五
此処までつらつらと書いてきましたが、私はこれまで私を「虚無の像」だと評した人の事についてはなんとも考えていません。憤怒や悲愴の心なんかは持ち合わせていないのです。 寧ろこの方々には感謝をしています。何故なら世界に多く生息している人間達の模倣という粘土でその中身が虚無である事を偽ったような私という人間が、社会に出て自立しこれよりも酷い赤っ恥をかく事を防いでくれたからです。どうもありがとう。きっと浩くんならこう言うのでしょう、何事も前向きに捉えなきゃいけないと、常日頃から言っていたからね。
皆はきっと悲しむかもしれないけど、文頭に書いた気遣いの言葉、貴方達を気遣う言葉すらも私は模倣しているのです。きっと家族を愛している人ならばこう書くだろうと。私の真の心からではないのです。そう教えてくれたのが、今まで私にあの台詞を言って来てくださった方々なのです。 走馬灯の中から拾った記憶を考え直しても、私の人生は他人の模倣だらけでした。好きな洋服も「モデルのマリエに似ている。」と言われたので、所謂セレブ系の物を好んで来ていましたし、彼女が雑誌やテレビに出ている時は必ずチェックし、真似ていました。髪の色も髪型もファンデーションもアイラインもアイブロウもアイシャドウもワンピースもトップスもパンツもスカートもミュールもパンプスもネックレスもブレスレッドもピアスも指輪もマニキュアもペティギュアも、全て全て全て。 音楽の趣味も、周りの模倣で流行物しか聞きませんでしたし、遊ぶ時も流行のクラブへ行って流行のお酒を飲んで、流行の曲を聞いて他人と狂ったように踊っていました。私の虚無の 身体もその間は何かに満たされたのです。 情報網を常に張り続け、右に美味しいカフェが出来たとか言えば右を向き、左にフランスの コスメティックの店が新しく出来たと言えば左を向き、今年の流行色が緑だと言われれば緑を着て、芸能人が「私はお笑い芸人のXXさんが好きだ。」と言えばその人を好きになり、そんな模倣だらけ、模倣ばかり、模倣のみの人生でした。
ですが、 死に間際の私は、今答えを見つける事が出来たのです。 何事も模倣、模倣、模倣、模倣だらけの私の体内から、一つだけ、たった一つだけの感情が湧き出てくるのです。 「死にたい。」 それだけです。それだけが、私の周りを渦巻いているのです。 他の感情は模倣なのです。「恥ずかしい」だの「混乱している」だの「悔しい」だの、そういった感情はテレビや小説などから見た、「死にたがり」の感情なのです。私はそれを模倣しているんだ。 だけど「死にたい。」この心は誰をも模倣していません、何故か。私は「虚無の像」と呼ばれて「死にたい。」という心を持った人の事を知らないからです。模倣する事に疲れ、死に行く人を未だかつて、テレビ映画小説にも見た事がありません。 だから、私は最初で最後、「私の意思」で死んで行きます。 どうか、私のご勝手を許してください。
皆さんは私の心が分かりますか? 異口同音に私の周りが放つ言葉、 「嫉妬は醜い、特に女の嫉妬は醜悪である。」 この言葉は、私にとっては羨ましいばかりで、何も醜悪な物ではないのです。 私にはこの生身の感情が分からないのです。 だから私は嬉しい、嬉しいと呼ぶのでしょうか、この感情は。最後の最後に私の本心が出て来て溢れんばかりになっているのですから。
私は私の意思で死にたいのです。 はっきりと今なら、申せます。 模倣でもなんでもありません。
敬具
200X年08月XX日 山田利恵
追伸: 無事にあの世へ付いた折りには、お母さんと私の敬愛していたお婆さんにあって参りますね。皆が元気だと告げておきます。それでは。
ここまでが彼女の遺した遺書の全貌である。 後日、私が彼女の父親に聞いた言葉があるので、それをも記しておく。 「利恵は本当に彼女のお婆さんを愛していた。何処へ行くのも一緒であり、常々二宮さんのような良い子になれよと常々言われていた。彼女はその頃から勉学にいそしむ事を絶対に忘れなかった。きっと利恵は最初から感情を知らなかった訳じゃないと、僕は考えたい。きっと母が(利恵さんのお婆さんの事である。)あの世まで彼女の感情を持って行ってしまったのだ。あの人もとても寂しがりやだったから。」
なにはともあれ、私は彼女が臨むように「虚無の像」がいち早く何かに埋められれば良いと考えている。 それが感情なのだろうか、はたまた違う何かなのかは、さっぱり検討も付かないが。 ただ、確かに分かる事が一つある。彼女は確かに一般的な日本の女子大生だったのだ。
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