さすがに9月下旬にもなれば、だいぶ涼しくなってすごしやすくはなっている。けどまだ日差しは夏のものだ。日向にいれば、汗にじみ出てくるが日陰は涼しく感じる。ここ、都会のようにコンクリに囲まれ、人間で溢れかえっているような場所では、建物を一歩でればどこでも暑い。太陽の日差しによって熱くなったコンクリで造られたビルや、店の中は反対に冷房の効きすぎで寒いくらいに感じる。蝉もしぶとくその鳴き声を響かせている中、ちらほら秋の空気を切り裂くように燕が飛んでいた。 さて、そんな熱い空気が充満している都会にいるオレ、天野零ですが。今日は、なぜかこんなむさ苦しく、めまいを起こしそうな場所にいるのか?実はオレにもよくわかっていない。 「なんでオレがこんな目に・・・・」 そう、なんでオレがこんな目にあっているのだろう。どうして?なぜ?なんでこんなことに?なんて愚痴をこぼしながら待ち合わせの駅に向かった。 向かう途中、ショーウィンドに反射した自分をみて、服装を正す。別に意識しているわけじゃない、本当だ。だがやはり、変な部分は極力消去したいというのが本音である。半そでのシャツにズボン、先日購入したネクタイにラインのある半そでニットが今日の格好だ。どうもオレはいつのまにかネクタイ締めてしまう格好を好むようになっていた。年齢は23歳に到達しているけれど、身体の成長は五年前からほとんど進んでおらず、実質の肉体年齢は19〜20といったところだ。だが、その肉体年齢が精神年齢に全然追いついておらず、趣味や服装の変化に顔つきが追いついていない。不幸中の幸いだったのが、鬼になった時点で成長期を過ぎていたことだ。これでまだ途中だったらと思うと、やるせない。一つ思い浮かぶ、実は彼女のほうが身体年齢は上ではないだろうか。いや、たった2年の差など瑣末なこと。 気がつけば、目的の駅にたどり着いていた。約束の時間は10時、あと10分くらい余裕がある。辺りを見渡すと、平日のこんな時間だというのに、意外にも人は結構通っていた。そのほとんどがサラリーマンだろう、待ち合わせをしているようにしか見えないオレには目もくれず、早足で通りすぎる。一体なにをそんなに急ぐことがあるのだろう?急ぐならばもっと効率のよい計画、進路を立てればいいのだろうに。相変わらずこの国の人間には首を傾げることだらけだ。 ふむ、残り五分。今日はきっと、疲れるだろうから、ちょっと栄養補給をば。言葉というのは、不思議な力を持っている。気が落ちる、気を落とす、視線を送る、目がつく、言葉を発する、声に出す、そんな言葉が多数存在し、実際にはそこには何かしらの力が残留する。そんな習性を利用するとしよう。 言葉遊び。 オレは吸収の能力を発動した。狙いはそこらへんに落ちている気の落し物。能力を行使しているためか、周囲の人間が警戒しているのがわかる。きっと本能でオレに対して違和感を感じ始めているのだろう。だけど、オレがこうやって、携帯電話を操作している仕草を見せているため、人間たちは見てみぬ振りをしていた。オレに視線が集まる。いいぞ、これも意味のあることだ。気を「付ける」、気を「張る」、なんてことをしてくれているからオレには人が通るたびに気を奪い続けた。そして通り過ぎた人はこぞって思うだろう。気疲れた、気が抜けた、などなどだ。 「あ、センパ〜イ」 そうこうしているうちに、七が改札を通っていた。手を振って走っている、だと?お前はいくつだ!?でもやっと着いたようで一安心。時計を見ると、10時ジャスト。計算通りってやつかな。けど、七の服装はいただけない。白いミュールにカジュアルでいて生地のよさそうなワンピース、腰には崩すためなのかベルトを巻いていた。そして・・・紺地に白と濃紺の斜めにストライプされ、華のような刺繍が施されたネクタイを締めていた。これはもう絶対、狙っているとしか思えない所業だ。 けれどオレは、一瞬可愛いと思ってしまった。ほんの5秒くらい?はっと我に返る。目の前には七のアップ。くそ。オレは異性と遊んだ経験はそりゃあもう山ほどあるけれど、こうして異性として意識したやつは今まで一人しか存在しないし、ましてやこんな風に待ち合わせたこともない。これじゃあまるでデートだ。いや、デートといわずなんと呼ぶのだろう? 「おい、どういうつもりだ」 七の頭をバコンと叩いた。結構いい音がした。 「イッタ〜イ!もう、なにするんですか?」 「なにかしてんのがわからんのか?それだよそれ!」 オレは七のネクタイを指差した。 そのことに気がついた七は「へへへ〜」なんて笑ったあと、「ペアルックですね」なんていいやがった。やっぱりワザとだった。確定事項だった。必須事項、すでにオレにはどうすることもできないというのか!? 「や〜、センパイってお出かけするときは何故か必ずネクタイするじゃないですか〜。それってもう半分センパイのせいでもあると思うんですよね。こう、「お出かけ中」の札を付けているようなものですよ?」 痛いところを突かれた。ぐ・・・たしかにそうだ。やっぱりもう少し服装に関しては勉強をしたほうがいいのかもしれない。 そんな馬鹿なことで時間を潰すわけにもいかず、とりあえずオレ達は、行く宛てもない散歩を始めた。目的ない散歩というのが目的だ。 まあ察しのとおり、オレは「何故」か七とデートなんて人間くさい行動している。何故こんなことをしているのか、嫌ならやめればいいと思うのは当然のことだ。けれど、断片的なキーワードをいえばわかってくれるだろう。 ・ 脅迫 ・ 責任転嫁 ・ 上司命令 さらに極めつけが、千早の一言だった。 「この前のビデオ・・・いります?」 ちょっと待ってほしい。何で千早まで?というかいつの間にビデオなんて撮っていたんだ?でもいつのビデオだなんて一言も言っていない。けど大体、いや確実にわかる。きっと、前回オレが七の部屋に行ったときのものだ。そうに違いない。それとも病院のときか?いやいやいや、どちらにせよ黒歴史なのは間違いない。 さ・・・て・・・・ふう。まあ色々な事情と策略と欲望と諦めなどなどが混ざり合って・・・今の状況だ。オレ、何しているんだろう?誰か答えられるやつがいたら教えてくれ。オレはどうしたらこの地獄から抜けだせるのでしょうか? 「楽しそうじゃないですね」 クスン。なんて涙を拭く降りをしてもオレは騙されない。一体どんな手品をやったのかはわからないが、人(鬼)はそう簡単に涙を流せるような体をしていないのだ。 とりあえず、七所望のブティックが一番に見つり、中に入るはめになった。 いらっしゃいませお客様、と馬鹿丁寧な挨拶をしてくる美女たち。ここら辺は本当にどうでもいい。しかし、一度もはいったことのない店というのはどうにも落ち着かない。 そんなオレをよそに、七は一人で勝手ハイテンションになってファッションショーを始めやがった。まったく、欲望心旺盛のやつに金を持たせてはいけない。やはりオレはこう思うのだ。この国といわず、全世界の法を改善すべきだ。こんなのはどうだろう、年収は人間性に比例すべきだと。・・・さすがに無茶振りすぎるかな、一体どこの聖人がこの法を決定し、人間性を理解することができるのか、きっとどこを探しても存在するまい。まあ、オレ達の仕事(本当に仕事といえるのかが謎だ)は異様に金が入ってくるは事実だ。 そういうオレも、結構金を浪費しているのだ。あの親の入院費に生活費の全て。そして自分が必要な額と・・・・これはまだ秘密だ。でもあとで話すと思う。 金額は・・・そうだな、月の収入だけで、平均的な家庭の家賃や家具といった必要なものはすべて賄えるのではないだろうか。目の前に繰り広がれている服戦争も、実は七が本気を出せば店にある服だけに留まらず、小物やアクセサリーまでの大部分を買い占めることができるだろう。けどそこはオレも七も元人間だけあって、そんなゴージャスでブルジョアな考えは浮かばない。せいぜい、気に入った服は全部買おう!くらいに留めているはずだ。そうオレは切に願う。こんな存在だから顔を覚えられることはなるべく回避したいからだ。 「れ〜い〜。これなんてどう?」 「なにさりげなく自然に下の名前で呼ぶ?お前はまだオレをその名で呼ぶまでに至っていない」 誰にも聞こえない程度の声をだす。俗に言うヒソヒソ話というやつだ。 「もう、本当に堅物ですね。でもいいんですか?こんな場所でここまで注目されといて「先輩」「後輩」の中だなんて逆に怪しまれますよ?」 周囲を目線だけを動かしてみると、自分の買い物に夢中になっているやつを除いたほぼ全ての客がこちらを見ていた。もちろん七を相手にしている店員も含め、レジ打ちをしているはずの店員までもチラチラとこっちを盗み見ている。 そんなこんなで2時間が経過。 主役兼プロデュース兼監督兼盛上げ係り兼立案者である七主催のファッションショーが終わり、ようやく外の空気がオレの肺に新鮮な空気で満たされた。実に気分がいい。でも機嫌がいいとは限らない。 ファッションショーが終わったといっても、店内にある商品の半分を網羅したあげく、買った服だけで一ヶ月間に同じ服装はできないくらい大量に買い込んだ。こんな大荷物をどうやって運ぶか?もちろん宅急便に決まっている。配送先は言えない、教えられない、つまり禁則事項。ならどうやって送るのか?それもまあ秘密というやつだ、勘弁してほしい。 時計の針は全て真上を指していた。お昼時、は昼食をとるのが普通だろう。けど、腹が減っているわけではない。実は昨日、こういうことがおきると予測してお嬢に任務をこちらから依頼し、栄養補給をしていた。まあ別に食べられないというわけではない。けれど、満たされるものは何一つない。味はする、食感も今までとなんら変わりはない。ただそれだけだ、肉の味、魚の味、野菜の食べやすさ、スープの凝縮された味、人間の時、食事時に得られるものはすでに失われている。現在、食事で得られるもの、それは欲求を軽く忘れ、流すことができる程度の行動でしかない。本当にただそれだけだ。 だめだ。いくら乗り気じゃないといってもこんなのはだめだ。オレは嫌だけど嫌がらせるつもりはこれっぽっちもない。 「これからどうすっか?あ、今なら映画なんてどうだ?昼時で人がいないから空いてるだろうからさ。その後のことはその後に考えればいいよ」 七は大きく目を開いたまま動かず答えない。まあいいさ、そうと決まれば早く行こう。人がいないといっても、今どんな映画が上映しているかわからない。席決めもしないといけない。今日はまだ始まったばかり、やれることは一杯あるはずだ。まあ考えると億劫だけどな。 オレはまだ動こうとしない七の手を握り、歩き出した。すると、オレの手に力が加わった。まあ今日くらいはいいだろう。 ラブコメ?そんなものは知らない。
◇ 道中、ずっと無言だった。ただ、手を繋いでいただけだった。人込みで離れないように、人間のうざったらしさを紛らわせるために、甲斐性のないオレができる唯一のことかもしれない。 なんとか、映画館にたどり着き、チケットを二枚購入して七に手渡す。 「・・・ありがとう」 「どうした?元気ないな。もしかして嫌だったか?」 最初の店をでてから、ずっと俯き、黙ったままだった七は「そうじゃない」とかぶりを振って答えた。オレにはよくわからなかった。最初はとても楽しそうにしていたのに、いつのまにかこんな感じになっている。もしかしてオレがなにかしたのだろうか?結構やっているかもしれん、とにかく嫌な顔したり、ほめないし、金も払わないしで本当に甲斐性がないのだから。 「おおっと〜、こんなところで何やってるの?」 誰だ!?ナンパ口調で迫ってくる馬鹿は?でもおかしい、普通に人間は、オレ達のことを本能が危険だと察知しているはずだから、声をかけるなんてことはしない。ああそうか、本当の馬鹿か。しかし七の容姿ならそれもありうる。・・・・あれ?男の声じゃなかったような。まあオレの本当の気持ちはこうだ。空気読めや! 「誰だおまえ・・・・あんた・・・あなた様は!」 「ほほ〜う。天野、いうようになったじゃないか。私もうれしいよ」 と、オレはどうやったかまるでわからないが、一瞬の間に卍固めを決められた。 「まて、死ぬ!本当に死ぬ!息ができないとさすがに・・・やばいって」 「ちょっと姉さん。人が見てるからやめなよ」 「ちょっと姉さん?なにがちょっとなのさ。心、お前はこの国に浸透しすぎで変な言葉ばかり覚えやがって」 ヨッコラセとしぶしぶオレから降りた。助かった。本当に死ぬかと思った。きっとこれをTVに投稿すれば、放送されるかもしれない。九死に一生を得た!鉄を曲げるパワーをもつ化け物に完全にプロレス技をかけられた男!みたいな。でもこれだと、オレの社会的地位が消滅決定だな。却下。 「ゴホッゴホッ。あんたら、こんなところで何やっている?」 オレは二人の姿をようやく見ることができた。 オレを襲った容疑者、名を神楽光。首筋が見えるように髪を結い。胸元を大胆に開けているシャツにタイトな黒色のズボンを格好良く身につけ、シンボルマークのタバコ、ピースをくわえていた。 一方、オレを助けたかに思われたが、実はただのシスコンの神楽心。黒縁眼鏡にチェックシャツに足元までのカーゴパンツをさらりと着こなしている。首にはネックレスが見える、そして心の一番印象的なのが白髪だ。これが地毛だというのだから驚く。 さらに二人は双子の鬼だ。特に眼がそっくりで、光は右鎖骨の上、心は左鎖骨の上にほくろがある。さて・・・。 「何をって、散歩だけど」 「散歩?こんな人ごみでか?」 「こんなの普通だろ?あ、もしかして天野お前・・・人ごみ苦手か?」 「そうじゃない。あんたたちはオレ達と違って生粋の鬼だろうが、なのによく平気だなってことだよ」 光は肩をすくめると、フッと笑う。 「なんだそんなことか、まあお前達元人間組は平気だろうが・・・まあ要するにただの慣れだよ。それ以上でも以下でもない。 それにしてもお前が人の心配ねぇ。ずいぶんと変わったじゃないか、いや違うな。成長した、良くなった、慣れてきた・・・どれも違う。ああそうか、順調に取り込んでいるじゃないか」 背筋に悪寒が走る。オレはなぜか手を力いっぱい握り、汗がにじんでいた。これは、そう、殺意だ。それも目の前のやつからのメッセージ。 オレは、光からこの意を受け取ったのは二度目だった。一度目は初対面の時に挨拶したとき、このときは舐めまわすような視線でオレを殺そうとした。そして今回。これはもう本当に殺人鬼と同等。殺すことを前提とした考えをもってオレを凝視している。一体、オレに何の変化があってのことなのだろうか。さっぱりわからないが、あいにくとオレにはまだやらなければならないことが山済みだ。 「姉さん。それ以上はまずいよ」 と、間に割ってきたのは弟の心だ。心は、実の姉である光に向かって明確な敵意を持って見ていた。そして、指を・・・ある方向に向けた。オレと光は、おそるおそる向く。後に光は語る。玩具にして遊ぶのは千早だけにする、と。 七だった。笑顔だった。でも後ろには禍々しく恐怖と憤怒に満ち満ちたオーラを身にまとっていた。殺される!オレと光の二人は反射でその場を離れてしまった。それくらい七の笑顔の威力はまさに鬼神そのものだった。 「七、ちょっとまて。落ち着こう。うわっ!」 なだめようとした光を無視して、七は手を横に薙いだ。光は無傷だったけれど、後ろの映画館の壁には、三本の傷がはっきりついた。これはまずい!と思った瞬間にはもう遅かった。ざわざわと、ぞろぞろとギャラリーが何事かと集まってきた。けれどオレは少し不思議に思った。確かに光に直撃したと思ったし、実際光は避けきれていなかった。なのに光はまったくの無傷。これは光の能力なのだろうか。実のところオレは、七、千早、獅堂以外の能力を知らない。ああそういえばあと一人いたな。けど今はそんなことはどうだっていいのだ。 「それじゃあ私たちはこれで、じゃあまた今夜な」 「?ああまたな」 そうして二人は主に七から逃げるためにささっとこの場から退散していった。 「さて、そろそろ上映の時間だ。行こうか」 辺りをにらみつけると、面白半分のギャラリーも含めたほとんどの人が散らばって行った。そして、やっと邪魔者がいなくなったことで、七の殺気が正常に戻っていくのがわかった。 「映画を見る前にやることがあります。それはなんでしょう」 「なにかあるのか?そうだな・・・あ!お菓子か?」 「正解です。レイセンパイもすこしはわかってきたみたいですね」 とへへと笑って、オレの手をとる。 本当に、今日だけだからな。 その・・・色々と許すのは、さ。
◇ 「う〜ん。途中眠かったね」 「仕方ないさ」 オレ達が見たのは、もう終わりかけの二流映画だった。この国が手がけた作品で、心理描写に重きを置いた作品が特徴の推理ものだ。 まあ本当に仕方がない。オレも七も、もうあの頃のように楽しくことができなくなっている。それでもこんな人間ごっこをしているは、きっと、忘れたいからだろうか、それとも取り戻したいのだろうか。少なくともオレにはもう自分自身の人間の頃なんてどうだっていいのだ。でも七は・・・どうなのだろう?億劫。 「ご飯どうします?」 気がつけば、七はオレの腕に隙間なくくっついていた。 以前なら気にも留めなかったけど、実際のところ、七はオレのことをどう思っているのか。今この状況でも、オレは当たり前のように殺気を当てられている。まるでハンターのように。けれど隙を見せなければどうでもいいことだ。 はっきりと関係を示せば、それこそ本当に仕事上だけの先輩後輩だ。でも今の状況などを考慮すると、本当に七はそれだけの関係で気持ちが収まっているのだろうか。 やっぱりさ、こんなことやこれほど近い距離というものは、人間でいうところの恋愛関係に当たると思う。だが、オレにはどうもそこまで気持ちが追いつかない。そう考えたってそう思えないのだ。まあそれも口にはできる。 目的のためにやるべきこと。それがオレが今一番に思っていることだ。それ以外は・・・どうでもいい。もし、どうでもよくないことがあるとすれば、それは目的の障害になることだけだろう。だから、オレにとっての七は一体、一体。 「どうしました?」 「いや、なんでもないよ。えと、次は・・・・!?」 次は何をして、どこに行こうか悩み、周囲をきょろきょろとしていると、ある男がオレの眼に飛び込んできた。 オレはとっさに建物の影に隠れる。どうしてあいつが?何故こんなところにいるんだ!?ここはあの町よりぜんぜん離れているし、あいつの頭でこんなところに来る学力も理由もなにもないはずだ。なぜ・・・まさか人違い? ゆっくりと除いた。間違いない。あいつだ。 「ね〜レイセンパイ。どうしたんですか?」 バカ! 「悪い、今だけはその名で呼ぶのだけは勘弁しろ」 オレは七を敵意で睨む。鬼にとって殺意とは興味の表れだ。だからこそ敵意と殺意の違いは明瞭だった。 「この場を離れよう」 オレの意思がなんとか伝わったのか、七は素直にうなずいた。そして七の手を握って、半ば強引にこの場を競技者よろしく走るような早足で離れていった。 どれくらい離れただろうか、距離にして500mは離れたと思う。だがオレの目的は離れることじゃあない。少しだけでいい、少しだけやつを観察したかった。 「七、こっちの方向に、ストライプの黒スーツに耳が髪で隠れている奴、わかるか?」 「え?ちょっと見てみます」 さすがにこの距離だ。身体面では普通の鬼となんら遜色ないオレではあそこまでの人の顔はわからない。けれど、七だったらきっと見ることができる。七は、眉間に皺を寄せて、あいつがいた方向を凝視する。そのとき、眼が金色になった。どうも眼球になんらかの力が作用しているようだった。 「あーあれかな。で、あの人が何なんです?」 「よし、偉いぞ。それでだ、そいつ、今なにやってる?」 「え〜と、歩いてるだけですけど。あ、書店入りましたよ。」 「よし、オレ達も入ろう」 これは好都合、あいつは昔から勉強なんてやるタイプじゃない。ならここで何を買うかを見ておけば、あいつが何をやりたいか、もしくは何をしているのかがわかるはずだ。そうして、オレと七を書店に足を向けた。 気がつくと、七は笑っていた。 「なんだよ」 「いえ、何だか探偵みたいなことしてますね」 「こっちは真剣なんだ」 「はいはい、わかってますよ。あの人がセンパイの数少ない大事な人ですもんね」 「ふん、行くぞ」 まったく、こういうときばっかり勘がいいのだから厄介だ。でもまあ、七はあいつがどういった存在だなんてわかないだろう。この件に関して、オレは誰にも話してはいない。もちろんお嬢にもだ。けどお嬢は事情を知っている。なぜか、オレが今のオレになった原因はお嬢とあいつとあと一人の子が関係している。ただ、それだけだった。 昔のことは昔のこと。オレは、その忌まわしき過去を清算し、消し去るために今こうして命をかけているといっても過言じゃあない。それもこれも全部オレ達3人が悪いんだ。あの時の過ちも、勘違いも、失敗も、どれもこれも忌まわしき過去にしかならない。だからオレは消し去りたいんだ。オレが人である証拠を・・・。オレはオレの存在を消し去るために殺し続ける。 今、オレと七は書店の隅で、その男を観察している。 そいつは、とあるコーナーで本を物色していた。物理の教材。一体何故、何のためにあんな本を読んでいるのか。よくわからない。あいつは元々頭がよくないどころか、専攻は文系だったはずだ。それを今更理系の中心である物理に手を出している・・・これは一体どういうことだ? そして、男は目的の本が見つかったのか、レジへと運んでいく。何の本を買ったのか?建築学、材料力学。この二点だ。ここで、一つ思い浮かんだことがあった。 (まさか、あいつ・・・。) いや、まさかね。だってあの事務所はもうないはずだ。いやまて、それは安易に物事を考えすぎだ。あの跡に新しく建物が建った場合もあるし、別のところにいるとうケースも考えられる。 さて、今オレが結論つけることができること。それは、あいつもまだあの子を引きずり続けている、ということだ。それも無理はないと思う。あの子に関してはオレより何倍もあいつの方が無念も未練もたっぷりあるはずだから。そりゃあもう百年の恋もさめるってほどにまで。 こんなことを考えながら、オレはあいつと何の接触もなしに見送った。結局、オレもあいつもこの五年間、現実から目を背けて逃げ続ける努力をしつづけていただけにすぎない。でも、一体、ほかにどういうやりかたがあっただろう。あの状態を見て、ほかにどんなことを思っただろう。今もまだ昔のままのあの子に何ができるのだろう。それこそ、まるで御伽噺のお姫様のようにベッドの上にい続けているあの子に、何ができるのだろう。 もう、後戻りはできない。オレのためにも、あいつのためにも、あの子のためにも、だ。あいつが何をしているのかは大体察しがついた。ならあいつの出番はオレの仕事の跡になる。それならば、オレもこの仕事により熱が入る。 (!!) ズザザァー!速度を殺しきれずに、道路ですべる、オレ。あまりの殺気に思わず回避行動をとってしまった。原因はもちろん七だ。七は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のような笑顔でオレを見ていた。けど、その眼が物語っていた。 どうやって、遊び尽くそうか・・・・と。 まったく、隙を見せるとすぐこれだ。オレの手に余りすぎる存在だ。まあ、いい意味で捉えるならば、緊張感があってよろしい。 ピリリ!と携帯電話が鳴った。これはオレの着信音だ。 「はい。天野です。ああ・・・わかった。これから戻る」 携帯電話を閉じて七を見ると、もう察しがついたようで、すねた顔になっていた。仕方がないのだ、オレ達にとってお嬢の命令は、反抗してもいいけれど破ってはいけないのだから。過去にこの規則を破ったものはおらず、そして上の連中も無理難題を押し付けたケースもまたないこともあり、最終的には従う道しか残されてはいないのだった。 「もう、いいところだったのにお嬢も意地が悪いなぁ。まあしょうがないですか・・・・さ、センパイ帰りましょう。」 「もう、いいのか?」 「はい!今日は楽しかったです。またデートしましょうね」 なんだ、やっぱり今日はデートだったのか。まあ楽しんでくれたのならオレも悪い気はしない。 それは、七が笑顔で言ったからだ。この時の七だけは、人間らしく。本当に、心のそこから楽しそうで、殺意が微塵もない真実の言葉に聞こえた。 すくなくても、オレはそう信じている。 帰ろう、オレのやるべき場所に。 最後に、オレはこのくそみたいな街を見渡した。ずっと覚えていられるように。 (あいつらにこんな、普通の人間らしい生活が戻ればいいのにな。まあオレにはもう無理な話だけど) どれほど、くそみたいに思っても、どうでもいい世界だったとしても、そこに愛着が生まれたのならば、オレはオレのやるべきこと、できることをもって、尽くしてみよう。
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