出になっていたのである。 また吉田のおばあさんの思い出は不変ではない。 これからも彼女の映画は私の心のスクリーンに都合よく脚色、改竄され、素晴ら しい思い出として上映、輝き続けるだろう。 了
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