20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:死体が消えた葬式 作者:松田伎由

最終回   1
僕は葬式屋でバイトを始め実に面妖な体験をした。
 なんと葬式の最中に棺桶の中の死体が、突然消えてしまったのだ。
 僕は大学の夏休みを利用、アルバイトニュースで見つけた葬式屋で働いた。
 不景気な時代に時給五千円という目を瞠るほどの高額な自給に魅せられて、早速応募した。
 幸いなことに葬式屋は人気のないことから応募数が少なく、すぐに採用が決まった。
 しかし仕事はほとんどなく事務所で待機することが多かった。
 小肥りの社長は怠惰な中年に見え、薄い頭髪が貧相で度の強い眼鏡も脂ぎっている。
 その社長も毎日、鼾をかき居眠りばかりをしていた。
(この葬式屋、大丈夫か? 倒産するんじゃないのか)とバイトの僕が心配するほどの閑暇さである。
 その葬式屋には僕以外に経理の中年女と三人の社員がいたが、仕事の依頼があった時だけ、社長が連絡、社員が集まってくるらしい。
 人差し指で鼻穴から大きな鼻糞を穿ると、その鼻糞を遠くに飛ばし、僕は唸るように呟いた。
「暇だな。でも葬式屋が暇なのは人が死なないということだから平和ってことじゃないか。じゃあ、いいことじゃん」
 そんな時、葬式の依頼があり、突然社長の動きが敏捷になった。
 タウンエースに必要な道具を積み込み、僕も車へ強引に押し込まれた。
 葬式は郊外の閑静な住宅街、マンション街の一角のお寺で行われた。
 その寺はうっそうとした深い森で覆われ油蝉がかまびすしく鳴いていた。
 僕は他の三人と共に社長の命令通りに通夜と葬式に向け、祭壇の飾りつけを行った。
 祭壇の中央には今日の主役の遺影が置かれた。
 白髪の短い髪に深く老皺、下駄のように大きな顔貌、強情そうな鷲鼻、能面のような一重瞼の老人だ。
 入り口には「平野茂蔵・葬儀場」という看板が取り付けられた。
 夕方、16時過ぎに棺桶が到着、僕は他の社員と一緒に車から棺桶を祭壇前へと運んだ。
 と、意外と棺桶が重いことに僕は愕いた。
どっしりとした荷重が手の平に伝わってきた。
「おじいさん、痩せた顔の割りには太ってんだな」と僕は苦痛に顔を歪め病んだ獣ように呻いた。
 棺桶は祭壇にくっつけるような形で置かれた。
 僕は棺桶の小窓からホトケの顔をマジマジと見つめる。
遺影通りに土気色に変色したエラの張った下駄のように顔の大きい老人である。
 むしろ写真より痩せているように見える。
 しかし不思議なことはこのことだけではなかった。
 間もなく老人の家族と思われる老女や若い女が現れたが、何か変である。
 白髪混じりの老女は夫を亡くした衝撃に沈憂な表情を貼り付けていると思いきや、満面の笑顔で葬式屋の社長と談笑している。
 狸のような目をした三十過ぎの娘も同じだ。
 唇を歪ませ意地悪く笑い、父親が死んだことを哀しんでいる様子はまったくない。
 むしろ父親が死んだことが楽しそうだ。
(このおじいさん、あまり家族に愛されてなかったようだな)と僕は老人を可哀想に思い、哀れむ視線で遺影を見つめた。
また葬式に来た参列者も何か、様子がおかしい。
老人を偲ぶにしては同年代の人は少なく、若い男女ばかりであった。
それに身内の老女たち同様、祭壇に合掌はするが、赤の他人の葬式のようで形式的である。
心が篭ってなく、泪を流す人は誰一人いない。
棺桶を覗いた時にも、身内や参列者はうっすらと微笑を浮かべていることも腑に落ちない。
もっと驚愕したことは受付で記帳した参列者の香典袋が分厚いことだ。
少なくとも百万円は包んでいたようだ。
それにその参列者の数も半端ではなく、三百人以上が押しかけて来ている。
僕は遺影の老人を見つめ記憶のアルバムを捲っていき、社員の一人へ疑問を口にした。
 男は分厚い眼鏡を光らせ、怪物のように長い顎を触り、遺影に目を向けた。
「あのホトケ、会社の社長だったり、経済界の大物だったり、昔有名だった芸能人だったりするんですか?」
「普通のサラリーマンだと聞いているけど、どうして?」
「いや、参列者がかなり多いから・・」
「そう。普通じゃない。気にしなくていいよ」
 その社員の顔色一つ変えない淡々とした答えに僕は少しだけ安心した。
 気の遠くなるほど退屈な住職の読経の後、参列者は祭壇前に用意された食事や酒に舌鼓を打った。
 通夜も後半、夜も更けた時、僕はもっと愕く光景を目にした。
 参列者の一人、中年男が酔っ払い、棺桶に手をかけた時、何も入ってないかのように棺桶が意図も簡単に動いたのだ。
 僕は動いた棺桶を元に戻そうと、突然疾り出した。
 と、あの社長が小肥りの体で僕より先に棺桶に疾り寄り、棺桶を元の位置に戻した。
 怠惰な中年男とは思えぬような鋭敏な動きである。
 僕が棺桶を触ろうとした時、社長は僕の手を払い睨みつけた。
 その時の彼の目には明らかに青白い殺気が漂っていた。
 僕はその場を立ち去る時、一瞬棺桶の小窓から中を覗きこんだ。
 すると、やはり棺桶の中に何も入ってない。死体がなくなっている。
(どうしてなんだ? さっきは間違いなくあった死体が消えている)と僕は顔面蒼白になり、生唾をゴクリと呑み込み悩んでいた。
 僕は暫く呆然と佇むと、社長に疑惑の視線を送る。
しかし彼は何事もなかったように涼しい顔で参列者に香典のお返し袋を渡している。
 次の瞬間、僕は信じられない物を目にして、戦慄のあまり体が硬直、唇が慄えた。
 お寺の奥に繋がる廊下に僕は遺影の老人が歩く姿を見たのだ。
 白髪の短い髪に頬骨の張った顔の大きな老人だ。
 間違いなく今日の主役、ホトケの老人である。
「う・・嘘だろう」
 僕は激しく狼狽、血の気を失い、幽霊の老人の後を追った。
 だが曲がった廊下の途中で僕は彼の姿を見失った。というより老人の姿は消えていたのだ。
 僕は恐怖から一瞬スッと気が遠くなり、奥歯がガタガタと鳴った。
「マジかよ。幽霊かよ。頭が変になりそうだ」
 翌日の昼、葬儀も問題なく進行、身内の挨拶も終わり、出棺の時を迎えた。
 僕は会社の人たちと棺桶を車へと運ぶことになった。
 棺桶を抱え上げた時、僕は思わず息を呑んだ。
 僕は空の棺桶だから軽いと思っていたが、最初、運んだ時と同じくらいに重くなっている。
 いやそれ以上に重くなっているかもしれない。
 それに棺桶の中ではガタガタという妙な音も聞こえてくる。
(嘘だろう。重くなっている。それにこの音、何の音だろう。死体ではないぞ)
 棺桶を乗せた車は焼き場へと出発した。
 しかし僕はその場に佇み、押し殺した感情が頭の中に充満、ガンガンと脈打っていた。
 と、あの小肥の社長が脂っぽい眼鏡を外し、溢れる汗を白いハンカチでせわしく拭きながら僕に近づいてきた。
「どうした。若いの? 疲れたか?」
「社長、昨夜、棺桶は空だったんですよ。でも今は重かった。それに僕、幽霊を見たんです。あの遺影の老人の幽霊を間違いなく見ました」
「なんだ・・そんなことか? 今日のは生前葬、死体の老人、時たま棺桶を抜け出して、トイレ行ったり、腹ごしらえしてるんだよ。だって生きてるんだから、しょうがないだろう」
 僕は彼の説明に身内や参列者がさほど哀しんでないことなど、いくつかの疑問は晴れた。
 しかし大金の香典袋など多くの疑問点が納得行かず、闇は深まっていったのだ。
 その直後、僕は社長から何の説明もされることなくクビを言い渡された。
 だが一日の葬儀で十万円という破格のバイト料を貰ったため、不満を口にすることはなかった。
 むしろ不可解な葬式などを記憶の闇に葬り去ってしまった。
 
 ところがそれから数ヵ月後の冬の近づいた、ある日、あの葬儀社の社長から、また突然連絡があった。
 何でも猫の手を借りたいほどに忙しいので一度だけ手伝ってほしいということだ。
 僕は一日で十万円のバイト料に目が眩み、二つ返事でオーケーした。
 その葬式は山奥の田舎、森閑としたお寺でしめやかに行われていた。
 今度のホトケは深く老獪な皺が顔に刻み込まれた老女だ。
 案の定、家族や参列者は哀しみに暮れることなく久々に会った人たちとの談笑に花を咲かせていた。
 また通夜の際、棺桶を運ぶ時には前回同様、かなりの重量があった。
 棺桶が祭壇の前に置かれている時、僕は気をつけて棺桶の小窓から中を覗いてみたが、今回は老女の死体が消えることはなかった。
 ただ前回、老人の葬儀の時と同じ顔ぶれの参列者が数十人、来ていることを僕は見逃さなかった。
(あの老人と今回の老女は親戚か? 実に奇妙だ)と僕は考え、首を捻った。
 それに香典袋は相変わらず分厚く、数百万は包まれているようだ。
 
葬式も無事に終了、出棺の時が来た。
 僕は他の社員と共に棺桶を持った。
 と、ズシリと強烈な荷重が手の平に伝わってきた。
 中では棺桶が移動する度にまたガタッガタと物がぶつかり合うような妙な音がして僕の耳に突き刺さってくる。
(違う。生きてようと死んでようと、中身は人間の体ではない。もう我慢も限界だ。確かめてやる)と僕は思い、心を決めた。
 僕はワザと棺桶の手を放した。
 棺桶が斜めに倒れると、蓋が勢いよく外れた。
 と、死体は入ってなく、百万円の札束が次々と数多く溢れ出てきた。
 合計、数億はありそうだ。
 焦りの色を疾らせた社長は素早く近づくと、汗びっしょりになり、こぼれ落ちた札束を棺桶に戻している。
 そして、しどろもどろになって僕を激しく叱咤した。
「何やってんだ。どん臭え野郎だな」
 参列者は動揺、香典のお返し袋を抱え一斉に逃げ出した。
 騒然とした喧騒の中、参列者はあまりの慌てぶりに転倒、香典のお返し袋からはビニールの袋に詰められた白い粉が飛び出してくる。
(なんで砂糖の袋がここにあるんだ? いや待てよ。これは砂糖ではなくってテレビドラマで目にする麻薬の袋だ。間違いない)  と、僕は一瞬で全てを理解した。
 僕はあまりの衝撃に心臓が早鐘のように高鳴っていた。
 と、突然、数十人の男たちが、僕たちの前に飛び出してくる。
 黒い喪服に身を包んだ男たちだ。 
 その中の一人、雲をつくような巨大な身体に角刈りの巨顔の乗った男が出入り口前に立ちはだかかった。
 筋肉隆々の肩の張った中年男である。
 そして彼は犬の吠声のように怒号を発した。
「警察だ。麻薬取締り違反で全員、逮捕する」
 瞬く間に私服、制服警官、百人近くに取り囲まれた。
 参列者や葬儀関係者は逃げ惑うが、次から次へと警察の手によって捕まってしまう。
 もちろん僕も葬儀関係者の一人ということで言い訳もできず、強引に近くの所轄署へと連行された。
 
 僕は取締室で刑事から葬式屋の企みを全て聞かされた。
 何でも、この葬式は麻薬密売組織の隠れ蓑であった。
 全ての参列者は麻薬を買いたい客で、香典袋の札束は取引の金だった。
 参列者の持ち帰る、香典のお返し袋には麻薬が入っていた。
 持ち込まれた棺桶には麻薬が積まれており、出棺の棺桶には取引の札束が積み込まれていた。
 だから祭壇前の棺桶は麻薬が取り出された後、遺影の老人がホトケとして入っていたのだ。
 しかしその老人が生理現象など何かの理由で棺桶を抜け出すと、棺桶はもぬけの殻となってしまった。
 むろん遺影の老人は実際死んでいる訳ではなく、ホームレスの年老いた男女を利用、葬式の最中、何か不都合な事が起こった時には、ホトケに葬儀場を彷徨わせ、誤魔化すように企んでいた。
 それにしても、僕は棺桶が葬儀場に入った時、祭壇の前の棺桶から麻薬を取り出すとこも札束を詰め込むところも見たことはなかった。
 一体、彼らはどうやって麻薬を取り出し、金を詰め込んだのだろう? 僕の心には新たな疑問が黒い雲のように一瞬で広がった。
 だがこの問題も棺桶の作りを刑事から教えてもらい、すぐに解決した。
 棺桶の脇が人が通れるほどの小さなドアがついていた。
 だから祭壇に潜り込んだ社員の一人が棺桶脇小さなのドアを開け、秘密時に麻薬を取り出し、札束を詰め込んでいたのだ。
 警察の麻薬取り締まり官たちは内部密告により、極秘に調査を重ねた結果、事実を確認、今回の一斉摘発に踏み切っていた。
 僕は葬儀屋のアルバイト、詳しいことは知らないことが明らかになり、ようやく真夜中になり解放された。
 殺伐とした夜気が漂っているなか、僕は梅雨時のような憂鬱な気分で家路に着いた。
 精神的に疲れているのだろう。僕は何をするにも億劫になっていたのだった。
 その時、僕はバイト代を貰ってないことが脳裏を過ぎり、突然立ち止まり、腑抜けた声をあげた。
「しまった。バイト代貰ってねえや。あの棺桶の札束、少し、失敬しとけばよかった」
 僕は身体がしぼむほどの溜息とともに頭を下げた。
 と、今にも泣き出しそうなドンヨリとした真っ黒な雲から小雪が舞い降りてきた。
 初雪である。
 その雪は、傷ついた僕の心に痛いくらいに沁みこんでいった・・。

                                                      了











 






















 


















 


















 











■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 2208