無限に作りだされた幻想。限界など知らないほど向上している身体能力。誰も手出しできない特殊な力。 久しぶりの殺戮で、久しぶりの殺害で誰もが気にしていなかった。だが、どんな出来事も何時かは飽きる時がやってくる。 初めに気がついたのは誰でもない、全員だ。ほぼ同時に全員があることに気がついた。死者の顔が全く同じだということに。 少し考えればわかることだった。既に千を越え、万に到達しそうなほど死者達はこの地に降り立っている。ならば人間世界での被害は万に近くなるはずだ。だが、ニュースでそんな報道がない。隠している様子があるだけならばまだ納得できる。しかしあの街限定で事件が起き、この死者の数を考えたとしても、街住民の数が減ったようにはどうしても考えられなかった。 そして辿り着いた答えはただひとつ。今回の事件の首謀者は吸血種となった人間や鬼ではない。ならば、一体誰がこの事件を引き起こし、この地を襲っているのだろうか。まだわからない。 地上50m。強風のあまり髪がまとまらない。そこに立っていのは、鬼かどうかもわからない存在が一つ。真冬のために気温は0度近いのにもかかわらず、その人物はカーディガンを一つ纏っているだけだ。鬼無里紅葉。世界に3人しかいない管理人の内の一人。基本的には全ての鬼を統括している彼女だが、主な仕事は12人うちの4人を管理することにある。天野零、更科七、獅堂暁、朝倉千早の四人が彼女の管轄下だ。残りの二人はとある事情のために全くといっていいほど表にでてこない。よって実質彼女一人で言葉通り、全ての鬼を管理していることになる。そして彼女ただ一人だけが、この事態の全体像を把握していた。彼女は今もなお上空に佇んでいる。上空には彼女しか存在していない。ゆえに死者を落としていた者はどこにもいない。よってこれ以上死者が増殖することはない。彼女はまだ下界を見下ろしている。 記域にはおびただしいほどの黒い存在が充満している。その中で突起している存在が8つ。暴れる者。伸びる剣を扱う者。鬼工生命を操る者。作り出すもの。佇んでいる者。そして愚かで勘違いをしている復讐者が三人。いや、実際にその旨を持っているものはただ一人だけだろう。後の二人はきっと巻き添えを食らったただの人間だ。無害で無知なただの人間。 彼女はゆっくりと降下していく。階段を下りるようにゆっくりと。 「そろそろ始まるわ」 管理者の言葉は冷気を孕み、風に奪われた。
◇ 今宵も満月。そう、満月だ。太陽の力を全力で受け止め、自身の力を最大までの引き上げるように、そして自身の存在を全世界に伝えるかのように出現する満月。夜の王者にして夜空の支配者。それは月だ。ゆえに彼女は最強になる。 「おや?もう終わりなのですか。つまらないですね」 両眼は金色。丁寧に切りそろえられた髪。中世的な顔に男性用のスーツを身につけ、両手にグローブをはめている女性はつまらなさそうに終了の言葉を吐き捨てた。彼女の名前は秋葉空(アキバソラ)。完全夜行性の彼女は、昼間の大半を寝て過ごしている。日が落ちるとほぼ同時に活動を開始して、日が昇るころ眠りについている。ただのなまけものではない。鬼の仕事の大部分は夜を迎えてから行うために、仕事上はなんの問題もない。むしろ彼女は自分の所属しているところでは彼女が一番働いていた。他は籠原、桐ヶ谷、今は二人を合わせた三人しかいない。理由もわかっている。あいつが悪いのだ。それが三人の共通の見解だった。 彼女は多少苛立っていた。もうすぐ念願であるできごとが成就することはこの事態、つまり記域襲撃の瞬間に理解した。だから彼女は紅葉の支持を待つことなくこうして死者を殺しまわっていた。だが、まだ足りない。どうしてか?すでに千以上もの死者を殲滅したにも関わらず、力の収集が悪い。目の前の死者は今までの死者とは違うようだが、結局かれも他と同じようにしか見えない。彼女は、腕をくみ、指を口に持っていく。 「まだまだこれからだっての」 おや?と強がる訪問者の方向を冷静に見つめる。肩にかかりそうな金色の髪。だらしなく着たスーツはまるでホストのよう。天野たちが前回ビルで出会った金髪だった。金髪はヒヒヒと笑い、秋葉は嫌悪を覚えた。しかし、自身の悩みを消すには十分な要素になりえた。 眼前の金髪と秋葉の戦闘はすでに5分も経過している。金髪の能力である超速再生と秋葉の物珍しさからの油断が時間を無駄に費やしていた。 突如金髪の視界から秋葉空が消える。 「まだ名前も名乗ってないのにー!」 金髪は見ることすらできない相手を前に、冷静にツッコミをいれて右拳を左方面に向かって全力で打ち出した。 「あったり〜」 金髪と秋葉空の拳が激突する。骨と骨がぶつかる音と共に両者に衝撃が走る。両者のここまででは両者の力はほぼ互角に見えるだろう。しかし、天野零の見解通り、金髪の身体能力はただの鬼とほぼ同格程度してかない。その程度で秋葉空と肉弾戦を選んだ時点で、金髪の勝利は完全に消滅したといえよう。何故ならば。 バキッ!と骨が破壊されていく音が聞こえた。次にバキバキとメキメキと次々に破壊されていく。骨が、肉が、押しつぶされていく。秋葉空と金髪の拳はまだ離れない。秋葉空は金髪の拳を押し戻していった。腕の骨を破壊し、金髪の拳の形状を維持したまま腕を破壊してく。無理やりに、強引に、愚直までの直線的攻撃で破壊していく。まるで鬼の所業だ。 「うがぁ」 思わず逃げる金髪。後方にではなく、側面にだ。そうしなければ押しつぶれ続けることになっているからだった。油断しかしていない秋葉空のおかげでなんとか距離をとることができた金髪は、すぐさま腕を振るった。腕は遠心力で伸びきると、一瞬で元の腕に戻っていった。これが金髪の吸血人としての能力、超速再生だ。腕だろうと、心臓だろうとどこでも破壊されてもすぐさま再生する能力。しかし、即死だけは免れない。能力者本人がいて初めて能力は発動するものだからだ。 「すっげぇ力。だがまだまだ」 初動は金髪。全力で地を蹴り上げ、眼前の鬼に向かって突進する。だが、金髪の行動はそこまでしかない。金髪は一歩前へ飛び出した刹那、真横には秋葉がいた。 「はやっ」 とっさに腕をクロスしてガードする。秋葉は構わず拳を突き出すと、金髪の両腕を貫通した。秋葉はそのまま腕を垂直に振り上げ、金髪の腕を切断し、放り投げた。次の瞬間、金髪の腕はすでの元通りになったが、再生速度と同時に秋葉は両足を回し蹴り一つで粉砕する。 「なるほど、防御力と再生能力はイコールですか。ならば、はっ!」 肩を掴んで動けなくしたところを左拳が襲う。狙いは胸、心臓だ。再びガードを砕き、そのまま心臓をわし掴むと驚異的な握力で握りつぶした。 金髪の顔が歪み、口から大量の血を放出した。しかしすでに心臓は再生している。この瞬間、秋葉の口元が釣りあがる。その表情を見た金髪の顔は苦痛に歪んだ。 秋葉は自身の攻撃を受けきれると思われる相手に歓喜し、眼前の死者を苦痛で染めることしか考えていない。確かにこれほどまでの再生能力は脅威だ。しかし再生するといっても破壊時の苦痛は免れない。そのことに気が付いた秋葉に気が付いた金髪は初めて鬼という存在に恐怖した。 遅かった。金髪の選択はとうの昔で脱線していたのだ。人間を超える力がほしくて死者になった。確かに人間を超える身体能力と、特別な能力を与えられた。しかしその時点で間違いだったのだ。力を与えた存在自体がすでに間違いに侵されていたからだ。死者になったことも、鬼の住む記域を襲うことも全て、間違いだったのだ。そう、鬼という存在に自ら首を突っ込んだ時点で金髪の死は確定していた。 「ひぃぃ!助けて!」 この鬼は自分を殺さず弄ぶ。そう悟った金髪は逃走を選択した。脱兎のごとく逃げ出そうとする金髪。だが秋葉空から逃げることのできるものはそうはいない。 今宵の秋葉空は12人の鬼の中でも間違いなく最強だ。なぜなら、今日は満月だからだ。“月”それが秋葉空の能力。秋葉空は月から放出されるエネルギーを糧として力を増大させている。新月、三日月、半月、満月と月が満ちれば満ちるほど力を増大させている。そして満月になった夜。彼女は最強の鬼となる。あくまで管理人という存在を除いて、だ。 秋葉空はグローブをはずす。秋葉の体に力がみなぎり、両目が赤く変貌した。これで秋葉空の能力は完全となった。さきほどまで装着していたグローブは鬼無里紅葉が秋葉に渡した魔具。だが零や七に渡したものとは種類が違う。これは制御装置。強すぎる秋葉の力を抑えるためのものだったのだ。三ヶ月前、アレイスと対峙したときもこのグローブを装着していた。なぜならアレイスは殺してはいけない対象だったのだから。 そして、解体ショーが始まった。 腕を破壊し、足を破壊し、下半身を破壊し、上半身を破壊し、首と胴体を切断する。破壊範囲によって再生速度は落ちるが、それでも急激で異常なまでの再生速度は秋葉の破壊衝動を駆り立てる。 足を破壊して、地面に叩きつけた。顔を掴み、足で体を固定させると、手刀で首を切断した。頚動脈ごと断ち切られたせいで、真横に勢いよく血飛沫がでた。秋葉の体には血は一滴も付着してはいない。秋葉空もまた、理性が暴走したただの化け物だった。さて、瞬時に繋がった首を見るなり、面白さのあまり何度も何度も首を切断する。口をふさがれたままの金髪は声すら出せずに致命傷の一撃と、死を連想させる痛みを何度も味わった。絶対的な力で抑え込まれているため、金髪は呻きしかだせない。だが秋葉空の耳にはすでにそんな金髪のうめき声すら入っていない。もうずいぶんと懇願や、謝罪の言葉を幾多も吐いているけれど、絶好のおもちゃを手にした彼女にそんなことはどうでもよいことだったのだ。 あまりの楽しさに、あまりの能力に、秋葉はこれまでにないほどにまで口元を吊り上げて、首を切断した。体とくっつくまでに首を放り投げた。金髪の苦痛に歪んだ頭部は、再生した胴体ごと地面に叩きつけられた。 痛い痛い痛い痛いっ! もう痛いとしか考えられなくなった金髪。そんな愚かな死者の頭部に向かって秋葉は思いっきり蹴った。まるでサッカーをするかのように・・・。 金髪の頭部は、秋葉の蹴りの衝撃で、首を押しつぶし、背骨を破壊しながら胴体を真っ二つにわけて、頭部はそのまま砕け散った。 そう、ようやく金髪はすくわれたのだった。苦痛というなの地獄から。じつにあっけないものだった。つまるところ、これはただ秋葉の攻撃力が金髪の再生能力を上回っただけだった。 「おや?もう終わりなのですか。つまらないですね」 腕を組み、最初と同じ台詞を口走った。今回もまた、秋葉は満足することができなかった。自身の本領を発揮し、さっきまでいた相手は良きおもちゃになってくれた。しかしおもちゃ止まりでしかない。秋葉がほしいのは、自身の本気と対等に渡り合える強敵者なのだから。 あたり一面死者の死体しかない場所が広がる。死者の死体、とはまたおかしな言い方だが、他に表現の仕様がない。だが秋葉にとってそれはどうでもいいことだ。さきほどの金髪を含め、地面に散らばる死者の群れは、ただに贄でしかない。 秋葉空は無言でその場所を立ち去った。まだ始まらないということは、まだ死者が残っているという証拠。だから秋葉は立ち去った。 結局金髪にスーツを着た吸血人が一体何者で、どんな名前かなんてどうでもいい疑問が生まれたのは、ずいぶんと後の話になってからだ。
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