そして卒業式。開会式や校歌、卒業証書授与や校長の話など、ありきたりだけど全てが重要な行事が確実にすぎていくなか、周りの雰囲気が少しずつ変わってきた。僕は決して周りはみなかった。もちろん横にいる彼女の顔も見ないように勤めた。本当に僕は決して何もないように勤めた。何も見ず、何も感じないようにすることが、この場での最善の抵抗だと思えたから。そのかわり、途中から制服を掴んでいるその指に、僕は反応できなかった。 卒業式が終わると、校庭でみんなが別れの挨拶を始めた。生徒同士や教師ともそうだ。もちろん僕も挨拶を一通りやった。この三年間で知り合った人やお世話になった人、先生方や部活の後輩など、あいさつ回りは大変だったけどすこし悲しい気持ちになった。思いつく限りの人間に挨拶し終わると僕は最後に話したい人がいた。 その人は周囲の人間にも聞いてみたらすぐに見つけられた。僕はすこし離れてその人を待った。少しして向こうがこちらに気が付くとこっちにきた。 「さっきはどうも」 「ああ、そうだね、友夏里」 「それで?」 「それはないだろ。折角の卒業式なんだ、ちょっと話をしに来ただけだよ」 彼女は驚いた顔をしたがすぐさまキッとこちらを向いた。でもその顔は決して怒っているようには見えなかった。 「それで?」 「ああ、とりあえず三年間ありがとう。オレは友夏里と三年間同じクラスで退屈しなかった」 「それで?」 すこし声が変わった。 「オレにはありがとうしか言えない、でも最後に聞いてほしいことがある」 「うん・・・それで?」 二度目の声の変化。 「高校最後の思い出に家まで送っていってもいいかい?」 「思い出?」 「ああ、思い出だ」 「それ・・で?」 彼女の頬に水滴が伝わる。僕の目の前で泣くのがそんなに嫌なのか、ハンカチで顔を覆った。ああ、これで二回目だ。彼女の泣き顔を見るのは、やっぱり彼女の悲しいのかと思った。 でもしょうがない事だ。いや、しょうがないことだから悲しいのかもしれない。 僕は「終わったら校門で待ってる」と言い、踵を返し人に紛れた。最後に彼女は何かいったかもしれない。「うん」かもしれないし「いかない」かもしれない。「うん」ならみんなと最後に集まってパーティーをしないと言うことで、「いかない」なら今日の帰りは僕一人ということになる。僕はすこしイジワルだなと自己嫌悪になったが、それでもいいと思った。一種の賭けだと思った。彼女が僕とみんな、一体どちらを選んでくれるのか知りたかった。本当はそんなのは天秤にかけるようなことじゃあない。どちらも大切で、どちらも選ぶことができない選択。答えがない問いをした。ずるいことだ。 でも、周りのクラスメイトとの一年間と、三年間同じだった僕、偶然だけど同じ教室で三年間すごして来た時間とは違うものではないだろうか。自意識過剰にも程があるような考えだったがそれも別にいいとおもった。 僕はもうここには用がないと思い、トイレに行くフリをして教室に向かった。教室・・・というか校舎に人の存在はなかった。僕は4階まであがると一番奥にある「1−1」と書かれた教室の前にたった。 (ここで出会い) 一つ下の階に下りると階段の真正面にある「2−4」の教室の前に立つ。 (ここで知り) また一つ階段を下りる。今度は階の真ん中に位置する「3−3」の教室の前に立った。 (ここで気が付いた) 僕は教室にはいり、まっすぐ自分の席に手を置いた。机の形、感覚と手触りを忘れないように、確認するように、なでるように触った。横にある彼女の机をすこし眺めた。 本当にこの三年間は色々あったと思う・・・僕は思い出すのをやめた。今この状況は思い出すときではないからだ。 外が騒がしくなったようだったので窓から外を見るとどうやら解散し始めたようだった。そして最後の階段を下りる。これで最後かと思うと次第に足取りが重くなるのがわかった。 もうここにはこないかと思うと苦しくなった。でも終わりと同時に始まることを願う僕は一段一段名残惜しむように足を地に着け、手を乗せ、目で覚え、体で感じ、校舎をでた。もうこれで僕がこの校舎に立ち入ることはない。この先の人生で、この感覚はきっと色あせてしまうだろう。でも思い出すことはできるはずだ。だから未練はあっても無念はない。 校門の近くになると他の在校生が沢山いた。その中を僕は通るとみんな僕を見た。仲間はずれかと思ったのかもしれない。それとも道に迷ったのかも、他に理由があってそれで遅れたのかと色々な想像をしているに違いない。でもそんなものはどうでもよくなった。卒業生に仲間はずれもなにもない、今日を限りにみんなは一度はなれるのだから。まあそんな屁理屈はどうでもいい。とりあえず、僕は家まで送り届けるまで一人ではないのだから。なぜなら目の前の校門には、胸にリボンと手にはたくさんの花束を握っている女の子が一人で待っていたから。 彼女はこちらに気が付くと門から体を離してこちらを向いた。表情はすこし怒っているみたいだ。待っているはずの人物がいなかったからそれも当然だと思う。でも僕はちょっと可笑しくなった。彼女の顔は確かに怒っているみたいだったが、目の下はすこし赤くなっていたし、周りに見られていたせいか恥ずかしさのあまり顔全体もすこし紅かった。 「行こうか」 そこで僕は腹を押さえた。結構いたかった。ダメージ0。 「帰りましょう」 彼女はすたすたと歩いていってしまった。 「お、おい!」 僕は追いかけるように走った。後ろからすこし笑い声が聞こえたけど、僕はちっとも気にならなかった。
僕は今、彼女は並んで歩いる。いつもより遅く歩いているのではないだろうか。話しているわけでもないのに歩調はスローペースだった。彼女が風景を眺めていて、僕は二人の花束が触れ合っているのを眺めていた。話すことはあまり残されていなかったのに、自然とゆっくり歩いた、まるで終わるのがおしいかのように・・・。
しばらくすると僕が風景を見て、彼女が花束を見る。時折二人で風景や花束を眺めもした。本当に話さなかった。まだ話を始めたくなかったから・・・お互いに。彼女の家について彼女は背に家を、僕は道路を背に立った。 「それで?」 先に口を開いたのは彼女だ。 「約束を果たしにきた」 「え?」と言いすぐさま彼女は理解する。あの時僕と彼女が交わした本当にどうでもいいような約束で、今思えば社交辞令のようなものかもしれない。それにこの状況なら本当にどうでもいい。それでも僕は、今この状況を望んで話したかったのは彼女じゃないかという気がしてならなかったからだ。 「それで?」 今度は僕が聞いた。耳元にかすかにクシャっと音がした。手に持っていた花束を強く握り締めたのか、花束の形がおかしい。彼女は「受かったわ」と答えると「それで?」と聞き返してきた。 本当は聞く必要なんてなかった。だってあの日から数週間がたったある日以来、彼女は頻繁に遊びに行くようになっていたし、勉強もしてはいない。といっても資格等がまだあるらしく、授業中は教材を取り出して読んではいた。でも彼女は試験の合否について一切触れなかったから僕もそのことに関して一切触れようとはしなかった。 すこし間をおき、ああ、と僕は唇をすこしなめた。 「僕はこの三年間、力がほしかった。自分で責任がとれるように、誰かに力を分け与える事ができるように、だからあの会社に就職した」 「・・・やっと」 「ん?何?」 「やっと本当のあんたに会えた気がした、あんたが「僕」って言う時は心からの本音だものね」 ああ、そうか、彼女は知っていたのか。僕が心の中で「僕」といい、言葉では「オレ」と言うのか。今この瞬間、僕は本当に彼女と三年間すごして来たと実感できた。僕は続ける。 「でもそれは今までの三年間の話だ」 「え?」 言葉を止めはしない。 「僕はもうある程度自分自身で力をつけたと思っている。それでも僕はまだ子供だ。子供で内に付けられる力はある程度身につけたつもりだけど僕は・・・」 「これから何をするために会社に行ってあんたは何をするの?」 僕は言葉が支えてしまったけど、彼女が僕の言いたいことをもう一度聞いてくれた。 「僕は生きるために会社に就職した、でもまだ・・・」 なんていうつもりなのだろうか? 僕は彼女に向かって今から何をいうつもりなのか自分ではよくわかっているはずだ。なのに、こうして言葉がつまるのは、たぶんまだ言う機会ではないだろうと言い逃れしているのかもしれない。 目の前の彼女を見る。彼女はこちらを真っ直ぐ見つめていて、その瞳を僕は直視できていない。僕がまだ真剣ではない証拠だ。まだ言うべきではないけれど、僕はなんとか言葉を繋げようと必死に考え僕は目を瞑る。 「でもまだ友夏里と一緒にいたい」 今できる精一杯の力で言葉を声に変えた。そのとき、不安定だった気持ちが、強固な決意へと変わったのがありありとわかった。 どれくらい時間が経っただろうか、5秒かもしれないし5分かもしれない。僕はゆっくりと瞼を広げ、彼女に瞳を向けると、口をすこし開け呆然とこちらを見ていて、その焦点は合っていないかもしれないと思った。 すこしして彼女の瞳に光が戻り「それで?」と言った。 「えっと、それで・・・うん、今から遊びに行こう」 「それってデートってこと?」 「は?」 今僕の思考は絶対止まっていたと思う。 彼女の口からそんな色っぽい言葉が出て来るなんて思ってもいなかった。いや、実際彼女は他の男子生徒から幾度となく誘いを受けていたのを僕は知っている。しかし今までの三年間の僕と彼女の関係は、決して色のあるような関係じゃなかった。 今の彼女の言葉を出したのは間違いなく僕自身であり、すこし今までの言葉を振り返る。 たしかに僕は就職してもまだ彼女と一緒にいたいと思っている。でもそれじゃあまるで告白しているみたいじゃないか! そう思うと僕は一歩身をたじろいだ。僕は今、絶対恥かしさで顔が真っ赤になっているに違いない。僕はそのことを今更ながら彼女に気が付いてほしくないから下を向き、今度は僕が花束を強く握り締めた。 彼女は黙って、下を向いている僕を無視するかのように口を開いた。 「それで?どうするの?」 彼女は手に持っていた花束と、プレゼントを地面に落として一歩僕に近づく。彼女はまだ混乱している僕の腕を引っ張ると花束を奪い取る。 「え?」 僕は驚いた、彼女が僕の手を握ったからだ。でも全然嫌な気分にはならなかった。むしろすごく、すごく嬉しい気持ちで満たされているのが感じられる。未だ混乱している頭を元に戻す事に懸命になった、彼女が「それで?」と言うものだから僕はすこしムキになり、今度は僕が手を強く引っ張って歩き出す。 「ちょっと待って、ねぇ!ねぇってば!」 後ろから声が聞こえるがそんなものは無視した。無視しなければ僕は耐えられそうにない。気が付くと彼女は僕の横を早歩きで着いてきていた。それも僕は無視して歩く。 「ねえ」 「何?」 すこし余裕が出てきたのか僕は横目で彼女を見ると、下から覗き込むように顔を見て「初めて樹に勝てた」と言った。僕は「ふん」と一言言い放ち、ずんずん前へ前へ突き進む。この後に絶対僕は言うのだと心に決め、そして僕は心から嬉しさを満喫した。 僕は彼女を連れて今からどこに行くかはまるで検討がついていないが、それでも僕はまだ彼女と一緒にいられることがうれしくて、彼女と話ができる事がうれしくて、僕は嬉しさを抑えながら歩いた。多分すこし笑っていたのかもしれない。 やっと横にいるひとの氷を溶かしたのだと思う。彼女を見れば一目瞭然だ。叩かれて、罵られて、邪険され、無視され、敵視された思い出も、今ではいい思い出になっている。これからもそうやって彼女を振り回し、振り回れるだろう。でももうそんなことはどうでもいい。今横にいる彼女は、僕が今まで何度も見てきた中で一番綺麗だ。 初めて僕に対しての笑顔を浮かべているから。 だから僕はこの後彼女に言うんだ・・・。 もう、その言葉は決まっている。
スキダ。
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