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作品名:待ち続ける女 作者:松田伎由

最終回   1
 失恋の思い出は写真のように不変ではない。
記憶の中、都合よく脚色され時には有りうべきもない素晴らしい恋愛ドラマに変わったりするものだ。
今から五年前、私は新宿の「ハイドレンジア」という喫茶店でウェートレスとしてバイトしていた。
靖国通りから少し奥まった所にあり、駐車場の完備された店だった。
軽食、ケーキなどをメニュー表に載せた普通の純喫茶で店内は二十人も坐るといっぱいになるほどに狭かった。
 マスターはこの喫茶店を十年以上経営しているらしく、映画「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルに似ており、本人もかなり 意識、鼻下にクラーク。ゲーブルそっくりの髭をたくわえていた。
 あの映画の影響からだろうか。彼はいつも葉巻を吹かせているため喫茶店内には焦げ臭い香りが漂っていた。
 だから煙草を吸わない私はいつもバイトしている最中、少し気分が悪くなったことをよく憶えている。
 この喫茶店も昔にはクラーク・ゲーブル似のマスターやケーキ目当ての若い女の客が多く、賑わっていたらしい。
 しかしこの頃ではスターバックスなどのように安く手軽なコーヒーチェーン店が急増、経営はかなり苦しく閑古鳥が鳴いていた。
 はっきり言って一見さんより常連客を相手に店を開けていたと言えるだろう。
 兎に角、私はこの喫茶店において心がキューンと痛くなるほどの切ない恋愛を目撃したのだ。
 初めて、今回の主人公である若い女がこの店に来たのは十一月末、夜の九時ぐらいだったと思う。
 女は小顔に潤んだ大きな瞳、細い鼻染に薄い唇の美貌の持ち主だった。
 背が高く手足が眩しいほどに長いため、背中を凛と張るとモデル顔負けの美しい容姿になった。
 その美しさを花に例えるなら大輪の牡丹というより妖艶な月下美人のようだ。
 映画好きの私が、往年の映画女優に例えるならオードリー・ヘップバーンと言った感じではないだろうか。
 彼女の白いワンピースを身に纏い、店に入って来ると、窓側の席に着きコーヒーを注文した。
 その時、店内には五人ほどの客がいたような記憶がある。
 彼女は人が店に入って来る度、出入り口のドアに熱い視線を送っていた。
 私は誰かと待ち合わせしているんだろうと思っていた。
 と、雲をつくような巨大な男が爆弾のような大きなバックを肩から提げ、青白い顔で疾り込んで来た。
 屈強な筋肉質の彼は、あくまで浅黒く精悍な顔貌で勢いよく歩く度に筋肉が軋んでいた。
 また、なぜか男は女の小さなビィトンのバックと一緒にパンパンに膨れた大きなバックを置き、いかにも女の荷物のように装っていた。
女は男を初めて見るようで暫くアングリと口を開け、見つめている。
ところが男の方は前々より知っているようで懐かしそうに眼を細め、表情をほころばせている。
女はカンと冴えた声で男はどちらかと言うと風の唸りのように嗄れた声である。
「お待たせ」
「あなた、テレクラの電話で話した人って? 」
「うん、やっぱり君だったんだ。昔と変わってないな。声ですぐにわかったよ」
「えッ、どこかで会ったことある? どこだっけ? 」
「思い出せないのか? 」
 男は女の隣に坐ると、窓先に何か見つけたらしく、顔に焦りの色を疾らせた。
「糞ッ、やばい」と男は囁くように呟いた。
と、彼は「ごめん」と唐突に謝ると、男は女の唇を強引に奪ってしまう。
あまりの突然のことに女は抗うことさえできない。
女は愕然と両目を見開き、金縛りになったように全く動けない。
彼女の唇からは微かに喘ぎ声がもれている。
女の胸の轟きは押し寄せる波のようであった。
二十歳になったばかりの私にとって、この光景はかなり刺激的で、思わず赤面してしまった。
私は早鐘のように心臓が高鳴り」、二人をまともに見ることもできない。
一方、マスターは「オーッ」と驚嘆の声をあげ、ニターッとイヤらしい笑みを顔に貼り付け接吻中の彼らに見惚れている。
と、黒スーツにサングラスの強面男、二人が突然、店に入って来た。
 背の高い浅黒い男と小肥りで背の低い色白の男である。
 凸凹コンビの彼らは絵に描いたような悪人の姿である。
 二人は誰かを捜しているようで、鷹のような餌を求めた鋭い視線で店内を見廻している。
 小肥りの男はトイレに誰か、隠れてないか、確かめているが、痩せた男の血走った視線は店隅の私を捉えていた。そしてギロリと目を剥き、彼は近づいて来た。
 接吻中の男は、強面の男たちの動きをじっと目だけで追っている。
私は戦慄からゴクリと生唾を飲み込んだ。
「今、ここに男が来なかったか? 」
「少し前にそちらの男性が入ってきました」
私は二人を見ることなく、接吻中の男を指差した。
背の高い男は私の指差す男を見て「チェッ」と舌打ちした。
「お熱いことだな・・やってられねえな。しかし、おかしいな。男がこの店に入ったと思ったんだけど・・勘違いか? オイ、行くぞ」
 強面の男たちが喫茶店を立ち去ったことを確かめると、筋肉質な男はやっとキスすることを止めた。
 と、女は初め頬を赤らめていたが、急に黒い怒りが込み上げてきたようで男の顔を激しくビンタし、語勢を強めた。
「何すんのよ。信じらんない」
 男は気まずそうに照れ笑いを浮かべた。
「悪い。悪い。君があまりに魅力的だから・・」
「あなた、女だったら誰でもいいんでしょう。皆にそんなことをする訳? 最低! 私を舐めないでよ」
「ゴメンな。怒こらせちゃったな。じゃあ、俺、先に出るから・・」
 と、女は黒目の勝った大きな瞳を哀しい色に染め、手の平を返したように真顔で哀願してきた。
「えーッ、も・・もう行っちゃうの。少しだけ話さない。あなた、前に私に会ったことがあるって言ってたわよね。私たち、どこで会ったのか教えてくれない」 
「そのうち思い出すさ」
「だから思い出せないから頼んでるんでしょう」
「悪いけど、俺、急いでるから先に出るよな」
「待って・・わかたわ。それじゃ私、明日も明後日もずっとここに同じ時間に待っているから来てよ。約束だからね」
「お前な。勝手に決めるなよ。その性格、昔と変わらないな。俺、忙しいから来れるか、わからないぞ。それでもいいのか? もう勝手にするといいさ」
 男はそう言うと、大きなバックを肩に担ぎ疾って店を後にした。
 女は暫くの間、男の後姿を目で追っていたが、彼の姿が闇の中に消えると、気の抜けたような表情で座り込んでしまった。
 彼女は記憶のアルバムを捲り男の姿を捜したが、結局、思い出せないでいた。
「わからない。あの人とどこで会ったのかしら? 」
  
それからの女はあの日の言葉通り、定休日の月曜を除いた毎日、夜九時になると店にやって来た。
決まってコーヒーを注文、あの男が現れるのを閉店になるまで待っていた。
雨の日も雪の日も関係なしで毎日である。
私もその頃は毎日のように夕方からバイトを入れていた。
だから私は嫌が上でも毎日、女と会い、その内、自然と彼女と話すようになった。
彼女は三枝静香という名前で二十一歳になる女子大生であった。
夜遅くなると、お客も少なくなるから私は安心して彼女と話すことができた。
というか、私はマスターからも「可哀想だから話し相手になってやれ」と指示を受けていたのである。
そしてあの男についても色々と聞くことができた。
「あの男の人とはどこで知り合ったの? 」
「うん、テレクラのバイトしているとき電話がかかってきたのよ。話してるうちに歳も同じなら出身も九州の福岡市で一緒だとわかったのよ」
「へー、同郷なんだ・・」
「うん、不思議なことに、あの人、私の血液型、誕生日、それに好きな花が水仙の花だということまで言い当てたのよ」
「ふーん、幼友達かな? それとも小学校か中学校の同級生? 」
「私もそう思ったの。普通、テレクラのバイトでは長く電話をかけさせることが目的だから電話相手とは会ってはいけない決まりなの」
「でも、静香さんはこの喫茶店で会ってしまった」
「そうなの。どうしても気になってね・・でも、彼の顔、過去に見たことがあるような。ないような。はっきりと思い出せないのよ」
「どっちにしても、子供の頃に出会ってるのなら、今じゃ随分と変わっている可能性があるわね」
「そうね・・。ところで、あの人、どうして、この喫茶店を待合場所として指定したのかな? 」
「もしかすると、常連さんかもしれないわね」
私は静香と共にカウンター内のマスターに期待溢れる視線を浴びせると、疑問を口にした。
「マスター、先日の男の人、知ってます? ここの常連だったりするんですか? 」
 しかしマスターは眉間に深い皺を寄せ記憶の欠片を集めてみるが、思い出せないようだ。
 彼は答えに窮した。
「うーん、知らないな。申し訳ない」
 静香は体の空気が萎むほどにうなだれてしまった。
 私は暫く黙考、慰めの言葉を捜した。
「静香さん、彼のこと、好きなのかな? 」
「どうなんだろう? 自分でもはっきりわからないのよ」
「きっと、彼、来るわよ」
「ほんとに? 来るといいけど・・」
 静香の顔に一瞬、悦びの笑顔が戻っていた。
 私はその時、人が異性を好きになるのに一秒とかからない。恋愛のほとんどが一目惚れであるという寺山修司の言葉が胸底に甦ってきた。
 静香が過去に例の男に会ったことがあるか? ないか? はわからないが、彼女は、あの日、男に会って一目惚れしてしまったのだろうと思っていた。
 それにしてもあの男はどうして、常連でもないこの喫茶店で待ち合わせしたのだろう? それになぜ、自分の名前や静香とどこで会ったか、彼女に教えないのだろう? それに大きなバックに強面の男たち・・あの男は何者なんだろう? 私は次から次に新しい疑問が頭の中に生まれ、色々と考えを巡らした。
 静香は男を待っている間、カウンターに飾られた一輪の水仙の花を懐かしそうに眺めて呟いた。
 水の入った牛乳瓶に挿された黄色の水仙の花である。
「もう水仙の季節になったのね・・」
それから半月近く、静香が待っているにも関わらず、男が現れることはなかった。

そして年の瀬の十二月二十四日、くしくもクリスマスイブの夜、神がもたらしてくれたのだろうか? ついに奇跡が起こった。
その日は朝から今にも泣き出しそうな厚く黒い雲に覆われていたが、夜になり小雪がチラつき始めた。
外では赤や青、緑のクリスマスイルミネーションの光が、黒く塗りつぶされた闇に溶けていた。
新宿駅からはイルミネーションの光の洪水が押し寄せてきている。
静香は窓側のいつもの席で相変わらず男が現れるのを待っている。
その窓からは駐車場に入ってくる車を見ることができた。
と、静香が突然、立ち上がると、素っ頓狂な声をあげた。
「嘘・・あの人が来た・・」
彼女の言葉に促されるように私とマスターは駐車場の見える窓側へ即座に移動した。
確かに車からあの男が降り立っていた。
雲をつくような筋肉質の巨体にスポーツ刈りの巨顔、それに浅黒い端整な顔立ち、間違いなく静香の待ち続けた男である。
目を凝らして見ると、車の運転席に顔はよく見えないが若い女の姿がある。
店に入って来た男は能面のように無表情な顔で彼女の坐る窓側の席に着いた。
静香は驚嘆と悦びに顔をクシャクシャに歪めている。
私とマスターは静香たちから少し離れた所で心配そうに彼らを見守っている。
静香は血が出るような切ない声で感謝の言葉を口にした。
ところが男は静香と目を合わせることなく衝撃的な内容を告白した。
「来てくれたのね。嬉しい。ありがとう」
「もう俺のことを待たないでくれないか。迷惑なんだよ」
「えッ、ど・・どうして? 」
「俺、外で待っている女と結婚して海外で暮らすんだ。当分、帰って来ないつもりだ。もう俺のことは忘れてくれ」
 静香は体の空気を吐きつくすほどの深い溜息をつき、全く力が入らなくなった。
 その内、あまりの衝撃と哀しみから一瞬、気がスッと遠くなった。
「わかったわ。でも最後に、あなたの名前は何というの? 前にどこで会ってるの? それだけでいいから教えて・・」
「頼むからそのことも聞かないでくれ。じゃあ幸せになってくれよな。遠くの空から祈ってるよ」
 男はそう告げると、席を立ち、店を出て行った。
しかし今から結婚すると言う割りには不思議と彼の後姿には哀愁が漂っている。
聞き耳を立てていた私は、やはり、やり場のない怒りに襲われていた。そして気がついたら、男を追い、店を出ていた。
「あなたね。彼女、静香さん、あなたをずっと待ってたのよ。今の言葉、あまりに彼女に失礼じゃない。ねー、何とか言ってよ」
次の瞬間、男が車の女に話しかけた言葉を聞き、私はあまりの衝撃に目を瞠った。
自分の耳を疑い、思わず腰を抜かしそうになったのだ。
「婦警さん、ありがとう御座いました。用件は終わりました」
「そう、じゃあ署に戻るわよ」
「はい。宜しくお願いします」
 実を言うと、男は数人の仲間と共にヤクザ金融の闇会社の金庫から金を盗む犯罪を繰り返していた。
 あの日も男は仲間から金の詰まったバックを受け取ると、近くのこの喫茶店に逃げ込んでいた。
 もちろんこの喫茶店は前もって調べており、逃げ込むことを決めていたようだ。
 そこで彼は追ってきた闇金融の関係者に怪しまれないよう再会した静香を利用したのだ。
 しかしその後も静香が言った通りに喫茶店で自分を待ち続けていることを知り、彼は深い感銘を受けていた。
 そして葬ったはずの純粋な子供の頃の記憶が甦ってきたのだろう。
 男は今までの生き方を後悔、警察に自首して過去の全ての犯罪や仲間の名前を告白、婦警へ静香に会いに行ってくれるよう頼んでいたのである。
 と、男は車で立ち去る間際、一冊の古いボロボロのノートを私に手渡すと、ぺこりと神妙に頭を下げてきた。
その薄汚れたノートはB5版の日記帳で表紙に色鉛筆で白い水仙の花が描かれていた。
「これ、彼女に渡してください。これを見ると、静香さん、俺が誰か、思い出すと思いますよ。でも、ここで見聞きしたことは、みっともないから彼女に絶対に言わないでください。お願いします」
男は婦警の運転する車でその場を後にした。
私が喫茶店の窓を見ると、静香が立ち上がり、車に向って手を振っている。
その顔には微笑をたたえている。
店に戻った私は、早速、先ほどの古いノートを彼女に手渡した。
と、そのノートを見た瞬間、静香はノートが濡れるほどに声を殺して泣き始めた。
開かれたノートには白い水仙の花が押し花にされていた。
彼女は口惜しさにギュッと奥歯を噛み締めている。
「これ、私が小学校の時、転校して行く橘和也くんに渡したものだわ。そうか、あの人、あのときの和也くんだったのね。馬鹿だわ。どうして思い出せなかったんだろう。で・・でも、彼、奥さんと海外で幸せになれるのよね? 」
「そうよ。静香さんも負けないように幸せにならないといけないわよ」
「うん・・」
静香は黒目の勝った大きな瞳にいっぱいの泪を溜めながら頷いた。
私は外で見聞きした和也という男の素性を静香には絶対に話さなかった。
また今後も友達になった彼女にこのことを話すつもりはない。
それは彼と約束したからではなかった。
静香がいつか、この失恋を心に残るような素晴らしい恋愛に変えることができると思ったからだった・・。

                                                        了



























































































































































































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