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作品名:夜明け 作者:キョウ

第30回   t黎明4
「んっ・・はぁ」
 男女の唇が離れるとき、糸のようなものが垂れた。
「悪いわね、紅葉」
 自分の体だの主へ軽く謝罪をすると、そっと体を話した。
 世界を照らす月はすでに限界を超えていた。まだ光を出してはいるが、自身の重さに耐え切れずに落下を始めていた。
「さあ色君。私は満足したし、あなたも満足したでしょう?だからもう帰りなさい」
 この世界を形作っているのは間違いなく絆だ。しかしこの世界に色を与えているのは間違いなく色自身だった。彼がこの世界にやってきたときにはすでに兄の存在を忘れていた。正確には忘れることに成功していたのだ。それゆえにこの世界は兄である彩人が生きていたころに匹敵する心を色は所持していた。だからこの世界は今まで色を失うことなく存在していた。色彩を得ていた。
 世界のもう一人の神様を無理やり追い出すことはできない。
 だが絆の思っていた通り、彼は「イヤダ」と無表情のまま淡々と拒絶した。
 熱を持った人形のように、機械を目指した人間のように。
「わがまま言わないで。あなたはこんな場所にいちゃいけないの。今までとは違うのよ、もうここは永遠に遊んでいられる場所じゃなくなった。お兄さんのことを忘れ続けられる場所でもなくなった。それはもう私の体が限界だから。わかるでしょう?もうすぐしたら私は死ぬのよ」
「死のう」
 彼らは三日前くらいからだが、私はもう何日もの間こんなことを繰り返している。これが原因で私の頭はすでにオーバーヒートしていた。体は心を支えることを放棄しようとしていた。
 私は最後の最後で私を信用してくれた人間に嘘をついた。私を絶望の淵に追いやった人間のように、私は他人を裏切った。
きっと咲夜は泣くわね。
 私を恨むかもしれない、それどころかいつしか私のことを完全に忘れる日がきっとやってくるだろう。しかしそれを引き換えに帰すべき者が今目の前に存在している。
「死ぬなんて言わないで。帰ったらみんなでお墓参りに行くんでしょう?だから私はあなたを殺すことはできない」
 今、ここで無理やりにでも彼を引き剥がし、現実世界に戻したら彼は間違いなく廃人と化す。パソコン同士を連結させているような状況で無理やり引き剥がすような行為は決してできはしない。彼にはまだ未来が待っているのだから。
「やだ」
「何度も言わせないで。“私にはあなたを殺すことはできない”のよ」
 自分の言った言葉に思わず息を呑んでしまった。なんていうことだろうか、こんな状況になってようやく冬至の言っていたことがわかった。
 冬至も望んでいたのだ。私が生き残り、幸福を手に入れるその日を。だからあの日にあんな光景を私にみせた。まだ私にもあんな幸福な時間を得る権利があるのだと主張してくれたのに、私はどうして拒絶してしまったんだろう?
 普通じゃなくなったから普通に憧れを持ってしまった私だけど、冬至は一体どうなのだろう?
普通のなくしたということは、普通を持っていたということになる。けれど、元から普通じゃない人間はどうやって生きていたのだろうか?
本人の意思とは無関係の所で勝手に疎外されるのはどういうことだろう?物心ついたときから仲間が誰一人としていないのは一体どんな気持ちだろう?
私にはわからない。
ただ一つわかることがある。自ら進んで枠から外れることは決してやってはいけない。例えそう望んだとしても、人間である以上こちら側にはきてほしくない・・・そう思う。
だからまだ“殺せない”。
(・・・そうか、そういうことだったの)
「そう、ならあなたも殺してしまうのね。兄・・いえ、彩人を」
 眉がかすかに動き、眉間にしわがよる。さすがに兄のことを持ち出せばこうもあっさりと感情は戻ってくる。けれどそのことは色が兄にどれほどの思いを寄せていたかはっきりとわかることだった。
「あなたの考えていることはわかるわ」
「あんたにはわから」
「いいえ、わかるのよ!」
 拒否なんて許すわけがなかった。確かに人は他人のことを完全に理解する日は決してやってこない。わかろうとすることはできる。歩み寄ることはできる。
 自身から死を望む。かつて私が実行しようとしていたことならばなお更のこと。
「兄を失った現実を目の前にあなたには迷っている。戸惑っている。心の拠り所を亡くせばそりゃあ迷いもするわ。死にたくもなるでしょうよ。だって今まで生きてきた人生では兄がいたという記憶ばかりがあるもの、だからあなたはこの先兄がいない人生を想像できない。いえ、想像したくない。でもね、あなたはまだ生きなくちゃならない」
 そっと胸に手を置いた。色の鼓動は規則的ではなく、幾分か速く連動していた。表情は相変わらずの無表情だけど、心が動いているのはよくわかった。
「だってあなたのここにはまだ兄の面影が残っているでしょう?もしあなたが死んだらその面影はどうなるの?どこにいってしまうの?ほら、もしあなたがここで死んだらそれこそ間違いなくあなたは兄を殺してしまうわ。」
 卑怯なことを言っていることは自覚していた。
色だけが知っている。兄という存在を。親よりも、友達よりも、いたかもしれない恋人よりも多くのことを色は知っている。誰よりも記憶を所持している。色が死ねば、色だけが持っている記憶は完全に途絶えてしまう。そうなれば、誰の記憶に受け継がれることなく兄の存在は薄れて消えてしまう。
 誰かの心に兄という存在がいる限り、彩人は生き続けることができる。
 故に、色がそのことを伝えることを放棄するならば、兄を殺す覚悟があるならば、兄の存在をこの世界から消し去ることを望むのならば、絆は共に死ぬことを選ぼう。
「でも」
「でもじゃない・・・はい、でしょう?」
 できるだけやさしく頬をなでた。彼の状態は極限だ。心が追い詰められている。声すらあげてないけど、涙を流し、肩を震わせている。
 だから、だからこそ、今しかないと思った。
「ほら、泣かない。墓参り、私も行ってあげるから」
「本当に?」
「ええ、本当よ」
 嘘だ。だけど、この体の本当の主はきっと一緒に行ってくれる。それだけは絶対だ。
 向こうではこの子と彼は恋仲ではないけれど、この子は確実に彼を好いている。だからこの世界で二人は恋仲だった。
それが、この子の願い。
 空いている手で彼の手を握り、天高く掲げた。
「ほら、行こう」
 色の体が光に変わっていく。頬に当てた手がわからない。体がわからない。距離感がわからない。握る手の感触がわからない。彼の気持ちがわからない。
「もみ・・・じ?君は」
 やれやれ、本当に彼は私が誰なのかわかっていないのか。まあその方が幸せかな。
「大丈夫、すぐ追うから。待ってて」

 冬至が気を効かせているのか、色の体はあっという間に消えそうになっていく。
「ねえ色?あなたはあなたの思い出を大事にしてね。それと、ありがとう。私、きっと忘れないわ」
 忘れたりしない。確かに体も心も紅葉でこの半年間過ごしてきたけれど、私は十分楽しかった。普通を満喫できた。無念はあるけれど、未練はない。

「待ってるよ、きず」
 
彼は最後の言葉を言い終わる前に消えてしまった。
そうして、孤独な楽園に私は取り残されてしまった。
残された時間もわかってしまう。
辺りを見渡せば、もう、どこにも何もありはしなかったのだ。
私は、堕ちた月を踏んでいた。


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