一
異口同音に私の周りが放つ言葉、 「嫉妬は醜い、特に女の嫉妬は醜悪である。」 彼女は決してそうとは思わない。加えてその「嫉妬」とやらが羨ましくあるのだ。生身の人間らしい感情である。そもそも醜悪と感じるのも、当の本人が「嫉妬」の念を身に覚えていた時であって、彼女のようにその意味を身体が知らない場合は、まるで絵空事の様にさえ感じるのである。
昔の時分からそうだった。 彼女は殊更憤慨するという事もなかった、友人に物を盗まれたとしても、(いくら毎日身に付けておいたものでも。)心の海は凪いでいた。無論その後に嵐が来る事もなかったのだが。 更に悲しみに暮れる事もなかった、毎日面倒を見ていたタロウ(雑種の柴犬であった。)が突然車に挽かれて終った中学生の夏も、すんすんと鼻を啜る姉を横目に、彼女はこの綺麗な涙は一体どの心から来て何処へ行くのだろうと、その事ばかりをぼうっと考えていた。 しかし大学受験を控えた冬に母親を亡くした時は、流石の彼女も涙を流した。だがこれは先程記した姉のように綺麗な心から来る涙ではなく、臨機応変にその場に対応しただけの話なのだ。父は勿論、姉、弟二人、祖父母、親戚一同や母の友人等がしとしとと涙を流していた。そんな喪服の集団の中で、流石にぼうっとしているわけにも行かず(そうしていたら、薄情者だとか、気違いだとか言われたのだろう。)皆と同じようにハンカチを片手に、鼻や口を覆って嗚咽の真似事をし、(声を震わせるには技術が足らないために、言葉を口にはしなかった。)眼球の奥から涙を絞り出していた。
だからと言って、彼女は無口で陰惨で根暗な女、というわけでもなかった。 自分の意見はハキハキと主張出来たし、寧ろ白と黒を明瞭にしないと気が済まない性格であった。笑顔を振りまく事も得意であり、快活で朗らかな女性だと評され、様々な異性の気を惹いていた。 ただ、彼女は「悲しむ」「怒る」「憎む」といった人間の一般的に言う「負」の感情に対し、大変軽蔑していた。読書家であった彼女は太宰治の「人間失格」やドストエフスキーなどを嫌い、逆に太宰治で言えば「走れメロス」や特に御伽噺などを愛読していたのだ。 しかし彼女がそういった感情に対し「軽蔑」でなく「羨望」し始めたのは、晴れて第一志望に受かり、花の女子大生となった頃である。
その先を記すと長くなって終うので、その前に彼女の事を大まかに紹介しておこう。 名前は山田利恵と言う。彼女の母は「利口で恵まれた子になって欲しい。」という事で彼女の名前を利恵と名付けた。彼女はその通り進学校で有名な高校では成績が上から数えて三十番台には必ず入っている才智を身に付け、親類や友人にも大変恵まれ何不自由なく青春時代を過ごしていた。彼女が母親を亡くしても父は酒や女やギャンブルに溺れる事はせずに真面目に働いたし、姉も自営業で儲けがありながらも心優しい男性と結婚することが出来た。弟二人も彼女と姉が通っていた進学校に行くと勉強に励み、一家は円満そのものであった。彼女の死以降の事は私も詳しくはしらないのだが、この家族なら足並みを揃えて前に進む事が出来ているのだろう。 少し筆を滑らせすぎたが、先にこの物語の核心を記しておく事にする。彼女は社会に羽ばたこうとする前に、自らの命を絶ってしまったのである。紛れも無く自殺である。綺麗な字で書かれた遺書は彼女のものだったし、自分の車で隣の県の山奥までわざわざ行き、流行の練炭自殺をしたのだ。その間に携帯は何処かに棄てて誰一人とも連絡を取らなかったし、通信記録も残っていなかった。他殺と思わせる要素を何一つ残さずに彼女は死んでしまったのだ。 その中の彼女の遺書というのが、私がこれから記そうとしているものである。
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