鬼無里紅葉は動けないでいる。他人がみれば自制心を保ち続けている神楽姉弟の監視をしているように見えるが、実のところ、鬼無里紅葉の頭には一つの人物のことしか考えていない。 籠原煌と命との死闘・・・とはいかないが、戦闘のはるか上空の一点を見つめていた。 金色から赤色へと変化している満月。その中心に一つの人影が月に染みを作っていた。 身長よりも長い翼を羽ばたかせ、下界を見下ろしている存在。あれこそが神楽達の管理者だ。 まさか自らが吸血鬼に混じってこんなことをしていたとは驚きだが、統率力がとれる人材がいないのならば話は変わってくる。 あの方は本気だ。本気で過去にすがって生きている。過去を取り戻すため、過去の快楽を今一度味わうため、そんな幻想に縛り付けられているが故に危険だ。 とはいったものの、現時点で実力と名からあの人に敵う者は誰一人として存在しない。私を含めた全ての鬼はあの人に逆らうことは許されない。 現在の私は不完全。あの方はきっとそれを見越して私を不完全のままにしているのだ。そう、あの方は私に力があったのならば逆らうことをすでに知っているのだ。
腕に力が入る。指が腕に食い込んでいく。痛い。しかしそうしなければこの苛立ちを抑えることはできそうにない。 「紅葉様?」 後方から私を心配するような声がする。 「何でもありません。」 そうですかと答えると、再び目の前に闇を作り出す。 私は思案した。本当にこのままでいいのだろうか?もし私が命に手を貸せばきっとよいところまでもっていくだろう。だがそんなことをすればたちまち私が消されてしまう。それだけはだめだ。現段階で私が消されることはあってはならない。三人が揃うことよりもあってはならないのだ! 「命」 「はい」 半身が飲み込まれているその姿で私を見た。死を恐れてはいないが、怖れている表情。取り返しのつかない自身の体とこの現状を踏まえたうえで自身を死の淵においやることは罪の償いではなく罰だと思っている。そんな表情をしている。 「武運を」 「ありがとうございます」 彼女はふっと笑いながら死地に赴いた。死が確定した場所に足を運んでいる。 そんな彼女に私は少なからず敬意の念が生まれた。今私にできることは祈ることくらいだった。 臆病者の私の代わりに彼女が消える。 身代わり。生贄。
籠原は不満だった。満たされなかった。眼前にいる吸血鬼は久しぶりの強敵だったことは間違いない。元鬼だったのだからそれもそうだろうと感じている。ただの人間からこうなってのではここまでの相手にはならなかっただろう。しかしそれでもこれでは足りない。満たしてくれない。殺しては、くれないのだ。 始まりがいつだったのかわからない。自分達12人はいつしか同じ思いを抱いていた。共通の悩みを抱え始めていた。 朝倉千早、更科七、そして天野零。彼らは人間から鬼に成った同胞である。ゆえにまだ完全な鬼ではない。これから徐々に成長していくであろう。そうしていつしか思うのだ。成長の最中、完全に近付いていく最中、きっとこう思ってしまう。 真剣とは何だったのだろう、と。 力をつければつけるほど感じる。身体の上手に扱えるようになるほど思ってしまう。敵を殺せば殺すほど溜まっていく。 果たして本当の自分はどこに行ってしまったのだと・・・。 相手が全力で、真剣に、本気の力で向かってきたとしても、こちらの力の前に相手は屈服する。 夏に起きた魔女は確かに強敵だった。自分達の域に匹敵するかのような人間だった。神秘に近づいた人間。だから殺すことができた。そう、殺せる相手でしかなかったのだ。ただの、普通の人間は、自分達にとって、そして世界にとって脅威ではない。滅ぼそうと思えばいつでも殺せるから。だが滅ぼしてはいけない。何故なら地球上を覆い尽くすほど増えすぎて人間でさえも、自然にとって人間も他の動物どうよう摂理に縛られている存在だから。
もう何回目になるかわからない剣戟を命に与えていた。 腕を切り裂き、足を振りぬき、胴体を二つに分けた。 だが命の体は未だ健在だった。 切り裂いた腕からは電流が流れ。 振りぬいた足からは、水が滴る。 二つに割れた胴体からは風が吹き荒れた。 体は実体ではない。このとおり、ある力で彩られている。電流で作られ、水で形成し、風が生じさせていた。 しかしこれは人形ではあるが命が吹き込まれている。 動きも、思考もすべて個々が考え、実行していることは明白だったのだ。 そして、この命も似たようなものだった。 四対一。 これでようやく籠原と命達の優劣は元に戻ったかのように思えた。 「手加減してくれてどうも」 「何、楽しませてもらった。感謝する」 「まあいいですけど。そろそろ終わりにしませんか」 「そうだな。これ以上は殺してしまうそうだ」 「言っていなさい!」 瞬間、籠原の体が細くなる。命たちは吹き飛ばされ、距離を置くことを余儀なくされた。鬼が高速回転を起こしたのだ。そのために頭部から真下だけは視認できた。上空へ飛ぶ。回転がやむ。 地に足をつける吸血鬼達。全員が籠原に向かって何かを呟いた。 一方の籠原はそんな吸血鬼を無視するかのよう右手を上へ、左手を下へ向ける。殺意を下へ。両眼を紅く光らせて、本来の力を行使した。 「くっ」 籠原の力に立ち向かった命たちの力はあっけなく消され、四人のうち三人の体が消え去った。音もなく、爆ぜたのだ。 一人は放電するように。一人は割れたグラスのように。一人は風船のように。それぞれの体はあっけなく爆ぜてしまった。 電気も、水分も、風もなくなると、そこにはそれぞれ見覚えがある○が漂っていた。 鬼が殺した後に食す物。世界にとってなくてはならないもの。 誰でも知っている存在は、誰も見たことのない存在。 それが、魂という存在。 そんな万物に宿るといわれる魂にその○は本当に良く似ていた。 「それが貴様の力の正体か」 「理解するのが早いですね。さすがに200年以上も生きている鬼は違う」 「黙れ。記憶・・・記録を形作る世界の異物が」 「正解です。人の思いがある場所に留まる記録。人の体に刻み込まれた魂の情報。それらを形つくり、自身の糧にするのが私の能力。すなわち脳力」 命という吸血鬼は知っている。魔法使いという存在を知っている。魔を扱う方法を身につけている者。魔法使い。 そんな魔法使いの記録を命は自身の脳に取り込み、刻み込んでいる。 雷の魔法使いローラ。水の魔法使いキャメル。風の魔法使いアネモイ。そして、闇の魔法使いラック。彼女達の記録された情報を命は取り込んでいた。だから命は複数の魔法を扱えたのだ。しかし、命は吸血鬼であって魔法使いではないから扱える魔法には制限が設けられている。 さて、この国に留まっていた魔法使いの中ではシックスのメンバーの力を取り込むのがより強大な力を得るのは正しい。しかし何故残りの二人を奪わなかったのか?理由は簡単だ。一つ、赤の称号を持つものは魔術師だから。二つ、白の称号を持つものはそもそも魔女ではなく剣士だから。前者は扱うのに効率が悪く、後者は膨大な魔力があってこそ成り立つからだった。 「だが、もう飽きている」 籠原の力は止まらない。漂う擬似魂はすでに命に取り込まれた。よって命は再び様々な魔法を扱うことができる。しかし命は魔法を使えない。実際には魔法を使おうとはしているがたちまちに消されていた。 今ではもう体が思うように動かない。全身に重りを付けられたかのように重い。 このように相手の体を重くすることができることを命は知っていた。だから四人に分かれた瞬間、あらかじめ全員に封印魔法を施していた。自身の体に影響を及ぼさないように。しかしそれもすべて先ほどの行為で消去されてしまっている。 未だに命は籠原の能力に気がつかない。 お嬢と神楽光と上空の化け物を除いて・・・。 ついに命は膝をついた。すでに腕を上げる力どころか口を開ける余裕もない。四肢は体を支えることに精一杯で、口は呼吸することで精一杯だった。 力の差は歴然だった。 「さあ、異物。貴様も死贄となれ」 籠原は命の顎を掴み上げる。命の体力はまだ残っているけれど、体にかかる重圧によって指先を動かすのがやっとだった。 この命はさっきまで四人のうちの一人、闇魔法使いの情報を媒体に稼動していた。ならば切りつけたと同様、闇に変化することができるはず。だができない。 籠原は鬼である。魂を食らうことができるということは実在しない物質に触れることができた。 「これで残りは二人。ようやく完成だ」 命には籠原の言っている意味がわからない。後者の意味はわかっている。自分が死ねば気域に溜まる死者の存在を生贄に式が完成し、ある存在が復活する。命はそのことを知らずにただあの化け物の口車に乗ってしまった。だから今こうして戦っている。例え負けるとわかっていても、せめて目の前の化け物と相打ちになればいいと思っていた。 朽木良一を逃がすことに成功したのだから自分が、最後だとばかり思っていたのだ。 ザン!左耳に地面に刃物が突き刺さる音が入ってきた。命は眼を動かすと、かろうじて見ることができた。 刀、それも形容しがたいほど美しい刀。 (ああ、そうか。これで私、殺されるんだ) 命は静かに双瞼を閉じた。 籠原は刀を地から抜き取った。
鬼無里紅葉の指は腕に食い込み、シャツに赤い染みを作った。 もう手遅れだった。 気域に新たな鮮血が染み込んだ。
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