倒れ行く神楽光を鬼無里紅葉は無言で見つめていた。 いくら神楽の能力がすごかろうと、獅子ノ子を前にすれば鬼の力など取るに足らないものだ。 だから紅葉は無言で見つめていた。 神楽光も神楽心もまた、鬼無里紅葉が保身のために差し出した生贄だったのだ。 自らの目的を果たすため、他者の目的を達成させた。 不幸中の幸いにも、彼らはこのことを知らない。 紅葉は二つに分かれた神楽光のもとへ歩み寄る。切られた腕は左腕。切られた腕が利き手ではなかったのは、幸運だったのか、それともわざと左腕を切ったのかまではわからないが、とにかく神楽の左腕は今この場に転がっている。 紅葉は腕を取り上げる。切られてまもないため、弾力もあり、血が通った新鮮な肉。そのあまりの精巧な腕は人形のパーツのよう。 血が滴り落ちる。 腕の周りを手で線を描いた。すると手の残像はいつまで経っても消えるようすがない。そして、腕は残像で形成された箱に収納された。 箱に暗示をかけると、腕の切断面からは鮮血が止まった。 さらに一言呟き、紅葉は光の腕を闇の中に放りこんだのだった。
「さて、邪魔が消えたところで再開だ」 周囲の鬼は今起きた出来事に狼狽している。 神楽光がいとも簡単に倒された。12人の中でも上位の強さを誇り、最大限の能力を発揮したにも関わらずあっけなく倒されてしまったからだ。 たとえ満月時の秋葉空でも神楽を倒すのは容易ではない。 ましてや千早や獅堂では勝利することは困難を極める鬼だ。 そんな実力を持った鬼を目の前であっさりと倒されたことに対して驚くばかりの鬼達を無視して茨木は話を続けた。 「ご覧の通り、お前達のおかげで無事に式は終了した。感謝するよ。」 「・・・」 「ふむ、誰も感想はなし・・・か。まあいい。彼は鬼灯天子(ホオズキアマネ)。籠原、秋葉、桐ヶ谷、草壁の管理者に一任する。」 茨木の一言でここに全ての管理者が揃ったと証明された。しかし同時に12人の内一人が欠けてしまった。 とはいえ、管理者の一人は完全ではないため、全体的にはまだまだだった。 紅い髪の鬼。彼の正体は最強の鬼と謳われた“酒呑童子”に他ならない。なぜならば、この鬼を復活させたのは、“茨木”と呼ばれた鬼だから。 遥か昔、鬼と呼ばれた存在はたしかに存在した。 だがその定義とは一体何なのか? 悪行を働いたために人に鬼と呼ばれた者のことか? 到底人間とは思えない力を持っているからか? それとも、妖怪といった化け物をそう呼ぶのだろうか? わからない。 だがしかし、この場にいる鬼にはそんな定義などどうでもよいのだ。 彼らは確実にその場に存在し、彼らを観測する者もいる。よって彼らの存在は確かに実証されている。 「おっと、まだ帰るなよ」 鬼灯が蘇ったことに満足したのか、秋葉と桐ヶ谷は踵を返していた。茨木は楽しそうに言葉を続けた。 足元に、神楽光の体と、腕。そして神楽心の体が転がっているのに関わらず。 「新しい仲間がもう一人。これで最後だ」 茨木は腰裏に手を回すと、酷く色合いが不鮮明な○を取り出した。ぐちゃぐちゃに混ざった色。各色に見えるわけでも、混ざっているわけでも、まして黒く見えるわけでもない。混沌としていた。 茨木は数歩前へ出てしゃがみこむと、死んだはずの神楽心の体が仰向けになっている。 避けることを許されず殺された彼の顔はとても安らかで、とても静かで、どうでもよかった。 死体の胸。鬼灯が作った穴ある。獅子ノ子でさした痕があった。 その穴に混沌としている○を、玉を・・・魂を、組み込んだ。 ぐちゃりと肉の音が鳴る。茨木はゆっくりと腕を引くと、血の糸が引いた。 「これが本当に、これで本当に揃う!さあさあさあさあさあ!蘇れ、月見里葉言吾(やまなしはいご)!」 その名前は、神楽心に向かって呼ばれたものだった。しかしその名前は全くの別人の名前だった。 茨木、籠原、秋葉、そして紅葉だけがその正体を知っている。なにしろ彼こそは、一番最初に選ばれた12人の一人でありながら、一番最後に生まれる鬼の名前。 鬼になるために生まれる名前。月見里葉言吾と呼ばれる鬼は、特定の人物を示す名前ではなく、一番最後に生まれる12人の鬼の名前だった。 ゆえにその名前で呼ばれた鬼には特定の能力が備わっている。確実に、ある一つの能力が備わっているはずだ。 「起きろ」 茨木の一言に反応するかのように、神楽心の体をした月見里葉言吾の双瞼が開かれる。 「立て」 鬼は静かに立ち上がると、自身の体を確認した。手を開閉し、腕を可動し、思考を働かせる。 手を心臓に近づけると、自身の心臓に穴が開いていることに気がついた。 状況的には確実に死んでいるダメージ。だが自分は生きている。生きている実感を持って生きている。 心臓の穴を除けば、この体はいたって健康で、無傷に等しい。 神経を解して得られた記憶は、はるか昔の記憶ばかりだった。神楽光への嫉妬心、憧れ、焦燥、そして渇望心で彩られている。 体は間違いなく神楽心のものだと理解しているけれど、今の自分は全くの別人だと納得していた。そこから導き出される答えとは、一つしか考えられなかった。考えようともしなかった。 自身の確立。 鬼は立ち、絶つと、発とうとした。 あらかたの事情を飲み込んだ鬼は神楽心の姿をしたまま周囲に向けて一言言い放った。 「月見里葉言吾です。よろしく」 一言が全員の耳に入る。全員がいとも簡単に納得してしまった。 すでにこの鬼は神楽心ではないということに・・・。 籠原と秋葉の姿はとうに消えていた。
鬼が散る。 茨木弥彦は満足した顔をした。 鬼無里紅葉は相変わらずの無表情。 鬼灯はある一点を見つめている。
夜が明け始め、全てが終わり始め、そして月が死に始めていた。
そうして今回の件は、一応の結末を見た。
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